マチルダ ③
「姫様。温かいミルクをお持ちしました」
筆頭侍女のマリーが部屋に入ってきました。
「…姫様?もう大丈夫みたいですね」
マリーは今でも私の様子にすごく敏感で、安心したように微笑みました。
「…でも姫様、部屋からでましょうか?」
マリーは私の手をとり、部屋の外へ向かいます。
「え?待って、マリー…」
カーテンの陰から陛下が出てきて声をかけました。
「お待ちください。俺の大事な花嫁を連れて行かないでください」
マリーは私を庇うように陛下の間に立ちました。
「…クリストファー王子様ですか?お話は聞いております。ですが、このような不審者の真似事は如何なものかと存じます」
毅然といい放つマリーに対して陛下は膝をつきました。
王族や上に立つものプライドや体裁があるため普通は臣下のものに膝をつくことは普通ありません。
それなのに陛下は平然と膝をついたんです。
「マチルダ姫様のご様子が心配でしたので…」
「それでしたら正式な手続きをお取りいただくの筋かと思いますが?」
「そんなことも思う余裕もなかったのです。共にマチルダ姫様を思う仲、見逃してはいただけませんか?」
マリーはじっと陛下を見ました。
「…それではこれでお帰りいただけますか?」
陛下は首を横に降り、
「このままこっそりと恋人同士の時間を過ごさせてはいただけませんか?」
マリーは反対すると思っていました。
陛下との時間は終わり。
あっという間に過ぎてしまうと悲しかったです。
「これからいくらでも時間があるじゃないですか?」
「それは夫婦の時間です。俺は恋人同士の時間が過ごしたいんです」
胸が高鳴りました。
結婚は公務の一環でしかありません。
私達は国が決めた政略結婚ですから恋人なんていう甘い響きも時間もありません。
「マリー…ダメかしら?私も…」
マリーは私を見ると深く息を吐きました。
「また姫様が落ち込まれても困りますし…」
「そうか!ありがとう。ではアリスのこともよろしく頼む!ことの次第はアリスに聞いてくれ」
陛下はマリーの言葉を最後まで聞かずにアリスさんとマリーを部屋の外に追い出してしまわれました。
でもすぐにアリスさんが戻って来て陛下を連れ出して行ってまわれました。
あの時は久しぶりに声を出して笑いました。
前の日までのどんよりとした空気と違い清々しく、馬車に乗るともうすでに陛下は中におりました。
どんな手を使ったのか今でも知りません。
いつもはマリーと一緒に乗っていたのですが、その日は陛下がいましたので遠慮ししてもらいました。
陛下との車内はとても楽しかったです。
陛下の言う恋人の時間は長くは続きませんでした。
大きな森の中をを走っているときでした。
馬車の扉が突然開いたんです。
もちろん馬車は走ったままでした。
私驚いて声も出ません。
扉の代わりに人がいるんですから。
その人はなんでもないようにずっと笑みを浮かべていました。
陛下が私を後ろに引き、庇ってくださいます。
「あれ?王子?……面白い…」
その人は不敵に笑いました。
「王子も一緒に連れてっちゃおぅ」
急激な眠気に襲われ私は抗うこともできず意識を手放しました。
冷たく硬い地面に身体が強ばり目覚めました。
身体を動かそうとすると後手に縛られ自由に動くことができまでん。
そこはカビ臭く、窓もなく昼なのか夜なのかもわからない石作りの薄暗い部屋でした。
魔法の火が弱々しく灯るランプが一つだけあるだけでした。
「おはよう。よく眠れた?…わけないか」
陛下も同じように縛られ苦笑いしてしまいました。
私を安心させようと微笑んでくれたよう思いました。
何が起こったのか想像にも思いません。
ただ誘拐されたということだけわかりました。
「大丈夫。俺がいるから。マチルダ一人にはしないよ」
どんな気休めであっても陛下が居てくださるだけで不安をほぐしてくれます。
私一人だったらただ怯え不安に押し潰されていたでしょう。
身を捩り陛下と寄り添い、窓のない部屋の中で時間を知ることは出来ませんでした。
気が付いた誰かが助けてくれる…?
寒い…
暮らし慣れた城へ帰りたい…
怖い…
このまま殺されてしまうのでは…?
何を考えても怖かったです。
もう二度とあのような経験はしたくはありません。
陛下が側に居てくださっても嫌な体験でした。
「マチルダ、ごめん。なにも出来ずこんな風に捕まるようなことになって…」
陛下がいつも提げている剣も隠し持っている短剣も取られてしまっていました。
ランプの灯が徐々に薄くなっていき、終いにはすっかり消えてしまい、恐怖ばかりが増します。
「大丈夫。俺が側にいるから」
陛下は常に私を励ましてくれました。
本当にあの時は怖かったです。
陛下が私の頭に額を寄せた時、髪飾りに当たりました。
「クリストファー王子、私の青い石の髪飾りの下にある小さな赤い石の付いた髪飾りを取っては頂けませんか?」
この時まで忘れていたのですが、髪飾りの形に擬装した魔法の剣を身に着けいました。
幼い頃からマリーがなにかあった時のためにと着けてくれていました。
後手に縛られていたので陛下は髪飾りを外すことに少し手間取りました。
「ごめん。髪痛かったよね?これでいいのか?」
私の膝の上に小さな赤い石の付いた髪飾りを取ってくださいました。
「ありがとうございます。これでどうにかならないでしょうか?」
教えられていた呪文を唱えると髪飾りは短剣へ姿を変えました。
「ごめんなさい。クリストファー王子。今までこれの事を忘れていましたの。なにかあった時のためにってマリーが着けてくれていたのですけど…」
「大丈夫。これで俺が大事なマチルダを守って見せるから!」
陛下は笑顔で自信満々に言います。