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指輪

ふわふわと柔らかく、暖かいベッドの中でリリーは眠る。城に来る前も柔らかいベッドの中で眠っていたが、それとは別格の柔らかさを誇る新しいベッドは、とても大きく柔らかい。クッションに埋もれて眠りながら、リリーは深い寝息を立てていた。


ふいに、頭を撫でる何かの感触に意識がふわふわと浮上する。何だろうとうっすら目を開くと、暗い部屋の中に誰かいる気配を感じた。


一人で眠った筈なのに、誰がいるのだろう。真夜中に人の寝室に入ってくるとすれば、使用人が何か忘れ物を取りに来ただとか、暖炉の火を確認しに来たのだろうかと考えたが、まだ夜に暖炉の火を絶やさぬようにするような季節ではないし、使用人がリリーの頭を撫でるような事は無いだろう。


さっと覚醒したリリーは、驚きながら勢いよく体を起こした。自分でも何故そうしたのか分からないが、布団を胸元まで引き上げ、暗闇に目を凝らして頭を撫でる人物が誰なのか確認する。


「すまない、驚かせたか」

「トーマス殿下…?」

「少し話をしようと思って来てみたんだが…眠っているから少し眺めていたんだ」


部屋の主が眠っていると分かっていて勝手に部屋に入るなんてと文句を言いたくなったが、照れ臭そうに頬を掻くトーマスを見ていると何だか文句を言う気にはなれなかった。こほんと小さく咳払いをして、「何か御用でしょうか」と聞きながらベッド脇のテーブルに置いていたランタンに火を灯す。


暗かった部屋がぼんやりと明るくなり、ベッドの上に座ったままである事を思い出すと、リリーは慌ててベッドから降りようとした。


「そのままで。冷えるから布団を掛けたままで良い」

「はあ…」


目の前にいるのは王子様だ。いずれ妃にと言われていても、それが本気なのかは分からないし、そもそもリリーは平民だ。

本人が良いと言うのならその通りにするが、目上の人間を前にベッドの上で良いのかとソワソワしてしまう。


「手を、出してくれないか」

「はい?」


ソワソワしているのはリリーだけではなく、どうやらトーマスも同じらしい。

落ち着きなく視線を動かし、そっと差し出されたリリーの手を取って「反対だ」と小さく呟いた。


「左手を、出してほしい」


何がしたいのか分からないまま、リリーは言われた通り左手を差し出した。その手を取ったトーマスの手はうっすらと汗ばんでおり、何だかとても緊張しているような印象を抱いた。


「薬指に嵌めてしまうと、騒ぎになるだろうから」


そう言って、トーマスは左手の人差し指に指輪を嵌めた。ブルーサファイアが輝く華奢な指輪は、リリーの細い指を美しく飾ってくれる。


「綺麗…」

「君の瞳の色と似ているから。いつかきちんとプロポーズをするから、それまで待っていてほしい」


ランタンで照らされただけの薄暗い部屋ではよく分からないが、それでもトーマスの顔は真っ赤に染まっている。見ているリリーまでつられてしまい、ドキドキと高鳴る胸を押さえながらトーマスから視線を逸らす。

妃に迎える云々といった話は、もしかしたら本気ではないのかもしれないと疑う時もあった。


なかなかトーマスと話をする時間もないし、時々見かけたとしてもルーカスのふりをしていて、にっこりと微笑まれるだけで話をする事もなかった。


「…気に入らないか?」

「そんな…嬉しいです」


父以外の男性から贈り物をされるなんて初めての経験だ。ランタンの灯りに照らされた指輪はキラキラと輝き、何度見てもほうと息が漏れる程の素晴らしい物だった。


「大切にします」

「そうか。喜んでもらえたのなら…良かった」


もじもじと恥ずかしそうにしている男女が二人。どうしたら良いのか互いに分からず、少々気まずい沈黙が続く。

その沈黙を破ったのはトーマスだった。


「この先の話なんだが」

「あ、はい」


いそいそと姿勢を正し、真面目な顔を作ったトーマスの顔を見た。

トーマスはこの先どう動くつもりなのかをリリーに説明してくれた。


この先も暫くの間はルーカスの代わりに王太子の仕事をするつもりである。必要であればエラと行動を共にするが、決して夜を共にする事はないとリリーに約束した。

また、リリーにもエラのふりを続けてほしいと言った。


「エラ嬢は正直言って、礼儀作法がなっていない。王侯貴族の顔と名前も未だに憶えないような女だ。いずれ何か大きな失敗をし、王家の名に傷を付けるだろう」


それは困ると言って、トーマスは小さく溜息を吐いた。リリーも昼間客人が来た時の事を思い出し、トーマスの心配も最もだと納得し、わかりましたと頷く。


「君は普段、エラ嬢のふりをしている時は寝込んでいる事にされているだろう?リリー嬢として行動する時は、出来るだけ元気そうな姿を周囲に見せてほしい」

「それは、何故でしょう」

「どこかおかしいと周囲に思わせたい」


トーマス曰く、既にリリーがしょっちゅう寝込む程体が弱いという話は嘘なのではないかと噂になっているらしい。

また、エラは日によって人が変わるとも噂になっているのだと続けた。


「名前を呼ばれない日があったかと思えば、顔を見た途端名前を呼びながらにこやかに挨拶をされる日があるだとか、以前話した事を覚えている日とそうでない日があるだとか…」

「ああ…姉は自分の興味がある話しか覚えておりませんので…」

「そうだろうな」


エラは一応話は聞いているのだが、少しでも退屈だと思えばすぐに話を聞き流す。そうして、大切な話をしていたとしても殆ど覚えておらず、付き人に耳打ちをされながら話をするような女なのだ。


何度付き人が溜息を吐いた事だろう。頭の弱い、容姿だけが取り柄の王太子妃。それがエラの評価だというのに、エラはそれに気付かない。

毎日美しいと褒めそやされ、そうでしょうもっと言ってと嬉しそうに微笑みながら着飾るだけ。


「着飾るばかりで、ダンスも下手だった」

「踏まれましたか?」

「ああ、思い切り。踵の方で」

「何をどうしたら踵で踏まれるのですか…」


つま先で踏まれるだけでも痛いだろうに、ヒールのある踵で踏まれたら相当痛かっただろう。思い出してしまったのか、トーマスは眉間に皺を寄せて溜息を吐いた。


「他国の客人を招いた時、王太子妃であるエラ嬢がダンスの相手をするような事があれば…我が国の未来の王妃はダンスが下手だと噂になるだろう」

「それは…困ります」


ダンスすら踊れない、所作も優美ではない。そんな王太子妃であると話題になってしまっては、運命の恋とやらに溺れた王太子は見た目の美しさだけに心奪われたと笑い物になるだけだ。


「君はダンスが得意だと良いんだが」

「キャンベル夫人からは合格点をいただいております」

「それなら安心だ」


くっくと喉を鳴らして笑ったトーマスは、普段ルーカスとして微笑んでいる時とは印象が違う。

どこか柔らかく、普段眉間に皺を寄せて人を近付けさせぬように気難しい顔をしているとは思えない程穏やかな人だと思った。


「明日、君を俺の妃にすると公表したいんだ」

「公表して良いのですか?」

「ああ、その方が君も動きやすくなると思う」


現在のリリーは、とある伯爵家の遠縁の娘で、王太子妃の妹というなんとも言えない身分。

リリーは私は平民ですと遠慮する場面が多いが、トーマスの婚約者という立場になれば、貴族令嬢たちの中に混ざっていても自然だろうというのがトーマスの考えだった。


「上手く使うと良い」

「はい、殿下」

「…その、本当に妃にしたいと思っているんだ。仲良くなりたい。殿下ではなくて…」


もごもごと恥ずかしそうに口ごもるトーマスが何を言いたいのか分からず、リリーは小首を傾げてトーマスの言葉の続きを待つ。

少しの間後頭部を掻いたり足を動かしたりと落ち着かないトーマスだったが、決心がついたのか、少し小さな声で言った。


「トーマスと、名前で呼んでほしい」


たったそれだけの事を、あれだけ恥ずかしそうにもじもじしながら言ったのかと拍子抜けし、リリーは思わず噴き出した。

何故笑うんだと不満げだが、いつもしっかりと背筋を伸ばし、眉間に皺を寄せている男の狼狽えている姿が面白くて仕方無かったのだ。


「私の事も、リリーと呼んでくださいねトーマス様」

「様も、いらない」

「それは追々…」


一度笑いだしてしまったリリーは、どうにも笑いが止まらずベッドの上でふるふると震えながらどうにかして笑いを収めようと必死だった。そんな様子を見ていたトーマスは、ぶすっとした顔でリリーを睨んだ。


「も、申し訳ございません…ふふっ」

「そんなに笑わなくても良いだろう」

「だって、いつもと全然違うんですもの」


仲良くなりたいから名前で呼んでほしいなんて、何だか可愛らしいところがあるらしい。

エラの代わりに後継者を生む為の妃を迎えるだけだというのに、仲良くやりたいと思ってくれるのが何だか嬉しかった。


「妻と仲良くなりたいと思って、何か悪いのか?」

「姉の代わりに後継者を生む女が欲しいだけではないのですか?」

「…そうか、そこからか」


何か納得したのか、トーマスはやれやれと溜息を吐いて天井を仰ぎ見る。

森の中で出会ったあの日、リリーは確かにこの男に淡い恋心を抱いた。

姉と結婚したルーカスがあの日の王子様だと思っていたせいで、その恋心は霧散してしまっているが、この人の妻になっても構わないと思える程度にはトーマスに悪い印象は抱いていない。


「今日はもう帰る」


何か話が続くと思っていたのだが、トーマスは疲れた顔をしてゆっくりと立ち上がる。ベッドに座ったままのリリーの頭をぽんぽんと撫でると、うっすらと口元を緩ませた。


「また来ても?」

「ええ、勿論」


何だかこそばゆい気分で、リリーはにっこりと微笑んだ。指に嵌められた指輪をそっと撫でながら、部屋を出て行くトーマスの背中を見送る。

またこんな風に、二人で静かに過ごす事が出来るだろうか。そうだったら嬉しいなと考えながら、リリーはランタンの灯りを消して布団に潜り込む。


ドキドキと高鳴る胸が煩くて、暫く眠れそうになかった。


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