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SFについて専門的な知識がない作者が書いております。
なにとぞ、優しい心で見守っていただけるとありがたいです。
惑星アグリス。
人類が開拓した宇宙の中でも辺境に位置するこの惑星は、地球に似た肥沃な大地を生かした大規模農業を行い、宇宙規模の食を支えている。
開拓が始まったのが百年に満たないことや、農業を中心としていることから開発はあまり進んでおらず、一世紀ほど低い水準の生活設備しか揃っていない。
飛行機や電車は限られた都市部にしか完備されておらず、それ以外は、もっぱら巡回バスが生活の要となっていた。
利用客が少ないことを告げているこじんまりとした巡回バスに揺られて、タケル・クレイと呼ばれる少年はスペースターミナルを目指していた。
二人掛けの座席の窓際に座り、通路側の席にはスポーツバッグを置いている。
首都に向かうバスといえど、彼が乗るバスに客の姿は数えるほどしかいない。いっそのこと、マイクロバスでもことが足りてしまうのではと思うほど、利用客は少なかった。
窓から見える景色はただただ地平線。この辺りは山も海も遠く、だだっ広い土地は隙間なく耕され、この時期は茶色が目立った。
だが、進行方向へ目をやれば、ここからでもそびえ立つビル群を見ることができる。
今どき有害ガスを出すような生活はしていないのに、ビルの周りだけ白くかすんで見えるから不思議だ。
あんなところにずっと暮らして、息苦しくならないのだろうか。
「僕は三日で窒息死だ」
タケルが通う学校も、あのビル群の中にある。だが、タケルはあの都市で暮らしていない。
この辺境の惑星アグリスの中でもひときわ田舎といわれる小さな村から、このバスに二時間揺られつつ通っているのだ。
別にわざわざこんな遠いところまで通わなくとも、村の近くの街に学校ならいくらでもある。
ただ、タケルが通う学科が、少々変わり種なのだ。
彼は戦闘機『レイダー』のパイロット候補生であり、レイダーコースは首都にある軍学校にしかない。
広い田畑地帯と都市部の境界である深い森に囲まれた道を抜けたところで、バスが一時停車する。この辺りまで来れば地下鉄もきちんと整備されているのに、珍しく乗客がいるようだ。
タケルはやる気なく閉じていたまぶたを上げて、バス中央の乗車口へと視線を流す。
タケルと同じ年頃の少年が乗車してきた。
「あ」
タケルが小さく声をもらすと、進行方向の席を伺っていた少年はこちらへと振り向いた。
最後尾から二列目の席に腰掛けるタケルを見つけるなり、目を輝かせて大きく笑った。
「いよっ、タケルぅ~! やっぱお前も今回呼び出されたか。早起きしてバスに乗ったかいがあったってもんだぜ」
タケルに声をかけた少年はイサ・イノバだ。
濃紺の髪はあごの辺りまで伸ばし、もともとくせっ毛なのか軽く巻いている。けれど女っぽいという印象はなく、むしろ男らしいというか、不思議な色気をもっている。
大人っぽいのだ。
きりりと前を射貫く眼差し、それでいて柔らかな表情を浮かべる口元。
簡単な話、とてもよくモテる。
イサはタケルの隣ではなく、前の席に座ると、座席にひざをついてタケルへと振り向いた。
「それにしても珍しいな。お前は基本、こういう行事ごとって不参加の方針じゃなかったっけ?」
タケルはあえて無言のまま、スポーツバッグの小さなポケットから一枚の紙を取り出してイサへと差し出した。
イサは不思議そうにその紙を見つめてから、受け取って中を開ける。と同時に、顔をしかめた。
「何だよこれ、最後通告か?」
「ま、そんなところだな」
赤い縁取りの紙には、『参加しなければ強制送還する』という趣旨の文言が書いてあった。
「お前、何回断ってきたっけ? え~っと、三回か。軍もいい加減しびれを切らしたって感じだな」
イサは意地悪く笑い、ひらひらと通告書をあおぐ。
タケルはそんなイサから紙を乱暴に奪い、きちんと折りたたんでもとのポケットへ戻した。
タケルがあからさまに不機嫌になったものの、イサはとくに悪びれる様子もなく、話し続けた。
「ところで、お前バイトはどうしたんだ? いままで断ってきたのも、生活費を稼ぐのに精一杯だからってことにしてたんだろ?」
「軍からフィルさん夫婦のところへ通達があってさ」
「タケルを演習に参加させたいから、仕事をやるなってか?」
タケルは眉間に深いしわを寄せ、ため息混じりにうなずく。
「で、フィルさんたちはなんて?」
「私たちのことは気にせず、演習にお呼びがかかったのなら是非参加しなさいって。むしろ謝られたよ」
フィル夫婦は母が死んで天涯孤独となったタケルを色々と気にかけてくれる人たちだ。
とても優しい人たちなので、今回の軍の通達を受け、自分たちのせいでタケルが演習に参加できなかったと思ってしまったらしい。
「こっちが言い訳に利用してたってのに、謝られちゃあ、素直に参加するしかないわなぁ」
痛いところを突かれ、タケルは口ごもる。
それを見たイサは、やれやれといった様子で苦笑し、タケルの頭を乱暴になでた。
「まぁまぁ、今回は俺も参加するんだからいいじゃねぇか」
頭に乗る手をタケルはうっとうしそうに振り払い、上目遣いにイサを見る。
「俺はてっきり、お前は逃げ出すと思っていた」
「あー、うん。できればそうしたいんだけどさ、今回はねーちゃんも招集かかってんだよね」
「……なるほど、そりゃ無理だな」
「だろ? もう招集かかってからうるさいのなんのって……最後は素直に行くからそっとしておいてくださいって俺が頭下げた」
その光景が容易に想像できたので、思わずタケルは笑った。
首都に入ると、辺りの景色はがらりと変わる。
見るからに軟らかそうな土、漂う肥料の独特な匂い。アグリスを語る上で欠かせないこの二つが、境界線となる森を抜けると、消えてなくなる。
辺りを包むのは白。
白で統一された無機質なビルが空を貫き、命の恵みをはぐくむ土は灰白色のアスファルトが覆い隠す。
切り取られた空から降り注ぐかすかな太陽の光は、ビルを包むガラスを何度も反射して、この単調な世界を人の目にさらしているようだ。
二人が乗るバスは少々の渋滞に巻き込まれながらも遅れることなくスペースターミナルへ辿り着く。
ロータリーへ入っていくとき、バス停に立つイサの姉、サキ・イノバの姿を確認した。
桃色のリボンで結んだポニーテールを風になびかせ、腰に手を当てて胸を張って立ち、二人が乗るバスをじっとにらみつけている。その濃紺の髪や意思の強そうな瞳が、イサとそっくりだった。
イサも姉の姿を見つけ、「うわ…」と声をもらす。思わず、タケルは笑った。
「おい、タケル。他人事に思ってんじゃねぇよ! お前もさんざん俺と一緒に学校サボってんだからな。姉貴の中で、扱いは一緒だ」
ひくりと、タケルが顔をこわばらせる。
イサはにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。
「俺たちは親友だ。つらいことは半分こで行こうぜ」
「幸せは二倍ってか?」
「いんや。幸せは各自で、だ」
「はいはい」
タケルはため息混じりに答え、肩をすくませた。
「ちゃんと逃げ出さずにやって来たのね。安心したわ、イサ」
バスから降りた二人へ向け、サキの開口一番の言葉だった。
イサが引きつった笑顔で「だから言ったじゃん。タケルと合流するだけだって」と答えると、彼女はその鋭い視線を隣に立つタケルへすっとずらす。
「タケルくんも、今回は逃げずに参加したのね」
「……俺は、忙しくて参加できなかっただけで……」
「言い訳はしないで。あなたの普段の態度ではその言葉が本当だなんてとうてい思えないの。そもそも、あなたのようなやる気のない生徒がなぜこの演習に呼ばれるのか、理解に苦しむわ」
「お言葉ですが……」
すらすらとタケルへの文句を連ねるサキへ、イサでもタケルでもない、落ち着いた少女の声が割って入った。
タケルとイサの視線に気付いたサキは、背後を振り返る。
ユウイ・シェヌが立っていた。
彼女はサキと目が合うと、キャリーバッグの持ち手にもたれるように立ち、空いた手をあごに添えてクスリと笑った。
そんな小さな仕草から、軍の高官の娘という彼女の育ちの良さがにじみ出ている。
「タケルは入学時から成績首位の座を一度として譲ったことはありません。一年生にして演習にも呼ばれ、我が校きっての秀才と呼ばれていることは、六年生のあなたも十分知っていることだと思いましたが」
ユウイは首をかしげ、斜めにサキを見下ろす。
彼女の動きに合わせて、ゆるく巻いた髪が優雅に揺れた。
「……そうだとしても、彼の普段の態度が悪いことは変わらないわ」
サキはユウイへと向き直り、声を強める。
だが、ユウイは動じる事もなく、むしろ勝ち誇るような笑みを浮かべた。
「確かにその通りですが、態度の悪さではあなたの弟さんも人の事は言えませんよ。けれど彼は今回の演習に呼ばれている。それさえもあなたは否定するのですか?」
「それはっ……」
「もちろん弟さんの実力は認めていますよね。四年生にして演習に呼ばれるなんて、とても珍しいことですもの。六年生でやっと招集されたあなたと違って」
サキは苦痛を耐えるように顔をしかめ、口ごもる。
そんな彼女をかばうように、イサが二人の間に割って入った。
「はいはい、そこまで。これからしばらく共同生活するってのに、初っぱなから喧嘩しないでくれるか? 二人とも気合い入れすぎだって、辿り着く前にばてるぞ」
イサは身振り手振りをくわえて茶化すように明るい声で話し、うつむいたまま黙るサキへと振り向くと、彼女の荷物を預かった。
「それに、タケルはともかく俺のことは買いかぶりだよ。俺はタケルとペアを組んでるんでね。こいつの運転テクニックのおかげで俺の成績も上がっただけさ」
「だとしても、スナイパーとしてのあなたの腕は、本物でしょう?」
「撃つだけでは、生き残れないよ。その証拠に、シングルテストでは三回戦くらいしか残ったことないもん。万年優勝のタケルには、足下にも及ばないさ」
「イサ……」
不安げに見上げるサキへ、イサは大きく笑って彼女の頭をぽんとなでる。
「それに比べてねーちゃんは、実力者の多いクルーコースで選ばれたんだ。俺はそっちの方が誇らしいよ」
ほんの少しサキの表情が和らいだところで、イサは彼女の手を握った。
「んじゃ、俺たちは先に行ってる。お二人さんはゆっくりおいで~」
ひらひらと手を振り、イサはサキを引っ張るようにして空港内部へと走っていった。
「……ああいうの、感心しないな」
イサたちの姿が掌程度に小さくなってから、タケルが言った。
二人へと視線を送っていたユウイは、振り向いて意外そうな表情をわざとらしく作る。
「あら、心外ね。大切な彼氏に言いがかりをつけられて、彼女としては黙っていられないものでしょう?」
「だとしても、あそこまで言うことはないと僕は思うよ」
自分をとがめる言葉にもかかわらず、ユウイは幸せそうに笑い、タケルの手を取った。
「いまは二人きりじゃないのに、いいの?」
「これくらいならね。近くに誰もいないし。それに――」
「それに、私がやったことに対して、本当に不愉快だったと教えるため、かしら?」
続きを先読みされて、初めてタケルはユウイへと視線を送る。
「イサは僕にとって大切な親友だ。あいつがいやがることは、僕はしたくない。まして、僕をかばうためだなんて、お節介だよ。ユー」
ユウイは苦笑しながら口を開きかけたが、バス停に新しいバスが入ってきたので、言おうとしていた言葉を呑み込み、この場にふさわしい言葉へと言い換える。
「タケルは自分の実力を評価されることが嫌いね」
「……あぁ、俺は一番、俺が嫌いだからな」
「けれど、私はそんなあなたが好きよ」
「それはどうも。にしては、今日演習に参加するとは教えてくれなかったな」
「だって、あなたは興味がないでしょう?」
「……ノーコメントで」
バスから降りてくる人々を横目に、タケルはユウイのキャリーバッグを預かって歩き出す。
その斜め後ろ、しかし、恋人同士にしては少し離れた位置を、ユウイは静かに歩いた。
スペースターミナルと言っても、他の都市にある空港とほとんど変わらない。
他の惑星のスペースターミナルも同じようなものだが、アグリスのスペースターミナルは、特に空港との境界があやふやだ。
というのも、スペースターミナルと冠しておきながら、発着するのは八割が航空機だ。宇宙船は、一日に四度やってくる定期便だけである。
食料庫という役目以外なにもないアグリスへ、観光客というものは全くこない。ゆえに、他の惑星との交流は少ないのだ。
アグリスに暮らす人々が他の惑星へ行くことも ほとんどない。
あるとしたら、連邦軍の軍人になるものだけ。しかし、軍学校は首都にしかない。
必然的に入学時の倍率も高くなり、入学したとしても、軍からお呼びがかかるとは限らない。よくて、アグリス星自衛隊へ入隊するぐらいだ。
それでも、アグリスから出ることはできないが。
連邦軍とは、簡単に言えば、人類全ての軍。
地球から飛び出し、様々な惑星へ移住した人間たち全てを纏め上げている連邦政府の軍だ。
だが、所詮連邦は連邦。
所属する惑星たちにはそれぞれ自治権というものが存在する。その権利を守るのが、各惑星の自衛隊である。
外界と隔絶された現状から抜け出し、新しい環境を夢見て軍学校へ入学した少年少女たちにとって、外へ出られるか否かのひとつの基準となるのが、今回、タケルたちが招集された演習である。
この演習は、年に一度連邦軍が主催していて、全宇宙の軍学校の中から、成績優秀者を集めて合宿を行うというものだった。
いい人材には早めに唾をつけておこうという、連邦軍側の思惑が隠されることなく光り、そして、辺境の惑星に暮らす少年少女たちからすれば、夢を現実にするために必要な足がかりなのだった。
文字通り夢への一歩となる演習に、タケルは一年生の頃から呼ばれていたにもかかわらず、断り続けていた。
生活費を稼がなくてはならない。確かにその通りだが、連邦軍側は生活費の援助を申し出たことだってある。
だがやはり断り続けていた。
タケルには、別の理由があるのだ。
演習に参加したくない理由が。
誰も知り得ない、深い深い理由が。