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第18講義








 ロンバルディーニ公爵家での夜会からしばらくして、本当にイングラシア公爵家から食事の誘いが来た。現在の彼の家の家長はルカであるので、招待状の送り主の名はルカだった。筆跡が彼のものだったので、自分で書いたのだろう。どんな思いで書いたのかと思うと、ちょっと笑えてくるエルザである。

 一方、彼女は学会も控えている。シーズン終了間際にある学会だ。ほとんど準備はできているとはいえ、何度推敲はしてもしすぎることはない。


「エルザ様。そろそろ晩餐会の準備をいたしましょう」

「んー」


 アーシアが部屋にやってきて、文献と論文を突きあわせて事実確認中だったエルザに声をかけた。集中しているエルザは生返事を返す。


「エルザ様」

「ああ……」


 返事はするが手を止める様子がないエルザにアーシアは強硬手段に出た。手に持っていたペンを取り上げたのである。


「あ、ちょっと」

「エルザ様。準備を始めましょう」

「何の準備?」

「晩餐会です」

「早くない?」


 まだお茶の時間が過ぎたくらいの時間である。準備を始めるには早すぎる気がする。

「早すぎることはありません。ちょっと遅いくらいです」

「ええ~。でも、学会の準備が……」

「エルザ様ならぶっつけ本番でも大丈夫です」

「……みんな同じことを言うんだよな……」

 前にも誰かに言われた気がする。さすがにそれは無理なのだが、みんなそれよりもこっちが大事だと言い張るのである。

「そんなことでイングラシア公爵に見捨てられたらどうするんです!」

「また元に戻るだけだろ……」

 エルザがうんざり気味に答える。そう思いつつ、今の関係が無くなったらと思うと、少しもやもやするのも確かだ。

 とはいえ、エルザは立ち上がった。一応、学会まではまだ時間があるし、準備も差し迫っているわけでもない。なので、とりあえずアーシアの言うことに従おうと思ったのだ。


 だが、この時強く拒否すればよかったと思った。


 着替える前に、まず風呂に放り込まれた。一時間以上かけて侍女やメイドに体と髪を洗われて、のぼせるかと思った。

 髪を乾かしつつ、化粧水などを塗りたくられる。普段の大学寮で生活しているときより格段に肌艶もいいのだが、それでは足りないらしい。

 その後にドレスを着せられた。事前に母パルミラとアーシアが今日の為のドレスを決めているのは知っていた。エルザはドレス選びに関して信用がないのだ。いや、聞かれても困るが。今回のドレスは深紅だった。そう言えば、いつぞやルカがエルザのドレスを選んだとき、赤を選んだことを思い出す。

「エルザ様は髪と目の色が優しいですから、何を着ても反発しなくていいですよね」

 メイドの一人がにっこり笑って言った。エルザは苦笑して、「素直に地味だっていいなよ」と言った。

「そう言う意味ではないんですけど」

 メイドはそう言って首をかしげつつ、ドレスの後ろにあるホックをとめた。ちょっと苦しい。残念ながら、胸元は余裕がある感じだが。

 赤いドレスはパニエを入れないタイプで、胸の下で切り替えがあった。上半身はビスチェタイプで、袖も肩ひももない。だが、上に袖のあるボレロを羽織るのであまり気にならなかった。

「はい、今度はお化粧と髪のセットをするので座ってくださいね」

 と、三面鏡の前に座らせられる。

「もう疲れたんだけど」

「ダメです。あ、今日も眼鏡なしでいいですね」

「……」


 もう反論する気も起きない。


 とはいえ、夜会などのパーティーに参加するときに比べてやや化粧は薄めだ。髪はすべてあげてしまう。それから、テレーザがくれた銀色の髪飾りをつける。十年前にもらったものではなく、あのあと別にもらったものだ。

 準備だけでかなり気力を使ったエルザであるが、メインイベントはまだ始まってもいない。アーシアが言った通り、準備をしている間にいい時間になっていた。準備にどれだけの時間を使っているのか。世のお嬢様たちはすごい。

「エルザ。美人よ」

「そりゃどうも」

 馬車の中でニコニコ笑うパルミラに褒められた気がしたが、エルザはもうすでにぐったりである。ディーノがそんな娘の様子を見て苦笑した。

「エルザも、そんな顔しない。ほら、もう到着するぞ」

 馬車に乗ったものの、移動距離はさほど長くない。そもそも同じ公爵家の王都の屋敷だ。同じような一等地にあっても不思議ではない。


「いらっしゃいませ、ロンバルディーニ公爵、並びに公爵夫人、エルザ様」


 使用人の声掛けで、何故かエルザだけ名前だったが、気にしないことにする。ここで『公爵令嬢』とか言われても、エルザもちょっと反応に困る。


「ようこそおいでくださいました」


 そう言って歓待したのは前イングラシア公爵ジョットである。こういった歓待の役目は通常、その屋敷の奥方が担うものだが、現在のイングラシア公爵にはその妻がいない。そして、前公爵の奥方はと言うと。

「息子と作戦会議中なのですよ」

 とのことだった。これには「はあ」と返すしかない。

「エルザさんも、今日は特に素敵ですね。うちの息子にはもったいないくらいだ」

「……ありがとうございます。私の方こそ、恐れ多いことで……」

「何をおっしゃる。あなたくらいはっきりものを言える方でないと、息子とはやっていけませんよ」

「……」

 エルザは反論できなかった。そんなことはありません、と言えなかった。なぜなら、エルザもそうだと思ったからだ。普通の、男性がすべてしてくれるのを待っているような女性では、ルカとうまくやれない気がした。なぜなら、ルカは気づかないから。


 食堂ではすでにルカとロレーナが待ち構えていた。ルカが若干疲れているように見えたのは、ロレーナとの『作戦会議』のせいだろうか。彼はエルザと目が合うと苦笑を浮かべた。

 晩餐会となると、席順が大事になってくる。招待客が上座で、主催者は下座。これは変わらないが、今回はちょっとややこしい。

 招待客はロンバルディーニ公爵ディーノが代表だ。その妻と娘の計三人。主催側は同じ三人でも、代表はイングラシア公爵ルカである。通常の席順で並べば、ディーノが上座で、その後にパルミラ、エルザ、と続く。主催者側は、ルカ、ジョット、ロレーナと続くのが普通だ。

 しかし、今回は口には出していないものの、エルザとルカをメインに据えている。なので、この席順では面白くない。そこら辺をまるっと解決したのが円卓だった。

 そんなわけで、エルザは今、ルカの隣に座っている。左隣がルカである。右隣は母パルミラで、ちょっとした拷問を受けているような気分である。

 姉の時も聞かれたらしいが、こういう時に話題になるのは「なれ初めは?」であるらしい。エルザたちも聞かれたが、黙秘権を行使した。

 だってなんて答えればいいのか。初めて会った時までさかのぼるなら、初等学校であるし、社交シーズン前の取引成立時にさかのぼるなら、ルカの「結婚してくれ!」から説明しなければならない。面倒なのでエルザはルカに丸投げして肉を切り分けていた。


 こういう場になると主にしゃべるのは母親同士だ。受ける印象が全く違うパルミラとロレーナだが、やはり世の母親と言うのは似てくるのだろうか。

「エルザさんは大学の教授を続けるの?」

 ロレーナが突然エルザに話をふってきた。状況を省いた問いかけであったが、エルザには『結婚しても』と言われているように感じた。

「今のところ、やめる予定はありません」

 もうすぐ新学年だ。もし、エルザが大学教員をやめるのであれば、このシーズン中に代わりの教員を手配しなければならなかった。そんなことは全くしていないエルザである。


「その方がエルザらしいから、それでいいと思う」


 左隣から放たれたセリフに、エルザは思わず少し上にある男の顔を見た。さすがにこの距離なら顔をはっきり認識できる。


「……なんだ?」

「……別に」


 何故か腹が立ったので、エルザはテーブルの下でルカの足を蹴った。右隣を見ると、パルミラと目が合った。彼女は含み笑いを浮かべてエルザに向かってウィンクをした。続いて父を見たが、父はまたちょっと涙目になっていた。何なのだ、もう。

 大体の晩餐会のあとは、男性は男性同士で、女性は女性同士で集まってもてなしを受けるものだが、エルザはルカと共に放り出された。まあ、想定の範囲内であるが、どこかで見られているような気もする。

「このままボーっとしてたら、来年には本当に結婚している気がする」

「……あり得るな。親たちの様子を見ていると……」

「私はともかく、そっちはルカが公爵でしょ」

「まあそうなんだが……」

 ルカは押しに弱い気がする。いや、エルザも強いわけではないが、ルカは押し売りで変なものを買わされそうでちょっと心配というか。

「やはりエルザは赤が似合うな」

「そう? ならよかったけど」

 自称センスのないエルザなので、自分で似合っているか判断ができない。正確には、判断するのが怖い。まあ、母とアーシアの見立てなので大丈夫だとは思っているが。


「今度、俺が見立てても着てくれるか?」


 ルカにそう言われて、庭を歩いていたエルザは立ち止った。ランプを持っておるルカも立ち止まる。


「エルザ?」

「いい機会だから言っておくけど」


 エルザはぼんやりと浮かんで見えるルカの方を見て言った。


「あまり優しくされると、勘違いしそうだからやめてほしいんだけど」


 ルカが、エルザのことを本当に好きなのではないかと。

「ほら、そろそろ戻ろう」

 エルザは自分と同じく立ち止っていたルカの腕をたたき、屋敷に戻るべく歩き出した。










ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


ここまで一区切り。次から後半です。


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