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第二話

 その翌日からさっそく、ユリウスによるダンスレッスンが開始された。


 毎日午後になると、ピアソン子爵家に馬車が横付けされる。シンディが乗り込むと、連れて行かれるのは郊外にあるリヴァルグ公爵家の別邸だ。

 使用人にうやうやしく迎えられ、エントランスホールを抜けると、びっくりするくらい天井の高い大広間がある。


「ここは昔、公爵家の本邸だったのだが。王宮から遠いという理由で私の祖父の代に移転したのだ」


 もと本邸というだけあってやたら広い別邸には、いまユリウスが一人で住んでいるのだという。

 大広間にはなんとヴァイオリンとピアノの奏者が待ち構えている。ユリウスが個人的に雇っているらしい。子爵家でルカスのレッスンを受けるときは、カウントを取るだけで音楽はルカスの鼻唄で踊っていたのだが。


「とにかく、私の体格に慣れ、私が出す指示に身体が勝手に反応するように訓練をしなければならない」

「はいっ」


 ユリウスはルカスよりも背が高く、すらりと細身だが肩幅も広く、腕も脚も長い。大きな歩幅について行くにはルカスと踊っていた感覚を全て忘れ、また一から身体の動きを見直す必要がある。


 毎日毎日、ひたすら踊り続けて、ある日の帰り際。

 シンディが公爵家別邸のフロアから退出しようとしたところに、ぞろぞろと大勢の女性たちがやってきた。

 その先頭に居るユリウスにそっくりな美しい貴婦人が、シンディに向かって話しかける。


「貴女は、『踊り明かそう会』でユリウスと踊っていたお嬢さんよね?」

「は、はっ、はいっっ、シンディ・ピアソンと申します!!」


 勢い余って強めの自己紹介をしてしまったシンディに、貴婦人はうふふと微笑む。


「よろしくね。私はユリウスの母親よ」

「えっ?」


 確かにユリウスそっくりではあるが、年齢的な雰囲気からして姉弟だろうと思っていたのだが。


「お母さま? リヴァルグ卿のお姉さまではないのですか?」


 公爵夫人に向かってあまりに不躾な発言だが、思わず口をついて出てしまった。

 失礼しました、と慌てて膝を折る。叱責されるのではと恐縮し低頭するシンディの手を、公爵夫人がそっと取った。


「かわいすぎる……」

「えっ」

「──こんなに綺麗で素質に溢れたお嬢さんが、ユリウスの相手をしてくれるなんて!」

「……?」


 頭上から聞こえてきた声に顔を上げると、嘘みたい、と夫人がきらきらと目を輝かせている。


「い、いえ。こちらこそ、厚かましくもリヴァルグ卿と踊らせていただくことに──」

「母上。何しにいらっしゃったのです」


 ユリウスがシンディの腕にそっと手をかけ、庇うように割って入った。


「あら。先触れを出したでしょう? 今からピアソン子爵令嬢の採寸に行くと」

「知りませんよ。レッスン中は誰も立ち入るな、と厳命してあるのです」


 ユリウスが首を横に振る。


「わざわざ母上がお越しにならなくても。仕立屋だけを別邸に寄越せばいいでしょう」

「何を言うの。任せてなどおけないわ」

「暇なのですねぇ」


 シンディは親子のやりとりを呆然と聞いていたが、はっと我に返ってまた膝を折った。

 つまり、ユリウスの母──リヴァルグ公爵夫人は、シンディのドレスの準備をするために別邸にやってきた、ということか。


「こ、このたびは。リヴァルグ公爵家が私の舞踏会の装束をご用意くださるということで。何と御礼を申し上げたらい──」

「いいのよ!」


 公爵夫人は食い気味に言いながら、邪魔、とばかりにユリウスの身体をぐいと押し退けた。


「これまで、あのはすっぱなアナスタシアのドレスばっかり仕立ててきたから、つまらなくて」


 あの子、仕立屋に文句ばっかり言うのよ。とぶつぶつ言っている。


「しかも……デビュタント!!!純白のドレスよ!?うちは息子しかいないの。こんな素敵なお嬢さんのデビュタントのドレスを任せてもらえるなんてっ!!!」


 公爵夫人はまたきらっきらと目を輝かせながら、両手でシンディの手を取りぎゅうっと握った。


「で、念のため確認したいのだけれど。我が家で貴女のドレスを準備することを、ご両親は承知してらっしゃるの? ユリウスが無理を通したのでは?」

「い、いいえ。御存知かと思いますが、我がピアソン家はいま領地の不作にあえいでおりまして。私のデビュタントの支度にかかずらう余裕はとても」

「そうなの」


 本当にありがとうございます、と低頭するシンディに、公爵夫人は眉尻を下げた。


 夫人によると、今回の騒動の発端はこの国の第三王女殿下なのだという。公爵家の伝手で、ユリウスは第三王女とその婚約者のダンス教師を務めているらしいのだが。


「王家の皆様の教師を務めてらっしゃるのですね。どうりで、リヴァルグ卿は教えるのがとってもお上手です」

「あらそう? 王女殿下からはユリウスの指導が厳しいとしばしば苦情をいただくのだけれど」

「シンディと王女殿下では素質が違いすぎるのですよ」


 不機嫌そうなユリウスの言葉に、公爵夫人はふーん、と片眉を上げた。

 第三王女は十四歳。来年成人を迎えるのだが。デビュタントの舞踏会で、ファーストダンスに婚約者とボールルームダンスを踊りたい、と強く望んでいるのだという。


「国王陛下は末っ娘の王女殿下に甘いの。殿下が成人なさる来年までに、社交界に根強いボールルームダンスへの拒否反応を削ごうと思ってらっしゃるのよね。それで今年、ユリウスにゲストダンスを要請なさったの」

「そういうことでしたか……」

「第三王女殿下は熱心な踊り手でいらっしゃるようだけれど、ユリウスは殿下方よりも上手なパートナーを連れていって、皆をあっと驚かせたいのだと思うわ」

「私など、まだ本格的なレッスンを始めたばかりで。とてもご期待に添えるとは」

「そんなことはないわ。貴女がユリウスと踊っているのを見て私も確信したの。このお嬢さんしか居ないって」


 ね、ユリウス? と公爵夫人は息子に向かって小首を傾げた。


「少々年の差はあるけれど、非の打ちどころのないカップルよね! ユリウスは無駄に容姿だけは良いから」

「無駄……」

「さあて、公爵家の威信にかけて支度を!」


 恐縮するシンディの周りにお針子たちがわっと群がり、採寸をしたり布を当てたり。何種類ものレースの布をふわりと肩から掛けられて、あれがいいだのこっちがいいだの大騒ぎだ。


「ああ、なんて可愛いの!」


 あげく公爵夫人からぎゅうぎゅう抱きしめられて、シンディは目を白黒させた。



* * *



 結局、ドレスの採寸とデザイン決めにかけられた時間は三刻ほど。とっぷり陽が暮れたころにようやく採寸が終わり、シンディはユリウスと並んで公爵夫人を見送った。


「──ダンスを踊っているときよりよほど疲れた顔をしている」

「ちゃんとドレスを仕立てたのは初めてなので、こんなに大変なものなのかとびっくりです」


 シンディはハァ、と溜息をついた。


「しかも。公爵夫人直々に、こんなにも至れり尽くせり……」

「気にすることはない。母は裏表のない人間で、見ての通り、嬉々としてやっているから」

「ですが……」

「君をパートナーに誘いたい、と言ったときの母の盛り上がり具合を見せたかった」

「えぇ」

「デビュタントのドレスを贈ると言ったら卒倒せんばかりに喜んでいたのだ。面倒だろうが相手をしてやってくれないか」

「は、はい」


 ユリウスにぽん、と頭を撫でられて、シンディは眉尻を下げた。


 

* * *



 レッスンを始めておよそひと月が経ち、シンディは最近やっと、踊りながらユリウスと言葉を交わすことができるようになってきた。

 ダンスの上達はまずまずのペースで、ユリウスも満足げ。だがシンディにとって課題はそれだけではなく──というのも、まだ淑女の立ち居振舞いが身についていないのだ。


 毎日、夕方までみっちりレッスンを受け、また子爵家に送り届けられる──その繰り返し。ダンスは上手くなるだろうが、反面、デビューに必要な淑女教育に割く時間が足らず、おろそかになってしまっている。


「──リヴァルグ卿は、私と話していて腹が立つとか、いけ好かない娘だとか、お感じになることはありますか?」

「何だいきなり」

「ダンスレッスンばかりしているせいで、淑女教育を受ける時間がなくてですね。ちょっと所作や言葉遣いに自信が……」

「構わんだろ。舞踏会の間は黙っていればいい」

「そういうわけには。私は良縁を得るためにデビューするのですから」


 貴族にとってダンスとは社交。誘い誘われ、手を取り合って踊り、終わって礼を言う。ここまでがダンスの意義であり、醍醐味である。振舞いや交わす言葉で相手からジャッジされ、周囲の印象も決まる。特にデビュタントたちにとっては初動が何より大事なのである。


 ユリウスはふん、と口の端を上げた。


「話していて腹立たしく思ったことなどないな。それに君は運動神経の塊みたいに活発だし、生意気で口は達者だけれど。何と言うか、見た目や纏う雰囲気は貴族令嬢そのものだから」

「そうですか?」

「口数を少なく、微笑んでいれば何とかなるだろう。美しく生んでくれた御両親に感謝しなさい」

「ありがとうございます。帰宅したら母に御礼を言います」


 褒められているのか貶されているのかわからない、と首を傾げつつも素直な受け答えをするシンディに、ユリウスがふっと小さな笑みを溢す。


「ですが、せめてもう少し言葉遣いを学──」


「──ユリウスっ!!」


 そこに女性の金切り声がして、誰かが大広間に走り込んできた。曲がぴたりと止まり、ユリウスがはあぁ、と溜息をつく。


「……アナスタシア」


 どうやらこの美しい女性は、ユリウスの前パートナー、アナスタシア嬢らしい。アナスタシアはすごい剣幕でユリウスに食ってかかった。


「どういうことっ。王宮の夜会に私以外のパートナーと出ようだなんてっ」

「どうもこうも。君はもうすぐダグラス男爵と結婚するのだろう? 他の男と踊っている場合じゃない」

「彼は私のダンスについては理解があるの!」


 アナスタシアはのしかかるようにしてユリウスに噛みつく。


「どうして私じゃないのよっ! 王宮の舞踏会で速いワルツを踊るだなんて、一生に一度あるかどうかもわからない機会なのにっ」

「そもそも君は平民だ。王宮の夜会には出られない」

「貴方が正式に推薦してくれればいいじゃない! それが無理なら舞踏会に合わせてちょっと婚姻を早めれば済む話じゃないのっ。ダグラス男爵夫人になったなら──」

「アナスタシア。もう決めたことだ。デビュタントの舞踏会で、私のパートナーを務めるのは君じゃない」

「……っ」


 言葉に詰まったアナスタシアが、ユリウスの背後で呆然としているシンディにぴたりと視線を縫いつけた。


「──貴女。もしかして、ユリウスの新しいパートナー?」

「は、はい……おそらく、たぶん」

「多分とはなんだ。君は私のパートナーだろうが。はっきり言ってやれ」

「いや、その。私は別に」

「何よ、ごちゃごちゃ言ってないでしゃんとしなさいよ!」


 何で私がこの女性にはっきり言わないといけないのだろう、とシンディは首を傾げた。


「とにかく。私の選択が覆ることはない。帰ってくれ」

「いいえ、帰りませんっ」


 ユリウスがはあぁ、とまた深い溜息をついた。


 アナスタシアは平民だというのに、こんなふうに公爵令息のユリウスに対して勢いよくつっかかるなど。二人はそれだけ気安い関係なのかもしれないが、あまりにも無礼すぎるのでは。

 こんな女性とずっとパートナーを組んできたならば、シンディのことを不躾だとか無礼だとか思うこともないだろう。やはりユリウスの言う「失礼ではない」という基準は一般的ではなく、あてにならない。


 ──などと考え事をしていると、ぐい、とユリウスに腕を引かれた。


「時間がもったいない。踊るぞ」

「は、はい」


 ユリウスが楽師に合図し、軽快な三拍子の曲が流れはじめた。ずい、とフロアに踏み出した二人は、アナスタシアの横をすり抜けて踊りだす。


「……」


 アナスタシアはフロアの真ん中に陣取り、むすっと腕組みをしながらユリウスとシンディのダンスを見つめている。その視線が気にならないわけではないが、ユリウスのリードについてゆくのに必死で、やがてアナスタシアの姿は空気に溶け込んだ。


 ぴたり、と曲が止まって。ホールドが解れた。

 アナスタシアがつかつかと近寄って来る。正直視界に入っていなかったが、まだ帰っていなかったらしい。


「──貴女、いくつなの?」

「十五歳、ですが」

「十五歳ぃ!?」


 アナスタシアは美しい青い瞳をまん丸にした。


「うちの姪っ子と同い年じゃないの……ダンスを始めて何年になるのかしら?」

「ええと、ルカス先生に半年ほど習いました」

「トマス・ルカス!?」


 アナスタシアがまた大声を出し、ユリウスが鬱陶しそうに眉を顰めた。


「ほら、アナスタシア。もう帰れと言っているのに」

「ほんの十五の子どもが、あのルカスにダンスを習ったって!?どんな金持ちよ」

「い、いえ。うちはお金がありませんので。ダンスを習うお金は伯母に援助してもらっています」


 アナスタシアがぎゅっと眉を寄せてシンディの全身をじろじろと見つめた。


「──っ。貴女っ、血が滲んでいるじゃないっ」

「へ?」


 アナスタシアの視線の先を追いかけて足元を見ると、シンディの薄いベージュの革パンプスにうっすらと茶色い血の滲みができている。


「こっちへ来なさいっ」


 アナスタシアはシンディの肘を両手でがしりと掴み、ずるずると部屋の端に連れていく。楽隊のヴァイオリン奏者を退かせてシンディを木の椅子に座らせ、足からパンプスを引き剥がし、ぎゅうっと眉を寄せた。


「酷い……あちこちマメがつぶれて、こんなに血が」

「え?ああ、はい」

「ああ、はい。じゃないわよ。こんなの痛くて踊れないでしょう?ほら、靴のここが破れかけて尖っているのよ。新しい靴に変えないと」

「新しい靴、は──無いので」

「無いぃ?」


 アナスタシアはぐるりと振り返り、フロアの真ん中で腕組みをしているユリウスを睨みつけた。


「ちょっとユリウス、何考えてるのよ! パートナーの靴が破れているのに気づかないなんて」

「怪我をしているのか?」

「貴方の責任よ!?」


 もう、とアナスタシアはどん、と足踏みをした。すぅ、と息を吸い込むと大広間の扉に向かって「怪我人よ──っ!!!」とよく通る声で叫んだ。

 慌てて侍女がやってくる。シンディの血のにじんだ足を見て、まあ、と眉を顰め、手当をし始める。


「っつ……」

「そりゃあ、痛いでしょうよ」


 アナスタシアがふん、と鼻を鳴らす。


「見たところ──靴のサイズは六、か七、というところかしら」

「よ、よくわからないのですが」


 アナスタシアはぷうとふくれっ面をしながら、自分の荷物の中からずぼっと紺色の靴を取り出した。

 手当てをしている侍女を押し退けて、シンディの前に跪き傷口にくるくると晒し布を巻きはじめる。


「ほら。こうやって、指の付け根のところにぎゅっと布を巻いて」

「は、はい」

「踵にもこう、きっちりと。けど締め過ぎないように」


 慣れた手つきで両脚にくるくる、と布を巻くと、鞄から取り出した紺色の靴の中にシンディの足をぎゅうっと押し込み、ストラップを留めた。


「立ってごらんなさい」

「あれ?……すごく、楽です」


 シンディには少し大きめのシューズだが、布を巻いたことですっぽりとちょうどよく履けている。甲のストラップが深くとても安定感がある靴だ。


「レッスンが終わったらすぐに布を解いて。親指のところをこっちに引っ張るの。でないと、骨が変形してしまうわよ」

「親指を、こう……ですか?」

「そう、ここの間を広げるように」


「シンディ。今日はもう終わりにしよう」

「えっ。せっかく靴をお借りしたのに」


 近寄ってきたユリウスに、シンディはふるふると首を振った。


「すぐに踊ってみたいです。とても安定していて、踊りやすそう」


 シンディは誘うように、ユリウスの腕をぐっと握った。


「しかし。大丈夫なのか?」

「足のマメなど。今に始まったことじゃありません。レッスンを始めた当初から、出来ては破れ、出来ては破れていますから」

「どうして私に言わない。痛かっただろう」


 ぎゅっと眉を寄せるユリウスに、シンディはきょとん、と首を傾げた。


「え?お伝えしてどうなるというのです。リヴァルグ卿に申し上げたところで、マメが治るわけでもないのに」

「……」

「さあ、早く踊りましょう」


 フロアにぐい、とユリウスを引っぱっていき、楽師に合図を出す。アナスタシアの姿はいつのまにか消えていた。


 そのまま一刻ほど熱中して、陽が傾きはじめたころ。

 またアナスタシアが大広間に飛び込んできた。といってもシンディは彼女がいったん立ち去ったことに気づいていなかったのだが。

 アナスタシアはどさり、と大きな鞄をフロアに投げ出すように置いた。


「はあ、重……」


 その中から零れ落ちんばかりに、十足ほどのシューズが詰まっているのが見える。


「ほら、ダンス用の靴。ほとんど履いてないのを持ってきたわよ」

「え……?」


 シンディは目を丸くした。


「貴女にあげるわ、全部」

「ええっ」


 シンディは首をぶるぶる振りながら、アナスタシアとユリウスの顔を交互に見た。


「そんな。高価な靴をいただくわけには──」

「もらっておけばいい。そもそも私が贈ったものだ」


 ユリウスがくい、と鞄を顎でしゃくった。


「アナスタシアはすぐ新しいのを欲しがるからな。この五倍以上の数の靴を贈った。脚は二本しかないってのに、いつ履くのかと」

「貴女がパートナーの装束に無頓着だから、教えてあげていたのよ。靴は消耗品だって」


 アナスタシアはふん、と鼻を鳴らした。


「いいわね?一足一足自分の脚に合うように、布を巻いて調整するのよ?」

「は、はい」

「マメなんて放っときゃ治るものだけど。骨が歪んじゃったらどうしようもないから」

「わかりました。ありがとうございます!」


 シンディはアナスタシアに向かってぺこり、と頭を下げた。


「それとね」


 立ち上がったアナスタシアは、スカートを手で払ってつんと腰を伸ばした。


「ターンの時はね。こっちで押すのよ」

「押す……」

「右回りのときは左肩で、逆回りなら右肩で、押すの。そしたら足の位置が変わってくるでしょう?」


 アナスタシアはくるり、と回ってみせた。


「ユリウスの回る力って、ものすごく強いでしょ? それに打ち勝とうと思ったら、後ろの肩で押さないと間に合わない──こうして。吹き飛ばされないように内側へ」


 シンディもくるり、と回ってみる。


「そう、そんな感じよ。ユリウスに引っ張られるのではなく、ユリウスの腕を押す。そしてすぐに次のステップに備えるといいわ」

「凄い……感覚がわかりやすいです」


 紺色の靴を履き、なるほどと頷きながらくるりくるりと回るシンディに、アナスタシアはふふん、と鼻を鳴らすと「じゃあね。何かあったら連絡するのよ?」と言い残して帰っていった。


 ユリウスはふぅ、と溜息をつき、シンディの肩にぽんと手を置く。


「──な? アナスタシアはわりといい奴だろ?」

「はい! とっても」


 ユリウスによると、アナスタシアと結婚する予定のダグラス男爵は寡夫だが、羽振りが良くやり手で、年齢も三十そこそこ。見た目もすこぶる良い美丈夫らしい。


「彼なら、どんな貴族女性も引く手数多の優良独身貴族だったのに、アナスタシアを見初めた時は驚いたものだ。なかなか見る目があるな、と」

「へえぇ」


 シンディが『踊り明かそう会』で見たアナスタシアの踊る姿は、まるで風の妖精のようだった。美しく生命力に溢れていて、あんな風に踊れたら、と強い憧れを抱いた。


「──幸せになってもらいたいものだ」


 そう言って微笑むユリウスの優しい顔に、どこか切ない空気を感じ取って、シンディは眉尻を下げた。

 そうか。おそらくユリウスはアナスタシア嬢のことが好きだったのに、そのダグラス男爵とやらにかっさらわれてしまったのだろう。


「さあ、今度こそレッスンは終わりだ。まだ少し時間が早いから、ちょっとカフェにでも寄るか?」

「カフェ?」

「行ったことがない?」

「はい。カフェとは何でしょう」

「まあ、茶や菓子を出してくれる店だな」

「そんな場所があるのですね」


 へえ、とシンディは感心したように頷いた。


「せっかくのお気遣いですが。私、今日は少々」

「疲れたか?」

「いいえ、せっかくアナスタシア様に教えていただいたことがまだちょっと消化できていなくて。家に戻って自主練したいのです!」


 シンディは軽くスカートをつまみ、片足を動かした。


「こんな感じで。逆回転のタイミングで足がバタバタしてしまうでしょう?」

「多少ステップが細かくなっても、別に作法に反しているわけではないのだが」

「いいえ、卿はするりと脚を入れ替えているのに、私だけバタバタしてはリズムが台無しです。このように──」


 スカートを軽く蹴り、脚を入れ替えて半回転した。


「少し、脚を跳ね上げるようにして流れに乗りたいな、と思っていて。それをおさらいしたくて、うずうずしているのです」

「……では、もう少し踊っていくか?」

「いいえそれには及びません。家で、外出用のドレスを脱ぎ捨てて、まずはひとりで練習したいのです」

「脱ぎ……」

「明日のレッスンまでには、そのあたりを克服してみせますから!」


 おまかせください、と自分の胸をぽんと叩くシンディに、ユリウスは肩を竦めた。


次話で完結となります。

もうしばらく、お付き合いくださいませ!

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