表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ROUTE  作者: 真紘
ACT.1再会
6/16

6

 部屋に戻ったタケルは、すぐにシャワーを浴びて汗を流した。

 演習が終わって部屋に戻ってきた時に一度汗を流していたのだが、食事中、妙な緊張感があって、なんだか汗をかいたような気がしたのだ。

 鬱屈した気分を吹き飛ばすためにも、シャワーは必要だった。

 予想通り、ヤマトに会ってしまった。そして、彼は決勝まで勝ち進んできた。


「当然か。あいつはヤマトなんだから」


 ベッドに腰掛け、タオルで髪を拭きながらうつむく。

 演習前はぐちゃぐちゃになっていたベッドだが、おそらく、生活衛生コースの生徒が整えてくれたのだろう。パイロットスーツに着替えるときに床に放り投げていた服たちも、全てたたんで机の上に並べてあった。


「……エル」


 小さくつぶやいて顔を上げる。

 ずるりと、頭に乗っかっていたタオルが肩に降りた。

 今回の演習は、いやなことだけではなかった。

 エルと、再会できた。


「ほんとに、メカニックになるなんてね……」


 くすぐったそうに、タケルは微笑む。

 ヤマトとタケルがレイダー乗りになって、エルがメカニックとして二人を支える。

 子供じみた夢だと思っていたのに、彼女は、その約束を守ろうと必死に努力している。

 それを知ることができただけでも、今回の演習に参加した意義があったように思える。


 たとえ、『ヤマト』と顔を合わせることになっても。


 ふいに、ノックの音が部屋に響く。

 ユウイにしては早すぎると思いながら返事をすると、開いた扉の向こうから、イサがやって来た。


「なんだよ、また風呂に入ったのか? 演習が終わったあとに、汗を流したんじゃないのかよ」


 濡れた髪や、首に掛かったままのタオルを見て、イサが問いかける。

 タケルは「なんとなく」とはぐらかした。


「どうしたんだよ。せっかくの自由時間、サキさんと一緒にいなくていいのか?」


 タケルがベッドをぽんぽんと叩いて座ることを促すが、イサは頭を振ってこのまま立っていることを伝える。


「うん、ちょっとな。気になることがあって」

「気になること? そういや、さっきそんなこと言っていたっけ。今日はえらく気になることが多いんだな」

「あぁ、うん。自分でもらしくないのは分かってる。でもさ、どうしても、聞きたいんだ。お前、さっきの演習の時……わざと負けなかったか?」


 にこやかに話を聞いていたタケルだったが、さぁっと、表情が消えてなくなる。


「……え?」


 愕然とした様子で、イサを見る。

 イサは、とても真剣な目で、タケルを見つめていた。


「あのとき……あの、決勝戦でヤマトの背後をとったとき。お前、わざと撃たなかっただろ?」

「な……なにを根拠にそんなこと……」

「俺はタケルの相棒だ。だから、お前がどうレイダーを動かすのか、だいたい分かる」

「だとしても、ここはいつもの学校じゃないんだ。あんな小惑星群の中で、簡単に撃てるわけが――」

「撃てるよ」


 否定しようとするタケルの声を、イサの強い声がかき消す。


「お前なら、撃てる」


 逃げ道を塞ぐように、イサは断言した。

 タケルは困惑のあまりなにも言えないでいる。そこへ、さらにイサは問いかける。


「お前は言っていたな。ヤマトには勝てないと。あのとき俺は、お前にとって、ヤマトは越えられない壁なんだと思った。けど、本当は違う。お前は、ヤマトに勝っちゃいけないんだ」

「違う……」

「だからあのとき、ヤマトの背後をとっておきながら、お前は撃とうとしなかった。最初から負けるつもりで、ああやって背後をとったのも、わざと負けたとばれないための、カモフラージュだったんだな」

「違うっ!」


 タケルが床に向かって怒鳴る。

 彼がこうやって声を張り上げるのを、イサは初めて見た。


「俺は……わざと負けてなんかいない!」


 顔を上げて、イサを強くにらんだ。

 全てを、拒絶するように。

 初めて受けるこれほどまで強烈な拒絶に、イサは言葉に詰まる。だが、ぐっと自分を奮い立たせて、口を開いた。


「……嘘だ、嘘だ! お前はわざと負けたんだ。どうしてそんなことするんだよ! コンプレックスを抱えた弟の振りなんて、そんなことして意味があるのかよ!」

「違うっ、振りなんかじゃ――」

「振りじゃねぇか。わざと負けて、悔しそうな顔作って、あれが振りじゃなくてなんなんだよ!」


 問い詰めるイサに、タケルはまたうつむく。


「違う、タケルは……」


 追い詰められた自分をかばうように、タケルは両手で顔を隠す。


「『タケル』は、『ヤマト』に勝てないんだよ!」


 タケルが叫んだ。

 まるで、こらえていたものが破裂するかのように。

 その悲痛な叫びに、イサは、一瞬息を止める。


「……それ、どういう意味だ?」


 イサの冷静な言葉がタケルを落ち着かせ、自分が失言したことに気付く。

 だが、もう遅い。


「タケルはヤマトに勝てないって、お前たちの間に、何かあるのか? だから、この演習にもずっと参加しなかったのか?」


 詳しく話しを聞こうと、イサは一歩足を進める。


「……出てけ」


 小さくつぶやいて、タケルは立ち上がった。


「出てけ、出てけ……ここから、出て行け!」


 あまりの剣幕に、驚き戸惑うイサをタケルは両手で押し、無理矢理部屋の外へ追い出した。

 扉を閉めて、ロックをかける。

 部屋を追い出されたイサが、扉を叩いて必死に呼びかけていたが、タケルは答えようとはしなかった。

 

 扉のすぐ前でうずくまって両耳を塞いで、自分の殻の中に閉じこもった。






 夕食の後片付けと、明日の朝食の仕込みを終え、生活衛生コースの一日の仕事は終了する。

 晴れて自由時間を手に入れたユウイは、一度部屋に戻って汗を流してから、タケルの部屋へと向かった。

 レイダーコースの生徒が集まるフロアは、もうみんな眠ってしまったのか、静まり返っている。衝撃吸収用のゴムでできた床のはずなのに、足音がよく聞こえた。


 ヤマトの部屋に辿り着いたユウイは、軽く自分の身なりを確認して、髪の巻き具合を手で整えてから、扉をノックする。


「タケル、私よ。開けてくれるかしら?」


 タケルから返事はない。

 もう一度ノックをしようかと手を伸ばしたとき、唐突に扉が開いた。わずかなモーター音を響かせて、自動ドアが横へずれる。


 部屋の中は、真っ暗だった。


 照明がひとつもついておらず、部屋の奥のガラスの壁から降り注ぐ星明かりが、淡く部屋を照らしている。

 ユウイが部屋に入ると、扉が閉まる。

 すると廊下から差し込んでいた光も消え、いっそう薄暗くて辺りが見えにくくなった。


「タケル……いるの?」


 声をかけながら、ユウイは目を懲らして部屋を探る。

 暗闇になれ始めた目が照明スイッチを見つけたので、操作しようと手を伸ばした。


「つけないで」


 弱々しいタケルの声が、それを止めた。

 思いのほか声が近くから響いてきたので、ユウイは足下を見る。

 扉から部屋までの細く短い通路の終わりに、タケルが座り込んでいた。

 タケルは壁にもたれて、どこを見るわけもなく、ただ、前を見ている。


「……泣いているの?」


 ユウイがそう問いかければ、ふっと、鼻で笑う声が響く。


「泣いてないよ。もう、涙は涸れたから……知っているだろう」

「えぇ、知っているわ」


 二年前、母が死んだときに。

 彼は一度、壊れたのだ。

 そして、涙が涸れた。


 ユウイはタケルのすぐそばに座り込む。

 すると彼は、すがるようにユウイに抱きついた。


「なぁ、ユー。呼んで欲しい。僕の名前」

「いまは……だって、誰かが廊下を通るかもしれないし……」


 タケルは頭を振って、ユウイの胸に顔を埋める。


「大丈夫。このフロアの廊下に、人の気配はしない。隣も、もう眠ってる。監視カメラもない。僕には分かるの、知っているだろう」

「そうだけど、でもっ……」


 断ろうとするその口を、タケルはキスで塞いだ。

 ただ唇を合わせるキスではなく、舌を絡める、濃厚なキス。


「やっ、待って……」


 突然のことにユウイは戸惑い、彼から離れようとする。

 だが、タケルは力任せに彼女を引き寄せて、キスの続きをする。

 ユウイが抵抗できなくなると、タケルは離れて、彼女をじっと見つめた。


「お願いだ、ユー。僕の名前を、呼んで」


 あんなに情熱的なキスをするのに、ユウイを見つめるタケルの目は、とてもとても冷たい。

 なにも感じない。

 なにも見ていない。

 全てを閉ざして、ただ、自分をつなぎ止めることだけに必死なのだ。


 そんな彼に、ユウイは手を伸ばす。

 包むように、彼の両頬に触れる。

 そして、彼女は言うのだ。




「ヤマト」




 その瞬間、タケルの冷たい目は、壊れるように、揺らぐ。


「ユー」


 タケルは秘密の名前でユウイを呼ぶ。


「ヤマト」


 ユウイも同じように、二人だけしか知らない名前でタケルを呼ぶ。

 お互いの存在を確かめるように何度も何度も名前を呼び合って、キスを交わして。

 そして二人は、そのままベッドに沈んだ。






 ひとり部屋でリラックスしていたヤマトは、今日の仕事が全て終わったというエルのメールをPMに受け取り、彼女と軽くやりとりをして、もう寝ようということで連絡を切った。

 寝る前に、もう一度シャワーを浴びようと、ヤマトはシャワー室に入る。

 演習が終了してパイロットスーツから私服に着替えるとき、汗は流したが、きちんと身体は洗っていない。こういうところでずぼらをすると、あとでエルにばれて怒られるのだ。

 どういうわけか、エルはヤマトが手を抜くとすぐに気付いてしまう。

 おかげで、この八年、気を抜く暇がなかった。

 きちんと髪も身体も洗い、髪をタオルで拭きながら、歯磨きをしようと洗面台に立つ。

 ふと、洗いざらしの濡れた髪がはねて、今日会ったタケルと似た髪型になった。

 こうやって見ると、本当に、どちらがどちらか分からなくなる。


 ヤマトは洗面台の隅に積み上げてあるフェイスタオルを一枚とり、右手に巻き付けると、そのまま鏡に映る虚像の顔へ拳を叩きつけた。

 タオルを巻いていたので、鏡に傷はついていない。

 だが、虚像をにらむヤマトの目は、とてもとても険しい。


「……クソ兄貴が……」


 絞り出すように、つぶやいた。






 照明がついておらず、相変わらず薄暗い部屋の中で、ユウイのPMが単調な電子音を繰り返す。

 ベッドから白く細い腕を伸ばして、ユウイはアラームを止めた。

 PMに表示される時刻は、午後十一時半だった。


 ユウイはタケルのベッドから抜け出て、床に散らばった自分の服を着る。

 彼女の背後でベッドの膨らみがもぞもぞと動き、タケルが顔を出した。


「……戻るのか?」

「えぇ。十二時に点呼があるもの。部屋にいないと、何かと問題でしょう? あなたも、ちゃんと服を着ないと」


 ユウイは服を着るのを中断し、同じように散らばるタケルの服を拾い上げる。

 タケルが布団の中に潜り込んでしまったので、ユウイはベッドに腰掛け、布団越しに彼の肩を揺さぶった。


「今日はことごとくらしくないわね」


 タケルは顔を出し、「たまには強引なのもいいだろう?」と面倒そうに言った。

 ユウイは目を細め、鼻で笑う。


「ヤマトはいつも、優しく触れるものね。今日は少し驚いたけれど、あれはあれで素敵だわ。新しいあなたを発見できたのは、八年ぶりに再会したあの二人のおかげかしら?」


 ユウイはベッドに腰掛けたまま、タケルへと身を乗り出す。

 下着のうえに白シャツを羽織っただけの彼女は、ガラス越しに降り注ぐ月明かりで青白く浮かび上がり、妖艶な色気があった。

 タケルは彼女の首に手を回すと、そのまま、鎖骨の辺りに口をつける。ユウイはぴくりと反応しながらも、すぐに彼を突き放した。


「……時間がないと言ったでしょう」

「分かってるよ。別に、続きをするつもりなんてない」


 タケルは自分の服をつかみ、ユウイに背を向けてベッドから出ると、服を着始める。

 そんな彼をにらみながら、ユウイはキスされた場所を指で触れた。見ると、赤い花びらが散っていた。


「痕をつけるなんて、珍しいわね。合宿中だというのに、嫌がらせ?」

「別に。ただ、あんまり真っ白だったから、色をつけたかっただけ」


 タケルの言葉が嬉しかったのか、ユウイは彼の背中に抱きついた。


「時間がないんだろう?」

「えぇ。けれど、あと少しくらいなら平気よ」


 タケルの、細いながらも筋肉質な背中に、ユウイは頬を寄せる。

 タケルは黙って、腹に回る彼女の手に触れた。


「……ねぇ、ヤマト。あなたは私が好き?」


 タケルは何も答えない。

 だが、ユウイが傷つく様子もなく、ふっと笑みをこぼした。


「あなたが私をどう思っていようと、構わないわ。だって、あなたは私なしでは生きられないでしょう?」

「そういう君だって、僕と同じだろう」


 ユウイの絶やさなかった微笑みが消え失せる。

 まるで、心が凍り付くように。


「……ヤマト。キスして」


 ユウイが抱きつくことをやめると、タケルは彼女へと向き直り、頬に手を添え、キスをする。

 合わせた唇を離して、二人は見つめ合う。


「私の名前を呼んで」

「ユー」

「心なんてこもってなくていい。私を好きだと言って」


 ユウイはタケルに抱きついて、懇願する。

 震える彼女の身体を、タケルは両腕で受け止め、優しく包んだ。


「……好きだよ、ユー」


 胸に頬を寄せ、ユウイは目を閉じてささやく。


「私もよ、愛してる」


 この言葉が、本当は誰に向けた言葉なのか、タケルは知っている。

 目を閉じている彼女が、心の奥で誰に抱きしめられているのか、分かっている。

 けれど、タケルはそれで構わないと思っている。


 二人の関係は、はじめから、そういうものなのだから。



 最後にもう一度キスをして、ユウイは自分の部屋へ戻った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ