まず一歩
幼い頃から、二人はいつでも一緒だった。
双子として生まれてしまったが故に、両親は色違いの服を着せたがったし、どこに行っても可愛らしいお姫様が二人いると可愛がられた。
幼い頃はそれで良かった。裕福な商人の家に生まれたおかげで何不自由なく生活出来たし、両親も使用人たちも優しかった。
ただ一つ不満があったとすれば、傲慢で我儘で、同じ顔をした妹は自分の下僕とでも思っているような姉の存在。
姉妹なのだからそんな事を考えてはいけないと思っていたけれど、頬を殴られ手を踏みにじられた事でその気持ちは消え去った。
私は、同じ顔をした姉が大嫌いだ。
宝物の兎のぬいぐるみを滅茶苦茶にされた時も、可愛がっていた子猫を苛められた時も、初恋の男の子を取られてしまった時も、全部我慢した。きっとエラに悪気は無くて、不運な事故でそうなった、ただ少し遊んでいただけ、彼が姉を選んだだけ。
そう思っていなければいけないと思い込むしかなかった。
だがもう許さない。許せない。
「目が覚めたわ」
寝起きの顔を冷たい水で洗い、リリーは鏡を覗き込む。暫くの間はエラのふりでも何でもするが、いつまでもそのまま続ける気はもうない。
いつか王妃の椅子に座る時には、エラではなくリリーとして座るのだ。
フェアリーゴッドマザーなんて役目はもう御免だ。そんな役目を引き受けた覚えはないし、その役目で満足なんてしてやらない。
王太子妃の座も、王妃の座も私の物。
そう心に刻み込むように、リリーは傷だらけの手を握りしめた。
◆◆◆
城の中は今日も賑やかだ。あちこちで沢山の人達が忙しそうに働いているし、貴族令嬢や婦人たちはエラに気に入られようと贈り物を持って訪ねてくる。
「ごきげんよう、王太子妃殿下」
廊下でにこやかに声を掛けられたが、残念ながらエラではなくリリーだ。
やはり誰が見ても見分けが付かないようで、使用人と共に歩いて来た女性は今日は良い天気だの、ご機嫌如何だの、にこにこと微笑みながら言葉を続けた。
「ごきげんよう、コーマック夫人。良いお天気ですが…その、私は王太子妃殿下の妹の方です」
「あら…ごめんなさい、間違えてしまうなんて」
「いえ、同じ顔ですもの。お気になさらないで。殿下は執務室です」
あちらですよと手で指し示し、にっこりと微笑むと、コーマック夫人はうっすらと眉間に皺を寄せる。
指し示した手が傷だらけなのが目に入ったのだろう。勿論それはわざと見えるようにやったのだが、リリーはハッとした表情を作って背中に手を隠した。
「私も姉に用事がありましたの。ご一緒させていただきますわね」
「え、ええ…その手、どうなさったの?」
「ピアノの練習をしている時に蓋が落ちてきてしまいまして…お恥ずかしいですわ」
蓋が落ちて来たのなら両手に傷が出来る筈だが、リリーの手は片方しか傷付いていない。それに、あちこち皮が剥けてしまうような事も無いだろう。視線をうろつかせ、明らかに何か隠していると分かるようにしてみせたが、コーマック夫人は何か勘付いたようで、もう少し詳しく聞きたそうな顔をした。
「そういえば、先日お怪我をされたとか…お加減はいかがですか?」
「そうなのよ、膝を少しね。歳は取りたくないわ」
歩きながら話すには丁度良い話題だろう。コーマック夫人が怪我をしたという話は、エラとしてキャンベル夫人のレッスンを受けている時に聞いた話だ。
「まさか馬に乗る時に痛めるなんてね。もう乗馬は諦めた方が良いのかしら」
「きっとドレスが重たかったのですよ。それか、馬が大きかったか…コーマック夫人の馬はとても立派な栗毛の馬だとか?」
「よく知っているわね。そうよ、とてもお利口で可愛い子なの」
コーマック夫人は現在四十代後半。若い頃から乗馬が好きで、沢山の馬を屋敷で飼っていると聞いた。中でもお気に入りの栗毛の馬を大層可愛がっており、馬の話をさせたらいつまでも話している程の馬好きなのだ。
「出来れば死ぬまで馬に乗りたいわ。馬に乗れないのなら人生の楽しみの殆どを失ってしまうわ」
「まあ…弱気な事を仰らないでください。きっとすぐに良くなりますわ。そうしたら、是非お城まで馬に乗って来てくださいね。私も馬が好きなのです」
にっこりと微笑んだリリーに、コーマック夫人はぱちくりと目を瞬かせる。普段物静かで、あまり部屋から出てこないという事になっているリリーがこんなに話をするとは思わなかったのだろう。
リリーがエラの代わりをしている間、リリーは自室に閉じこもっている事になっている。エラが考えた言い訳は、リリーは体が弱く、しょっちゅう寝込んでいるという話だった。
「その…思っていたよりもお元気な方なのね」
「…今日は、良いお天気ですから」
にっこりと微笑み、リリーはエラの執務室の扉をノックする。中から開かれた扉に体を捻じ込み、そのまままっすぐに机に向かっているエラの元へ向かった。
「…お客様?」
聞いていないぞと眉間に皺を寄せたエラの耳元で、リリーは周りに聞こえないように小さく囁く。
「コーマック夫人よ、馬がお好きな公爵夫人」
「ああ…ごきげんようコーマック夫人。良いお天気ね」
客人の顔を見ても誰なのか分かっていなかったエラは、妹に助けられた事でにこやかに挨拶をする事が出来た。
「突然でしたのにお時間をいただきまして、感謝いたします」
「良いのよ。要件は何だったかしら?」
きっと朝一番に客人の話をしたであろう従者は、扉の脇で静かに頭を抱えている。
慌ててエラの元に戻ってくると、小さく咳払いをして「令嬢のご挨拶について」と囁いた。
「あー…」
「まあ、アリス様がお城にいらっしゃいますの?本がお好きな方だとお聞きしました」
公爵家の夫人すら覚えていないのだから、その娘の事など覚えていないだろう。横から話を奪い取り、コーマック夫人に椅子を勧めた。膝を痛めているのだから、立っている時間はなるべく短い方が良いだろう。
「よくご存じですのね、リリー様」
「私も本が好きなのです。最近流行りの恋愛小説はお読みになられたかしら…夫人、もしよろしければ、お嬢様がいらっしゃる時は私もお呼びくださいね、お友達になれたら嬉しいです」
「ええ勿論。きっと娘も喜びますわ」
「楽しみにしておりますね。では、お話のお邪魔になってはいけませんから…私はまた後程」
リリーとコーマック夫人の二人で会話をしていたせいで、ぽつんとしていたエラは少々不満げだ。だが、リリーのおかげで客人の名前も分かったし、娘の名前や好きな物も分かった筈。これから二人で話をしなければならないが、話題の助けにはなるだろう。
ぺこりと頭を下げ、リリーは静かにエラの執務室を出る。ドキドキと煩い胸を落ち着かせるように抑え、何度も深呼吸を繰り返す。
あれで良かったのだろうか。ただエラの手助けをしただけになっていないだろうか。というよりも、エラは上手くやれるのだろうか。
「…良いわ。良いのよこれで」
誰にも聞こえないように小さく呟き、リリーはそっと目を閉じる。
きっと、コーマック夫人は普段寝込んでばかりのリリーが淑女として会話をするのに問題が無い事は分かっただろう。そして、あの女性はとても噂好きでもある。
エラが何か失敗してくれれば、噂としてあちこちで話してくれるだろう。その時一緒にリリーは思っていたよりも元気そうだし、沢山の事を知っているだとか、何か良いように話してくれたらもっと良い。
この先エラのふりをやめるのなら、リリーがどれだけ素晴らしいかと印象付けておいた方が良い。エラの機嫌を取りつつ動き回るのは大変そうだが、やれるだけやらなければならない。
王太子妃の椅子は、近いようで遠いのだから。