我慢や努力しても褒めるな
例えば同年代の子どもと一緒に遊んでいるとして、自分が遊んでいたおもちゃを他の子どもに取られたり譲ってあげたりしたとしよう。そんなときに”よく我慢できたね、偉いね”などと褒めたり、なんらかのご褒美をあげてはいけない。我慢したことに対して成功体験を与えてはいけない。
他にも似たような例として、何かの努力行動(砂の山を作り上げた、積み木をうまく組み立てた、パズルを頑張って解いた)を決して褒めてはいけない。何かを作り上げて「ほら、できたよ見て」と言われても無感動に「すごいね」と一言で一蹴すればいい。そんなもの作ってどうするの、とか早く片付けなさい、とか言ってやればなおいい。
我慢や努力について成功体験が与えられなければ、目標に向かって我慢や努力をしようとしない(というよりもできない)大人に仕上げることができる。いざ社会生活に入って理不尽なことや乗り越えた方がいいことに直面したとしても、我慢や努力をしようとせずに先送りにするか受け入れようとしないか人任せにするようになる。我慢や努力に価値を感じることができなければ、どれだけ価値のある目標を思いついたとしても倦怠的な情動によって一歩を踏み出せなくなるだろう。
よく、大人になってから成功体験を積んでいけば幸福になれるという立場もあると思うが、幼少期に形成された性格を大人になってから変えることは多少の努力でどうにかなることではない。専門医にかかって認知行動療法を受けるなり曝露療法を受けるなりするとしても、数日や数週間でどうにかなるものでもない。後述する孤独で無価値感な大人が偶然以外にどうやってそれほどの行動力を得ることができるであろうか。