第4話 ヨムン
太陽が昇り、柔らかい光が部屋に差し込み始めたころ、私は自然と目を覚ました。
そっと身を起こし、ぼんやりと窓を見つめる。
白いカーテンの織り模様がゆっくりと浮かび上がり、ようやく頭も目を覚ました気がした。
何気なく横に目をやると、白いふわふわの雪玉みたいなかたまりがある。
大きな尻尾をくるりと巻きつけて眠っているヨムンだ。
私が起きたことで、ブランケットがめくれてしまっている。
私はぐっすり眠りこけている彼に優しくそれを掛け直すと、静かにベッドを抜け出した。
パタパタと階段を降りていき、暖炉の前へと向かった。
火かき棒を手に取り灰をかき分けると、赤い炎が鼓動を打つようにチラチラと脈打つ。
その煌めきが広がり始めたのを見て、薪を差し入れた。
たちまち火の子供たちは薪に手を伸ばす。
われ先にと抱え込む様子から、やがて大きな炎へと成長するだろう。
じんわりとした暖かさに包まれほっこりした私は、暖炉を背にキッチンへと向かった。
冷えた朝特有の、ピンと張り詰めた空気の中で。
野菜をザクザクと包丁で切る音が、小気味よく響いた。
その時、フッと頭の中で声がした。
『朝のこの時間って、何だか好きよ。静けさの中で私だけが動いてる……確かに存在してるって、世界に伝えているみたいで』
懐かしい声と共に、私の隣で思い出の彼女がふわりと笑いかけた。
思わず手を止めて、彼女を見つめる。
けれどそこにはもう、何もなかった。
私の一番の友達……エイダだ。
彼女とここに並んで、一緒に朝食の準備をした時の記憶だ。
「…………」
私はニコリと宙に向かってほほ笑むと、下を向いて再び手を動かした。
……そう。
エイダがああ言ってくれたから、私もこの時間が大好きになった。
夜が明けるのが怖かったけど……
平気になったの。
私は切り終えた野菜を鍋に移し入れると、窓の外に目を向けた。
エイダはここをもう去ってしまったけど、こうやって思い出すことが出来る。
痛む胸を慰めるようにほほ笑んでいると、私の足に柔らかいものが当たった。
「ナナシィ、おはよう」
いつの間にか起きてきたヨムンが、私を見上げてそう言った。
けれどその瞼は、今にもくっつきそうだ。
「おはよう。今日はちょっと早いね」
私は思わず小さく笑いながら、ヨムンの頬についた寝癖を直すように撫でつける。
「……なんか起きちゃったんだよね」
彼は気持ちよさそうに目を閉じた。
そしてそのままトコトコと去って行き、暖炉の前で足を止める。
クルリと器用に丸まると、そのままピタリと動かなくなった。
どうやら今度は、反対側に寝癖をつけるようだ。
その様子をじっと見ていた私は、小首をかしげた。
寂しい気持ちを抱えると、決まってそばにきて寄り添ってくれる。
本当に不思議な子だ。
何か〝匂い〟でも感じ取っているのかしら?
それとも、心の中が読めたりして。
思い立った私は、少し睨むように眉に力を入れた。
そして『今日のパンは、ヨムンの嫌いなハーブ入りだよ〜』と、念じながら視線を送る。
するとそれが通じたのか、ヨムンがパチリと目を開いて顔をもたげた。
「変な顔。どうかした?」
「…………何でもない」
私はフッと笑って力を抜くと、彼の反応を思い浮かべながら、そのハーブパンを足取り軽く取りにいった。
ーーーーーー
今日の森は、いつもより霧が薄まっていた。
こんな日は決まって、木の実を採りに行く。
「今日は何を採るの?」
私の隣を歩くヨムンが、何気なく聞いてきた。
「そろそろ〝まる実〟が落ちてるだろうから、それを拾いましょうよ」
そう答えると、彼は私の持つ空のカゴをチラリと見た。
ずいぶん大きめのそれに嫌気がさしたのか、くしゃりと顔をしかめる。
「……僕が拾った実は、選ばれないやつだね」
「だって、赤いけど苦いものまで拾うから……」
私が苦笑すると、ヨムンはむくれたようにプイッと前を向いた。
そして尻尾をフリフリしながらズンズン歩く。
〝まる実〟は、手のひらサイズの赤い木の実だ。
ツヤツヤの赤い薄皮の中に、甘くて柔らかい果肉が詰まっている。
ただ、先っぽが少しとんがったものは苦味があり、まんまるなものを選ばなくてはならない。
「ほら、いっぱい落ちてるよっ」
まる実の木がたくさん生えている場所についた私は、枯れ葉の絨毯の中にちらほら見える赤い輝きに、わくわくした。
しゃがみ込み、そっと葉を払ってから手に取って、しげしげと眺める。
そして、まんまるなものだけを優しくカゴに入れていった。
「ナナシィ、楽しそうだね」
「うん。お宝探しみたいじゃない?」
「そうかなぁ……」
ヨムンはやる気のなさそうに、近くのまる実を鼻先でつっついていた。
そんな彼を気にせず、私はまる実拾いを続けていた。
何を作ろうかな?
たくさん採れそうだから、ジャムにしようかな。
パイも美味しそうっ!
あ、そう言えば、野いちごのクッキーが家にあるから……
今日帰ったらご褒美に食べようかな。
ーーその時だった。
「……っナナシィ!」
ヨムンの声と共に、頭上でバリッと何かが折れる音がした。
反射的に仰ぎ見ると、白い塊が視界を横切っていく。
私の真上で半透明になったそれの奥に、落ちてくるはずだった太い枝の影が、一瞬だけ見えた気がした。
けれど次には何もなく、いつもの白ギツネがすたっと地面に降り立つ。
私はその背中に、ためらいがちに声をかけた。
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして」
ヨムンは背中越しにそう言うと、トコトコと歩いて行った。
尻尾をブンブン振っており、心なしか誇らしげに見える。
そして足元に落ちているまる実に鼻を近付けて、何事もなかったようにスンスンと匂いを嗅いだ。
私はその姿を見つめながら、また小首をかしげた。
ーーーーーー
家に帰ってきた私は、キッチンの机にカゴをどさりと置いた。
「ふぅ〜、いっぱい採れたね!」
「……そのぶん疲れたね」
のんびり屋のヨムンが、そう言い残して暖炉の前へと去っていった。
ぼやきながらも結局手伝ってくれたから、本当に疲れたのかも。
クスリと人知れず笑っていると、差し込んでいた光が突然フッと陰った。
思わず窓のそばに行って、空の様子を眺める。
「……雨雲? 帰ってきたあとで良かった」
そう呟きながら、私はヨムンのいるリビングの方へと向かった。
楽しみにしておいた、野いちごのクッキーを食べるために。
けれど机の上には……
空のお皿が乗っているだけだった。
「…………」
私はじとりとヨムンを見た。
彼はいつものように丸まって、気持ちよさそうに目を閉じている。
でもその口元には、クッキーの粉がほんの少し残っていた。
……本当に。
いろいろ消すのが得意な、不思議なキツネだ。




