第23講義
次の最終話が短いので、今日は二本投稿します。
「……私は聞いた覚えはないな」
ルカがそう言った。ということは、やはりエルザは返事をしていないのだろう。彼女はまたため息をついた。
「ってことは、やっぱり情報が先走ってるのか」
歴史学者であるエルザに言わせれば、情報の元はちゃんと確認しろ、というところだが、社交界と言うのはほぼ噂で出来上がっているらしいので、こんなものなのかもしれない。あきらめたともいう。
「……私としては」
ルカがエルザの顔の横の壁に手をついた。エルザは思わず足を後ろに引くが、当たり前だが壁に背中をぶつけた。
「返事を聞いておきたい」
「……」
ここはドキッとする場面なのだろうか。エルザは真剣な表情を浮かべるルカを真顔で見上げた。動揺しなかったと言えば嘘になるが、それは表情には現れなかった。
「エルザ」
耳元で名を呼ばれ、エルザは思わずルカを押し返した。
「お前、そんなに押し強かった?」
「……どうだろう。よくわからないが、お前だけは手放せないと思った。お前以外が私の隣にいることなど考えられない」
女性恐怖症的な意味で? と茶化すことはさすがのエルザもしなかった。今まで恋愛関係には縁のなかったエルザにもわかるくらいはっきり口説かれている気がした。
「……私、いい嫁にはなれないよ。研究も続けたいし」
「わかってる。それでいい。私が好きなのはそんなエルザだからな」
「……聞いてて恥ずかしいんだけど」
「そうか?」
天然と言うか、開き直っていると言うか。またもため息をつこうとしたエルザだが、だが、その前に笑いが込み上げてきた。ルカの胸に手を付き、肩に額を押し付ける。
「私も、もし結婚するならルカしか考えられないよね。私を嫁にとろうなんて考えるのはルカくらいだろうし」
そうでなければエルザは一生独り身だろう。それでもいいかな、と思っていたエルザだが、まさかこんなことが起こるとは。人生何があるかわからない。
自分にすがりつくようにして笑っているエルザに、ルカは尋ねた。
「それは了承と受け取っていいのか?」
「そうだね。そう考えてもらっていい」
うなずいたエルザを見て、ルカは彼女を抱きしめた。少し苦しいくらいの抱擁に、エルザはルカの背中を抱き返し、ぽんぽんたたく。
「うれしすぎた?」
「……ああ」
冗談で尋ねたのに、思わぬ同意が返ってきてエルザの方がびっくりした。
偽装恋人から妙なところに落ち着いたと思ったエルザであるが、彼女らの周囲としては、収まるべきところに収まったらしい。第三回賢者会議が終了し、会議室を出たところでエルザはそれを知った。
「エルザ。結婚するんですってね。おめでとう」
にこにことそんなことを言ったのは姉のテレーザだった。どうやら、アクアフレスカ公爵夫妻はまだ領地に戻っていなかったようだ。
「……情報の拡散具合が怖いな……」
一日二日で情報が公も広まるものなのか? テレーザはくすくす笑い、少し高いところにある妹の顔を見上げた。
「でもまあ、収まるべきところに収まってくれてよかったわ。意外性は皆無だけれど」
前にレベッカにも同じようなことを言われたが、それはどういうことなのだろうか。
「それってどういうこと? よくわからないんだけど」
「……イングラシア公爵もだけど、あなたもなかなかね」
「余計なお世話だよ」
テレーザに呆れた口調で言われ、エルザは少し腹を立ててそう言い返した。呆れながらもテレーザは説明してくれる。
「社交界では、イングラシア公爵の本命はあなただろうって話だったの。まあ、わたくしたち世代がそう思っていただけなのだけどね」
大体エルザたちの年齢の上下二歳から三歳差くらいまでの人たちはそう思っていたらしい。だいたい、学校などで一緒になるくらいの年齢の人たちだ。そこからずれてくると、また違った見解になるらしい。
「本命……って、社交界ではルカは私のことが好きだと思われていたと言うこと?」
「ええそうね。そうなのでしょう?」
「うん……うーん。たぶん、そうだね」
エルザもそうだが、ルカもいつから彼女のことが好きだったのか、微妙なところだ。そばにいるのが当たり前すぎて互いに好きあっていると気付かなかった。
「いいこと。イングラシア公爵はあなたに会うためだけに大学に行っていたのよ。これで好きじゃなかったらおかしいわよ」
テレーザの力説に確かに、と思ってしまった。わざわざ会いに来るのだ。好かれていると思っていいのだろう。
「そう、だね」
「そうなのよ」
テレーザは微笑み、うなずいた。エルザは少し笑みを浮かべ、テレーザと並んで歩きだした。
「そう言えば、テレーザは何しに来たの?」
「ちょっとリオネロについて王妃様に挨拶してきたのよ」
さすがは王弟妃。にっこり笑って言えるあたり、さすがだ。
「それで、結婚するのよね」
せっかく話を逸らしたのに、テレーザがまた戻してきた。エルザは仕方なくうなずく。
「お父様がうなずけばね」
エルザはまだロンバルディーニ公爵である父ディーノに帰属していることになる。なのでディーノの許可がなければエルザは嫁ぐことができない。
「うなずくに決まってるわ」
「私もそう思う」
おそらく、誰も反対しないだろう。ロンバルディーニ公爵家側も、イングラシア公爵家側も。そもそも、イングラシア公爵はルカなので反対も何もないけど。
「そうとなれば、式の日取りも決めないといけないわね」
「……やっぱりしないとダメ?」
「形だけでもした方がいいと思うわよ」
テレーザにそう言われ、エルザは肩をすくめた。エルザとしては気恥ずかしいのでそんなものはしなくてもいいと思うのだが。
「……そうだとしても、しばらくは私は賢者会議で忙しいから無理」
「ふふっ。そうね」
冷静に切り返したつもりだったが、内心恥ずかしがっているのが見透かされたようでちょっと居心地が悪かった。
会議中だからと言っていつまでも大学を留守にするわけにはいかない。もちろん、復興がある程度終了するまではエルザも拘束されることになるが、議論が落ち着けば毎日のように会議が開かれることはなくなる。
というわけで、エルザは会議がいったん落ち着いたところを見計らって大学に戻った。もちろん、トリコリ教授もであるが、彼は名誉教授であり、エルザほど学生を見ていないし、講義数も少ない。エルザは下っ端なので事務仕事も多い。まあ、そのあたりはサビーナがだいたい片づけてくれていると思うが。
「あ~! 先生! お帰りなさい! 会議終わったんですか?」
エルザは自分の研究室に行くと、サビーナにそう聞かれた。エルザは外套を脱ぎながら言った。
「まだだよ。三日後に会議があるから、それまでにできるだけ仕事を片づけておこうと思って。ああ、明日と明後日の講義はするから、学生たちにはそう伝えておいて」
「わかりました……あ、あと、学生たちのレポートも添削入れておきました」
「わかった。ありがとう。私も一応見ておくから」
「はい」
サビーナとの情報交換が終わったところで、彼女は思い出したように尋ねた。
「そう言えば、先生結婚するんですか?」
「……誰から聞いたの?」
「大学はその話でもちきりなのですが」
情報源は良くわからないが、とにかく大学に広まっているらしい。まあ、今この大学にはダニエレも在籍しているし、宮殿に出入りしている者もいるだろうし、広まっていても不思議ではないのだが。
「……一応、その予定だな」
エルザはまだディーノに許可をもらっていないが、おそらく、反対されることはないだろう。だから、ほぼ決定事項なのだ。サビーナがパッと笑って「おめでとうございます!」と言った。
「イングラシア公爵とですよね! 仲がいいし、お二人とも理知的な面差しでお似合いだなって思ってたんです!」
「……はは。ありがとう」
自分のことのように喜んでくれるサビーナに感謝しつつ、やはりルカは外側だけ見ると理知的に見えるのだな、と再認識した。
その後、二日間は講義を行い、その間にダニエレが姉の結婚の噂を確かめに来たりしたが、エルザは再び賢者会議に出席するために王都へ戻った。
「あらー。お帰りなさい」
王都の屋敷に行くと、笑顔で母パルミラが出迎えてくれた。エルザは驚いて目をしばたたかせる。
「……え。何で……ああ、そうか。私が『十二人の賢者』に選ばれたっていう知らせを受け取ったのか」
屋敷の使用人の誰かが、ディーノにそう知らせを出したのだろう。当然の行為である。それを受け取り、このオフシーズンにパルミラとディーノが王都に戻ってきたのだろう。
「それもそうなんだけど。何でもあなたが結婚するっていうじゃない? びっくりしたわよ」
「……」
パルミラの中では賢者会議のことより娘の結婚の方が気になるらしい。時間的に、こちらに向かっている間にエルザの『結婚したいんだけど』という手紙を受け取ったはずだ。
「……まあ、お父様がうなずけばだけど」
「うなずくに決まってるわ。相手はイングラシア公爵でしょう? 問題ないわ」
身分も釣り合うし気も合うし、ばっちりじゃない。とパルミラ。エルザは苦笑を浮かべた。パルミラもにっこりと笑う。
「そうなれば、式の日取りを決めないとね」
「……」
やっぱりそうなるのかと思った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次、最終話です。




