マチルダ ②
しばらくの間は手紙でやり取りしてました。
手紙ではお互いの好きなもの、嫌いなもの。
こんなことがあったとか、本当に他愛もないことを綴っておりました。
今でもそのときの手紙は捨てられません。
結婚の日が近づくと陛下から手紙のお返事が来なくなってしまったんです。
今日こそ手紙が届くのでは?
今日も来なかった…
明日こそ来るはず。
この婚約の話が白紙に戻ってしまったらどうしよう…
初めてお会いしたときからずっと胸が高鳴り続けていたので、陛下になにかあったのではないかと心配でしたし、私の事嫌いになってしまったのではないかと沈んでおりました。
信じたいのに信じきれない…
国同士の決めた婚約ですからいつ破棄されても仕方がないのです…
このまま陛下に会うことも出来なくなるかもしれない…
私一人だけが舞い上がっていただけ…
どんなに空が晴れていようとも私の中は暗く重い雲が立ち込めていました。
落ち込んでいる私を見て、側にいる人たちはみんな口を揃えたようにマリッジブルーなんだと言います。
ですが、異国に嫁ぐ不安よりも陛下に嫌われてしまったんじゃないかという不安の方が大きかったです。
そんな気持ちのまま私は城を旅立ちました。
暮らし慣れた国を離れるよりも、いつも優しく厳しく甘えさせてくれた両親と離れるよりも、先への期待よりも、不安が大きく、陛下の気持ち変わりが恐く…馬車の窓から見える曇った空が私の気持ちを表しているようでした。
国境を越えてすぐ公爵様のお屋敷に御厄介になりました。
もうすぐ陛下にお会い出来る…
手紙をくださらなかったのは忙しくて書くお暇も無かったかったからかしら?
手紙に飽きてしまわれただけ?
なにか大きなお怪我をされてしまったのですか?
それともご病気ですか?
もしかして…私の事を嫌いになってしまった?
ほかに好きな方がいらっしゃるんですか?
なにをしていても気持ちが晴れず、お付きのもの達には心配をかけてしまいました。
夜も眠れず、窓の外にぼんやりと光る朧月を眺めておりました。
「久しぶりだね。マチルダ」
急に後ろから抱き締められ、耳元でささやかれました。
2年ぶりでしょうか?
久しぶりに聞く陛下の声はとても優しく甘いものでした。
今まで張詰めていた不安と緊張の糸が切れたのか、涙が溢れてしまいます。
陛下に話したいことがあるはずなのに言葉にする前に涙となって流れてしまいます。
「っ…泣かないで。マチルダ。…そんなに国を出ることがイヤだったのか?」
陛下は強く抱き締めてくださいます。
「クリス。なに姫様を泣かしているの?」
アリスさんの声に私、嫌な予感が当たってしまったと思いました。
「泣かしてなんかいない。こうして慰めているんだ。…だいたい、ここは気を利かせて外に居るべきだろ?」
「無理やりここまで連れて来ておいて…私が見つかったらクリスが居るってバレちゃうでしょ!」
「そこは大魔導師様の力の見せどころだろ」
「都合のいいヤツ」
「マチルダ。ごめんな?俺の護衛気が利かなくて」
「…護衛?」
陛下の恋人を紹介されるんだと怖くて、顔をあげることもできませんでした。
「子供の頃からずっと俺の護衛をしているから遠慮が無くて困る奴だけど」
子供の頃からだったらずっと年上の方だと思いました。
でもお声は若く感じます。
期待のような…希望なような気持ちで顔を向けました。
陛下の肩越しに見えたアリスさんは 赤茶けた髪を背中に流し、紺色のセーラー服に赤いスカーフ、動きやすそうな丈の短めなパンツに黒いブーツと腰に剣を提げ、側には赤いリボンをした黒くて可愛い小犬がおりました。
アリスさんは私と目が合うと胸に手を当て膝をつき
「はじめまして。マチルダ様。騎士アリス・トワイニングと申します」
アリスさんのご挨拶は男性と同じようなものでした。
私の故郷では女性騎士はいないので驚きました。
「この度はご結婚おめでとうございます。クリストファー王子が自慢されるマチルダ様にお会いでき光栄です。これで王子が落ち着かれるといいのですが」
アリスさんのことは手紙で知っておりましたので、自分の勘違いに恥ずかしく、とてもお二人にお話し出来ることではありませんでした。
「なに年寄り臭い事を…」
「私は静かな生活をしたいだけ。なのにいつもクリスは……マチルダ様?」
私安心して笑ってしまいました。
「いつも手紙でお伺いしておりました。アリスさんにお会いできること楽しみにしてましたの」
「手紙といえば、マチルダからの返事が来なくて心配したんだぞ」
まさか陛下からそんな事を言われるとは思わなかったので驚きました。
陛下からの手紙が来なくなってからも私からは何度も送っていました。
「え?…私もクリストファー王子からの手紙が来なくて心配しておりました」
「…まあ手紙がなくったて俺はマチルダが来てくれると信じてはいたがな」
「ウソ!心配で心配で仕方なかったくせに。ヴィンセント言ってたよ。卒業試験危うかったって」
アリスさんがからかうよに言うと陛下は顔を真っ赤にされました。
陛下がそこまで心配でしてくださっていたと知って嬉しかったです。
それに顔を真っ赤にしている陛下はとても可愛かったです。
「そんなことよりマチルダ。イタズラしないか?」
「イタズラ?」
アリスさんはどこか呆れたようなお顔でした。
「クリス本気なの?」
「もちろん。城の奴らの間抜けな顔を見られるぞ!きっと楽しいって」
陛下は本当に楽しそうでした。
アリスさんの心配など全く意に介していません。
「城で迎える奴らの前で、花嫁の馬車から俺が出てきたら面白くないか?」
陛下の青い瞳がキラキラと輝いていました。
イタズラなんて、幼い頃の他愛もないものしかしたことがありませんでした。
「それでしたら、クリストファー王子が花嫁衣装を着たらもっと素敵ですね」
「マチルダ様?!止めて下さい!」
私にもイタズラ心があったなんてその時まで思いませんでした。
陛下があまりにも楽しそうでしたので今まで自分が落ち込んでいたことを忘れてしまいました。
「マチルダ。笑った。やっぱり君は笑っている方が可愛い。
…心配かけてすまなかった」
初めてお会いした時のように陛下は膝をつき私の手にキスをしました。
「私の方こそ…」
「お二人の手紙の事は伝えておくけど…やっぱりクリス帰ろう?イタズラなんかで、戦争にでもなったら大変だよ?」
「アリスだけで帰れば?その辺の根回ししてくれたら戦争回避出来んじゃね?」
無責任なんて言わないでくださいね 。
その時の私には国同士の結婚の裏に戦争が潜んでいるなんて理解していても実感ありませんでした。
「ここからじゃ早馬でも王都まで1、2日掛かるんだし、そのイタズラなら直前で馬車に乗り込めばいいでしょ」
「愛を語らう時間はどんなにあっても足りないの。これだから恋もまだの小娘は…」
「私だって恋くらい…」
「マチルダは俺が帰った方がいい?」
そんな聞き方をされては「はい」なんて答えられません。
やっとお会いできたんですもの。
時間はいくらあっても足りません。
アリスさんは呆れたように息を吐くと
「花嫁行列はまだまだ長いんですよ。旅の間に見つかってしまうんじゃないですか?」
「馬車に上手く乗り込めれば大丈夫だろ?かくれんぼは昔から得意だぞ」
陛下の数々の噂の片鱗を見たような気がしました。
アリスさんは粘る事もなくすぐ諦められました。
「はぁ…マチルダ様、兵士などの中に紛れることはできますか?」
「兵士は…ちょっと難しいですけど、アリスさんはメイド達の中でしたら」
アリスさんは少し困った顔をされました。
「メイドか…いざって時にメイドだと動きにくいから兵士の方がいいですけど…」
その時の私はアリスさんが軽装だったのでメイドの長いスカートなどの格好の事を言われていると思っていました。
「大丈夫だろ?何かあってたまるかよ。大事な花嫁くらいは守れるさ」
「クリスはもう変装する気すらないのね」
コンコン
ドアを叩く音がしました。
あっという間にお二人は物陰に隠れました。