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本日連続投稿三話目。
誤字脱字ありましたらご一報くださいませ!
エルを医務室まで運ぶと、タケルは手当を見守ることもなく、逃げるように廊下へ出た。
閉じた扉にもたれ、深呼吸をしてから、廊下を歩き始める。
『せっかく俺が手を貸したのに、どうしてさっさと帰るんだよ。もう少し一緒にいたら?』
頭の中に響く声は、とても残念そうに言った。そこに、罪悪感というものは混じっていない。
タケルが声を無視して廊下を歩いていくと、ユウイとはち合わせした。
「あら、タケル。エルちゃんのそばにいなくていいの?」
ユウイはエルの着替えを胸に抱えている。
タケルの視線に気付いた彼女は、エルの服を片手でつかみ、掲げてみせる。
「あなたがサキさんに頼んだとき、私もすぐそばにいたのよ。私は生活衛生コースだから、教官の許可を取らずとも部屋に入れるでしょう。代わりに引き受けたの」
「……そっか、わざわざ、ありがとう」
「いいえ、気にしないで。それに、あなたが礼を言うようなことでもないわ」
タケルが黙って顔を背けると、ユウイは鼻で笑った。
「意地悪しすぎたかしら。まぁいいわ、どうせ、彼女とは今日でお別れだもの」
タケルの頬に手を伸ばし、無理矢理振り向かせると、そのままユウイはキスをした。
表情ひとつ変えないタケルを見て、クスリと、また笑う。
「それじゃあ、もう行くわね」
「あぁ」
ユウイは離れがたい心を表すように、タケルの頬を指でなぞりながら離れていった。
彼女が医務室の扉の向こうへ消えていくのを見送りながら、タケルは、自分の頬に触れる。
『ユウイは嫌い。ヤマトを追い詰めるから。けれど、君には彼女が必要なんだよね』
頭に響く声に返事はせず、タケルは静かに、医務室に背を向けた。
傷の手当てを受けるエルは、包帯を巻かれていく自分の足を見つめながら、考えていた。
さっきの、タケルのことを。
エルのことを心配して、何度も声をかけては励ましてくれた。
軽々とエルを持ち上げてしまうその力強さは、もう昔のような子供ではなく、ひとりの男性として成長したことをエルに自覚させる。
八年経ったのだから当然のことなのだけれど、でも、さっきのタケルはまるで――
「……ヤマトみたい」
「え? 何か言ったかい?」
手当をしていた医療コースの生徒が反応したので、エルは慌ててなんでもないとごまかす。
おそらく最高学年と思われる医療コースの少年は、詮索することもなく、また手当に集中しはじめた。
エルは赤くなった顔を隠すようにうつむき、小さく息を吐く。
無意識に口から言葉がこぼれてしまい、一番自分自身が驚いていた。
ヤマトみたいだなんて、バカなことを言っているのは分かっている。けれど、彼に抱き上げられているとき、不安げな彼を抱きしめたとき、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じたのだ。
それは、昔ヤマトを好きだったときに感じたもの。
エルはまたため息をついて、頭を振った。
タケルが男らしくなっていて驚いただけだろう。それを恋のドキドキと勘違いするなんて、バカげている。
そもそも、タケルにはユウイという彼女がいるのだ。
とてもきれいで上品な、エルとは正反対の女の子が。
「失礼します」
声と共に、出入り口の自動ドアが開く。
入ってきたのは、ユウイだった。
彼女は椅子に腰掛けるエルを見つけると、にっこりと頬笑んだ。
「エルちゃん、怪我をしたんですってね、大丈夫?」
「う、うん。全然平気、大丈夫だよ!」
明るく笑って答えると、手当をしていた少年が「コラ」とたしなめた。
「全然大丈夫じゃないよ。相当深く切れている部分もある。へたに歩かせずに急いで運んできたあの少年の判断は、正しかったよ」
「……はぁ、すいません」
怒られたエルがしゅんと肩を落とすと、ユウイがクスクスと笑った。
エルが見上げると、目が合ったユウイは、申し訳なさそうに手で口元を隠す。
「ごめんなさいね。笑っちゃいけないんだけど、あんまりエルちゃんが可愛いから」
ユウイからのほめ言葉に、エルは恐縮して背を丸める。
こんな美人に可愛いと言われても、素直に喜べない。そんな自分が、余計にいやになった。
今日のユウイも白のカッターシャツを着ているが、昨日と違って胸元のボタンをふたつ開けて、襟を立てている。ちらりと見える谷間や、鎖骨のラインが色っぽくて、同性のエルでさえつい見とれてしまう。
実際、エルの手当をする少年も、ちらちらとユウイの谷間を気にしていた。
二人の視線に気付いていないのか、それとも、あえて無視しているのか、ユウイは涼しい顔でエルに持ってきた服を差し出す。
「これ、エルちゃんの着替え」
「ありがとう」
素直に礼を述べて受け取ると、彼女は不敵に微笑んでエルへと身を寄せ、屈む。
「ヤマトくんにも知らせるよう頼んだから、もうすぐ駆けつけてくれると思うわよ。愛されてるわね」
エルの横に寄り添う形で耳打ちしているので、向かいに座っている医療コースの少年は、露わになった彼女の谷間に目が釘付けになっている。
エルも同じように釘付けになっていたが、見ているのは谷間ではない。
白シャツの下からのぞく、赤い痕。
首筋と鎖骨の間辺りに、小さな赤い痕が残っていた。
ユウイは視線に気付いたのか、エルから離れて外していた第二ボタンを留めた。
そして、シャツ越しにさっきの赤い痕がついている部分に触れ、幸せそうに頬笑む。
「恥ずかしいものを見られたわね。内緒にしておいてくれる?」
ユウイの言葉に、医療コースの少年はおどおどとしている。
何のことを言っているか理解しているエルは、ゆっくり、うなずいた。
「それって……」
「えぇ、一昨日の夜に、ね。愛されているのは、あなただけじゃないのよ」
勝ち誇るユウイの笑顔を見られず、エルはうつむく。
そのとき、また医務室の扉が開いた。
「エル!」
声を張り上げながら飛び込んできたのは、ヤマトだった。
彼はユウイ越しに顔を出したエルを見つけるなり、大きく息を吐きながら近寄ってくる。
「大丈夫か? 爆発に巻き込まれたって聞いたけど……」
「大丈夫だよ。ちゃんと手当してもらったもん。歩けないってこともないみたいだし。ですよね?」
手当をしてくれた少年に確認すると、彼は「もう止血したから大丈夫だよ。でも、走るのは禁止だからね」とうなずいた。
ヤマトは自分のことのように、「分かりました」とうなずく。
「それじゃあ、王子様も来たみたいだし、私は戻るわね」
立ち去ろうとするユウイを、ヤマトが呼び止める。
「知らせてくれて、ありがとう」
「いいえ。当然のことをしたまでよ」
ユウイは二人に手を振って、医務室から出ていった。
扉が閉まるのを待ってから、ヤマトはエルへと振り向き、ひざをついて彼女の顔を見つめる。
「本当に、びっくりしたよ。でも、大事にならなくてよかった」
エルの髪をなでて、ヤマトはそのまま頬に触れる。
優しく笑っているヤマトの首筋に汗がにじんでいるのを見つけて、大急ぎで駆けつけてくれたのだとわかり、胸がぎゅっとなった。
しかしふと、ヤマトはエルから手を離し、こめかみを押さえる。
「ヤマト?」
「あぁ、ごめん。ちょっと今朝から、頭の奥がずんと重くてさ」
手当をしてくれた少年が、ついでに簡単な検査をしようかと申し出てくれたが、ヤマトは断った。
「大丈夫ですよ。ただの偏頭痛ですから」
「偏頭痛って、そんなによく頭が痛くなるの?」
そんなこと、エルは初めて聞いた。
心配すると、ヤマトは困ったように笑った。
「本当にたまに、だよ。だいたい原因は分かってるんだ。だから、今日の演習が終わって家に帰る頃には治ってるよ」
エルにはうまく理解できなかったが、ヤマトがそう言うならきっと大丈夫なのだろう。素直に引き下がることにした。
医務室の奥で着替え、格納庫へ戻ろうとするエルを、ヤマトは心配して背負うことを提案した。
エルがそこまでしなくていいと伝えると、だったらせめて手をつなごうとヤマトは手を差し出してくる。
エルはその手を見つめてから、ゆっくり、手を伸ばして重ねる。指と指を絡めてしっかりと握りしめると、手当をしてくれた少年に深くお辞儀をしてから、二人は医務室をあとにした。
「もっと僕の腕にしがみついていいんだからね。辛いならすぐに背負うから、我慢せずに言うんだよ」
歩く間も、ヤマトはそうやって何度もエルを気遣う。
ヤマトらしい気遣いに、エルはほっとした。
医務室をあとにしたタケルは、リラクゼーションフロアにやって来た。
あのとき爆発したジューサーは、縦長の土台の上にジュースをかき混ぜて冷やすためのガラスケースがのっかっていて、ケースと土台の境目に注ぎ口がついている。
今回、爆発したのは機械部分らしく、注ぎ口を中心として土台が吹き飛んでいた。
すぐ真上に取り付けてあるガラスが砕け散ったのは当然だった。
頭の中に響く声は、タケルが無視を決め込んでいたので諦めたのか、もう聞こえてこない。
だが、頭の奥がずんと重いのは続いている。
これ以上おかしなことが起こる前に、タケルは部屋に閉じこもることにした。
リラクゼーションフロアに背を向けると、食堂の奥で、サキやラーゼと一緒に楽しそうに朝食を食べるイサの姿が見えた。
『イサは好き。ヤマトの味方だから』
また声が響き、タケルは早足に廊下を歩き出す。
焦燥感から息を切らしながら、レイダーコースのフロアへ向かおうと連絡通路へ出る。
集会場や教官の待機室がある中央施設を囲むように、各コースのフロアや格納庫などの施設が建ち、それぞれ、ガラス張りの渡り廊下で繋がっている。
タケルは渡り廊下を歩きながら、ふと、外を見る。
格納庫へと繋がる渡り廊下を、エルとヤマトが歩いていた。
タケルは立ち止まり、二人を見つめる。二人は仲むつまじそうに、手をつないでいる。
『タケルは嫌い。ヤマトから全てを奪ったから』
頭の中の声は、心からの敵意を持って、吐き捨てる。
『大っ嫌い』
タケルは否定も肯定もせずにうつむいて、ただ、両手を握りしめた。
レイダーコース最終日の演習は、初日と同じシングル戦。
今回イサは健闘して準決勝まで昇ったが、運悪くヤマトと当たり、敗退した。
『俺の敵をとってくれ~』
無線からイサの悔しそうな声が聞こえてくる。
位置につこうとドームの周りを大きく旋回していたタケルは、ドームから手を振るイサとサキを見て、ついつい顔が緩んだ。
今日はサキがタケルのサポートを担当していて、彼女のハキハキとした声はとても心地よく、ラーゼのような無駄話もなく的確な指示を送ってくれるので、安心して試合に集中できた。彼女はオペレーター向きなのかもしれない。
ドーム上空には既にタケルがスタンバイしている。彼と戦うのはこれで三度目だ。
昨日はツイン戦だったから勝つことができただけ。
今日も、タケルはヤマトに負ける。
『どうしてわざと負けるの?』
頭の奥で、またあの声が響いた。
だがタケルは、頑なにその声を無視し続ける。
『決勝戦、はじめ!』
教官の合図でタケルはレイダーを飛ばし、小惑星群に突っ込んで最初の駆け引きをはじめる。
お決まりのように、タケルはヤマトに背後をとられた。
『分からないな。全てにおいてヤマトの方が勝っているのに、わざわざ負ける必要があるの?』
ヤマトを背後につけた状態で、小惑星群の中を縦横無尽に飛び回る。
周りから、必死に逃げていると思われるように。
『タケルもタケルで、わざとヤマトが負けたって、知っているんだよ?』
小惑星群の中では、やはりヤマトはついてくるだけでやっとのようだ。攻撃を仕掛けてきても、避ける必要もなくそれていってしまう。
ここは、小惑星群を抜けてしまった方がいいか。
『ねぇ、ヤマト』
頭の中で響く声は、淡々と、それでいて苛立ちのこもった声で言った。
『どうして、俺を無視するの?』
「っ……ぅああっ!」
突然、強い耳鳴りが響き、頭を押し潰すような激痛が走る。
タケルは叫び、頭を両手で抱えた。
ドームから試合を見守っていたイサたちにも、タケルに異変が起こったことに気付いた。
通信機から彼の叫び声が聞こえたと思ったら、突然、レイダーが光に包まれたのだ。
もう少しで小惑星群を抜けるというところで、タケルだけでなく、ヤマトのレイダーも光りに包まれ、ぴったりと動きを止めた。
「タケルくん? タケルくん! いったいどうしたの?」
サキが必死に声をかけるが、タケルからの返事はない。
ヤマト担当の生徒も、必死に彼に話しかけているが、反応はないようだ。
イサはサキからヘッドセットを奪い取り、タケルへと声をかける。
「タケル? おいっ、タケル! 返事をするんだ!」
どんなに必死に呼びかけても、ヘッドフォンから聞こえてくるのは、苦しそうにうめくタケルの声だけ。
それでも諦めずに呼びかけるイサを、サキの言葉が遮った。
「レイダーのエンジン出力が下がってる! それだけじゃない、補助スラスターも全て機能停止してるわ。こちらからの接触も受け付けない……このままじゃあ、あの光が消えたら……」
イサは空を見上げる。
ふたつの機体を包んでいる不思議な光は、ずるずると機体を引っ張るように移動して、小惑星群から出てきた。
いったいなにが起こっているのかイサたちには分からない。だが、不自然に傾いて停止する二つの機体は、まるで、何か大きな手にわしづかみにされたかのようだった。