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夏/匹夫の志

 忌々しい船どもが、列を作って河を上る。水面に映り込んだ濃青の空を、舳先が蹴立てて白波を立てる。

 真ん中に据えられた馬鹿でかい梱包が、やたらに偉そうだ。人の丈より高い布包みは、紐で幾重にも固定され、どっしりと甲板に鎮座している。

 ひとつながりの縦隊の他に、船は一隻もいない。列のどれもが同様の大包みを乗せ、痛いほどの真夏の陽の中、北へ向かっていく。

 まったく偉そうなこった。他の船を全部止めやがって。

 城壁から運河の様子を眺めつつ、俺は足元に唾を吐いた。なんでこうまでして、あんなものを運ばなきゃならないのかね。

 絹や(ぎょく)、磁器のたぐいなら納得もする。食糧や武具だったとしても、わからなくはない。

 だが、あれは岩だ。ちょっとばかり穴ぼこが多くて、珍妙な形をしてるだけの岩だ。

 たかが岩のために、なんで俺たちはここまでやらなきゃならねえのか。

 天子様の――東京開封府(みやこ)の「風流天子」様の考えることは、下々の者にはさっぱりわからねえ。


 岩の徴発が始まったのは二年ほど前だった。多芸多才な天子様は造園も好み、意を汲んだ宰相が国中から銘木奇石を集め始めた――と、噂が流れた。

 ほどなく、配下の役人たちがやってきた。街の近くには大きな湖があって、周りの丘では穴だらけの岩がごろごろ採れる。街中にもそこかしこに置いてある。そいつが「風流人」の興を惹くらしかった。

 役人たちは、目に留まった岩を端から接収していった。伝え聞く話によれば、珍しい花石を宰相様に贈って出世した連中も少なからずいたという。連中が血相を変えるわけだ。 

 ま、岩なんて、欲しけりゃいくらでも持って行きゃあいい。しょせん、そこらへんに山ほどあるがらくただ――最初は、俺もそう思っていたんだが。


 不意に人の気配を感じて、俺は振り返った。背後に、浅黒く日焼けした不惑(四十歳)くらいの男が立っている。汚れた着物の下に、立派に盛り上がった筋骨が見て取れる。俺たち人足の隊長だ。


「来い。次の仕事だ」


 俺は運河の方を向いたまま、小さな声で答えた。


「また、誰かの家を潰すんですかね」

「それは、我々の知るところではない」


 俺の家は壊された。あの岩に――いま運河を悠然と遡っている荷物に、潰された。

 元は、五軒隣の商家が庭に置いていた、人の丈を少し超すほどの岩だった。木耳(きくらげ)を重ねたような外観に役人が目をつけて、宰相への貢ぎ物に決めた。

 俺も含めた人足が駆り出され、梱包が始まった。まずは細かな凹凸が壊れないように、粘土と(にかわ)でしっかり埋める。真夏の乾きと暑さの中で、詰め物はすぐに固まった。

 問題はそこからだ。(かさ)増しの上に布で巻かれた大岩は、既に細い街路を通る大きさじゃあなくなっていた。役人たちは迷わず、運河との間にある家々を取り壊すことに決めた。

 あいつらが指図するまま、俺は自分の家を壊した。

 今日と同じ、日差しの強い日だった。陽に肌を焼かれ、汗をだらだら流しつつ、俺は漆喰の壁を槌で崩し、木の柱を倒し、道を作った……たかが岩のために。

 それでも、銅銭一枚の代価すらお上は寄越してこねえ。岩のおかげで宰相様へ顔を売れるはずの、どこかのお役人からさえも。


「俺たち、いつまでこれを続ければいいんでしょうね」

「知らん」


 隊長の固い手が、俺の肩に置かれた。


「我々にできるのは、ただ、上の方々の意を汲むことのみ」


 ああ、俺たち匹夫は、働き続けるしかねえのか。汗と脂を垂れ流し、埃と土にまみれながら、誰かの家財を潰し続けなきゃならねえのか。

 守ってくれもしねえ、お上のために。あいつらのせいで、住む家もなくしたってのに。

 ぎらつく夏の日差しの中、俺は再び運河の方をにらみつけた。ゆったり進む船と積荷は、俺の呪いなどまったく意に介していないようだった。




 ◇




 忌々しい船どもを、白い息を吐きつつ待つ。冬の寒さに指先を震わせつつ、ふと、昔のことが頭をよぎった。

 あの夏。天子様に奇岩を送るためにと、理不尽に家を壊された日々のこと。今でも目を閉じれば、岩に詰めた粘土と膠の匂い、ぎらつく夏の日差しまで思い出せそうだ。

 あの頃は――もう十年以上前だが――思っていた。ある日突然住む家を潰され、対価さえ払われない、これほどに酷い世があるものかと。

 ああ、あったとも。あの頃よりもずっと、苦しく惨めな日々が。


「敵船隊、此方へ航行中。まもなく接触、総員臨戦態勢に入れ!」


 唾を飲む。冬の乾風に渇いた喉へ、わずかばかりの湿り気が流れ込んだ。

 携えた弓を握る。船縁越しの川面に、動くものの影はまだない。

 虚空へ(やじり)を向ける。

 まったく、説三分(三国志物語)の中にでも入っちまったみてえだ。あとは俺らの大将が、諸葛孔明並の智謀持ちであることを祈るばかりだ。


 三年前、東京開封府(みやこ)は陥ちた。北からの軍勢は、街のなにもかもを奪い尽くした。財貨も人間もすべて略奪された。皇帝陛下も太上皇陛下も北へ連れ去られた。

 そして今、南下した軍は俺たちの町も喰らい尽くし……もうすぐ目の前に現れる。


 鈍い冬の日差しの中、目の前の長江をにらむ。灰色の水は元からの濁りゆえか、曇った天を映しているのか。どっちにしろ、沈めばそれまでだ。

 多くの北の人々が、江を渡って南へ逃れた。もうこれ以上、あいつらの好きにさせるわけにはいかねえ。

 俺のためにも。後ろにいる、弓も槍も持てねえ連中のためにも。これから生まれてくる、次代の子供らのためにも。

 たとえ連中が十万いて、俺たちが八千しかいねえとしても、だ。まあ、説三分(三国志物語)の通りなら、北の兵は水戦に弱い。江の魚の餌にする手筈を、大将は練ってくれてるはずだ。

 ……震える指先を、言葉で宥める。

 なあ、北にいる天子様がたよ。もし、あんたらが(もと)の都に帰れたら、家一軒建つくらいの褒美は寄越せよ。そのくらいの働きは、してやるつもりだからよ。


「敵船影、確認!」


 伝令の声が四方へ広がる。灰色の水面の向こう、数多の小さな黒影が揺れる。背筋がぞわりと粟立った。

 俺たちは戦い続けるしかねえ。匹夫にできるのはそれだけだ。お上が守れないなら、この手で、この命で守るしかねえ。

 残された街――臨安(りんあん)が、次の春を、夏を、迎えるまで。

 今はまだ蟻みてえな敵船へ、俺は、手中の鏃を向け直した。

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