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兄弟喧嘩

気分爽快とはきっとこういう事を言うのだろう。

ルーカスの部屋に乗り込んだトーマスは、どうしたのかと首を傾げる兄に向かって怒鳴りつけた。


「兄上!妻の躾をきちんとしてください!」

「躾って…兄の妻を動物のように言うんじゃあない」

「いいや、あれは獣だ」

「詳しく話せ。事の次第によっては、兄の妻を愚弄した罪を償ってもらうぞ」


苛々と眉間に皺を寄せたルーカスは、トーマスとリリーに座るよう椅子を勧めた。

リリーはぺこりと頭を下げ椅子に腰かけ、トーマスは苛々とした態度を隠す事も無く、どっかりと背凭れに体を預けて座った。


「エラ嬢がリリーに暴行した」

「はあ?」

「見てみろ。リリーの頬を張り倒し、肩に爪を立てて掴んだ上、倒れ込んだ妹の背中を踏みつけ蹴り倒したんだ」


何を言っているんだとばかりに、ルーカスは鼻を鳴らして笑う。自分の知っている妻は、いつだって穏やかに微笑み、楽しそうに笑いながら体を預けるような女。

まさかそんな妻が妹に酷い事をするなんて考えられないのだろう。


「リリー嬢、弟の言う事は本当だろうか」

「はい、本当です」


びくびくと怯えているような表情を作り、リリーは口元に手を持って行きながら小さく俯く。

ルーカスは義妹の言う事よりも妻を信じたいようで、どうしたものかと溜息を吐いた。


「エリオット、エラを呼んできてくれないか」

「はい、殿下」


傍に控えていた侍従にそう言うと、ルーカスは机に広げていた書類を脇に寄せる。

リリーが頬に目立つガーゼを貼り付けているのをまじまじと見ているのだが、怪我をしているのは本当だとしてもまさか妻が…と考えているらしく、「うーん」と小さく呻いた。


「エラがそんな事をするとは思えないんだけれど…」

「どうだか。侍女たちからの評判も悪いぞ。機嫌が悪いとすぐに当たり散らすとかな」


呆れた顔を兄に向け、トーマスはトントンと指先を太腿に叩きつける。相当苛々していると分かっているのか、ルーカスは弟を宥めようと「まあまあ」と微笑んだ。


「エラは優しい子だよ。折れてしまった花にハンカチを巻き付けてやる様な子なんだから」


エラがそんな事をしたのかと、リリーは俯きながらふるふると肩を震わせる。そんなくさい演技までしていたと知って笑いを堪えているだけなのだが、トーマスにはリリーが泣いているように思えたのか、再び兄をきつく睨みつける。


「俺はこの目で見た。エラ嬢がリリーの背中を蹴る姿を」

「見間違いじゃないのか?姉妹喧嘩くらいはするんだろうが…なあ、そうだろうリリー嬢?」


ルーカスにそう問われても、首を振る気にはなれない。

何か言わなければと顔を上げた途端、睨みつけてくるルーカスと目が合った。


揉め事を起こすな、黙っていろと威圧するような目。きっと、これ以上騒いで自分が巻き込まれるのが嫌なのだろう。


「姉は、昔から少し癇癪起こす事がありました」


震える声でそう言うと、ルーカスはぴくりと眉を動かす。望んだ答えが返ってこなかった事が不服なのだろう。


「先日は頬を叩かれ、倒れ込んだ時に手を踏まれました」

「何故そうなったんだい?」

「私が、姉を怒らせてしまって…」


そうなった理由を詳しく話すのは今ではない。怒らせてしまったとだけ伝えて黙り込み、リリーは再び顔を伏せた。


「失礼いたします。エラ殿下をお連れいたしました」


戻って来たエリオットと、その後ろでぶすっとした顔をしているエラが部屋に入ってくると、トーマスはじっとりとした視線をエラに向ける。

こんなに早く告げ口をしに来たのかとエラは小さく舌打ちをしたが、それが聞こえたのはトーマスだけだった。


「呼び出してすまないね、エラ。忙しいだろう」

「ええ、キャンベル夫人とダンスのレッスンをしていたのだけれど…何の御用かしら」


しれっとした顔でそう言うエラに、トーマスが席を譲る。当然と言った顔で椅子に腰かけると、トーマスはそっとリリーの脇に移動して寄り添ってくれた。


「酷い姉妹喧嘩をしたそうだね。何があったんだい?」

「リリーが私の指輪を盗んだと思ったのよ。この子いつも指輪なんかしないから」


ツンと澄まし顔でそう言うエラに、ルーカスは溜息を吐く。勘違いで妹を責め立て喧嘩になったと言っているようなものだと気付いていないのか、エラは自分は悪くないとそっぽを向いた。


「この指輪は俺がリリーに贈ったものだ。君は自分の所有物の把握も出来ないのか?」

「だって宝石箱に溢れる程持っているんですもの」


ハンと鼻を鳴らし、トーマスに向かって言い放ったエラは、夫に向き直って訴える。


「ちょっと喧嘩をしたくらいで叱られるの?私たち生まれた頃から一緒なんだもの、時々喧嘩をしてしまう事くらいあるわ」

「姉妹喧嘩と言うには、随分激しく一方的だったように思うが?」


トーマスに反論された事が気に食わないのか、エラはキッと義弟を睨みつける。

ルーカスの前なのだからもう少し取り繕うなどした方が良いだろうに、自分を守る事に必死なのだろう。


「廊下まで聞こえていたぞ。妹を詰る君の声と、嫌がるリリーの声が」

「だから、少し勘違いをしていただけで…」

「それなら素直に妹に詫びたらどうだ?姉妹喧嘩だとしても、自分が悪いのならばきちんと詫びるべきだ」


正論を突き付けるトーマスに、エラはぐっと言葉を詰まらせる。自分で勘違いをしただけだと言ったのだから、エラの形勢不利は誰が見ても分かるだろう。

現に、ルーカスは頭を抱え、傍に立っているエリオットは渋い顔をしていた。


「何で私が…」


狼狽えたように視線を彷徨わせるエラは、助けを求めるようにルーカスの顔を見る。

逃がさないとばかりに、トーマスはリリーの肩に手を添えながらエラを睨みつけるのだが、エラは妹に詫びる事が出来ないのか、悔しそうに唇を引き結ぶだけだ。


「…もう良い。未来の王妃が勘違いとやらで妹を責め立て、暴力を振るっても詫びる事すら出来ぬ女だったとは」

「な…っ」

「妻を正す事が出来ぬ夫が、この国の王になるなど反吐が出る」


心底不愉快そうに顔を歪めると、トーマスはリリーに立つよう促し、掴まりなさいと腕を差し出す。

差し出された腕に掴まりながら、リリーはちらりと姉の顔を見た。


怒りで真っ赤になった顔で唇を噛みしめ、ぶるぶると震える姿は滑稽だ。何も言い返せない、言い訳も出来ない、完全なるエラの負け。


姉の悔しそうな顔を見られてスッとした気分で、リリーはルーカスの方を見て頭を下げた。


「お騒がせして申し訳ございませんでした」


仕事の邪魔をしてしまったのは事実だからと、控えめに謝る姿に、エリオットはふうと小さく溜息を吐いた。机に積み上げられている紙束を見るに、恐らくこの後も大量の仕事が待っているのだろう。


「参りましょう殿下、痛むので少し休みたいです」

「分かった。着替えた方が良いだろうな。コルセットの必要ないドレスがあれば良いんだが」


恋人を気遣いながら立ち去ろうとする弟を見つめながら、ルーカスは眉間に皺を寄せる。まだ悔しそうな顔をしている妻を見て、大きな溜息を吐いたところまでは見届けて、二人は仲良く扉を出た。


朝からの騒ぎを知っている暇な人間の何人かが、エラがルーカスの部屋に呼ばれたと知って様子を窺っていたらしい。


「まさか詫びる事もしないとは!」


苛々と眉間に深い皺を刻み、リリーを連れて

歩くトーマスが声を張る。

その言葉が聞こえた女性二人が、小さく声を上げて囁き合っている姿が見えた。


「姉妹とはいえ、姉は王太子妃ですもの。私如きが詫びてほしいと言ったところで…」


違う。王太子妃でなかったとしても、エラは決して妹に詫びる事等しないだろう。最初から詫びてもらえるなんて思っていなかった。

ただ本当に、悔しそうな顔をしているエラの顔が見たかっただけだ。


「トーマス殿下!こちらにいらっしゃいましたか!」

「何だエリス」

「何だではありません!お客様が随分と長くお待ちなのですよ!」

「…忘れていた」


やってしまったと困り顔をしたトーマスに、エリスと呼ばれた男は勘弁してくださいと泣きそうな顔を向けた。

朝から騒ぎになってしまった上、リリーが怪我をさせられた事で来客の予定をすっかり忘れてしまっていたのだろう。


「お急ぎください!」

「リリーを部屋まで送ってから…」

「一時間以上お待たせしているんですよ?!」


ぎゃんぎゃんと騒ぐエリスと対照的に、トーマスは随分と静かだ。対極的な二人のように見えるのに、何だか良い組み合わせのように思えてしまうのが不思議だった。


「殿下、私は一人で戻れますから…お客様をこれ以上お待たせしないでください」

「ん…真直ぐ戻るんだぞ、エラ嬢に会わないうちに」

「はい、分かりました。部屋にもしっかり鍵をかけておきますね」

「そうしてくれ」


そっとリリーの頭を撫でると、トーマスは急かすエリスに連れられて歩いて行く。何だか本当に愛されている恋人になった気分で、リリーはその背中を見送った。

まだ周りで様子を窺っている人が此方を見ている。これだけ人の目があれば、もし万が一エラが追いかけてきても何も出来ないだろう。


「あの、リリー様…お怪我は大丈夫でしょうか?」


コソコソと話していた女性が二人揃って近づいてくる。心配しているというよりは、詳しい話が聞きたいといった顔をしているような気がするのは気のせいだろうか。


「朝からお騒がせして申し訳ございません。ちょっとした姉妹喧嘩でして…怪我も大した事はございませんわ」

「でも、お顔が腫れていらっしゃるわ」


眉尻を下げ、痛みませんか?と心配してくれるのは嬉しいが、目の前の女性二人がどういう人物なのか分からない。どこまで真実を話そうか迷っているうちに、リリーが口ごもっている理由が自分たちと初対面であると判断した二人が順番に自己紹介をしてくれた。


「コーマック公爵家のアリスと申します」

「私はキャンベル伯爵家のジュリアと申します」


にっこりと挨拶をしてくれた若い二人のうち一人は、先生をしてくれているキャンベル夫人の娘だったようだ。

もう一人は先日姉の執務室まで案内した客人の娘。世間は狭いなと内心考えながら、リリーも名乗った。


「私たち、お城に来ることは滅多にありませんの。母たちがお城のサロンに集まるからいらっしゃいと呼んでくれて…リリー様もご一緒にいかがですか?」

「お誘いはとても嬉しいのですが、この顔では…」


貴族夫人たちの前にこの顔を見せるのは流石に気が引けた。何より、つい先程トーマスにすぐ部屋に戻って閉じこもると約束してしまったのだ。

何となくトーマスとの約束を破るのが嫌で、リリーは誘いを丁重に断った。


「良くなりましたら、また誘っていただけませんか?お二人と仲良くなれたら嬉しいです」

「そう言ってくださるなんて嬉しいわ!母もリリー様は素晴らしいお方だとよく話しておりますの。当家のお茶会にお誘いしても?」


アリスよりもジュリアの方がリリーに興味を持っているらしく、是非!と目をキラキラさせて誘ってくれた。


「楽しみにしております。お母様にお茶のマナーをもう一度教えていただきますわね」

「あら、もう心配無いと母は言っておりましたわ。あんなに厳しい人なのに…」

「貴方、子供の頃はお母様は厳しすぎるってよく泣いていたものね」

「未だに泣かされるわ。こんなことでは結婚も出来ないわ!って…」


母親の愚痴をこぼすジュリアは、やれやれと肩を竦めているが、母親を嫌っているわけではないらしい。表情はとても柔らかく、どれだけ母がリリーの話をしているかを教えてくれた。


「私の母もリリー様のお話をしておりました。お優しい方だったと言っておりましたよ」

「お母様のお怪我の具合は如何ですか?馬に乗りたいと仰せでしたから、早く良くなると良いのですけれど」

「医師に止められておりますから、厩に近付く事も父に禁じられておりますよ。今は拗ねていて父と会話をしないのです」


困った母だと言って、アリスはコロコロと笑う。初めて貴族の令嬢とまともに話をしたが、こういったやり取りで良いのだろうかと少し不安になる。

上手く笑えているだろうか。何かおかしな事を言っていないだろうか。不安で掌にはじっとりと汗をかいているが、それを知られないように笑顔を貼り付け続けた。


「それにしても…本当にそっくりですわね」

「本当に。エラ殿下と並んでいたら見分けがつかないかも…」

「双子ですからね」


まじまじと顔を見られるのは何だか恥ずかしいが、まさかリリーがエラのふりをしている事などこの二人は知る由もない。知られては困るのだが、ほうと息を吐きながらリリーの顔をじっと見ている二人が何だか面白かった。


「あの…もっとお話したいのですけれど、そろそろお部屋に戻らないと」

「ああ、そうよね。エラ殿下がお部屋から出て来たら大変」

「私たちも遅いってお母様から叱られるわ」


大変だと顔を見合わせた二人は、またお話しましょうと微笑んでリリーに頭を下げる。

噂好きの公爵夫人の娘と、普段から双子と距離が近い伯爵夫人の娘。


仲良くなれたら何か得をするだろうか。お友達として傍にいてもらうには丁度良さそうだなんて考えを抱いた自分に、リリーは何だか嫌な気分になって、ぎゅっと拳を握りしめる。


エラを蹴落として、王太子妃になるのだ。利用できるものは何だって利用したい。少し歳の離れた貴族夫人方に近付くよりも、年齢の近い令嬢たちと仲良くなる方が自然だろうか。


いつか自分が王太子妃になった時、傍にいてほしい人を今から見つけておいた方が良いと、きっとトーマスも言うだろう。誰を傍に置くかはゆっくり考えるとして、今はすぐに部屋に戻ってコルセットを外したかった。

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