第5話 スズラン
ふかふかの分厚い雲が、今日も空を覆っていた。
そのどこまでも続く薄い灰色の層を眺めていた私は、ふいに目の前に視線を戻す。
そこには、空とお揃いの色をしたスズランが咲き連なっていた。
再び歩き始めると、持っていたジョウロがちゃぷちゃぷと鳴る。
その音が突然止まったかと思うと、今度は水がさわさわと降りそそぐ音に変わった。
柔らかくて細かい水の粒を浴びて、スズランたちが楽しそうに揺れる。
「綺麗に咲いてるね〜」
私はひとつひとつに声をかけながら、水をあげていった。
ここは、森の中の窪地にひっそりと広がるスズランの花畑。
ぽっかりとあいた木々のない土地を、時折り吹く風が優しく通り抜けていく。
家のすぐそばにあるこの花畑を、私は大切にしていた。
スズランたちが花を咲かせ続けられるように、ほんの少しだけ手をかけている。
そうして、ジョウロの水がなくなろうとした頃、花畑の端にある色の濃いスズランに、ふと目が留まった。
心なしか全体がうつむいているようで、大きめのその体には不釣り合いだった。
人目を忍んで咲いているようなその姿に、私は思わずしゃがみ込む。
「元気出して…………私も元気だから」
いちばん先に咲く花をそっと手のひらにのせ、言い聞かせるように囁いた。
その時、背後から声をかけられた。
「ずいぶん気にかけてるね。それだけ色が違うから?」
振り返ると、すぐ後ろにヨムンが座っていた。
琥珀色のつぶらな瞳を、まっすぐにこちらへ向けて。
「…………」
私は弱くほほ笑みながら立ち上がった。
そして最後のお水をサッと注ぐと、振り返ってヨムンの横をすり抜ける。
「お水がなくなっちゃったの」
すれ違いざまにヨムンの頭をひと撫でした。
彼は一瞬だけ目を閉じると、すぐに開いて私を追いかけた。
「……僕に手伝って欲しいことがあるって言ってたけど……何?」
私の隣に並んだヨムンが、少し眉をひそめて聞く。
こういうところは相変わらずだ。
「水やりが終わってからね」
私がクスクス笑って答えると、勘のいいキツネは眉間の皺を深めた。
ーーーーーー
「なに、これ?」
家の中に入ったヨムンが、作業机に出来たモコモコの糸束を見て、思わず声を上げた。
「えへへー、昨日出したんだよ」
上着を掛け終えた私はいそいそと駆け寄り、糸束から一本の糸を持ち上げた。
「この前ここに来た人が、可愛いニット帽を被ってたから編みたくなって」
ニッコリといい笑顔を浮かべ、毛糸をこれでもかと見せるようにして続けた。
「紅茶の葉で染めてみたの。優しい色になったでしょ?」
「……う、うん」
私の勢いに押されるように、ヨムンがペタンと座り込んだ。
耳まで伏せて、じとりと差し出した糸を見つめている。
「僕に手伝って欲しいことって……」
「そうなの。この糸を巻いて玉にしたいから、手伝って?」
私はニコニコしたまま、首をかしげた。
ヨムンはさらに顔をしかめる。
「…………しょうがないなぁ」
けれど根負けしたようにぽつりともらすと、コロンと転がった。
お腹を見せて、四つの足を上に向かって突き上げる。
「ありがとうっ!」
私はさっそく、毛糸の束をその足に潜らせた。
ヨムンが何も言わずに、足を少しだけ広げて糸を張ってくれる。
何度も渋々手伝ってくれているからか、その動きは手慣れていた。
小さな腰掛けをそばに持ってきた私は、すぐに座って糸を巻き始めた。
「やっぱり、ヨムンに手伝ってもらうのが一番早いんだよね〜」
「…………」
ヨムンは不機嫌そうに目を閉じたまま、じっとしている。
「本当にありがとう。助かるよ」
「…………」
置物のように動かない白キツネが、こそばゆそうに口元をむずむずさせた。
その間も、糸はゆっくりとヨムンの足から離れていき、私の手元に集まってくる。
ふたりを繋ぐベージュの毛糸が、なんだかヨムンの周りを一生懸命走っているようにも見えた。
「耳当てがついた帽子が編みたくて」
「…………」
「それに細い紐がついてて、先にはポンポンがあるの。暖かそうだし、可愛いよねぇ」
「…………」
「ヨムンのも作ろうか?」
「……僕はいいよ。思ったんだけど、前にもこんな色の毛糸を作らなかったっけ?」
薄っすらと目を開けたヨムンが、私をじっと見つめた。
その視線に気付いたものの、私は目の前の毛糸玉を巻き続けた。
ギクリとしながら。
「あ、あ〜。セーターを作った時の毛糸のこと?」
「そう。だいぶたくさん作ったから、余りがあるよね?」
「……あったかなぁ?」
「帽子なら、余ってる分で出来るんじゃ……」
「…………」
「今回もやけに多いよね? まだ机に糸束が残ってるから、これで終わりじゃないんでしょ?」
黙り込む私に、ヨムンが遠慮なく言葉を重ねてくる。
私は手をピタリと止めた。
困ったように眉を下げて、彼を見る。
「だって……楽しいんだもん。ヨムンと糸巻きするのが」
「…………」
ヨムンはプイッと顔をそむけて目を閉じた。
けれど尻尾だけは、素直にパタパタと床を撫でていた。




