姉への復讐
カタカタと震えるエラは、可哀想になる程顔色が悪かった。それを見つめるトーマスは、逃がさないぞとばかりに義母を両親に紹介した。
「ルメジャン伯爵夫人、エラの育ての母です」
「育ての母?お亡くなりになったと聞いているが」
眉を上げた国王の前で、義母はにっこりと微笑んで困ったように小首を傾げた。
王妃もまだ理解出来ていないようで、説明を求めるような視線をトーマスに向ける。
「お、お義母様!無事だったのね、どうしてすぐにお手紙をくださらなかったの?ああ、でもこうしてまた会えた!再会のハグをしても良い?」
「あら、殺されるかもしれないのに喜んで受け入れると思う?」
フンと鼻を鳴らし、夫に守られるように隠れた義母は、ああ怖いと呟いて嫌そうに顔を顰めた。
「どうして…?私、リリーもいなくなってしまったのよ?一人きりになってしまったのに…!」
「貴方が殺したのでしょう?秘密を知られたくなかったから。私たちと同じように消そうとしたんじゃない」
義母の言葉に、会場の誰もが息を呑んだ。
違うとすぐに否定したエラの言葉を信じる人間がどれだけいるのだろう。城に来てからの行いが悪かったのか、エラならやりかねないと思っている人間が多いのだろう。女性たちは扇で口元を隠し、ひそひそと何か囁き合っていた。
「可哀想な王太子妃エラ様!妹を喪い、家族もいない、でもお腹には新しい命!素晴らしいわねえ…素晴らしいお話だわ」
目を細めた義母は、トンとルメジャン伯の肩を叩いた。分かっていると頷いた伯爵は、客人たちに向かって手を差し出し、「おいで」と微笑みかけた。
「私の従妹に紹介しなければ。私の娘の一人を連れてきておりましてね」
「あら…息子がいる事は覚えているけれど、娘もいたかしら?」
「血は繋がっておりませんがね。可愛い娘が三人も増えたのですよ」
コツコツと会場に響く靴音。進み出た女は真っ青なドレスを身に纏い、俯いていた。
だがその女が誰なのか、エラにはすぐに分かったのだろう。ぶるぶると震え、顔を真っ赤にして唇を噛みしめた。
「末娘、リリーです」
会場のあちこちで歓喜の声が上がる。信じられないと言う者も居たが、振り向いてにっこりと微笑んだリリーの顔は、震えているエラと瓜二つなのだ。
誰が見ても、王太子妃の妹リリーその人だった。
「皆様お騒がせして申し訳ございませんでした。ちょっとした…里帰りをしておりましたの」
会場の隅で手を取り合い泣いている令嬢を見つけた。アリスとジュリアがリリーの帰りを喜んでくれているのだ。すぐ傍らに立っているキャンベル夫人も、何度も頷き、小さく手を振ってくれていた。
「国王陛下、王妃陛下、騒ぎを起こして申し訳ございません。お叱りは何なりと」
深々と頭を下げて詫びるリリーに、頭を抱えた国王は深い溜息を吐いた。今更トーマス達を全員摘まみだしたところで、人の口に戸は立てられない。どうしたものかと困っているようで、王妃にちらりと視線を向けていた。
「私の舞踏会を台無しにした代償は払ってもらいましょう。ですが、これ程の騒ぎを起こしたのです。まだ何かあるのでしょう?」
うっすらと微笑んでいる王妃を前に、リリーは背中に緊張の汗が湧き出るのを感じる。しかしここで黙って退室するなんて事は出来なかった。
「姉の妊娠についてですが、申し上げたい事がございます」
「言って」
「お腹の子は、王家の血を引いていない可能性がございます」
「リリー!」
金切り声を上げたエラは、妹を黙らせようと足を踏み出す。しかしトーマスがそれを阻止しようと、リリーの前に立って睨みつけた。
「続けて」
「はい。姉は時折、私に王太子妃に成り代わるよう言いました。私は…皆様を、騙しておりました」
いくら姉に逆らえなかったとはいえ、リリーは皆を騙し、王太子妃としてレッスンを受けたり、公務に出たりしていた。それはとても心苦しく、何度も姉にもう出来ないと訴えたが聞き入れては貰えなかったと、王妃に向かって続けた。
「慣れぬ生活に疲れているのだろうと、少しの間休む時間を作る為ならばと…皆様を欺き、親切にしてくださる方々の前で姉のふりをしていた事はお詫びいたします。ですが、これ以上姉の秘密を胸に秘めておく事は出来ません!」
目を潤ませ、リリーは客人たちの方へ振り返る。ごめんなさいと素直に詫び、涙を落とすリリーの姿に思うところがあったのか、キャンベル夫人がそっと近寄ってくる。
「リリー…貴方、私のレッスンを受けていたの?エラ様のふりをして」
そっと手を取られ、リリーはゆっくりと頭を上げる。キャンベル夫人は何とも言えない顔をしていたが、やがてしっかりと王妃の方を見て口を開いた。
「謎が解けました」
「そのようね」
「え…?」
「日によってエラ様の理解度に差がありすぎると、王妃様に進言していたのよ。もしかしたら入れ替わっているかもしれないとね」
本当に入れ替わっているとはねと付け足し、キャンベル夫人はそっとリリーの涙を拭ってくれた。母の後を追って来たジュリアもリリーの手を取ると、指輪もありますねと微笑んでくれた。
「エラ。リリーの言う事は本当なのかしら」
名前を呼ばれたエラは、びくりと肩を震わせる。言い訳を考えているのか視線がうろうろと定まらないが、いつまでも黙っているわけにいかないと覚悟を決めたのか、両手で顔を覆った。
「私はただ…少し、ほんの少しの間平民だった頃を思い出したかっただけで…!」
「平民であった頃が忘れられないのなら、貴方は王太子妃にはなれないわね」
「そんな…!王妃様も少しの安らぎを求める事はおありでしょう?どうして私は認められないのですか!」
「私は平民であった事はありませんもの。王の娘として生まれ、王の妻として生きている。役目を放棄した事など一度もありません」
冷たい視線をエラに向け、一緒にするなと静かに怒ると、王妃はそうよねと客人たちの顔を見まわした。客人たちもこくこくと頷き、王妃の言葉に嘘は無いと言っているようだった。
「息抜きをするなとは言いませんが、お腹の子が王家の血を継いでいないとは…どういう事か説明をしてもらおうかしら」
一度上げた顔を再び俯かせ、エラは両手を胸の前で組む。ここで誤魔化せなければ、もうどうにもならないと理解しているのだろう。しかし、エラが何か言うより先に、リリーが口を開いた。
「父親候補を連れてきております。お通ししてもよろしいでしょうか」
「出鱈目よ!」
やめろと顔を上げたエラの視界に、厳しい顔をしている客人たちの顔が飛び込む。誰もエラの味方はいない。どうにもならない。絶望感が胸に広がるが、助けてくれと縋る事が出来る夫を思い出しても、夫は力なく項垂れているだけだ。
「どうぞ、入ってもらいなさい」
「では…ダニエル、お連れして」
会場の入り口で待機していたダニエルは、やや演技掛った動きで扉を開く。開かれた扉から入って来たのは、複数人の男たちだった。
客人たちは、今度は何だと興味津々で招かれていない筈の男たちを見ているが、入って来た男たちは皆、眉間に皺を寄せエラを睨みつけていた。
「父親候補の方々です」
「こんなに…」
言葉を失った国王は、もう勘弁してくれと手をひら付かせる。男たちに憶えのあるエラは、どうしてと小さく呟いてその場にへたり込んだ。
「最有力候補はヘンリーさんでしょうか?彼は画家の卵で、姉はアラベラと名乗りパトロンのような事をしていたそうです」
「その…画家の卵以外の方々は?」
「一晩相手をしたんですよ、王妃様!」
下品な笑みを浮かべた男がそう叫ぶ。その言葉に、貴族の女性たちは小さく悲鳴を上げた。汚らわしい、まるで商売女ではないかと囁き合っているが、エラはうーうーと唸る事しかしなかった。
「俺の子が国王になるかもしれないと思うと、面白くて仕方ないな」
「おい、俺の子かもしれないだろ」
「やめて!違うわ、この子はルーカスの子よ!」
「母なら分かるとでも?」
冷え切った声を上げたのは国王だった。ゆっくりと立ち上がり、国王は男たちを見回して言った。
「同じ顔をした女が二人いる。お前たちに見分けが付くかね?」
「服を脱げば分かります。アラベラの腰には、三つ並んだ黒子がありますから」
ヘンリーの言葉に、会場の隅で悲鳴が上がった。声の主はエラの侍女。湯浴みの世話などもしている彼女は、その言葉に嘘が無い事を知っていた。
「双子揃って、同じような黒子がある可能性はないかね」
「有り得ません!」
一人の女性が声を上げる。
会場の隅、使用人が待機している場所から進み出た女は、城の医務室で看護師をしている女だった。
「以前私は、リリー様のお怪我を確認する為に服を脱がせました。この目でしかと見ております。リリー様のお身体の何処にも、黒子など御座いませんでした!」
声を震わせる看護師は、痣だらけだったが黒子は無いと繰り返してくれた。看護師が控えている事は想定外だったが、身重のエラが参加するからと、何かあってもすぐに対応出来るよう医師と一緒に待機していたようだ。
「違う…知らない!そんな男たち知らないわ!」
「あら、貴方前科があるじゃないの」
黙っていた義母がしれっとした顔でそう言った。
結婚前の話だが、月の物が遅れていると慌てていた話をしてやれば、想像力豊かな者は勝手に好きなように想像してくれているようだ。
「必要であれば、故郷の幼馴染をすぐにお呼びしますわ」
「いえ、必要ありません」
汚らわしいと嫌そうな顔をしている王妃がそう言うと、今度は国王が口を開いた。
「ここで宣言しよう。此度の子、王家の子とは認めん」
「そんな…!」
「国王陛下、一つ…私からも宜しいでしょうか」
義母の隣で黙っていたルメジャン伯爵が、にこにこと微笑みながら片手を上げた。
彼は隣国から来ている客人であり、隣国の王の側近でもある。丁重に扱わねばならないと分かっている国王は、どうぞと頷くしかなかった。
「そこの…エラ嬢。彼女は私の妻と娘を亡き者にしようとした女です。そのような女が次期王妃とは…我が国としては、良いとは思えんのです」
「馬車の車輪に鉈を叩きつけるような子ですから…何をするか分かったものではありませんわ」
コロコロと笑った義母は、キャンベル親子と共に立っているリリーの元へ歩み寄り、そっと肩に触れて言った。
「この子が助けてくれました。そして、この子は実の姉に殺されかけたのです。ダニエル!」
「はい、奥様」
男たちに交ざっていた男を一人、ダニエルは一歩前に進ませた。ガタガタと震えている男は顔色が悪く、顔のあちこちに傷があった。
「その者は」
「リリーの命を狙った不届者です」
「お、俺は…金で雇われただけで…」
助けてくれと懇願する男は、滴り落ちる程の汗をかきながら震えている。
逃げられないように男を押さえているダニエルは、トーマスに事の説明を任せたようで黙っている。
「同じ顔の女を殺せと命じられたようですが…怖気づいたのでしょう。彼はリリーを逃がし、家に火を放ちました」
トーマスの説明に嘘が交ざっている事を知っているのはリリーたちだけだ。男は洗いざらい話す代わりに命は助けると約束をしている。
未遂とはいえ本当にリリーを襲ったと言ってしまえば、この後彼は捕らえられるだろう。そうならぬよう、トーマスは少しの嘘を交ぜたのだった。それは、リリーの願いでもある。
「細かい説明は後程…運よくルメジャン伯爵夫人と再会し、今日まで保護していただいたのです」
にっこりと微笑んだトーマスは、そうだねと震えている男に小さく声を掛けた。男はゆっくりと頷き、震える手でエラを指差す。
「エラ殿下に…命令されました」
「嘘よ!」
「これが、証拠です」
胸元から取り出した指輪。ルビーの指輪を掌に出し、男はそれをトーマスに渡した。
台座の裏に彫られた王家の紋。エラが城に来た時に用意した宝飾品の一つだった。
「無事成功したら金を払う。これは前金だと言って…」
「思い留まってくれて良かった。君がリリーを逃がしてくれた事、感謝しているよ。しかし、私はそこの王太子妃を赦す事が出来んのですよ」
じとりとエラを睨むルメジャン伯は、どうするのだと国王に視線を移した。
国王と伯爵ならば圧倒的に国王の方が身分は上。しかしルメジャン伯は王妃の従兄であり、国同士の問題にしても良いのだぞと脅されては国王も黙って目を瞑る事は出来ないらしい。
「リリーは正式に我が家の娘として迎え入れております。そこの娘は知りませんが…この子がルメジャン伯爵令嬢である事を忘れず、対処をお願い致します」
にっこりと微笑んだ伯爵は、また後でねとリリーに声を掛けてから妻を連れて会場から去っていく。ついでに男たちも連れて行くと、別室で呑もうじゃないかと声を上げて笑った。
「何だというのだ…問題しか起こさぬ王太子夫妻など私は認めん!」
「よくも恥を掻かせてくれましたね、二人共」
冷たくルーカスとエラを見下ろす国王夫妻は、会場に集めていた客人たちに頭を下げた。
国王夫妻が身分の劣る者に頭を下げるなんて事は、あってはならない。そうさせてしまったルーカスとエラは、客人たちから非難の目を向けられ項垂れるしかない。
「申し訳ないが、今夜の舞踏会は中止とさせてもらう。皆、折角の夜だ。我らは退室するが、好きに楽しんで行くが良い」
頭を上げた国王に、客人たちは揃って頭を下げた。一緒に来なさいと促され、騒ぎを起こした双子たちは国王夫妻に連れられ歩く。
大騒ぎになってしまったと今更怖気づいたリリーは、僅かに震える手をトーマスとしっかり繋ぐのだった。