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取り戻せ

リリーが予想していた通り、エラは入れ替わりがバレないと知るとほぼ毎日のようにリリーに王太子妃役をさせ、遊びに出るようになった。


入れ替わるようになってもう一か月程が経ったが、今の所トーマスに一度見破られた以外は誰にもリリーだとバレていない。


「エラ!」

「ルーカス、どうかしたの?」


夫であるルーカスでさえ、気が付かない。

なんて間抜けな人なのだろう。愛する妻が違う女であると見破れないのなら、神に永遠の愛など誓わなければ良いのだ。


「これからダンスのレッスンだろう?相手をさせてもらおうかと思って」

「本当?嬉しいわ!でも、お仕事は宜しいの?」

「大丈夫、時間をもらったからね」


ニコニコと嬉しそうに微笑んでいるルーカスは、いつものように妻の腰に腕を回す。レッスンが行われる部屋までエスコートしてくれるのは良いが、姉の夫と体を密着させなければならないこの時間は少々苦痛だ。


そもそも、リリーはルーカスにあまり良い印象を抱いていない。

国中に流された可哀想なシンデレラの話にあるように、王子とお姫様は森の中で出会った。だが本当は、エラではなくリリーが森の中で出会ったのだ。


運命の恋とやらの相手を見分ける事も出来ず、そのまま結婚した馬鹿な男。あの時ほんの少し胸に抱いた恋心は、姉の結婚が決まった時に綺麗に霧散した。


「エラ、もうステップは覚えた?」

「勿論。少し…失敗してしまうかもしれないけれど。足を踏んだらごめんなさい」

「いくらでも踏んで良いよ」


嬉しそうに微笑み、ルーカスはリリーの頭に頬を寄せる。ここまで密着しても気が付かない事に内心呆れるが、それよりももう少し離れてほしい。

歩きにくいと文句を言いたいが、きっとエラなら絶対にそんな事は言わず、嬉しそうにルーカスに体を寄せるだろう。流石にそれは出来ない。


「どうかした?」

「え?」

「いつもならエラも僕の腰に腕を回してくれるのに」


やっぱりか。ひくりと引き攣った口角を必死で笑みに見えるように持ち上げ、リリーはどう言葉を返そうかと考える。


「その…今日はあまりお肌の具合が良くないの。見られるのが何だか恥ずかしくて…」

「そうかな?いつも通り、とっても綺麗だよ」


まじまじとリリーの顔を見ているルーカスは、何かを思い出したように動きを止めたかと思うと、ぽっと頬を赤らめる。


「夜更かし、したからね」

「…そうね、今日は早く休みましょ」


姉の夜の生活を知ってしまったような気がして、非常に気分が宜しくない。

夜更かしをしたにも関わらず、早朝から出かけて行ったエラの体力はどうなっているのか甚だ疑問だ。


そもそもエラはいつも何処に行っているのだろう。森の中で遊んでいるだけで済むような女ではないが、城の傍で遊ぶには目立ちすぎる。もしやエラは、リリーだと偽って遊び回っているのではなかろうか。


頼むから自分の悪評が立ちませんようにと祈りながら、リリーは目的地に辿り着き、部屋の扉をくぐった。


◆◆◆


エラが戻ってこない。それはリリーにとって非常に困る事であり、現在真っ青な顔をして寝間着姿のままエラの部屋にいる。


どうにかして自分の部屋に戻りたいが、エラが消えたと大騒ぎになっては困る。


どうしよう、いつになったら戻るのだろうと、落ち着きなくエラの部屋中を歩き回ってみるのだが、そんな事をしてもエラは戻っては来ない。


エラはいつも自室のベッド脇、壁にかけられたカーテンの向こうへと消えていく。そこは有事の際逃げる為の隠し通路になっているのだが、エラが見つけてしまえば悪用されるだけだった。


何度かカーテンを捲り、壁に似せた扉を開いてみるが、真っ暗な通路にエラの持つ灯りは見えてこない。


「どうしよう…何かあったんじゃ…」


もしかしたら何か良くない事があって、姉は城に戻る事が出来ないのかもしれない。探しに行くべきかと迷うが、この後眠る前のホットワインが運ばれてくる筈。エラはいつも眠る前にホットワインを飲むのだ。


「エラ様、ホットワインをお持ちいたしました」


予想通り、侍女の誰かが部屋の扉をノックする。慌てて秘密の通路から距離を取り、窓辺に立ってから入ってと返せば、ほんのりと湯気を立てるワインと共に侍女が入ってくる。


「…どうかされましたか」

「いいえ?何でもないわ。お庭を眺めていたのよ」

「左様でございますか」


窓から見下ろす庭は、夜であるせいか人はいない。少しの灯りのおかげで所々明るくなっているが、肌寒い夜に庭を散歩するのは、仲睦まじい夫婦か若いカップルくらいだろう。


「あら…」

「はい?」


庭の端で何かが動いた気がして、リリーは何だろうと目を細めて観察する。灯りに照らされた横顔が夫のものであると気が付くと、一緒に窓を覗き込んでいた侍女の顔を不安げに見た。


「まさか…。あっ」

「あっ」


ルーカスが影から出て来た誰かと熱い抱擁を交わす。薄暗くて相手が誰なのかまでは分からないが、女性が相手だという事はなんとなくわかった。


「…トーマス殿下かも」

「そうかしら…ルーカスだと思うのだけれど」


面白い物を見てしまったと表情に出ている侍女の前で、リリーは不安そうな顔を作り続ける。この一か月の間、ほぼ毎日のようにエラのふりをして、時折夫とも過ごしていればなんとなく分かる。


あれはルーカスであると。


「ルーカス殿下はエラ様を心から愛していらっしゃいます。それに、まだご結婚して日も浅いですし…」


なんとか機嫌を取ろうとしているのか、侍女は視線をうろつかせながら言葉を紡ぎ続ける。なかなか苦しいぞと自分でも分かっているようで、徐々に声が小さくなっていった時、ふいにコンコンと扉をノックする音が聞こえた。


「どちら様でしょうか」

「僕だ、ルーカスだ」


助かったと顔を上げた侍女は、扉の向こうから聞こえた声にリリーと顔を見合わせる。

窓の外に見えたルーカスは既に何処かに移動したのか姿が見えないが、あの場所からこの部屋に来るには時間がかかる。


「あ、いけませんエラ様!いくら夫でも寝間着姿を見せるのは…」


寝間着以上に恥ずかしい姿を見せているだろうに何を言っているのかと、リリーは白けた目を侍女に向けそっと扉を開く。

ぱちくりと目を瞬かせているルーカスは、妻が出迎えてくれた事が嬉しいのか、にっこりと微笑んで小首を傾げた。


「ごめんね、おやすみを言いたかったんだ」

「そうだったの。今ね、ホットワインを持ってきてもらったのよ。一緒にどうかしら」

「良いの?嬉しいな」


リリーの肩にガウンを掛けながら、侍女は諦めたように溜息を吐く。

ルーカスと入れ替わりで侍女は部屋を出て行き、エラの部屋に残されたのは、エラのふりをしているリリーと、妻が妹と入れ替わっている事に気付いていないルーカスの二人だ。


「今注ぐわね。座って」


二つのゴブレットにワインを注ぎながら、リリーは考える。ついエラならばこうするだろうと考えルーカスを部屋に引き入れてしまったが、このまま夜をこの部屋で過ごすなんて言われたらどう断れば良いのだろう。


いくら姉のふりをしているとはいえ、流石に妻の役目をこなすわけにはいかない。


「エラ、どうかした?」

「いいえ、何でもないわ」


ルーカスの声に振り返り、リリーはにっこりと笑顔を作る。

ワインを飲んだら追い出そう。今日は早めに休むと昼間のうちに言ったのだから、言葉の通りにしたって文句は無い筈だ。


緊張を必死で隠し、ゴブレットの一つをルーカスに手渡す。受け取ったルーカスはまじまじと妻の頭の先からドレスの裾まで見ると、小さく声を漏らしながら肩を震わせた。


「そんなに緊張するくらいなら、初めから部屋に入れなければ良いんだ」

「夫を追い返すような女ではないわ」

「無理に姉のふりを続けなくて良い」


いつもの笑みを消し去り、ルーカスはゴブレットを傾け、じっとりとした視線をリリーに向ける。

姉のふりと言った。目の前に座る男は確かにそう言った。思わず逸らした視線が答えであると気付いた時にはもう遅かった。


「何故、姉のふりをして俺を部屋に引き入れた?」

「っ…!」


リリーの手首を掴み、逃がさないと睨みつけるルーカスの目が怖い。ルーカスの黒い瞳が、黒い髪が、見慣れている筈のその色に溺れてしまいそうな程の恐怖。


早鐘を打つ心臓が、選択を間違えたのだと叫んでいるような気がした。


「王太子妃のふりなど大それたことをしたな。王太子の子を身籠り、姉に成り代わり王太子妃になるつもりか?」

「そんな…恐ろしい事は考えておりません」


震える声で反論したリリーに、ルーカスは目を細める。違うと何度も首を振り、リリーは何とか離して貰おうと腕を体に寄せた。


「私はただ、姉に言われた通りにしているだけで…」

「ほう?」

「少しの間、姉が休む時間を作る為に身代わりをしていただけの事で…姉に成り代わろうだなんて恐ろしい事は、決して…これっぽっちも!」


握られている手首が痛い。男の力とはこんなにも強いのかと、逃げられない事がこんなにも恐ろしい事であると初めて知った。

普段穏やかな笑みを浮かべているルーカスが、こんなにも静かに怒りを露わにするなんて知らなかった。


何故分かったのか。姉がしないような事をしてしまっただろうか。部屋に誘うなんて事を、姉はしないのだろうか。


「座れ、話してやろう」


パッとリリーの手を離し、ルーカスは向かいに置いてある椅子を指差した。

逃げるなと睨みつけるルーカスに気圧され、リリーは大人しく座る事しか出来なかった。


「同じ顔をしていると、周りの者はどちらがどちらか分からない。そうだろう?」


ゴブレットをテーブルに置き、ルーカスは椅子にふんぞり返って足を組む。

ルーカスが普段やらない仕草。目の前にいる男はルーカスではないと気付いた瞬間、男はにんまりと笑いながら言った。


「兄上のふりをしているのは、俺も同じだ」

「…トーマス、殿下」


カラカラと渇く喉から絞り出した名に、男はフンと鼻を鳴らして答える。王太子の弟、トーマスであると。


「兄上は元々遊び好きでな。王太子としての役割など出来る人ではないのだ」

「…姉も、同じです」

「では、同じ理由で片割れのふりをしているようだな」


面倒な事を押し付け、遊び歩いている片割れの代わりをしているだけ。

この部屋で向かい合って話している二人は、互いに兄と姉の代わりをしている片割れ同士であった。


「あの、お伺いしてもよろしいでしょうか」

「何だ?」

「殿下は、何故姉の部屋に?まさか、夜のお勤めまで代わられているわけでは…」

「まさか。俺はあの女を抱く事だけは死んでもしない」


心底嫌そうに眉根を寄せると、トーマスはひらひらと手を振った。そんなに嫌なのかと口をもごもご動かしたリリーに向かって、トーマスは言う。


「兄上に言われてな。いつも寝る前に顔を見に行くから、今夜はそれだけ頼むと」

「あ…」


先程侍女と共に窓の外に見つけたルーカスの影。あれはトーマスだったと二人で結論付けたが、本当にルーカスだったらしい。


誰かは分からないが、女性と闇に消えたルーカス。その代わりに、妻の元へ訪れたトーマス。


「ルーカス殿下は、何処の何方とお過ごしなのでしょう」

「さあな」

「先程、闇夜に消えるお姿を窓から見ました。姉は、この事を知っているのでしょうか」

「知っていて、黙っているような女か?」


絶対に黙っているような女ではない。ならば、姉はまだ夫が自分以外の女と過ごしている事を知らないのだろう。


そもそも姉は、夫に興味があるのだろうか。姉は昔から、大金持ちと結婚してやると言っていた。ルーカスと結婚したのは財産目当てというだけで、ルーカス本人に興味は無いのかもしれない。


遊びに出たまま未だに戻らないのは、外に男でも作って遊び歩いているせいなのか。貞淑な妻を演じる事に飽きてしまった姉ならば、これくらいの事はいくらでもするだろう。


「不公平とは思わないか。生まれた順番が違うだけで兄は王位を継ぎ、俺はその補佐だ」

「私共は…そういった事は…」

「考えた事は無いか?もしかしたら、本当は自分が姉で、幼い頃に入れ替わってしまったのではないかと」


エラはリリーで、リリーはエラ。

ルーカスはトーマスで、トーマスはルーカス。

もし本当にそうだったとしたら、王太子になるのはトーマスの方だった。


「赤子の頃、俺たちは間違わぬよう足首に色の違う紐を括りつけられていたそうでな。それがもし、何らかの理由で入れ替わっていたとしたら?」


そう言って、トーマスは目を細めながらリリーを見つめる。

もしも言葉の通り入れ替わってしまっていたのなら、目の前に座るトーマスは、本当はルーカスで、王太子になる筈だった。手に入れられる筈の王座を掠め取られたと笑うトーマスは、じっとリリーを見つめて言った。


「君たち双子も、入れ替わっていたとしたら?」


その言葉にリリーの胸が締め付けられる。

本当は、森の中で出会ったのはリリーだった。気付いてもらえず、そのまま姉と結婚されてしまったけれど、もしあの時互いに名を名乗っていたのなら、何か変わったのだろうか。

それとも、ルーカスがエラではなく、リリーだったと気付いてくれれば違ったのだろうか。


「本人たちが遊んでいたいと願い、俺たちに入れ替わるよう言っているんだ。本当に、成り代わってやろうとは思わないか?」

「それは…どういう…?」

「王太子になってやろうと思っていたが、妃があの女となるのは御免でな」


トーマスはそう言って、リリーの手を取る。

今度は優しく、そっと取るだけの手に、リリーはじっと視線を落とすことしか出来なかった。


「君が俺の妃になってくれるのなら、喜んで迎え入れるよ、リリー嬢」


真直ぐに見つめてくる真っ黒な瞳。

ルーカスと同じ顔が、真直ぐに此方に向いている。思わず赤くなってしまった顔をどうすれば良いのか分からず、リリーは口を開く事が出来なかった。


「俺は王太子に、君はその妃。いずれ俺たちは、並んで玉座に座るんだ」

「…大それた事を」

「本来の居場所を取り戻すだけだ。俺は俺の玉座を取り戻す。君は…いつまでも姉の影として生きるのか?」


まるで悪魔の誘いだ。耳に響く甘美な誘いは、もしもリリーが王太子妃になったらどんなに素敵かを語って聞かせる。


姉の顔色を窺わずに生きていける。王太子妃という重責を負う事にはなるが、エラよりも良い妃になれるであろう。優秀な女なのだから、姉がおらずとも生きていける。

むしろ、姉は邪魔な存在でしかない。


姉の笑顔が頭に浮かぶ。

大嫌いな、にんまりとした笑み。いつだって面倒な事を押し付けて、楽しい事を楽しみたいだけ楽しむあの女が、自分と同じ顔をした女が、大嫌いだ。


もしも本当に、並んで玉座に座る事が出来たなら、姉はどんな顔をするのだろう。

妹を恨み、憎しみを込めて喚くだろうか。その顔を見てみたい。いつまでも従順な妹であると信じて疑わない姉の、裏切られた時の顔を。


「…少し、考えさせてください」


にっこりと微笑んだリリーの表情は、妹に微笑みかけるエラと同じだった。


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