補講3-3
夕方にルカは一度戻ってきた。今日開かれる舞踏会は宮殿で開かれるのだが、彼は一度準備のために帰宅したらしい。
「エルザ」
迎えに出たエルザを見て、ルカは何故かぱっと腕を開いた。エルザが「は?」と素で返した。
「……抱きしめたいな、と」
「……」
再び使用人たちがざわめいた。当のエルザはじっとルカを見つめ。
「はあ」
ため息をつきながらもルカの腕の中に納まった。使用人たちは、「なんか新婚夫婦みたいだ」と思ってから、名実ともに彼らが新婚夫婦であると思いだした。
「体は? 問題ないか」
朝……というか起きてからみんなに聞かれ、エルザは少しうんざり気味だ。
「見ての通りだよ」
夫に対し雑に答えた。ルカが「そうか」とやはり真顔でエルザを抱きしめる腕に一瞬力を込めた。
しかし、いつまでもこうしているわけにはいかない。特に、エルザの支度は時間がかかる。いや、エルザの、というよりは女性の、という方が正しいか。
この社交界に出るための準備だけは自分でできない。センスの問題でもあるし、単純にドレスが一人で着られない仕組みだと言うこともある。
今日のドレスは青の光沢があるシルバーのドレスだった。たぶん、エルザの目の色に合わせているのだろうと思う。ちなみにルカのネクタイもシルバーだった。
そして安定のハイヒールである。さすがにそろそろ履きなれてきた感がある。しそして、眼鏡もなしだ。この一年で視力がさらに落ちたので眼鏡がないとより危険である。まあ、人の顔は認識できないが、人が居ることはわかるのでぶつかるようなことはないだろう。……たぶん。
ルカとはぐれたら自分から見つけられないような気がするエルザは、エスコートしてくれるルカの手をしっかりと握った。甘えているようにも見えるが、本人としてはものすごく真剣である。
「良くいらっしゃった、イングラシア公爵夫人」
会場入り口前で待ち構えていた男性に声をかけられ、エルザは目を細めそうになった。かなり失礼である。
「宰相だ」
ルカがこそっと囁いた。エルザが相手の顔を認識していないことに気付いたのだろう。エルザはおお、とうなずく。
「ご無沙汰しております。宰相閣下」
エルザは軽く膝を折り礼をする。宰相は「うむ」とうなずいた。
「陛下への挨拶が終わり次第、私のところへ来てれ。公爵夫人をお待ちの方がいるのでな。イングラシア公爵、ちゃんと奥方を連れてこいよ」
「御意に」
宰相の言葉にエルザとルカは目を見合わせる。お待ちの方とは誰だろう。
今夜の主催者である国王への挨拶を終えると、エルザとルカは宰相の元へ向かった。そこには王弟のリオネロとその妻テレーザ、そして、もう一人男性がいた。
『そうそう! あなただ、エルザ殿!』
「……」
エルザは黙って目を見開いた。聞いたことのある声のような気がするが、思い出せない。ちなみに、リオネロやテレーザのような見なれた人ならともかく、この人は顔を認識できなかった。しかも異国語で話しかけられた。
……待てよ。異国語か。
何かが引っかかったエルザに、再びルカがささやく。
「去年のシーズンでお前に通訳してもらった、東方の国の外交官だ」
「ああ……」
なるほど、と思った。確かに、東方言語で、服装もその時見たものに似ている。眼鏡をかけていないので顔が良くわからなかったが、間違いないだろう。そもそも、去年会った時も眼鏡をしていなかったので、顔を覚えていないのだが。
『お久しぶりです。またお会いできて光栄です』
エルザは他の人よりは東方言語を理解できるが、さすがに母国語ではないし、よく使う周辺諸国の言語でもない。そのため、若干不自然なところがあるのだが、外交官は満足そうだ。
『いやいや。お会いできてよかった。今年もぜひあなたにお会いしたいと思っていたんだよ。実は、聞いてほしいことがあってな』
ニコリと笑う外交官に、エルザは『はあ』と首をかしげた。話しているのは二人だけで、ルカたちは母国語で別の話題を話し合っている。
『もしよければ、我が国に来ていただけないかと思ったのだが……』
外交官はちらりとルカを見た。それで何となくエルザは察した。
おそらく、昨シーズン中に、この外交官はエルザが歴史学者であると聞いたのだろう。国を第三の視点から見る者として、国外のものを置く国は結構多い。
だが、事前にエルザが結婚したことを聞いていたのだろう。外交官がためらったのはそのためだ。ちなみに、外交官がエルザを娶ろうとした、という可能性は彼女の中では考慮されていなかった。
正直、東方の国には行ってみたいと思う。この地域とは全く違う文化、歴史を歩んだ国々。とても興味をそそられる。
しかし。
『せっかくのお誘いですが、私は夫とともにいたいので』
どうせ誰も理解できないのだから、とエルザは本音を口にした。ルカが聞いていたら軽く死ねる気がするが、東方言語なのでルカは理解できない。エルザの答えを聞き、外交官は苦笑した。
『でしょうな。旦那さんと仲良くな』
『ありがとうございます』
あっさりと引いた外交官に、エルザは少し目を細めて微笑んだ。
『さて。前回と同じように通訳をお願いしたいのだが』
『わかりました。少々お待ちください』
エルザは外交官にそう告げると、宰相と王弟を振り返った。
「通訳をお願いされたのですが」
「わかった。そのまま頼む」
「かしこまりました」
エルザはそう言うと、外交官に向き直った。
『許可が出ました。どうぞ』
△
結局通訳をしてしまったエルザは、その役目を終えた後はダンスホールの隅にある休憩場所でソファに座っていた。舞踏会であるが、踊るつもりは全くない。
「エルザ。水だ」
そう言ってグラスを差し出してきたのはルカだった。エルザは座ったまま「ありがとう」と受け取る。ルカはそのままエルザの隣に座った。
「お疲れ様。ありがとうな」
「別にいいけどね。もうやりたくないけど」
エルザはそう言って水を一口飲む。
「ルカ。私にかまわず踊ってきてもいいよ」
「……エルザ。私が女性恐怖症だと本当に理解しているのか?」
じっと見つめられて、エルザは「そう言えばそうか」と思った。ルカはエルザに対しては普通に接触してくるので、彼女にとってルカは女性恐怖症と言うイメージが薄らいできているのだ。
「でも、私も踊らないからな」
「だろうな」
ルカは苦笑してうなずいた。ルカはちびちびと水を飲むエルザを横目で見て、尋ねた。
「さっき、通訳に入る前何の話をしていたんだ?」
割と放任であるルカがそんなことを気にしてくるとは。と、エルザは思いながら答えた。
「東方に来ないかって誘われた。もちろん、断ったけどね」
「……そうか」
明らかにほっとした声音でルカは言った。そんな彼にエルザは笑う。
「住み慣れた場所を離れたくないからね」
国外に出れば、ルカとの距離は大学と王都どころの話ではなくなる。以前はわからないが、今となってはエルザにそんな遠距離は耐えられない。
まさかそんなエルザの心の内を読んだわけでもなかろうが、ルカはエルザを自分の方に抱き寄せ、彼女の泣きぼくろのあたりにキスをした。そのままエルザの髪に鼻先をうずくめる。
「よかった。行かなくて」
エルザは再び笑って「そうだね」と言った。
「激甘……砂糖吐ける」
「ラブラブだな……」
聞き覚えのある声に、エルザとルカは振り返った。この一瞬の間に二人とも真顔になっていた。エルザは、相手の顔が認識できなくて少し目を細めたが、実は声の時点で誰かは何となくわかっていた。
「レベッカ。ガイウス」
この二人だ。仲が良い友人なので、視力の悪いエルザでもわかったのである。
「この二人はわかるんだな」
「見なれてるからね。離れててもルカたちならわかる」
声で分かる、という方が正しいか。できれば眼鏡をかけてきたいところであるが、それにはみんなが難色を示すのだ。
「なんなの二人ともそんなキャラだった?」
レベッカがエルザの隣に腰かけながら言った。エルザはルカから離れて彼女の方に向き直る。
「そんなに変わってないと思うけど」
「いや、違うわよ」
ツッコまれてエルザは肩をすくめた。本人からするとそんなに変わらない気がするのだが、他から見ると変わっているものなのだろうか。思わず目を見合わせて首をかしげるエルザとルカだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
エルザは人の顔を覚えるのが苦手そう。目が悪い的な意味で。
これを書いているとき、10年くらい前にやっていたガン○ムの迷台詞「抱き締めたいな、ガ○ダム!」を思い出しました。←




