マイナス感情をぶつけまくれ
子どもが危ないことややってはいけないことをやってしまったときに、それを再びやってしまわないように是正してやる必要がある。例えば車が走っている道路に飛び出すとケガをしたり死んでしまったりしてしまう。幼児はまだそれを知らないので、車が走っている道路を歩き回ってはいけない子を教えてあげる必要がある。もし子どもがふらふらと車道に向けて歩き出そうとしようものなら、そっちに行ってはいけないことや危険であることを教えるだろう。
ここでどんなふうに子どもに教えれば、将来を不幸にできるか。
それは”叱る”とか”教える”のではなく、”感情をぶつける”ことだ。
先の例を続けるとしよう。小さな子どもがふらふらと車道に向けて歩き出した。このとき、決して”やさしく抱きかかえて安全な方に連れて行って「危ないよ」”などと教えてはいけない。もし自分の子どもが車道に歩いて行って車に跳ね飛ばされるのではと強い不安を覚えたのならば、それをそのままぶつけてやるのだ。まずは一発、「なにをしているんだ!」と怒鳴りつけ、子どもの腕を無理やり引っ張り、安全な場所まで連れてきたら「車に轢かれたらどうするんだ!危ないだろ!」と喚き散らせばいい。「可愛いわが子が車に轢かれる不安」をそっくりそのまま子どもに向かってぶつけるのだ。
幼少期にしつけではなく感情をぶつけることで、その幼児にはつねに不安が付きまとうようになる。どんなことにも不安情動を生じさせるようになり、無意識に物事に挑戦しなくなり逃げ癖を植え付けることができる。自分では何かをやりたいと思っても、なぜか行動に移せないようになる。本来、不安というのは生命の危機を回避するために備わっている人間の脳機能らしい。茂みからクマが飛び出してきそうだからクマのいる山を避けるというのが正しい不安回避行動であるが、不安情動が強く出てしまうような育て方をされると”都会に出て働いてみたいけど一人だと何があるか分からないからやめておこう”と考えるようになる。生命の危機に直結するような状態では全くないのに回避するようになる。自分がやってみたいと思っても、よくわからない非論理的な不安感によって行動を抑制してしまう。きっと他人からは怠け者とか小心者という評価を受けられるだろう。自分自身も「自分は小心者で何もできないダメな人間なんだ」と自己の可能性を閉じてしまうようになるだろう。
腕をひいて安全な場所に連れてくるという行動1つでも、その行動に感情をのせるかのせないかで雰囲気は全く違う。子どもがやってはいけないことをやろうとしたりやってしまったときは、とにかく感情を表に出すように意識すればいい。自分の周りに感情オーラが漂っていると想像して、感情オーラを真っ赤に怒り一色に染め上げて腕をひいてやればいい。
幼児は周囲の反応に対してかなり敏感なので、表面上は同じ行動をとっていても親の感情を強く感じ取れる。親の感情をぶつけられたという経験は大人になれば記憶には残らないだろうが、不安情動の表出というかたちで一生つきまとうことになるだろう。大人になると記憶に残らないという点も重要だ。嫌な経験が記憶に残らないことは一見すると幸福なことかもしれないが、記憶には残らずとも情動反応としては残る。結果として大人になったときに”理由はわからないが行動力が極端に低くなる性格”が形成される。当の本人も理由がわかっていないので「これは私の性格が悪いんだ」とか「自分の性格を直さなきゃ」という自分の中に原因を求めて周囲に相談しなくなる。周囲に相談しないことは不幸への入口になるだろう。