第3話 ナナシィ
澄んだ空気の中に、凛とした声が響き渡る。
「ノササヤカナーー」
不思議でどこか懐かしいしらべが……
私の口から奏でられた言葉が、
白く光る文字となって浮かび上がる。
「わぁぁ……っ!」
サリーが目を丸めて、儚げに光る模様に魅入った。
それらはそばから崩れていき、一文字ずつ繋がっていく。
やがて細い糸になり、私の手の中へ静かに円を描きながら落ちてきた。
言の葉が全て並び終わったとき、そこには光を帯びた糸の束が出来上がっていた。
「綺麗だねぇ……」
見惚れているサリーが、机に手をついて身を乗り出した。
その好奇心旺盛な丸い瞳は、輝く糸に負けないほどキラキラしている。
「この糸でリボンを直そうね。と、その前に……」
私が裁縫箱を探してキョロキョロすると、隣のヨムンの口元にあった。
どうやら祝詩を詠っている間に、持って来てくれていたらしい。
その証拠に、取っ手を咥えた彼がどこか澄ました顔で待っている。
フワフワの尻尾をパタパタと振りながら。
私は糸の束を大切そうに机に置き、ヨムンに手を伸ばした。
「ふふっ。ありがとう」
笑うのを堪えながら受け取っていると、サリーがぼそりと呟く。
「お利口さんなんだねぇ」
「……っあはは!」
これには我慢できずに、つい声を上げてしまった。
途端にヨムンの目つきが悪くなり「……僕はペットじゃないんだけど……」と唸るように言う。
けれどその頃には、サリーは蓋をぱかりと開けた裁縫箱に夢中になっていた。
「可愛いのがいっぱいー!」
「えへへ。でしょでしょ〜?」
彼女の反応に、私はつい、にへっと笑ってしまった。
箱の中には、カラフルな糸がきちんと並んで詰められており、色とりどりのボタンがドロップのように艶めいていた。
丸いカップケーキの形をしたピンクッションには、小さなガラス玉がついたまち針が、お花みたいに咲いている。
私の大事な糸仕事の道具だ。
お気に入りや、思い入れのあるもので満たした自慢の裁縫箱なのだ。
その隅にある、細長い銀細工の棒を手に取った。
柄の端には、羽とも葉ともつかない紋様が刻まれており、それを包み込むように軽く握る。
冷んやりとしていた棒は、すぐに温もりを帯び、たちまち手に馴染んでいった。
「それはなぁに?」
サリーが首をかしげた。
「これは……特別な道具なの」
私はニコリと笑うと、「見ててね」と言ってから糸の束へ差し入れた。
すると光の糸は、吸い付くようにシュルシュルと棒に絡みついた。
そっとひと混ぜすると、光がより一層強くなる。
けれど次には勢いをなくし、瞬く間に消えてしまった。
あとには赤い糸が巻き取られた棒が残され、淡い煌めきを放つ。
「……すごい!!」
素直なサリーが、目を瞬かせて拍手してくれた。
「ありがとう。私のとっておきなんだよ」
私はその反応に頷くと、早速リボンのお直しに取り掛かった。
針でリボンをほんの少し掬い上げ、するすると糸を渡す。
それを何度も繰り返し、丁寧に繋ぎ目を閉じていった。
糸はリボンの一部になり、新しい命の礎となる。
最後に糸を結び、小バサミでパチンと切って完成した。
「できたよ」
私は手のひらに乗せたそれを、サリーに差し出した。
彼女は壊れ物を扱うように、おずおずと手に取る。
「……直ってる」
「もう解けないけどね」
サリーはまじまじとリボンを見た。
ちぎれていたそれはもう一度結ばれ、髪に留まるための小さな工夫が施されている。
それに気付いた瞬間、彼女は顔を上げた。
「ありがとう……」
瞳を潤ませて、囁くような声で告げる。
どうやらお気に召してくれたようだ。
「どういたしまして」
私は胸を撫で下ろしながら、道具を一つずつ元の場所へと戻していった。
すると待ってましたと言わんばかりに、私の膝の上にヨムンが潜り込んでくる。
しょうがないなぁと、そのフワフワの頭を撫でながら、私はもう片方の手で裁縫箱をパタンと閉めた。
それを終えたところで、サリーが遠慮がちに声をかけてきた。
「このリボンね、パパが……初めてくれたプレゼントだったの。それなのに、何で忘れてたんだろ……」
少女が自分を責めるようにそう言い、リボンをギュッと抱え込んだ。
「……大丈夫。大切な思い出は、ちゃんと戻ってきたよ」
私が穏やかに伝えると、サリーは静かにうつむいた。
まるで戻った記憶を探るように、ぼんやりと机を眺めている。
しばらくして、サリーは小さく息を吸い込んだ。
「私も……お姉ちゃんと同じ髪にしたい」
「いいよ。ブラシを持ってくるね」
私はにこやかに答えると、くつろぐヨムンをひょいと持ち上げ、膝から外してソファの端へと下ろす。
彼は名残惜しそうに目を閉じ、されるがままになっていた。
ブラシを手にしてサリーの隣に腰掛けると、彼女はいそいそと背を向け、ちょこんと座り直した。
そして、ゆっくりと髪を梳かしながらお喋りをする。
「私みたいに、髪の上のほうを少しだけ束ねて、後ろにリボンをつけるのでいい?」
「うん! お姉ちゃんの黒いリボンが、蝶々みたいだなって思ってたの」
「そっか。じゃぁサリーは赤の蝶々だね」
「うふふっ。ママにもよくこうやって結ってもらってたんだ〜。あ、甘い飲み物も思い出したよ! ママお手製のはちみつ紅茶!」
サリーの弾む声を聞くだけで、彼女の表情が輝いているのが分かった。
「はちみつを入れるの? おいしそうだね」
私は少女のしなやかな髪の毛を、優しくすくい取る。
「とっても美味しくってね! それでーー」
あとの時間は、サリーの思い出話に花が咲いた。
喋っているうちに、次々と溢れてきたようだ。
そのひとつひとつを大切に……愛しむように彼女は一生懸命語る。
私はうんうんと頷きながら、いつまでも見守っていた。
ーーーーーー
「ここからなら道が分かる?」
私は立ち止まり、隣で手を繋いでいるサリーに聞いた。
「うん。分かるよっ」
ニコリと笑った彼女が、そっと手を離して数歩先に進む。
私たちは森の中に来ていた。
もちろんヨムンも一緒に。
少し後ろを歩いていた彼が、私の隣に静かに並ぶ。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
サリーが元気よく手を振った。
そしてくるりと背を向けると、弾むような足取りで進み始める。
私は振っていた手を、そっと下ろした。
赤い蝶々がとまった髪を、一陣の冷たい風が揺らしていく。
その背中に向けて、私はぽつりと呟いた。
「きっと次は、陽のあたる場所だよ」
「…………」
ヨムンは、私の手に自ら頭を潜り込ませて持ち上げると、ぴったりと寄り添った。
思わず彼を見下ろすと、琥珀色の暖かな眼差しとぶつかる。
「……帰ろっか、ヨムン」
「うん」
そうして私たちは、ふたりで過ごすいつもの家へと帰っていった。




