タイトル未定2025/04/10 08:00
廃家の様なボロボロの家からぽつりと人影が現れた。彼女はヴァネッサ。この家に住む住人の1人である。辺りを見渡すと外に出る。彼女はシャボン玉の様な柄のレインコートを羽織って長靴を履いていた。パッと見は小柄に見える彼女は既に成人済みである。
一度家に戻ると中で植物に水をやっているタンタとモヒウスに外が晴れていると伝える。彼らは屋内に干してあるレインコートを着て長靴を履き一緒に外に出て天候を確認する。彼らもまた成人済みであったが、見た目は子供の様だった。
「はあ、良かった。どうにか今週も生き延びる事ができそうですね」
タンタがホッとする。長らくの雨で彼らは外に出る事が出来なかった。我慢できなくなったタンタが苗や種を食べようとする事もあったがヴァネッサとモヒウスの説得で何とか辛抱強く晴れる日を待った。レインコートは多少の雨を防ぐのがやっとなのでこれを着て長時間の探索はできない。
前回の探索でモヒウスのレインコートに穴が開いてしまった。今は応急処置で何とかなっているがヴァネッサやタンタのレインコートも後どれだけ持つか微妙な所だ。中古の使えるレインコートが見つかれば上々、新品のレインコートは夢のまた夢だ。
「まずは肉だな」
モヒウスが呟いた。
「無論、肉だ」
「肉ですね」
モヒウスに続いてヴァネッサやモヒウスが呟く。この辺りにはドゥーデロと言う全身が青く弾力性のある外殻を持つ野生生物がいる。彼らは野菜や木の実の他にはこの野生生物を狩って食べて生きていた。ドゥーデロは雨に濡れても病気になったり死んだりしない。しかし外殻を毟ればその中の肉は美味で食べる事ができる。個体ごとによって攻撃的なものもいれば逃げるだけのものもいる。
世界が荒廃してしまってから急に現れた正体不明の生物で気味が悪いが今は貴重な食料だ。その生態や正体について何も連想しなくていいように何の意味もない言葉を3人でその生物に名前を付けた。
彼らは数時間かけて狩りを行い、自宅に帰ると日持ちする様に加工する。今回の獲物にはそれなりに大きな個体もいたので数日は持つだろう。それから今日の分を一緒に分けて食べた。やはり獲れたては美味しい。
「しばらく雨は降らないと思う。港へ行きたい」
ヴァネッサが2人に話す。ドゥーデロの肉を加工するための調味料が不足して来ているためだ。近々港へ調味料を取りに行こうと考えていたのに4日も立て続けに雨が降ったためそれが中止になった。今回の加工肉の製造でまた調味料が減った。
「俺は下町へ行きたい」
モヒウスは呟く。彼は1週間前からこう言っていた。しかしその頃はドゥーデロが中々見つからず食料確保が難航したためやむを得ず見送りになったのだ。食料は見つかった。今こそ探索を再開すべきだと考えたのだ。
「まだそんな事を言う。ここにはドゥーデロもいる。浄水器だってある。下町なんかに行ったって生存者なんかいないよ」
肩を竦めてヴァネッサが呆れたよな声色で言う。モヒウス達は生存者を探して数か月渡り歩き旅をしていた。何度か生存者には会ったが今際の際で助けようがなかった。死体すら滅多に出会わない。まるで世界中で生きている人間は自分達だけであるかの様な気持ちになった。
下町を目指す途中でポツンと建っている便利な一軒家を見つけた。故障してない浄水器付きの家だ。ドゥーデロも近くに湧くので遠出して狩りする事も稀。家内に庭があって太陽光を必要としない特殊な野菜も育てられる。モヒウスは満足しなかったがヴァネッサにとってはここが小さな理想郷に思えた。長い旅で失望と絶望を繰り返しヴァネッサは生存者探しに嫌気が差していた。
「まだ分かりませんよヴァネッサ。それにこの家だってもうかなりガタが来ています。浄水器は便利ですがいつ屋根に穴が開いて住めなくなるとも分かりません。生存者に加えて他に生活拠点となる家を探す必要があります」
以前の家でタンタが屋根に穴が開いて修繕しようとして余計に穴を広げて家を出なければならなくなった事がある。モヒウスが上手くキャッチしなければ水たまりに落ちていた。ただ直せばいいとはヴァネッサも簡単には言えなかった。
また、レインコートがあれば多少の雨天候でも活動はできる。しかしそれは飽くまでそうせざるを得ない時だけの最終手段なのであって、普通はレインコートを着ていても危険極まる雨の降る外の世界を歩いたりはしない。
「でもモヒウス、まずは調味料調達が先ですよ。ドゥーデロの肉は加工しなければすぐに食べられなくなります。収穫無しで帰った時のための蓄えは必要でしょう?それに調味料が減っていないかも確認しておきたい所です」
彼らは敢えて調味料を全て持ち出さず港に残している。ヴァネッサの提案でその在庫が減っていないかを確認する事で他の生存者の有無を確認しようと考えからだ。まともに住める家を探して旅していれば保存食を作らざるを得ないため調味料は必須になる。港に寄ればきっと調味料の置き場所を見つけて取って行くだろうと考えたのだ。また、何らかの理由で現在住んでる家が駄目になって調味料を取り出せなくなった際のリスク分散も兼ねている。
モヒウスはこの長い足踏み状態を快く思わなかったがタンタと言う事も尤もなので下町へ向かう事を渋々諦めた。
道中はルーガスと言う異形と出くわす。一応ドゥーデロと同じ括りではあるがルーガスは全身が朱色で攻撃的であり、またその肉はとても硬く食えたものではない。見た目は子供の3人だが腕力は人類が栄華を極めた時代の平均的な大人よりも遥かに強く小型や中型ぐらいのルーガスであれば殺すのは訳ない。しかし、レインコートを損傷させない様に戦うとなるとそれが難しい。故に交戦は可能な限り避ける。
やがて港町に入ると言う所でモヒウスが舌打ちした。愛用していたピストルの銃弾が切れたらしい。これからはヴァネッサとタンタの近接武器で対処する事になる。殴打できそうな物なら何でも武器にする所だが雨のせいで何を武器にしようにも耐久性が心許ない。ピストルの弾薬にせよ近接武器にせよ早くまともな物に新調する必要がある。
「モヒウスがよく考えもせずに撃つからだろぉ~」
ヴァネッサが怒る。
「家にはスペアのレインコートがねえんだ、避けられねえ戦いじゃ躊躇してらんねえだろ」
こんな広い場所では隠れてやり過ごしようがない。避けられない戦いは少なくない。モヒウスは今に天気が崩れて雨が降る事を恐れていた。
「はん、モヒウスが臆病風に吹かれてなけりゃ私が仕留めていた所よ」
「港にはもう弾薬がありません。調味料の在庫の確認を終えたら一刻も早く下町の探索を急ぎたい所ですね」
「ん…まあ、そうだな」
滅多に遭遇する事はないが大型のルーガスが存在する。交戦経験はまだないが出会えばどう頑張っても重傷は免れない。医療設備も薬もないのでそうなったらできるだけ仲間が苦しまない様に殺すしかなくなる。日頃は仲の悪いヴァネッサもモヒウスもお互いを殺したいとは思わなかった。だからヴァネッサは無駄弾を撃つなと言っている訳でもあるが…。
調味料のある場所へ向かうとヴァネッサが驚いた。
「お、おい!あれ生存者じゃないのか!?」
目的の店の前の手すりに人がもたれかかっている。3人は急いで駆け寄った。しかし近くまで来て肩を落とした。死んでいる。どうやら雨を浴びてしまったらしい。レインコートは着ているが頭部に穴が開いておりそこから雨が染み込んだらしい。
「クソッ!!」
モヒウスが床を蹴った。その部分に穴が開く。生存者はいた。しかし死んでしまった。彼の周りには駄目になった調味料が散乱していた。
「沢山の調味料を抱えて死んでいますね」
「ちゃんと生存者向けにメッセージも残しておいたのにだ!他の生存者も使うから大量に持ち出すなって!」
そう言ってモヒウスは怒るがタンタが気になってるのはそこではない様だ。ヴァネッサもふと気が付いた。
「ああ、そういう事か。1人分として持ち出すにゃ数が多すぎる。鞄だって持ってないのに。不自然だ」
死者の両手は上着の裾を掴んでいる。服の上に調味料を乗せてどこかへ運ぼうとしていたようだ。これでは両手が塞がってしまう。単独行動でどこかに物を持ち出すのにしては不可解に見える。
「あん?…ああ、言われりゃそうだな。つまりこうか、こいつは1人じゃなかった」
「まあ憶測の域は出ませんが。もしこの方が雨が原因で死んだとしたら近くに雨宿りしていた生存者がいてもおかしくはないのでは?」
「つーてもよぉ、4日も降ったんだ。この辺の浄水器はまともに動かねえし仮にいたとしてもこいつと同様に死んでるんじゃあねえか?」
「モヒウス、死因が餓死ならレインコートは使える可能性があるぞ」
「冴えてんな。ちょっと探してくるわ」
そう聞くなり急いで生存者、あるいはレインコートを探しに行くモヒウス。タンタは手袋をして死体を探るが元々何も持っていなかったのかあるいは同行していた生存者に取られたのか所持物は何もなかった。
しばらくしてモヒウスがタンタとヴァネッサの所へ急いで戻った来た。
「タンタ、生存者だ。まだ生きてる」
2人は走るモヒウスの背中を追う。調味料が置いてある棚があるフロアの隅に水溜りを避けながらうずくまっている生存者がいた。唇が乾燥して切れており、僅かに震えていた。声は聞こえているのか聞こえていないのか反応もしない。
「どうしましょうか」
タンタは2人に尋ねる。ヴァネッサは顎に手を当てて少し考えたが水筒を取り出すと生存者の唇の辺りを僅かに潤わせたすると生存者はガバっと水筒をぶん取ろうとする。彼女はその動きを予想した様に水筒を生存者から引き離した。
暴れる生存者をモヒウスが羽交い絞めにする。下手に倒れて水たまりに倒れ様ものならこの生存者とモヒウス、跳ねた水がタンタとヴァネッサに飛んでしまう。モヒウスは冷や汗をかいたがなんとか生存者が落ち着いた。
「水、水を、ください…」
「水はやる。だから落ち着け」
ヴァネッサは水筒の水で指先を濡らすと生存者の唇周りに水を塗る。それから水筒の飲み口を口に入れてゆっくりと傾けた。まずは少量の水で口内を潤わせ、それから少しずつ水を飲ませる。
以前、彼らは旅をしていた時に遭遇した死にかけの生存者3名を助ようとした事がある。2人はもう辛うじて生きているだけだったが1人はまだ辛うじて会話ができた。水筒の水を与えようとするとそれをぶん取り浴びるように飲んで間もなく死亡した。気管に入ったのかもしれない。他に原因があるのかもしれない。水を与えたにも関わらずより弱っていた他2人より先に死亡した。その後は2人にも僅かに水を口に含ませたがやはりその日のうちに死亡した。確証はないがそうした経験から今回の生存者に対して急に大量の水を飲ませない様にしている。
「近くに他に生存者はいるか?」
モヒウスの問いに生存者は首を横に振る。
「連れて行こう。まだ聞きたい事が沢山ある」
ヴァネッサの提案に2人共賛成した。タンタが生存者を背負い、2人で前衛を張って家に帰る事になった。調味料は必要な分だけ持って行く。
港で助けた生存者はズィーマと言うらしい。4人で一緒に集落を目指して下町を目指していたようだ。しかし道中で大型ルーガスに襲われて2人が死亡し、港で死亡していた人物と一緒に命からがら逃げ延びたらしい。
地図を持っていた人物がルーガスに食い殺されてしまったためひとまず最寄りの港へ向かった。その探索の最中に1人のレインコートが破れてしまう。
どこの家も雨をやり過ごすのが難しそうなので拠点にはできそうになかったが、雲行きが怪しくなって来たので少しの間だけでも雨宿りできる場所を探そうとした。調味料の置いてある棚で他の生存者を知った2人はヴァネッサ達に会いに行くために調味料を少し多めに持ち出し数日ほどはやり過ごせそうな建物で身を潜め改めて出発する事にした。
その最中に雨が降った。元々空は曇っていたが唐突にバケツをひっくり返した様な雨が降る。2人は引き返したが片方はレインコートが破けていたため調味料の置いてあった店まで戻る事ができずそのまま死亡した。
徐々に室内に増える水溜りに怯えながら部屋の隅でうずくまり、そのまま死を待つだけと言う所に3人が通りかかった様だ。
「…あんなに沢山持ち出したのに、調味料が無駄になってしまった。ごめんなさい…」
ズィーマは今にも泣きそうな声色で言う。
「調味料は下町にまだあるかもしれない。幸いこの辺にはドゥーデロが沢山いるから数日ぐらい何とかなるよ」
ヴァネッサはそう言ってスープを差し出す。ズィーマは何度もお礼を言いながらそれを受け取った。ドゥーデロが何の事か分からない様子だったのでドゥーデロとルーガスが何を差して読んでいる言葉なのかモヒウスが教えた。
「仲間が目の前で何度も死んで辛くないはずがない。良く頑張ったね」
「ありがとう…」
そんな2人のやり取りを眺めていたモヒウスとタンタだったが、タンタが今切り出すのを少し躊躇いながら話す。
「今言うのも些か躊躇われますが、問題が発生してまして」
「何だ?」
モヒウスが頭を掻いた。
「実は浄水器の調子が悪いんだ。修理しなきゃいけない」
「下町にパーツぐらいあるんじゃないのか?」
ヴァネッサは首を傾げる。
「パーツはあるだろうが…あの浄水器の製造メーカーが分からねえんだ。製造メーカー、型式で持って行くパーツの規格も違う。それに持ち出す工具も」
「げえっ…そりゃ参ったな…」
それを聞くとズィーマは浄水器を確認する。真剣な表情で眺めて3人の方を向いた。
「多分だけどワルツネルのCGS94だと思う。当時にしたって若干古いし非正規品も入ってるけど、この浄水器の普及率も高かったし店さえ見つかればパーツを見つけるのもそんなに難しくないと思う」
彼女が一緒に旅していた仲間が浄水器の使えるパーツを集めていたらしくその時に話を聞いていたらしい。人が増えたので確保する食料も増やさなければならない。タンタとヴァネッサは家に残って食料を調達し、モヒウスとズィーマは下町へ部品を取りに行く事にした。
荒廃した町中をモヒウスとズィーマが歩く。一度はここへ訪れた事はあったものの帰りの食料や水が不足していたため深く探索せずに帰還した。目の前に集落さえあれば気にせずに済むのにとモヒウスは考えていたが、そうでなければ彼らの旅はそこで終わる事になる。そう2人に諭されて下町を後にした。
改めて訪れて彼らの考えは間違っていなかったと再認識するモヒウス。彼の抱く一縷の望みさえ打ち砕くほどに下町は静寂が支配していた。彼は下唇を噛んだ。
「静か、だね…」
「言わないでくれ。賑わってるとまでは言わずとも人の気配ぐらいすると期待してたんだ」
「でも…ここが人の住める環境になりさえすれば集落を築けるかもしれない」
そもそも生存者が生きてここへ辿り着く事ができればの話だが…と言いたかったが、彼女なりに前向きに考えようとしているのだと思いその言葉を胸にしまい込んだ。
「まずはあの家の浄水器を修理しないとな」
「うん」
それから一緒に店を探した。やっとの思いでホームセンターを見つけたのでそこで使えるパーツを見繕う。ホームセンター内部は雨による被害が殆ど見当たらない。拠点としては優秀かもしれない。大人しいドゥーデロも町中に住んでいる。しかし浄水器は壊れていて使えそうにない。
一応拠点の候補として頭に入れることにして一緒にパーツを探す。中は広かったが案内板が親切で目当てのものはすぐ見つける事ができた。他に回収したい物はあったが言い出せばきりが無い上、いずれここを拠点にするなら無理に持ち出す必要もないのでパーツと工具に加えてレインコートだけ持ち出す事にした。
「こんなもんか」
「あっ…雨が降って来た」
「チッ、しばらく雨宿りするか…」
窓は汚れて見えないか音を頼りに外に出るタイミングを見計らえる。モヒウスが床に腰を下ろすとズィーマが空を眺めてキュッと拳を握って目を瞑る。
「…災難だったな、仲間の事…」
「いいんだ。こうして私は生きてるし、新たな仲間にも出会えた。私は幸せ…」
「辛い時は辛いって言うんだぞ。痩せ我慢ってのはいつも一番踏ん張らなきゃならん時に限界が来るんだ」
「ありがとう。…ロエルって言うんだ。港で死んでた人。私の兄で、異常なぐらいポジティブだった」
雨が止むまでの間、兄について語るズィーマ。彼は大変風変わりで昔からずっとポジティブだったらしい。父が病死した時も、母が廃家で転落死した時も、半時も経たないうちから元の調子に戻っては手を引っ張って集落探しの旅を続けた。
まだ幼かったズィーマは兄は両親を亡くして気が触れてしまったのだろうと考えていた。子供だけでやっていけるほどこの世界は甘くない。
そんな時、2人の旅人に出会った。幸い2人は善良でまるで親の様に親しんで接してくれた。子供の立場に甘んじず何でも挑戦し、少しでも仲間の役に立てるように頑張った。彼らとの旅で生きて行く術を沢山学んだ。気が触れたと思っていた兄のポジティブさを見直し、何でもやる前から諦める物ではないと自身に言い聞かせた。
家族同然に苦楽を共にし、やがて下町を目指すと今度は大型のルーガスに出会った。1人は足を負傷して動けなくなった。1人は兄妹よりも付き合いが長いだろう仲間を見捨てて走る様に指示した。考えてる暇はなかった。
1人がペロリと平らげられると今度は3人を追いかけて来る。隠れられる物陰まではすぐ近く。その時、足がもつれてズィーマが転倒した。助けに戻る兄、叫び声を上げながら銃を撃ち込み別方向へ走る仲間。兄はズィーマを引っ張り物陰へ走った。目の前でまた仲間が死んだ。
お腹を満たしたのか、あるいは2人を見失ったのか大型のルーガスは他所へ行った。大切な人をまた2人も失ってズィーマは頭を抱えて塞ぎ込んだ。
『ルーガスが行ったよ。向こうに雲が見えるし、早く雨をやり過ごせる屋根が欲しい。ズィーマ、立てる?』
まるで死んだ2人など初めからいなかったかの様に話す兄に、必死に抑え込んでいた感情の栓が吹き飛んだズィーマは半狂乱で叫ぶ。
『死んだんだよ!!目の前で!!父さんも、母さんも、大事な仲間も!!』
『ああ。でも俺達は生きてる。不幸中の幸いだったな』
ズィーマは目一杯拳を振り上げた。しかしロエルは顔を庇おうともしなければ避ける素振りもしない。やがてその拳はゆっくり振り下ろされた。
『何でそんなに平気なの…』
『何でって…俺もズィーマも生きてるだろ?』
『私達だけ生きてりゃなんでもいいの?』
『いや、厳密には俺さえ生きてりゃいいよ』
やはり兄は気が触れているのだろう。遠くを見れば確かに遠くから暗雲が迫って来ている。2人の死を無駄にしないためにも立ち止まっている場合ではなかった。
無事に港へ着くと雨宿りできそうな場所を見つけた。そこにドゥーデロの血抜きをしながら他に食料がないか探す。無謀にも古くなった建物も構わず探そうとするのでレインコートの頭部の一部が破損してしまった。
『雨宿りできそうな場所は見つけたし、食料も手に入った!幸先いい、調味料もすぐに見つかるに違いない!はあ、幸せ!』
『どこが…』
兄は探し物の途中でズィーマの方を向いた。
『あのなぁズィーマ。違うぞ?幸せってえのは状況じゃなあいんだ。生き様なんだよ。苦しくても辛くても、俺ァ幸せだ!って虚勢張って強がるんだ』
『馬鹿じゃない?』
『ああ!俺は馬鹿だ!大馬鹿野郎だ!おめーはお利口さん過ぎるんだよな〜。なあ、私は幸せって言ってみろって』
『やだよ』
『良いから言ってみろって!』
『私は…幸せ…かも』
『その調子だ!せっかく生まれたんだ、最期までのたうち回って足掻いてやろうじゃないか』
『…うん』
やがて調味料を見つけた。生存者が近くにいる事も分かった。2人してハイタッチして喜んだ。雨宿り場で血抜きしてるドゥーデロを加工すべく調味料を持って行く事にした。
『そんなに持って行かなくても…』
『海が荒れたらここの調味料は全部駄目になっちまう。生存者ならここに立ち寄らずに下町に行くかも知れない。メッセージ残した人も話せば分かってくれるって』
もういつ雨が降ってもおかしくない。ここで言い争ってる場合ではなかった。2人して店を出た。20mほど小走りで進んだ所で雨が降り出した。
『戻れ!!』
鬼の形相で叫ぶ兄。ズィーマは走って店に戻る。しかし兄は戻って来ない。ドアから顔だけ出すと涙を流している兄と目が合った。レインコートの破けた個所から雨水が滴り、顔を伝った個所が茶色に変色している。
『…へへっ。こんなのってねえよ…』
そう言って近くの手すりに背もたれた。
『兄ちゃん!!兄ちゃん!!!』
『よりによってお前をこの世界に置き去りにしちまうんだもんな…ズィーマ…』
そう言って事切れた。店の中に少しずつ水が入って来る。どこへ行けばやり過ごせるなんか分からない。店の椅子を持って部屋の隅にうずくまる。そしてただただ雨が通り過ぎるのを待つ。永い永い雨が身も心も蝕んで行く。
幸せなものか。何が、何が…。ズィーマは世界の全てを呪いながら、生きる事に何の希望も見出せないのに潔く死ぬ事もできなかった。
そんな時、生存者が通りかかった。
「…生き様なんだ。幸せは。生き残ってしまった私の」
「なるほど。そりゃいい」
モヒウスは笑った。ズィーマも笑う。
「!!モヒウス、あれ!」
急にズィーマが大声で叫んだ。驚きながらもモヒウスは彼女の指を差した方角を見る。すると何か黒い影が遠くで動くのが見えた。動きからするのドゥーデロとは考え難い。生存者の可能性があった。2人はお互いに目を合わせ、喜びを表情に滲ませる。
やがて雨が止むと2人は元々の用事など忘れてしまった様に一目散に黒い影の見えた辺りを探索しに向かう。その影の正体はすぐに分かった。
「おや…。人間。人間ですね。お久しゅうございます。まだ存命の方がおられるとは」
人類の文明が大幅に衰退する前に発明された自律型二足歩行ロボット、MATTOCK23型、通称ノートリアスだった。彼らがまだ稼働している事は生存者の多くが予想できていた。機械そのものが壊れてさえいなければこの辺りの地域の浄水器も扱えたのも彼らが地下の半永久機関の維持、メンテナンスをし続けていたおかげだ。他の地域でもいるかもしれない生存者のために働き続けている事だろう。
発電所やノートリアス達の存在は知っていても彼らの具体的な居場所を知るのは数世代前の先祖だけだ。まさかこんなに近くにいるとはモヒウス達も思わなかった。
「我々は人間の保護を急務としています。どうぞこちらへ」
「浄水器はあるのか?」
「あー…そう言えばまだ故障中でした。私は水を飲まないものでうっかり。はァはァはァ」
ぎこちない笑い声を出す。モヒウスとズィーマは引きつった顔で笑う。モヒウスは気を取り直して質問する。
「仲間が後2人いる。連れて来たいんだが、浄水器はいつ直る?」
「んーまあ2日?はかかりますね。何しろ生存者の方が本当におられるとは思ってなかったので、あれやこれややる事が沢山」
「分かった。また来る」
「お気を付けて」
ノートリアスとの会話を終えて家へ向かう2人。
「何か胡散臭い感じのロボットだったね」
「余裕持って3日ぐらい開けて行こうかな…」
それから家に帰った2人はヴァネッサとタンタにロボットの事を話した。2人の親世代はロボットの事を知らなかった様で、しばらくはコントの様なやり取りをしながら説明する事になったのだった。
私は日常モノを書くのが遅いので投稿が遅れないように短編を1つノリと勢いで書く事になった。ダウナー男の娘と真面目兄さんは来週投稿してる…はず…