ゆっくり
新しい景色に心が躍った。
私はここに昨夜着いたばかりで、
何もかもが目新しい。
町並み、ポストの色、人々の容貌……
数え上げたらきりがない。
私は今、新しい空間にたたずんでいる。
同級生の男子が声を掛けてきた。
「俺、今日担任のとこに行くから、
お前も一緒に来いよな」
「叱られに行くの?」
「違うよ、レポート提出だよ。
お前は挨拶に行くんだろう」
「うん、まあ担任だもんね」
「転入生にはすごく優しいぜ、たぶん。
なんせ……」
プププと口を押さえて笑っている。
「じゃあまた後でな」
教室で別れた。
私は海外の学校に転入したかのような、
不思議な錯覚に陥った。
だってあまりにも私がいた田舎とは違いすぎて、
比べ物にならなかった。
眼球が飛び出している人もいるし、
明らかに肌に緑色の光沢がある人もいる。
おまけに足が無くて、両手を前に突き出して、
ふわふわ浮いているように見える人もいる。
すれ違いざまに会釈をすると、
向こうも小言で何か言っている。
「うらめしや~……」
楽しい学校生活が始まろうとしている。
私は授業についていくのに必死だった。
前にいた学校とは、全然カリキュラムが違うようだった。
ここは一般教養が大事なのかもしれないわ。
空き缶を拾ったり、丁寧に掃除をしたり、
あいさつをしっかりしたりと、
学業以外のことも手を抜かないようだ。
これも私の将来のためだわ。
大きく深呼吸した。
「お~い、そろそろいこうぜ」
あの男子が呼んでいる。
私はやっとの思いで下校時間まで頑張った。
初日は、やっぱりハードだったわ。
男の子について行く。
彼の足跡は、いつも濡れているように見える。
職員室に入ると、何人もの先生方が、
慌ただしく業務をこなしている。
「はい、よろしい。
もうレポート出すの、遅れちゃいけないぞ」
担任の先生が男の子からレポートを受け取った。
「君が転入生だね?
よろしく、担任の石井です」
先生はペコリとお辞儀し、挨拶する。
初対面だけど、何だか好感をもてる人だ。
だって頭にツノが生えている。
ちょっと噴き出しそうになる。
「よろしくお願いします」
「で、君の種族は何なのかな」
「え……種族ですか?」
「分からないかい?それなら良いけど」
石井先生は、メガネをずらしてじっと私を観察している。
「おかしいな、わざわざ転入するということは、
よっぽどの事情があると思ったのだが……」
何やらぶつぶつ言っている。
「まあいいか。よろしくね」
にっこりと微笑みかけられた。
私はおじぎをして退室した。
後ろで先生方全員が、
怖ろしく青白い顔で笑っているのも知らずに……
「活きの良さそうな子でしたね」
「ほんとほんと。どうしてこの学校までやって来たのかしら」
「この一帯は特殊な地域なのにねぇ」
「あー、唐揚げが食べたい!人の子の……」
「お腹減ってきましたねえ。いい物見たから」
「ちょっと今夜は皆で食べに行きませんか。
新しい定食屋さん、予約しておきましたから。
妖怪専ですって」
「いいですねえ」
下校時刻も既に回り、学内に生徒はほとんどいない。
一部の地縛霊の生徒は、帰ることが出来ないので居残っている。
一応行動範囲を広げるための授業もあるのだが、
寝室を学内にすることで、犯罪者から彼らを守っているのだ。
「ええ、点呼も済みましたし、行きましょうか」
白衣を着た、綺麗な女の先生が席を立つ。
触った箇所にうっすらと霜が降りる。
「あ、ここは触らないで下さいよ。
まだストーブ消したばかりですから」
男の先生がエスコートする。
「ありがとう」
皆連れ立って目当ての定食屋に入った。
「おっちゃん、生おかわり」
「わたしも」
「じゃあ3つで」
だんだん場が賑やかさを増していく。
既にできあがっている先生方もいる。
特に鬼婆やヌリカベは酒が好きである。
「あーっ!ここの唐揚げ絶品ね」
「これはどこの子かな」
「刺身もうまいぞ」
「肉汁がしたたる……タマラナイ」
それぞれに楽しんでいるようだ。
「ところであの転入生どうなのよ」
「人間が転入なんて、変わっているわね」
「種族は分からなかったの?それともマジで……」
「それなんですが」
コホンと咳払いをし、石井先生が神妙な顔つきで話し始める。
「実は……」
「あ!先生!」
話は元気な声にかき消される。
そこにはあの転入生が立っている。
「先生!いらして下さったんですね。
ここうちの実家なんですよ。
今日は良い材料入ってますから、
ゆっくりしていって下さいね!」
担任は絶句した。
あわてて逃げようとする。
転入生が回りこんで押さえつける。
「良い材料なんですからおとなしくしていてくださいね?
鬼のツノが無いと美味しいチャーシューが出来ないんですよ?
まあ、貴方が味わうことは、ありませんが……」
後ろで従業員が鍋を振りかざしている。
すでに河童が中で煮えている。
「ここは妖魔が、美味しい妖怪を食べるお店なんです。
手間暇かけた料理が人気でして。
いい所に来てくれましたね……」
店内に3分クッキングの音楽が流れる。
先生方の目の前は真っ暗になった。
その夜の未曾有の事件により、古より頻繁に起こっていた
妖怪による人の子さらいが、ほとんど無くなってしまったらしい。
日本は平和な国になったということだ。