第5話 母の想い。
絵美と千夏はいつものバーガーショップに来ていた。
千夏はフライドポテトをほおばっている。
「あれから何か進展あった?」
絵美もバナナシェイクを美味しそうに飲んでいる。
「うん。今ね、純子さんがマンションに入る方法を探っているわ。」
「そんじゃ、純子さんの情報待ちってとこなんやね。」
「うん。私も動きたいんだけど、相手の男はヤクザらしくて、下手に動くと私の身に危険が及ぶからって、純子さんに言われているの。」
「ほー。ヤクザなんか・・中学生対ヤクザじゃ勝ち目薄いな・・・」
「うん。だから、今からでも、ちなっちゃん・・」
「いやや!」
「まだ何も言ってないよ?」
千夏は飲みかけていたシェイクをテーブルに置いた。
「言わんでもわかるわ!危ないから止めとけっていうんやろ?」
「まぁ・・そういうことになるかも・・」
「ワタシ絶対引かないからね。ワタシが危ないなら絵美も危ないってことやろ?そんな状況でワタシだけ逃げるやなんて、できるかい。そんなこと。」
口調は荒いが千夏の目は笑ってる。
「ちなっちゃん・・・」
「大丈夫やって。なんとかなる。なんとかね。この千夏様がついとるんやから、絵美を危ない目にあわせたりするもんかい。アハハ。」
「うん。ありがとう。」
絵美も笑う。
「ところで絵美、これから何か用事ある?」
「ん?無いよ?どこかいくの?」
「うん。ちょっと付き合って。魚、見に行きたいんよ。」
「魚屋さん?」
「ちゃうわ。ペットショップ。」
「ああ、アクアリウムの方ね。付き合うわ。」
「ありがと。ほな行こう。」
絵美と千夏は街の外れにある大型ペットショップへと向かった。
絵美が大型水槽の前で目を見開いている。
「うわー、いろんな魚がいる。」
「サバやアジはおらんで。アハハ。」
郊外の大型ペットショップには観賞魚の他様々なペット用品、それに犬や猫も展示されている。
「何か買うの?」
「うん。ネオンの数が少なくなってきたから補充しようかと・・」
「ネオン?」
千夏が小型水槽で群泳する小型の熱帯魚、ネオンテトラを指さした。
「これこれ。」
「綺麗な魚ね。可愛いし。」
「うん。めっちゃ可愛い。」
千夏が店員を呼ぶためのボタンを押した。
「絵美、あんた猫好きやろ?ワタシがこの魚を買ってる間、猫でも見てきたら?」
「うん。そうする。」
絵美は千夏の元を離れて猫や犬を展示しているコーナーへ向かった。
ショーケースの中には様々な子猫がいる。
マチカン、ラグドール、ロシアンブルー、ベンガル等など。
絵美がショーケースの前を通る度に猫たちが愛嬌をふりまく。
スコティッシュフィールドの子猫が絵美の視線に気がつきケースに近づいた。
絵美が、その子猫に対してガラス越しに手を振ると、子猫もガラスに両方の前足をつき、小さな声で泣いた。
(可愛い・・・)
その他の猫もスコティッシュフィールドの子猫同様、一生懸命に絵美の興味を引こうとしている。
いくつかのゲージを見て回っているうちに他の猫と違う雰囲気の猫がいることに気がついた。
どう違うかと言えば、他の猫は絵美に対して一生懸命、愛嬌を振りまこうとしているのに、その猫だけは、絵美と視線が合っても「プイ」と視線をそらせたのだ。
まるで意思を持って絵美の視線をかわしたかのように。
その猫は白と灰色、黒が縞模様になった美しいアメリカンショートヘアーの子猫だった。
絵美はその子猫のことが気になった。
その子猫の視線をこちらに向ける為に、ガラスを「コンコン!」と指で弾いた。
「ねこちゃん♪」
絵美は子猫に対して愛想笑いをした。
子猫は反応して絵美を見たが、やはり「プイ」とそっぽを向いた。
絵美はもう一度ガラスを叩いて子猫を呼んだ。
「猫ちゃん♪」
その時、絵美の脳裏に何者かの意思がダイレクトに流れ込んできた。
『何か用か?娘よ。』
「え?」
絵美は周囲をキョロッキョロと見渡した。
絵美の周囲には霊魂もいないし、人間もいない。
『何か用があるのかと問うている。』
絵美はもう一度周囲を見渡したが、やはり誰もいない。
絵美はショーケース内の子猫を見た。
子猫は絵美の目を見ている。
「貴方なの?子猫ちゃん・・・」
『先に呼びかけたのは君の方だろう。娘よ。』
絵美に話しかけたのはショーケース内の子猫だった。
「驚いた。あなたお話ができるのね。」
『驚いたのはこちらの方だ、私と霊話ができる人間が現れたのは数百年ぶりだからな。』
「霊話ってなんです?」
『今こうしてお互いの魂をリンクさせて意思疎通を図る通話方法だ。それも知らずに・・・』
絵美も子猫も音声は発していなかった。
(そういえば、じいちゃんや純子さんと会話する時も音声は発していなかったわよね。)
「それじゃぁ子猫ちゃん。貴方、霊魂なの?」
『ある意味正解だが、ある意味不正解だ。』
「どういうこと?」
『話すと長くなる。それより娘よ。頼みがある。』
「はい?」
『私をここから出してくれないか?ここはとても窮屈だ』
子猫は丸めていた体を伸ばしあくびをした。
そしてショーケースごしに絵美を見つめた。
綺麗に尖った三角形の耳、頭頂部から鼻筋にかけて三本の縞模様が走っている。
額の中央にはアニメで見るような魔方陣風の模様が刻まれている。
(綺麗・・・)
『無理にとは言わないが、ここを出してくれたらお前達人間にとって・・・いや、この世界にとってしごく重要なことを教えてやろう。』
「重要な事って?」
『それを言ったら取引にならないであろう。だが少しだけ教えてやる。この世界に終焉が近づきつつある。そのことに関する情報だよ。』
「世界の終焉って・・・」
現実離れしすぎていて絵美にはピンとこなかった。
『どうする。出すのか出さないのか、どちらだ?』
絵美の答えは決まっている。
しかし値札を見て驚いた。
そのアメリカンショートヘアーにつけられた値段は
(イチ、ジュウ、ヒャク、セン・・・14万円?・・・・)
「あのぅ・・猫さん。」
『なんだ?』
「出してさしあげたい気持ちはあるのですが・・・」
『だったら出してくれ。』
「それが・・そのう・・」
『なんだ、ハッキリと言え。』
「お金が無いんです。貴方を引き取るほどのお金が・・」
子猫が口をへの字に曲げた。
『子供に言っても無駄だったな・・・フム・・』
子猫は、また体を丸めて絵美から視線をそらせた。
「あ、あっ猫さん。」
『なんだ?私は忙しい。それに私の名前は猫では無い。ミカエルというれっきとした名前がある。』
(何が忙しいのだろう?)
「あの、今すぐには無理ですが、お金の工面、なんとかしてみます。必ず迎えに来るから、もう少し待っていて下さい。猫さん。」
『ミカエル!!』
「はいミカエルさん。」
『あてにせず待っているよ。お嬢ちゃん。』
「私にも名前があります。絵美です。」
『わかった。まっている。絵美。』
絵美は小走りに熱帯魚のコーナーへ行き千夏を探した。
千夏はちょうど会計を済ませたところだった。
千夏を見つけた絵美は小走りに千夏に駆け寄った。
「ちなっちゃん、ちなっちゃん!!」
絵美の頬は紅潮している。
「なに?どうした?」
『お金、お金、持ってる?』
千夏は会計を終えたばかりの財布を開いて絵美に見せた。
財布の中には硬貨が数枚あるだけだ。
「好きなだけ使い。はは。」
「そりゃ、そうよねぇ。」
「なによ。ハハ、なんぼいるん?」
「14まん・・・」
「ワタシに聞くな!!そんなもん。あると思う?そんな大金。」
絵美は笑いながら首を横に振った。
「で、何につかうん?そんな大金。」
「猫さん・・・いえ、ミカエルさんを買うの。」
「ナニソレ?」
絵美は自分の貯金額を思い出していた。
正月のお年玉や日頃のお小遣いをためていたのだが、たしかそれが10万円近くあったはずだ。
絵美は千夏と別れた後、すぐに自宅へ帰り自分の貯金通帳を見た。
残高98,765円
(足りないわ・・・)
絵美は思い悩んだ末、母親に頼ってみることにした。
「ねぇお母さん。」
「ん?何、絵美。」
絵美の母親は、あの事件や日頃の絵美の不可思議な行動を見て、絵美とは少し距離をおいているようにも見えた。
絵美もそのことは薄々感じていて、最近は母親に対して何かおねだりをすることもなかった。
しかし、どうしてもあの猫「ミカエル」のことが気になって仕方ない。
ミカエルは普通の猫とは違う。
絵美の本質を見抜いているようだし、絵美と意思疎通できる。
だから絵美はミカエルを引き取り、ゆっくりと話してみたかったのだ。
(もしかしたらあの猫さんは、なぜ私が普通の人とは違うのか、異常な体質なのか、根本的な理由を知っているかも知れない。)
そう思えたのだ。
「お母さん、お願いがあるの。」
「めずらしいわね、絵美の方からお願いなんて。」
母親も絵美の常人と異なる行動に気がついており、絵美が近隣の人から「変な女の子」と噂されているのは承知していた。
それでも自分のお腹を痛めて産んだ子を、そうそう簡単に見限るはずも無い。
通常とは違う我が子を普通の子に育てようと絵美が奇異な行動をする度にそれをたしなめた。
しかし母親の目に写る絵美の奇異な行動は、絵美にとってはごく自然な行動なので、いくらたしなめられても母親の望む姿にはなれなかった。
それらのことから絵美から見れば母親との間に溝が出来てしまい、最近では母親との接触をできるだけ避けるようになっていたのだ。
「あのね。私、猫を飼いたいの。」
母親は少し困った表情をした。
「・・・そうなの・・・でもね絵美・・」
母親の返答前の一瞬の間の持ち用で、絵美は悟った。
元々無理は承知だったのだ。
以前にも同様のお願いをしたことがある。
小学生の時、学校帰りに捨て猫を拾ってきたことがある。
母親に対して家で飼うことをお願いしてみたが動物嫌いの父親の猛反対にあって諦めざるを得なかった。
猫のことに限らず母親は父親の言いなりだった。
だから母親が返答する前の一瞬で父親の顔を思い出していることが直ぐに理解できた。
それでも今回は易々と諦めるわけにはいかなかった。
「わかっているわ、お父さんでしょ。でもね、でもね、今度は、どうしても諦めるわけにはいかないの。お願い。ねっ、お母さん。お願い。」
母親はますます困った顔をした。
「でもね・・・絵美・・・」
「どうしても駄目?」
「・・・・」
母親は絵美の頼み事を断りたいのだが絵美を納得させるだけのうまい理由が見つからないのだ。
思春期の絵美の心に「反抗」という炎が燃え上がった。
絵美は母親のことが嫌いでは無かった。
それどころか愛していた。
しかし絵美の年齢にありがちな「反抗期」という人間特有の感情が愛情に勝ってしまうのだ。
「もういいわ!!私の事なんてどうでもいいんでしょ?私の事なんて何も信用していないんでしょ!!」
「違うの・・・絵美・・・貴方は私の・・・」
母親の言葉が終わらないうちに絵美はわざと音が出るようにドアをしめて家を出て行った。