第11講義
みなさんメリークリスマス~!
その夜は王弟アクアフレスカ公爵が主催する夜会が開かれていた。王族の夜会と言うことで、諸外国の要人が参加していたりもするので振る舞いには要注意である。
やや政治との絡みがある関係上、ルカもこの夜会に参加していた。と言っても、アクアフレスカ公爵夫人であるエルザの姉テレーザからエルザ宛てに直接招待状が来ていたので、ルカが参加していなくても来なければならなかっただろう。
壁際のソファに座り、ちびちびとワインを飲んでいるエルザの姿は少々奇異に映るかもしれない。しかし、例によって眼鏡をかけていないので視界が悪く、下手に動くと危険なのだ。上司に呼び出されたルカも、「できるだけ一人で動くな」と言い置いてエルザの側を離れていった。もちろん、必要がなければ動かないつもりである。
色とりどりのドレスが周囲を行き来している。しかし、距離的に顔がいまいち認識できないため、誰が通っていったのかはよくわからない。親しい人なら声をかけてくるだろうし、まあいいか、と放っておいている状況だ。
「お前、エルザか?」
名を呼ばれた気がしてそちらを見た。エルザ、という名はこの国では意外と一般的なので自分のことではないのかもしれない。しかし、名を呼んだと思しき男はこちらを見ているように見えた。エルザは目を細める。
「……すみませんが、どちら様ですか?」
眼の悪いエルザにとって当然の反応であるのだが、相手の男は気分を害したようだ。
「お前、元婚約者の顔も忘れたのか!」
「ああ……」
エルザは納得した。そう言えば、そんなやつもいたっけか。
「マルクさんか。申し訳ないけど、私、目が悪いから」
直接的に顔が認識できなかったのだ、と伝える。でもたぶん、相手がルカなら認識できただろうな、とも思った。
マルク・パラディースは、パラディース公爵家の長男だ。現在三十二歳。そして、十二年ほど前までエルザの婚約者だった。そうか。あれからもう十二年も経つのか……。
マルクは中肉中背であるが、恐ろしく顔立ちの整った男である。エルザが十六歳の時まで婚約者だったわけだが、当時はエルザも視力はよかったので、その時の顔はまだ覚えている。
エルザのこの性格は、当時からさほど変わらない。さばさばとした性格は生来のものである。マルクは少し話しただけでもわかるように、プライドが高く自分がちやほやされたいタイプである。しかし、婚約者である年下のエルザの対応は他の人に対するものと同じだった。それが気にくわなかったのだろう。
エルザが十六歳の時、マルクは当時懇意にしていた令嬢を妊娠させた。まあ、貴族社会としては良くある話だが、マルクはその令嬢と結婚することになり、エルザとの婚約は破棄された。
エルザとマルクの婚約は二人の両親が整えたものだった。同じ侯爵家であっても、実際の立場はエルザの実家であるロンバルディーニ公爵家の方が上である。そのため、マルクの両親がロンバルディーニ公爵家に頼み込んだ形になる。なのにマルクの方の問題で婚約が破棄され、エルザの両親は怒った。そりゃあ怒るだろう。
とはいえ、怒ったのはエルザの両親及び姉妹たちであり、エルザ自身はどうでもよいと言う思いの方が大きかった気がする。
エルザはあのまま何もなければマルクと結婚していたと思うし、彼女自身が異議を唱えることはなかっただろう。しかし、マルクと結婚していれば学問を続けることができなかっただろうから、これはこれで良かったのかもしれない、とも思う。
ちなみに、マルクは結婚した令嬢とはうまく行かず、こうして夜会に愛人を連れてくる始末である。その愛人も身分があるので、出入りができてしまうのだ。まあ、エルザにとってはどうでもよい話である。
おそらく、同じようにマルクも、エルザのことはどうでもよかったのだろう。だから、その話はなかったことになった。
まあ、それはともかくだ。
「何か用ですか?」
エルザは興味なさそうに言った。立ち上がることすらしなかった。立場でいれば、どちらも公爵家の子女であり、エルザが学会で地位を確立している以上、エルザが彼にへりくだる理由はない。
その興味なさそうな彼女の様子がさらにマルクのプライドを傷つけたのだろう。
「なんだその態度は。似合わない格好して笑われにきたのか」
「私の態度が悪いのは今に始まったことではないでしょう。それに、私とあなたの婚約は、あなたの方に非が合って破棄された。私の態度が悪くても仕方がないだろう? ついでにこのドレスは連れの趣味」
一気にまくしたてるように言った。どれも本当だ。思うに、マルクは頭が弱いのだ。エルザは基本的に理詰めでツッコミをしてくるので、根本的にマルクとはあわないのだと思われる。
エルザは今日、赤いドレスを着ていた。どこか扇情的な印象のドレスであるが、エルザが着ると彼女の理知的な雰囲気と合わさって優雅に見えるので不思議だ。このドレスはエルザの連れ、つまりルカの趣味である。赤が好きなのだろうか。エルザが選ぶよりは趣味がいいので、ルカに丸投げした彼女も彼女であるが。
夜会のドレスはデコルテが大きく開いているものが多い。エルザも最近の流行よりは開いていないが、そのようなドレスを身に着けている。背の高いエルザに似合うようなデザインになっている。つまりはオーダーメイドだ。足元の靴も華奢なデザインで、容赦ないハイヒールだ。それでもルカより目線が下で、少々理不尽なものを感じる。
「用がないなら話しかけないでほしいんですけど」
「何なんだお前は! 昔から!」
マルクがキレた。だからと言って一緒にキレるエルザではない。
「いつもいつもそうして私を見下している! たまには相手を立てようとは思わないのか!」
「あなたのそれは言いがかりっていうんですよ」
エルザがそう言い返し、さらにマルクが反論しようとしたところに、「エルザ!」という声が聞こえた。聞きなれた声、ルカだ。
「ここにいたか」
「え、なに」
何の前触れもなく、駆け寄ってきたルカがエルザの腕を握って立たせた。マルクが苛立たしげな顔になるが、相手が公爵であるので何も言えないようだ。だが、ルカはマルクに気付いたらしく、言った。
「ご歓談中失礼。エルザをお借りします」
見た目だけは颯爽とルカはエルザをその場から連れ出した。やや強引に引っ張られながら、エルザは驚いて言った。
「もしかして、助けてくれた?」
「え、何? っていうかあの人、知り合いか?」
「……」
ルカの言葉にエルザは半眼になった。やっぱりルカはルカだった。わかって助けてくれたわけではなく、たまたまだったらしい。ため息をつきたくなったが、エルザ自身もマルクが認識できなかったので、彼を責める資格はないと思った。だからとりあえずは黙っておくことにした。
「どこ行くのさ」
「もう着く」
いや、そう言うことじゃない、というツッコミをする前に到着した。そこには、アクアフレスカ公爵リオネロと公爵夫人テレーザがいた。それと、異国人らしい男性。変わった服を着ているが、これがその国の正装なのだろう。
「こんばんは、エルザ」
「お招きありがとうございます、公爵閣下。ご機嫌麗しく」
とりあえずリオネロに型通りの挨拶をする。何の説明もなしに連れてこられたが、用件はすぐに知れた。
『これはまた美しい女性だ』
異国語だった。しかも、この辺りの言葉ではなく、もっと東方の言葉だろう。ざっと視線を走らせると、通訳がいる。通訳は、胸元に徽章をつける決まりなのだ。珍しい言語であるので、一度別の言語に通訳してからさらに東方言語に通訳していたのだろう。二度手間だ。
だが、そうせざるを得なかったのだろう。一度で通訳できる人間を見つけられなかったのだ。そこで、ルカがエルザを連れてきた。
エルザはルカを見上げた。彼もエルザを見つめ返す。エルザはため息をつくと、その顔に笑みを浮かべた。
『初めまして。わたくし、ロンバルディーニ公爵家のエルザと申します』
東方言語で話しかけると、その異国人の男性は驚き、それから嬉しそうに笑った。
『エルザ殿ですか! よかった。この国にも我が国の言葉を理解する人が居て。なかなか通じなくて困っていたのですよ!』
だろうねぇ、と思った。一度通訳をはさむだけでもニュアンスが変わってしまうのに、二度も通訳すれば意味が通じなくなるのも当然だ。
「アクアフレスカ閣下。私が通訳に入ってもよろしいので?」
エルザは多様な言語を解するが、通訳ではない。研究に必要だったから学んだだけで、専門家ではないのだ。そのため、あまり難しい話はできない。
「ああ、構わない。むしろ頼む」
「わかりました。ですが、難しい話は通訳できません」
あらかじめそう言っておき、エルザは異国人の男性……おそらく、外交官に向かって言った。
『わたくしで良ければ通訳いたします。ですが、わたくしは専門家ではありませんので、あまり難しい話は理解できません』
『いやいや。結構! 手間は減るし、誤解も減る! それに、エルザ殿のような美しい女性に間に入ってもらった方が話しも弾むと言うもの!』
「……あはは」
エルザは力なく笑った。テンションの高い人である。
結局エルザが間に通訳として入ることになり、本職の通訳二人がちょっと泣きそうだった。ルカ、ファインプレーだったかもしれないが、本職さんたちが可愛そうだぞ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
エルザもルカも通常営業です。