第14講義:sideL
今年の締めはルカ(Luca)視点。
フィユール大学で教鞭をとるエルザ・ロンバルディーニは、ルカにとって初等学校からの友人である。女性らしくないわけではないのだが、さばさばとした性格で、むしろルカより男気があった。そんな彼女に、ルカは偽装恋人を申し込んだ。
ルカは女性恐怖症だ。昔、女性に襲われかけたことがあり、それ以来家族以外の女性は怖い。話すだけならまだしも、密着するなど、恐ろしい。話しているだけでも緊張と恐怖で寒気がしてくる。
しかし、何故かエルザだけはそれがない。エルザとは、いつでも普通に会話ができた。自分から手を握ったり、抱き着いたりもできた。それは、ルカがエルザを『女』ではなく『仲間』として見ているからだろうと思った。
彼女の歯に衣着せぬ物言いはきついが、しかし、他の女性たちの陰湿さに比べたら可愛いものだ。むしろ、はっきり言ってくれた方がいい。彼女は頭もいいので、話していても楽しいし。
ルカはエルザに残念だ、天然だ、ポンコツだ、などとさんざん言われているが、それでも付き合ってくれる彼女が好きだった。エルザは研究資金に釣られたような節があるが、最初の時に叫んだように、ルカは、エルザとなら結婚してもいいかな、と九割くらい思っている。エルザと一緒にいるのは、女性恐怖症の彼がそう思えるほどに楽しいのだ。
自分で年増だ、薹がたっている、と言うエルザだが、ルカとしては気にするほどではないと思っている。まあ、二十八歳で未婚の貴族女性は珍しいが、それを補って余りある才能を彼女は持っている。そちらの方が魅力的だとルカは思う。
自称センスが無く、しかもおしゃれは二の次と公言しているエルザは、逆に言えば無難な格好しかしない。しかし、逆に言えば着飾れば見られるようになる、ということだ。本人も普段の恰好は『正直、ないわーと思ってた』と言っていたので、本当に自覚はあるのだろう。
こちらも本人の自覚に欠けている気がするが、エルザはそもそも顔立ちが整っている方だ。だから、野暮ったい恰好でも『ないわー』ですんでいるのであり、そうでなければ本気で見られなかったであろう野暮ったさだ。そんな自称どころか本当にセンスのない彼女を着飾らせるのは、思いのほか楽しかった。
きれいな格好をしていても、エルザはエルザ。彼女が彼女である限り、ルカはエルザを否定することはないだろう。むしろ、美しく装った彼女が、自分のために慣れない格好をしたのだろうと思うと、ちょっと興奮した。(挙動不審だったのはこのため)
学会だ忙しい、などと言いながらも、エルザは付き合ってくれる。本当に優しい女性だ。彼女が過去に婚約者に裏切られていることはルカも知っているが、エルザが気にしていないようなので、ルカも気にしないようにしていた。
後から気が付いたのだが、夜会に出るようになったエルザは、元婚約者マルクに遭遇していたらしい。ルカがずっとそばにいればよかったのかもしれないが、そんなわけにもいかない。一人の間に接触があったようだ。
ルカも言われるのだが、エルザは表情から感情が読みづらい。そのため、元婚約者に会った彼女が何を考えているのかはさっぱりわからなかった。ただ、ちょっと呆れた顔をされた。解せぬ。
今日の夜会も、エルザを伴ってきていた。ルカの姉フィオナの嫁ぎ先であるヴェルディ公爵家での夜会で、ヴェルディ公爵ベネデットは法学者であり、エルザも親交があったのだそうだ。
学会にも顔を出しているベネデット公爵家の夜会だからか、学会関係者も多かった。ルカはエルザを休ませて一人であいさつ回りに行っていたのだが、学者たちからは結構面白い話を聞かされた。研究内容も面白いし、彼らから見てのエルザについても聞くことができた。
女性学者はいないわけではないが、少ない。なので、どうしても目立つ。エルザは他の女性学者と比べ理詰めがうまく、筋道立てた説明が上手なのだそうだ。つまりは、結構優秀なのである。
そう言われると、ルカは自分のことのようにうれしくなった。さすがはエルザ、と思った。その表情がもうのろけているようで学者たちは半眼になって引いて行くのだが、ルカは知る由もない。
学者たちと語らっていたはずが、気づけば年若い女性に囲まれていた。
彼女たちができるだけ条件の良い男を探しているのはわかる。一回りの年の差くらい、貴族ではよくある話だ。イングラシア公爵であるルカは、とにかく条件が良いのだ。
身分も金も容姿もある。ここまで兼ね備えた人物はなかなかいない。外側だけ見れば、性格も良い。いや、別に悪いわけではないのだが、エルザには散々残念だ、天然だ、と呼ばれている身だ。
そのエルザは、ルカが女性たちにつかまっている間に先ほどまでいた席から姿を消していた。代わりに彼女の妹アレシアが笑顔でひらひらと手を振っていた。その彼女の唇が動いた。
『み、ぎ!』
そう言っているような気がして右側を見ると、何と、エルザが男性に腕をつかまれ、絡まれていた。
学会の関係者だろうか。暴言を吐かれてもエルザは表情が変わらないので良くわからない。なので、何を話しているのかはよくわからなかったが、良くない事態なのではないだろうか。
そう思うと、勝手に体が動き、エルザに絡んでいる男の腕をつかみ、エルザを自分の方に引き寄せた。強い力で引っ張られたエルザはそのままルカの胸元に収まった。
自分では気づいていなさそうだったが、エルザは少し怯えた顔をしていた。さすがに腕をつかまれて怖かったのだろう。ヴェルディ公爵も間に入ってくれたため、大事にはならずに済んだが、エルザは震えていた。まあ、それも、自覚できていなかったようだが……。
ヴェルディ公爵の好意に甘え、エルザを別室で休ませることにした。夜会では、気分が悪くなった人などのために部屋がいくつか用意してあるものなのだ。
「ありがとう」
エルザがほっとしたようにルカに言った言葉。自分がエルザを助けることができたのだと思うと、少しうれしかった。
ルカは以前から、自分が女性に囲まれていたら早めに救出してほしいと頼んでいた。今回もそれを実行するために立ち上がったのだろう。悪いことをしたなと思うし、助けるのが遅かった、などと文句を言わずにただ、礼を言ってくれる彼女に、ルカは自分の心が狭いのだろうか、と思って少ししょげもした。
気丈な彼女だ。別室についたころにはけろりと先ほど絡んできた男の話をしてくれたが、ルカは「そうか」などと相槌を打ちながら彼女の髪をそっと撫でてみた。そのまま頬を撫でると、彼女は顔を逸らした。
「どうした?」
不思議に思って尋ねると、「むしろお前がどうした!?」というツッコミが入ってきた。相変わらずのツッコミスキル。
怯えているような気がしたのだ。そう告げると、エルザは「むしろお前の方が怖いわ」と相変わらずのようす。それにほっとした。
そこからエルザが「お前熱くないか」と騒ぎだし、ルカも自分の体調不良をやっと自覚した。顔にも出ないし自覚もなかったので、本人を含め誰も気づかなかったのだ。
何かとかいがいしく看病してくれるエルザの手は冷たくて気持ちが良かった。気のせいかもしれないが、エルザがいつもより優しい気がする。
もうろうとしてきた意識が浮上すると、全身がだるく感じた。まだ熱があるのだ。のどが痛い。水を飲もうと身を起こす。
「ああ、起きた?」
身を起こすと、ベッドサイドにエルザがいた。椅子に座って本を読んでいた様子だ。……かなり分厚いので、専門書だろう。
着ているのはグレーのワンピースだが、彼女がいつも着ていたような野暮ったいものではなく、青みがかった光沢のある瀟洒なデザインのものだった。おそらく、エルザ以外の人間が用意したのだろう。彼女は本当に、センスが壊滅的なのだ。本人に自覚があるだけましだが。
「大丈夫か?」
エルザが立ち上がって本を置き、ベッドに座りなおした。ルカの上半身を支えるように手を添え、額に手を当ててくる。普段ならしないだろうが、ルカが病人なので気にしないらしい。
「まだちょっと熱があるね。関節痛いでしょ」
「……みず」
「はいはい」
答えになっていない返答だったが、エルザはツッコミを入れずに苦笑気味に答え、ルカに水を渡した。ルカはゆっくりとのどを潤す。
「今は夜会があった日の翌日だ。もう昼ごろになるかなぁ。お前を動かすのは気が引けたからヴェルディ公爵家に一泊したよ」
ルカが水を飲んでいる間にエルザが簡単に状況を説明した。まだのどが痛い気がするが、ルカは尋ねた。
「……帰らなくてよかったのか?」
エルザにはもうひとつ学会が控えているはずだ。それを心配したのだが、エルザは小首を傾けた。
「さすがにお前を一人で放置していくほど私も薄情じゃないよ」
さらりと言ってのけたエルザに、ルカは目をやった。やっぱりいつもより優しい気がする。
気づけば、ルカはエルザに口づけていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今年最後の投稿でした。みなさん、よいお年を!!