第2講義
本日二話目!
というわけで、恋人契約が成立したわけであるが……エルザもルカもどこか浮世離れしていた。一応、貴族界の常識はあるつもりだが、どうだろう。とりあえずデートでもしてみるか、という話になったのだが、ここでエルザは問題に気が付いた。
「……うーん。どうしようか」
服がないのである。裁判や学会、講義に出るためのお堅いドレスしかない。ほとんどが茶色か黒、藍色。さすがにこれはないわ、とエルザでも思う。だが、研究一辺倒の彼女におしゃれのセンスがあるはずもない。
「うん。背に腹は代えられんな……」
つぶやいたエルザは、外出の準備を始めた。あまり頼ることはしたくないのだが、仕方がない。オフシーズンであるが、彼女なら王都に残っているだろう。
持っている中で比較的外出向きである青のドレスと白いつばの広い帽子をかぶり、エルザは街に繰り出した。辻馬車を拾って目的地を告げる。一応、気づいた時点で先触れの手紙を出しているので、大丈夫。たぶん。
目的地は貴族街の屋敷の一つ。辻馬車の御者に礼を言って代金を払う。屋敷の門番に名を告げると、すぐに屋敷の執事が迎えに出てきた。
「エルザ様。珍しゅうございますね」
「ええ。突然訪ねてごめんなさいね。アレシアはいるかしら。忙しかったら帰るわ」
「ご在宅ですよ。奥様もエルザ様がいらっしゃるのを楽しみに待っておられますので」
「……そう」
何となく複雑な気分になるエルザだった。
屋敷に入ると、アレシアは玄関先まで迎えに出てきていた。
「エルザ! 珍しいわね。手紙をもらったときは何事かと思ったわ」
エルザの妹、アレシアである。エルザは六人兄弟の上から二番目で、アレシアは三番目だ。しかし、この二人は年子なので、ほとんど同い年といってよかった。一番仲の良かった兄弟である。
「いや、悪いね。母上か姉上でもよかったんだけど、この時期、みんな領地にいるからね」
「そりゃそうよ。私だって、今年はたまたまいるだけだし」
と、アレシア。アレシアは、当たり前だが結婚していて、ここはアレシアの嫁ぎ先であるマルキジオ侯爵家である。今年はアレシアの夫であるマルキジオ侯爵が宮廷に呼び出されたので、アレシアは早めに王都に来ていたのである。
「伯母上、こんにちは!」
「こんにちは!」
元気にあいさつしてきたのは、アレシアの子どもたちである。男の子一人と女の子一人。一番上の子は、去年寄宿学校に入ったので、ここにはいない。
「こんにちは、ミランダ、カルロ。元気そうだね」
「はい! 伯母上、またお話し、聞かせてくださいますか?」
カルロが少年らしい好奇心で目を輝かせて言った。エルザは苦笑し、「そうだね」と答えた。
「こらこら、二人とも。伯母様は私に用があってきたんだから、それが終わってからね」
アレシアが母親らしく叱ると、二人は「はーい」と返事をして仲良く手をつないで庭に出て行った。アレシアが肩をすくめる。
「やんちゃで困ってるのよ」
「だが、ちゃんと母親だな。さすがだ」
「うらやましい?」
「うーん、どうなのだろうね」
いつも通りの答えを苦笑気味に返し、エルザはアレシアに手を引かれて階段を上る。
「それにしてもエルザ、相変わらず辛気臭い恰好ね」
「一応、手持ちの中ではましなものを着てきたんだけど、実はそのことで相談があってだね」
エルザが言うと、アレシアは部屋に入ろうとする足を止めて「え!?」と振り返った。
「そのことって、ドレスのこと? 何? おしゃれに興味が出たってこと? あ、ついに結婚するとか!?」
「なんか惜しいが、何故わかる」
「ええっ。嘘っ。ホントなの!?」
どうやらあてずっぽうで言ったのが当たったらしい。エルザは何となく腹が立った。
「エルザ、結婚するの!?」
「しないよ」
即答すると、アレシアが「なーんだ」と残念そうな声を上げる。客間に入り、ソファに腰かけると、言ってのけた。
「再婚ならエルザも行けるんじゃないの」
「余計なお世話だよ。それで、相談なんだが」
「うんうん」
なんだかんだで聞く姿勢を見せたアレシアに、エルザは尋ねた。
「男性と一緒に出掛ける時、どういう格好をしていくものなんだ?」
アレシアがぽかんとした。数秒間を置いてから確認するように尋ねた。
「男性と出かけるって、エルザが?」
「そうだね」
「大学の先生と、とかではなく?」
「大学教員ではないな」
「じゃあ付添い?」
「何の付添いだ」
律儀にツッコミを入れてしまうのはエルザの性格である。きっちりしているわけではないのだが、つっこんでしまう気質なのだ。
「じゃあ誰と行くのよ?」
「男友達だよ。私が大学まで出ていること、アレシアも知ってるだろう」
エルザの返答に、アレシアは面白くなさそうだ。ため息までつかれた。
「なんだ~。ついに恋人でもできたかと思ったのに」
「私の性格で恋人なんてできたらびっくりだな……と言いたいところだが、半分当たっている」
「なんですと!?」
アレシアが再び身を乗り出してくる。エルザはざっくりと状況を説明した。
「偽装恋人を提案されて、了承した」
「何よそれ。今すぐ断ってきなさいよ」
さすがはアレシア。エルザも相当だが、彼女も思ったことははっきり言ってのける。
「いや、引き受ける代わりに資金を出してくれることになってね」
「お金で買収されたのね。つーか、お金には困ってないでしょうに、エルザは」
「そうなんだけど、研究ってのは金食い虫だから」
何度も言うが、研究には金がかかる。専門書は高いのだ。
「そう言えば肝心の相手の名前、聞いてないけど」
そう言えば言ってなかった、と思い、エルザはさらりと答えた。
「ルカだよ。ルカ・イングラシア公爵。友達だって言っただろ」
「イングラシア公爵!? 今、社交界の結婚市場で結婚したい独身男性ナンバーワンの人じゃない! エルザ、どうやったの!?」
なんだそのランキングは。結婚市場があるのは知っていたが。
「向こうが『結婚してくれ』とか言いながら研究室に乱入してきたんだよ……」
「何それ。もうほんとに結婚しちゃえば?」
「お前、さっきと言ってること違くない?」
やっぱりツッコむエルザである。というか、だいぶ話がそれてしまった。
「とまあ、そう言うわけで、ルカと出かけることになったんだけど、何を着て行けばいいかわからないんだよな」
「エルザ……思春期のほとんどを研究に費やしてきたもんね……」
「そこ、かわいそうな顔するな」
こっちは好きでやってるんだ、余計なお世話だ、とばかりにエルザは言った。だがまあ、アレシアの言葉も事実である。
「自分でも頭がおかしいとは思っているから、放っておいてくれ」
それよりも、お出かけの件である。
「わかってるわ。イングラシア公爵とのデートよね」
「対外的にはそうなる」
「少しは照れるとかないの?」
平然とうなずき返したエルザに、アレシアが言った。エルザは「所詮偽装だからな」と意にも解さない。だが、アレシアも聞いてはいなかった。
「恋人と出かけても恥ずかしくない格好ってことね。よし、きたっ。任せて!」
エルザは少々不安を覚えたが、他に頼る人も思いつかなかったので、アレシアにゆだねることにする。
「それに、たぶん、社交シーズンも夜会とかに出ることになるでしょ。そのドレスもあつらえといたほうがいいわよ。それと、念のためマナーとダンスも確認しておいた方がいいかも」
「わ、わかった」
突然アレシアからまともな指摘が入って、戸惑い気味にエルザはうなずいた。マナーは学会でも必要になってくるのでさほど不安はないが、確かにダンスは危ないかもしれない。
「ドレスは……採寸するとして。外出用のドレスよね。ワンピースだと軽すぎるし、ツーピースに分かれたものとかがいいかしら」
と、アレシアがエルザを眺めながら言った。エルザはもうわけがわからないので「任せる」とだけ言った。
「あー、そう言えば費用はどうするの? エルザがデートに行くって言ったら、お父様とお母様が喜んで出してくれそうな気がするけど」
「あー、うん。まあ、否定できないけど、一応、私の予算の範囲内で頼む」
両親に知らせれば、これまで面倒と不安をかけていたので喜んでくれるとは思うのだが、偽装であるし、知らせるのもなぁというエルザである。
「よし来た。私の腕の見せ所ってわけね」
アレシアが胸をそらして言った。ここにきてエルザは、相談相手を間違えたかもしれない、と俄かに思った。
「ちなみに、何か希望はある?」
「できればあまり目立たないものがいい」
希望を聞かれて即この返答となるエルザも違う意味で突き抜けている。アレシアが呆れた。
「何言ってるのよ。ただでさえ地味なのに」
どちらかというと華やかな美人であるアレシアに言われると、結構胸に刺さる。いくらエルザが女を捨てていると言われているとはいえ、それくらいの感情はある。
「……言うなよ……自分でもルカの隣に並んでいいのか? とか思ってるんだから」
「あ、一応エルザにも葛藤的なものはあるのね」
「どういう意味だそれは」
いちいち失礼な妹である。
「まあ冗談はともかく」
「冗談だったのか?」
いちいちツッコむエルザである。
「エルザ、これから時間ある?」
「ああ。今日は午後から公休とってきたから」
「じゃあ、ちょっと買い物行きましょう。エルザ、ちょーっと背が高いけど、まあ大丈夫でしょう」
「……」
やっぱり早まったかもしれない、とエルザは思ったが、もう後の祭りである。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
エルザはさばさばしていて、かつ、古風な口調ですね。