最終章
「殿下、公爵家を敵に回して無事で済むと思っているのか?」
「慰謝料がとんでもない額らしいぞ。払えるはずがない」
「真実の愛だと? 公爵家を切り捨ててまで?」
婚約破棄から一週間。噂は宮廷と社交界を駆け巡り、どこもかしこもその話でもちきりだった。
冷笑と嘲りが交錯し、かつて讃美に彩られていた第一王子の名は、今や軽蔑と失望を伴って囁かれる。
だが当人たちは耳を貸さない。
「君こそが次の王妃だ」
王太子は白百合のような令嬢の手を取り、恍惚と見つめた。
「まぁ…私が? 殿下、私…うれしいです」
令嬢は頬を染める。周囲は冷ややかだった。
貴婦人は溜息をつき、若い騎士は顔を背け、老侯爵は鼻で笑う。
祝福の言葉はひとつもない。
◆
数日後、王宮で重苦しい会議が開かれた。
宰相、財務官僚、諸侯が列席する中、書簡が読み上げられる。
「公爵家より、正式に慰謝料請求が参りました」
ざわ、と広間が揺れた。
「そのくらい、払えるだろう?」
と王太子。だが宰相は首を振る。
「無理です。額が桁外れすぎます」
「なんだと?」
「明細が添えられております。王妃教育に費やした師範の費用、舞踏・楽器・政務教育。
家が投じた支度金、失われた縁談の補填…」
淡々と積み上がる数字に、広間は静まり返った。
王太子の顔色はみるみる青ざめる。
「ば、馬鹿な…! こんなもの、払えるはずがないだろう!」
動揺を隠せない様子に、諸侯の視線は冷酷だった。
玉座の上で、国王が重々しく口を開く。
「昔より王宮を支えてきたのは公爵家だ。その忠義を蔑ろにはできぬ」
声音は鋼のように硬い。
「第一王子、お前は甘やかされすぎた。責任を取れ」
「父上!? 私は次期国王です! 彼女と共に…!」
「黙れ。お前は辺境に下り、あの令嬢と共に生きよ。それがせめてもの償いだ」
王太子は蒼白になり、令嬢へ縋る。
「一緒に来てくれるね?」
「…はい、殿下。私、殿下とご一緒なら…」
涙を浮かべた微笑みはどこか引きつっていたが、王太子は気づかなかった。
◆
──こうして第一王子は辺境へ追いやられた。
愛があれば乗り越えられると信じていたが、現実は甘くない。
厳しい寒風、舗装されぬ道、枯れかけた畑、兵糧不足に怯える民。
王都のドレスは泥にまみれ、舞踏会も菓子もない。
「殿下…どうして、馬車がこんなに揺れるのですか…?」
令嬢は震える声で訴える。
「仕方ないだろう! ここではこれが普通なのだ!」
苛立ちを滲ませる王太子の顔から、かつての自信も光も消えていた。
やがて辿り着いた粗末な屋敷では、
「殿下、薪が足りませぬ」
「井戸水が凍りつきました」
召使いすら乏しい。王都では当然だった贅沢は、ここには何ひとつない。
「…私、こんな生活、聞いていません…」
令嬢はついに泣き崩れた。
「私だって嫌だ! だが父上の命だ、仕方がない!」
「…私、もう嫌です。殿下とならどこまでもと思っていましたけれど…こんなのは耐えられません」
泥に汚れた裾を握りしめ、嗚咽する。
「待て! 私を置いてどこへ行く!」
「王都に…帰ります。殿下のおそばにいると、私まで潰れてしまうから…」
その言葉を残し、令嬢は召使いを連れて屋敷を飛び出した。
荒れ果てた大地に、王太子ひとり取り残された――。
彼女は王都へ戻ったが、社交界の視線は冷たく、暫く居づらい日々が続いた。
◆
一方、王都の宮廷。
玉座の前で宣言が響く。
「第二王子を第一継承権者とし、公爵令嬢との婚約をここに定める」
広間は大きく揺れ、やがて歓喜に満ちた。
「第二王子なら安心だな」
「殿下と公爵令嬢ならば安泰だ」
私はその声を胸に受け止め、彼の隣で顔を上げる。
「やっと…報われました」
「共に歩もう。国のために、そして君と私のために」
彼の温かな掌を握り返した瞬間、胸の奥に積もっていた氷がすべて溶けていった。
──こうして、王都と辺境。
光と影の明暗を分け、新しい時代の幕が上がった。
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