第2話 生意気な少女(※主人公、一人称)
人は、見掛けに寄らない。その口調がたとえ、男のような口調でも。目の前の人間が、「男」とは限らない。ネイラは……いや、「この世界の」を加えた方が良いだろう。この世界のネイラは、髪の色こそ同じだが、その態度や雰囲気は(あの世界のネイラと)まったく異なっていた。
僕に向ける視線はもちろん、その態度や行動も違う。僕の手を引きながら「とにかく、家に来なよ!」と笑う態度にも、その違いが感じられた。彼女は彼女であって、彼女ではない。名前が同じだけの可能性もあるが、彼女の手から伝わる感触は正真正銘、彼女の、ネイラ・ジスの物だった。
僕は彼女の手にしばらく引っ張られたが、彼女が通りの角を曲がったところで、その手をどうにか放した。「ま、待って!」
彼女は、「え?」と驚いた。僕が自分の手を放した事も含めて、僕の意図が「なに?」と分かっていないらしい。「どうしたの?」
僕は、相手の目を見返した。今の行動に首を傾げている、小さな女の子を。
「いきなりは、まずいよ? 僕はその、初対面なわけだし? 得体の知れない人間を」
「そう言えば!」
華麗に流された。あの世界のネイラも(結果として)嫌な人間だったが、この世界のネイラもそれなりに無配慮らしい。僕が「得体」の言葉を使った所で、その続きを見事に止めてしまった。彼女は「ニコッ」と笑って、僕の顔を見た。「名前、聞いていなかったね?」
僕は、「やれやれ」と思った。こう言う無邪気さ(ある種の非常識)を久しぶりに見た気がする。怒るのも忘れてしまうような、そんな感じの無邪気さを。僕は穏やかな気持ちで、彼女の目を見返した。
「ラルフ」
「家の名前は?」
苗字の事、か。そんな物は……。
「なんて言うの?」
「苗字は、ない」
「え?」
「それを言うと、辛くなるから。人に名前を言う時は、自分の家名を名乗らない」
彼女はどう答えて良いのか、「わからない」と言う顔だった。こう言う時の反応も、含めて。彼女は寂しげな顔で、僕の顔から視線を逸らした。「ごめん。嫌な事、聞いちゃった」
僕は、その謝罪に首を振った。彼女が謝る理由は、何処にもない。「僕の方こそ、ごめん。君に余計な気を……」
そう言ったが、やはり気まずい。十代前半(と思われる)子供には不釣り合いな空気だが、変な緊張を覚えてしまった。僕は緊張の緩和を図って、さっきの話題に話を戻した。
「とにかく、大丈夫だよ。自分の食い扶持は、自分で稼ぐ。君の家族に迷惑は、掛けられない」
「う、うん」
最後の部分が、聞き取れない。態度の方はうなずいているが、気持ちの方は否んでいるようだ。僕が「冒険者の登録だっけ? それができる場所を教えて」と言った時も、生返事で「う、うん」と応えていたし。それから冒険者の登録所に向かった時も、僕の隣で終始「ムスッ」としていた。
僕は隣の彼女に何度も話しかけたが、彼女がこんな調子なので、受付の女性に話し掛ける時はもちろん、その女性から「登録云々」を聞いた時にも、彼女に対して変な気を遣ってしまった。
「G級、ですか? 冒険者の位」
「はい。本人のスキルは別にして、最初はG級から始まります。G、F、E、D、C、B、Aと。Aから上は名誉等級として、SとかSSになりましが。通常の冒険者は、一般の範囲で通じるBを目指す感じです」
僕は、今の説明に「ううん」と唸った。説明の意味は分かったが、その中身が面倒臭い。軍隊の中にもあったが、この世界にも階級、つまりは「ランク」と言う物があった。自分のランクが上がらなければ、難しい依頼も受けられない。
僕は冒険者の仕組みに戸惑う一方で、「こう言うのはどの世界も同じだな」と思った。「分かりました。それじゃ、Gランクの依頼を」
お願いします。そう言った瞬間にまた、ネイラに自分の腕を掴まれた。僕は受付嬢が今の動きに戸惑う中で、ネイラの顔に目をやった。ネイラの顔は、僕の行動に「ムスッ」としている。
「さっきも言ったけど。今は」
「それよりも住む場所! 帰る場所がなきゃ、お金だって稼げない!」
僕は、「うううっ」と唸った。確かにそうだが、でも……。(「魔物を倒すため」とは言え)故郷を捨てた身としては、それ自体に抵抗があった。自分の意思で、出て行ったくせに。彼女の誘いに「うん」とうなずくのは、「その信念に逆らう行為だ」と思った。
僕は彼女の厚意に感謝を抱きつつも、その厚意自体には「ごめんね」を表そうとしたが……。僕が彼女の頭に触れようとした瞬間、周りの空気が凍りついて、その意識をすっかり忘れてしまった。
僕は訝しげな顔で、異変の原因に目をやった。異変の原因は冒険者、僕と同い年くらいの少女を囲んだ、一つの冒険者ギルド(と言うらしい。意味としては、同業組合らしいが)だった。彼等は周りの視線を圧して、僕の隣に歩み寄った。「悪魔蜥蜴の討伐、か。うん、すごく楽しそう!」
この依頼を受ける! 少女は僕の声を無視して、目の前の受付嬢に訴えた。「早く準備して」と言う顔で、僕はもちろん、周りの冒険達すらも黙らせたのである。彼女は如何にも高そうな装備を纏って、目の前の女性に圧力を加えた。
受付嬢は、その圧力に屈した。ギルドの規定では、依頼の受注は先着順。つまりは、早い者勝ちである筈だが。受付嬢は先に受け取った僕の意思を無視して、彼女の要求に「分かりました……」とうなずいた。「手続きを済ませます。報酬の方も、通常の」
僕は、その会話に割り込んだ。これは、いくら何でもおかしい。ルール違反の者が、その要求を通せるなんて。普通に考えたら、間違っている。自分のランクと同じかそれ以下ならどんな依頼も受けられるらしいが、今の彼女が取っている行動は、どう考えても規約違反だった。僕は少女の肩を掴んで、彼女に「ちょっとおかしいんじゃない?」と怒った。「こんな」
違反行為は? そう言い掛けた瞬間にネイラから「ラルフ」と止められた。彼女は僕の腕を掴んで、この目をじっと見はじめた。まるで、何かを訴えるように。
「フィリヌ様は、良いの」
「え?」
「この人は……その、特別な人だから。ここのルールも、無視して良いの」
僕は、黙った。彼女が言う、特別に。そして、彼女が表す恐怖に。怒りにも似た感情を覚えてしまった。僕は真剣な顔で、少女の顔に向き直った。勝ち誇ったように笑う、少女の顔を。
「そんなの知らない」
「え?」
そう驚いたのは、ネイラだけではない。僕の事を笑う、少女もだった。二人はそれぞれに反応こそ違うが、不思議な顔で僕の事を見つづけた。「アンタ」
沈黙を破ったのは、少女の怒声だった。彼女は今の言葉が気に入らないらしく、周りの男達を使って、僕の周りを取り囲んだ。
「アタシの事、知らないの?」
「知らない」
即答。
「余所から来たから」
少女は僕の顔をしばらく見たが、やがて「プッ」と吹き出した。周りの男達も、彼女と同じように笑っている。「なるほどね。つまりは、『田舎者』ってわけか。田舎者なら、アタシの事も知らないわね。アタシは、カルゾ家の娘。フィリヌ・カルゾよ」
僕は、彼女の名前に目を見開いた。彼女もまた、僕の……。態度や雰囲気は異なるが、その姿や声は正しくフィリヌだった。ネイラとは正反対の、純真な少女。ネイラの後ろに隠れて、僕の事をもじもじしながら見ていた少女。金色の髪を光らせて、いつも「あはっ」とはにかむ少女だった。僕は同じ姿の別人を見たような気持ちで、目の前の少女をまじまじと見つづけた。
少女は、僕の視線に眉を寄せた。「気持ち悪い」と呟いたように。僕の視線が本気で、気に食わないようだ。「ウザいわね、コイツ」
アンタ達。そう言って、周りの男達に目配せした。
「コイツに分からせましょう? この町で一番偉いのは、誰なのか? 骨の髄まで」
「分からせる。なるほど、そうやってワガママを通しているわけか。親の名前を使って、ギルドの事も好きなように」
「しているから、なに? それが、貴族の特権でしょう?」
僕は、頭が痛くなった。どんな世界にも、こう言う人間は居る。自分の身分を使って、好き勝手に振る舞う人間は。そう言う人間に普通の道理は、通じない。僕はそう言う人間にしか通じない、そう言う人間が一番に好きな方法で、相手に依頼の優勢権を言い張った。
「戦おう」
「え?」
「依頼の優勢権を賭けて? 負けた方は、今回の依頼を諦める」
少女は、僕の主張に黙った。黙ったが、やがて「分かったわ」と笑い出した。「自分達が、こんな子供に負けるわけがない」と。彼女は得意げな顔で、建物の出入り口を指差した。「近くに闘技場があるから、そこで戦いましょう? 試合の観客も集めてね?」
僕は二つ返事で、「うん」とうなずいた。戦いすらも「道楽」と考える貴族にこの手の挑発は、効果抜群である。僕は彼等の挑発に乗って、今の場所から歩き出そうとしたが。僕の服を掴んだネイラに「待って」と呼び止められてしまった。僕は彼女の顔を見、その顔が震えている事に気づいた。
「ネイラ」
「止めよう。アイツら」
「大丈夫。あの連中が、どんなに強くたって。僕は、絶対に負けないから」
僕は「ニコッ」と笑って、彼女の頭を撫でた。そうする事で、彼女の不安を抑えるように。「不安に思わなくて良い」
彼女は寂しげな顔で、「うん」とうなずいた。「でも、無理しちゃダメだよ?」




