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本日連続投稿、一話目。
翌朝、タケルはユウイと朝食をとるために早起きをした。
生活衛生コースの生徒たちは、他の学科の生徒たちが目を覚ます前に朝食を済ませる。
イサとへたに顔を合わせたくなかったタケルは、ユウイの誘いを快く受けた。
食堂に辿り着くと、昨夜と違いがらんとしていた。まだほとんどの生徒が眠っている時間だから、当然といえば当然だが。
料理が並ぶカウンターで働く生活衛生コースの生徒たちは、ピークの時間帯の約半分。食事をとろうと並んでいる生徒も生活衛生の生徒がほとんどだ。交代で食事を済ませるのだろう。
ユウイが当番を終えるまで、また少し時間がある。
先に料理をそろえて席で待っていようと、タケルはトレイを二つ持って最後尾に並んだ。
「あれぇ、タケル?」
「……エル」
タケルの前に並んでいたのは、エルだった。
振り向いた彼女は、まだ早朝という時間帯にもかかわらず、元気いっぱいに頬笑んだ。
「どうしてエルがこんな時間に?」
「そういうタケルだって……って、そっか、ユウイさんと一緒に食べるんだね」
エルが目を輝かせながら身を乗り出してきたので、タケルは軽く身を引いて「……うん」と苦笑する。
「そっかぁー、ラブラブだねぇ」
「まぁ……ね。ところで、エルはどうしてこんな早くに?」
あまりそこを突っ込まれたくないタケルは、返事もそこそこに話題を変える。
エルは「私?」と首をかしげた。
「私はメカニックだもん。レイダーコースの生徒が演習をはじめる前に、事前チェックをしなくちゃ」
「そうなんだ」と感心しながらエルをよく見る。彼女は既に、つなぎ姿だ。
所々油汚れが染みついているところから、彼女が日々どれだけメカをいじっているのかが分かった。
「タケルたちレイダー乗りが思い通りに飛べるよう、私たちメカニックがしっかり手入れしておくからね。今日の演習、頑張ってね!」
無邪気に応援するエルを見て、タケルはなんだか、胸がちくりと痛んだ。
「あら、おはよう」
淡々とした声が、カウンターの向こう側から届いた。
見ると、ユウイがスープを取り分けていた。
タケルとエルが挨拶を返すと、ユウイはエルへ向けてにっこりと頬笑む。
「エルちゃんも一緒なのね。何人かメカニックコースの生徒を見たけれど、朝が早いの?」
「うん。タケルたちが乗るレイダーのチェックがあるからね」
「そう、大変ね。でも、エルちゃん楽しそう」
「あ、分かる~? なんかね、このレイダーにヤマトやタケルが乗るんだって思ったら、夢が叶ったみたいで、もう、嬉しいんだ」
エルは照れくさそうに笑い、タケルはばつが悪そうに顔をそっぽへ向ける。
そんなタケルをちらりと見て、ユウイはエルに言った。
「せっかくだから、一緒に朝食食べない? もうすぐ私も当番が終わるの」
「え、でも……せっかく二人っきりなのに、邪魔しちゃ悪いよ」
「構わないわ。二人っきりの時間なら、昨日十分満喫したし。ねぇ、タケル?」
ユウイは意味深に微笑んでタケルへ視線を流す。
この状況で、断れるはずもなくタケルがうなずくと、ユウイは勝ち誇ったように微笑み、エルは純粋に喜んだ。
唯一の救いは、エルがユウイの言葉の深意に気付かなかったことだろうか。
ユウイからスープを受け取り、二人は先へ進む。
次の料理を受け取りながらタケルがユウイを振り返ってみると、目が合った彼女は首筋に手を触れた。
カッターシャツでうまく隠してあるが、証拠が残っているんだぞ、と、脅されたみたいな気分になった。
「やっぱ、らしくないことはするもんじゃないな」
小さくぼやくと、エルが「なに?」と振り返る。タケルは笑顔で、ごまかしておいた。
「それにしても、エルちゃんがひとりで朝食なんて、少し意外だったわ。ヤマトくんは一緒じゃないの?」
三人での食事が始まるなり、ユウイがエルに問いかけた。
タケル自身気になっていたことなので、ユウイと一緒にエルを見る。
エルは少し困った表情で視線を天井へむけた。
「うーんとね、ヤマト、朝が弱いみたいなんだ」
「朝が、弱い?」
タケルが眉をひそめると、エルは大きくうなずいた。
「ね、ちょっと意外でしょ? 昔はそんなことなかったのに、いつからかな、起きられなくなったみたいなの。私の都合に合わせて色々努力してくれていたんだけどね、あんまり辛そうだったから、無理しないように言ったの」
エルから視線を外し、タケルはひとり考え込む。
タケルの変化に気付いているユウイは、代わりに話題をつないだ。
「朝が弱いのに、大切な彼女のために努力しようとするなんて、素敵な彼氏さんね」
タケルはぎくりと反応し、エルを見る。
彼女は、きょとんとした表情を浮かべていた。
「……別に、私とヤマトは付き合っていないよ? ただの幼なじみだもん」
さらりとエルは言ってのけた。
エルが嘘がヘタなことをタケルはよく知っている。本当なのだと思い、つい、安堵してしまった。
ユウイがこちらを見ていたので、慌てて水を飲み、コップで顔を隠す。
「そうなの? てっきり、エルちゃんはヤマトくんが好きなんだと思った」
「私が……ヤマトを?」
エルは首をかしげ、視線をあげる。
ほんの少し考え込んでから、「あっ、そか!」と前を向いた。
「タケルから聞いたんだね?」
突然指名されたタケルは、二人の視線を受け、いまだコップで顔半分を隠しつつ、首をかしげた。
「あれ? 憶えてない? 私、ヤマトのことが好きだって、タケルに相談してたよね」
エルの爆弾発言に、タケルは水が気管に入ってむせた。
噴き出すのは何とか阻止したが、うまく呼吸ができず咳ばかりで死にそうだ。
「えっ、タケル、大丈夫?」
「もう、なにをそんなに慌てているのかしら。朝食くらい、落ち着いて食べればいいのよ」
向かいに座るエルが身を乗り出し、隣に座るユウイがタケルの背中を優しくさすった。
タケルは何とか咳を落ち着けるも、まだ息を吸うたびのどの奥がかゆい。
「ご、ごめん。ど忘れしてて、びっくりした」
小さな咳を挟みつつ、タケルは動揺した理由を伝える。するとエルは「八年経ってるもんね」と納得してくれた。
「ねぇ、ヤマトくんが好きなら、どうして二人は付き合っていないの?」
タケルはもう聞いているのが辛くなっていたが、ユウイはここで終わらせないとばかりにさらに追求しようとする。
泣く泣く、タケルは食べることに集中した。
「なんかね、だんだんドキドキしなくなったの」
「ドキドキしなくなった? きっかけはないの?」
「う~ん、分かんないんだよね。ヤマトは昔と変わらず優しいままなんだけど、でも、なにか違うんだよ」
「じゃあ、もう好きじゃないの?」
「幼なじみとしての好きはあるけどね。なんて言うのかな、タケルと一緒にいるときにこみ上げてくる幸せ、みたいのに変わった感じ」
「あら、そう。一緒にいると幸せな気分になるんですって。よかったわね」
スープを口に運んでいたタケルは、また噴き出しそうになったが、ぐっとこらえ、「まぁな」とぎこちない笑みを見せた。
ふと、エルがタケルをじぃっと見つめていたので、少し迷惑そうな顔を作って、「何だよ」と素っ気なく言った。
「ううん、八年経つと、人ってすごく変わるんだなって思って」
「……そんなに、俺、変わったか?」
「どうだろ? 変わらないようで、変わってる? 変だね、うまく言えないや」
気恥ずかしそうに笑うエルの笑顔は、昔と変わらない。
いや、ほんの少し大人っぽくなっただろうか。
「そういうエルも、変わったよ。女の子らしくなった」
「えっ……」
エルが顔を赤くして固まる。それを見て、タケルも同じように動きを止めた。
こんな事、タケルは言うつもりはなかったのに、つい気が緩んで本音がこぼれてしまったのだ。
「っ……いや、昔は、もっとおてんばで、男の俺たち以上に手がつけられない暴れん坊だったろ? 人間、変われば変わるもんだな」
「あー、そっかぁ。あの頃に比べれば、女の子らしくなったって感じ?」
「そうそう。ほんと、あの野生児がこうなるなんて、八年前の俺は思いもしなかったね」
「あははー、ほんとにねー」
二人はお互いに乾いた笑いを浮かべる。
その笑みが弱々しく消えると、次の瞬間、エルが立ち上がってタケルを殴ろうと身を乗り出した。
その手首を、タケルは素早い反応で受け止める。
「タケルってば全然変わってない。口が悪すぎるよ!」
「お前こそ……すぐに手を出すところは変わってねぇじゃん」
エルはぷっと頬を膨らませてタケルから離れると、そのまま黙って食事を再開した。
危機を無事回避したタケルは、ほっと胸をなで下ろし、同じように食事を再開しようと――したところで、隣のユウイが太ももに手をのせた。
突然の行動の意味が分からず、タケルはユウイを見る。
彼女はにっこりと微笑み、そして、太ももの内側を思い切りつねった。
「ぃいってぁ!」
あまりの痛みに、タケルは叫び声を上げて机にうなだれる。
大きな声に驚いたエルが呆然と彼を見ていた。
「女の子にひどいことを言う男には、お仕置きが必要でしょ?」
ほほほっと上品に笑うユウイに、エルは苦笑するしかなかった。
朝食を終え、三人はそれぞれの食器を持って返却ワゴンへ歩く。
ユウイはすぐに仕事に戻らなければならないらしく、ここで一旦お別れだ。
「またあとで連絡するわね」
「あぁ、仕事頑張れよ」
「朝食とってもおいしかったよ。次も楽しみにしてるね!」
エルらしい言葉に、タケルは思わず笑った。
「どうしてそこで笑うかな?」
「いや、食い意地が張ってるのも昔と変わらないなと思って」
「なんだとぉ!」
エルが怒り出したので、タケルは彼女へと向き直って相手をはじめる。
二人の仲のいいじゃれ合いを、タケルの背中越しに見ていたユウイは、「タケル」と声をかけて割って入った。
「なに……っ」
振り返ったタケルの口を、ユウイの唇が塞ぐ。
人目をはばからずキスをする二人を、エルは顔を赤くしながら凝視し、タケルはタケルで、訳が分からないという様子で呆然としている。
ユウイは背伸びしていた両足を戻し、タケルから離れた。
「……え、どうした?」
未だ、呆けたままのタケルが、とりあえず、行動の意味を問う。
「別に、深い意味なんてないわ。今日も演習があるんでしょう? 男を奮い立たせるためのキスよ」
事も無げにさらりと答え、ユウイは仕事に戻っていった。
ユウイがいなくなってからも、タケルとエルは、しばらくその場から動けないでいた。
しかし、他の人がワゴンに食器を乗せる音で、エルが我に返る。
「あ、えっと……私も、仕事に向かわなきゃ」
赤い顔をうつむくことで隠し、逃げるように立ち去ろうとする。
そんな彼女の背中を見たタケルは、思わず、その手をつかんで止めた。
「え?」
エルが振り向き、タケルの顔を見上げる。
その頬はまだ赤いままで、タケルの顔を見ることすら恥ずかしそうだった。
「た、タケル?」
「……あ、いや。頑張れよ。お前が整備したレイダー、また、無傷で還すからさ」
タケルの言葉に驚いたのか、エルは目を見開く。しかし、すぐにはにかむように笑った。
「うん。タケルも、演習頑張ってね!」
手を離すと、エルは駆け足で食堂を出て行った。時々振り返っては、見送るタケルへと大きく手を振る。
彼女の後ろ姿が見えなくなるまで、タケルはその場を動けなかった。
今回の演習は、レイダーに二人が乗り込むツイン戦だ。
ペアは教官側で決めてあり、タケルはイサとのコンビだった。
普段からペアを組んでいる二人がいるのだ。その実力を確かめたいという考えだろう。
わかりきったことだが、昨日の今日なので、二人の間には微妙な空気が流れていた。
今朝、朝食の時間をずらしたのでイサとは演習場に集合するまで顔を合わせなかった。
彼が部屋に訪ねに来ることも、タケルの方から訪ねに行くという事もなく、ペアを発表されるまで、顔を合わせることすらなかった。
イサとこうやって本格的な喧嘩をするのは初めてのことで、正直、タケルはどうしていいのか分からない。
タケルが一方的に拒絶したのだから、歩み寄るのも自分からでないといけないのだが、どうしても動けない。
仲直りをするためには、昨日のことを、きちんと説明しないといけないだろう。
しかし、そんなことは無理な話だ。
誰だって、言えないことのひとつやふたつはある。
タケルにとって、今回の事がまさにそうだった。
二人搭乗するレイダーには、特別な装備がつく。
遠くの的を狙い撃つことができるレーザー砲だ。
その威力は高く、小型ながら戦艦のレーザー砲に匹敵する。
状況に応じて威力を自由自在に変えられるなど、利点は多いのだが、照準を合わせるのが難しい。
コンピューターがアシストするといった機能もないので、レイダーの操縦をしながら狙撃するというのは無理だ。
レイダーの胴体下部、三つ並んだ車輪の間に挟まるような位置に取り付けるのだが、銃身が長いうえ、機体バランスが若干だが狂うため、操縦も難しくなる。
ゆえに、狙撃だけを任務とした人員が副操縦席に座るのだ。
今回の演習ではレーザー砲の代わりに、ペイント弾を装填した特殊機関砲が取り付けてある。
重さ、形、全て同じ作りにしてあるが、レーザー砲に比べると射撃距離が短かかった。
タケル・イサペアは、お互いに会話もしないまま準決勝まで勝ち進んだ。
勝ち残った生徒はレイダーに乗ったまま待機する。
一応ライバルたちの試合を見ることができるが、遠いのでどちらがどちらか分からない。
試合結果は、演習の運営をするクルーコースの生徒が通信で知らせていた。
『タケル、イサ。お前たちの次の相手は、ヤマトのペアだ。因縁の兄弟対決、ふたたびってやつだな。頑張れよ』
今日のサポートチームにはラーゼが混じっている。
タケルたちの機体を担当したのか、通信は全て彼からだった。いらいらしているときに、彼の飄々とした声は余計に腹が立った。
「はぁー…、了解。タケル・クレイ、イサ・イノバペア、出ます」
ラーゼから許可をもらい、タケルはレイダーを発進させる。
地表で加速し、空中へ飛び立つと、ドームの周りを大きく旋回した。
ドーム上空には、既にヤマトの駆るレイダーがスタンバイしている。
ヤマトの視線を感じながら、タケルは優雅なまでにゆったりと機体を動かし、位置につけた。
『準決勝、開始!』
教官の声と同時に、フルスロットルに上げてレイダーの全ての力を解放する。
タケルの機体は、ドーム上でヤマトの機体とすれ違った。
二つの機体は小惑星群の中へと突っ込み、それぞれ青白い軌跡を残しながら、徐々に距離を詰めていく。
昨日と同様、ヤマトが先に背後につけた。
タケルは操縦桿や足のペダルを駆使し、エンジンやスラスターをフル稼働して小惑星群の中を駆け抜ける。
ヤマトは今日も追いかけるのがやっとのようだが、ツイン線のため狙撃用の生徒が後ろに乗っている。射程距離内にいる以上、気を抜くことはできない。
「タケル」
緊迫の空中戦のまっただ中、後ろに乗るイサが、いつもとは違う、とても静かで落ち着いた声で名前を呼んだ。
「俺は、お前の親友だな」
「……そうだ」
「だったら、俺の願いを叶えて欲しい」
背後のヤマトが、ペイント弾を撃つ。
きわどいところで避け、小惑星が黄色く染まった。
「俺は、この試合に勝ちたい」
照準を合わせられないよう、タケルはレイダーのラインや角度を変えながら飛んでいく。
「ヤマトに、勝ちたい」
背後にヤマトがついたまま、小惑星群の終わりが見えてきた。
「俺を、ヤマトに勝たせてくれ」
小惑星群を抜け、ドームが、その中でこちらを見上げる、ラーゼの姿が見えた。
ドームに向けて急降下していた機体をタケルが一気に上昇させれば、ヤマトのレイダーも同じ軌道上を追いかけてくる。
「……ワンチャンスだ」
小さくタケルがつぶやいたとき、ヤマトのレイダーがペイント弾を放つ。
その瞬間、タケルはスロットルを下げた。
レイダーのメインエンジンから火が消え、同時に胴体と前面についたスラスターをふかす。
ふわりと浮き上がるようにラインをずらし、弾は胴体の腹を通り過ぎた。
だが、タケルたちが乗るレイダーの腹を通り過ぎていくのは、ペイント弾だけではない。
前面のスラスターもふかしたことで急減速し、ヤマトのレイダーが追いつく。
イサはモニターをにらんでトリガーに指をかけ、タケルはスロットルを上げて機体を安定させる。
ヤマトのレイダーが、足下を通り過ぎて目の前に現れーー
「任せろ、相棒」
イサはトリガーを引いた。
『いや~、驚いたよ。レイダーって、あんな動きができるんだな。イサもイサで、敵が視界に入ると同時にペイント弾撃って、いったいどれだけ素早く照準が合わせられるんだ? 実は勘で撃ちましたっていわれても、納得しちゃいそうだよ』
準決勝が終わって三十分程度。スピーカーからはラーゼの称賛の声が延々と響いていた。
「……なぁ、イサ」
「ん?」
「いい加減、うざい」
「え? 今さら? 俺、五分と経たずに通信切ったよ。実はラジオ聞いてる」
「え、ラジオ繋がってるのか? 演習中なのに?」
「うん。休憩時間暇だろうからって、ラジオは切らないでくれてるみたい」
「なんだ。だったら俺も切り替えよう」
『普通に考えてさ、後ろに敵機がついているところで推力を下げるなんて考えつかないよ。そもそも、スラスターってのは宇宙空間で体勢を調節するためにあるんであって、あんな風に使う……』
通信回路を操作し、ラーゼの声から少し時代を感じる音楽に変わった。
こういう曲はあまり聴かないが、不思議と、いまの気分にあった。
「なぁイサ」
「はいはい」
「このまま優勝するか」
「当然」
二人は得意げに笑って、拳をぶつけ合った。