兄への復讐
キラキラと輝く照明。女性客たちは新しく作ったドレスで着飾り、照明の光を反射する宝石を自慢し合う。
香水と化粧品の匂い。くらりと頭が揺れてしまう程の匂いに酔いながら、エラは堂々と胸を張り、会場の中心を歩く。
「エラ様よ。お美しいわね」
「ご懐妊の知らせが出たばかりでしょう?お身体は宜しいのかしら…」
客人たちが此方を見ながらこそこそと囁き合っているがどうだって良い。まだ膨らんでいない腹を撫で、ゆったりとしたデザインのドレスを着ているエラは、口角を上げてにこにこと笑顔を振りまいている。
「エラ、体調が悪くなったらすぐに教えてね。無理は禁物だ」
「大丈夫よ、今日は体調が良いの」
心配そうに眉尻を下げる夫に微笑むと、エラは会場内をぐるりと見まわした。
誰もが仲睦まじい若き夫婦を微笑まし気に眺めている。結婚式の日のように、祝福するような顔をしているように見えた。
腹の中には子供がいる。男女どちらだとしても、ここ最近流れていたエラの悪評を忘れさせる事が出来るだろう。男であれば後継者だとお祭り騒ぎになる筈。
会場の一段高くなった所で客人たちを迎えている国王夫妻に挨拶をしながら、エラはぎゅっと唇を噛みしめた。
「トーマスはどうした?」
「まだ…部屋に籠っております」
国王はもう一人の息子は何処だとルーカスに問う。恋人を喪ってからトーマスは部屋に籠るようになった。従者であるエリス以外を部屋に入れようとせず、ルーカスがいくら訪ねても顔を見せようともしない。
「そうか。仕方あるまい」
「エラ、体はどうかしら」
「はい、王妃陛下。今日は元気です」
体調を案じる王妃に返事をすると、エラはゆっくりと頭を上げる。いずれその椅子は自分の物になる。早くそこを退けと心のうちに隠しながら、口角をゆっくりと上げた。
「と、トーマス殿下ご入場です!」
会場がざわめく。
まさかと振り向いたルーカスとエラは、トーマスの姿に目を見張る。
喪服ばかり着ていたトーマスは、今日は王子らしい姿で堂々と胸を張っている。両親の前で頭を下げると、兄夫妻にも頭を下げた。
「遅れて申し訳ございません」
「トーマス、良い夜だ。無理はしなくても良いぞ」
「いえ、お話ししたい事がありまして」
「何だ、急ぎでないのならまた後で時間を作るが」
客人が大勢いるのだからと、国王は後にするよう息子に言った。普段のトーマスならば素直に引き下がるのだが、今日はそういうわけにはいかなかった。
「兄上の廃嫡について、進言したく」
「何を…!」
何を言いだすのだと目を見張ったルーカスは、妻の隣でトーマスを睨みつける。何が起きているのか分からないエラは、オロオロと口元を手で覆うだけだった。
「兄上は王太子として相応しくありません。そうでしょう母上」
「何故、そう思うのです」
「兄上が私に全てを押し付け、外で遊び回っている事は母上もご存知でしょう。父上、私の庶子たちは全て兄上の子です」
パンパンとトーマスがその場で掌を鳴らす。
その音の一拍後に開かれた扉から、複数の女たちが子供を連れて会場に入ってくる。それを見た客人たちは、女たちに道を譲るように場所を開けた。
何事だと困惑している者が殆どだが、面白い事が起きると興味津々で王子たちを見ている者も多かった。
「さあ女たちよ、私の問いに答えてみろ。ベッドの中でお前たちは男の名をなんと呼んだ」
「トーマス」
女たちが声を揃えて言う。
「子供たちよ、お前たちの父の名を答えろ」
「トーマス」
子供たちも声を揃えて言った。母親たちよりは揃っていないが、初めて見る父親の姿に目を輝かせていた。
「女たちよ、トーマスの体には何があった」
「左胸に痣がある」
ざわざわと煩い客人たちの前で、トーマスはゆっくりと服を脱いで体を見せ付けた。
体の何処にも痣など無い。均衡のとれた美しい体のどこにも、女たちの言う痣など存在しなかったのだ。
「痣があるのは双子のどちらか、父上と母上ならご存知の筈だ」
「…確かに、痣があるのはルーカスだったわ」
自らの腹から産んだ王妃は、息子のからだの特徴をしっかりと覚えていたらしい。ゆっくりと首を振り、信じられないと言いたげな目をルーカスに向けた。
「一体…何がどうなっているの」
「嘘だ!痣があるかどうかはトーマスが言ったんだ!私を貶める為に女たちを集めたんだ!」
違うと喚くルーカスは必死で父に縋る。覚えが無いと首を横に振る息子を見下ろす国王に、トーマスはにっこりと微笑みながら言葉を続けた。
「それから、エラとの結婚は無効です」
「はあ?!」
声を上げたのはエラだった。どういう事だとトーマスに詰め寄りたいのか、一歩足を踏み出してすぐに止まる。
女たちの中から一人の女が子供を連れて進み出たのだ。他の子供たちよりも年上の息子を連れた女は美しい。しかし、苦労しているのか少しみすぼらしい姿をしていた。
「アイラ・ロット。彼女こそが正統な兄上の妻です」
「お久しゅうございます、殿下」
深々と頭を下げたアイラは、憎しみを込めた目をルーカスに向ける。睨まれたルーカスにも覚えがあるのか、視線がうろうろとさ迷っていた。
「四年前、兄上は秘密結婚をしましたね。結婚証明書の写しも手に入れており…こちらに」
服を着直しながらそう言うと、トーマスは胸ポケットから小さく折り畳んだ紙を国王に差し出した。ルーカスはそれを奪い取ろうとしたが、国王の方が僅かに早かった。
「…確かに、お前の名が書かれているようだな」
息子を睨みつけ、どういう事なのか説明を求める国王から逃れるように、ルーカスはゆっくりと後ずさる。
「わ、私じゃない!そんな女知らない!」
「何を…そこにいる子供はお前の幼い頃とうり二つではありませんか!」
「トーマスだって同じ顔だ!トーマスが私の名を使ったんだ!」
「殿下…それ程、私と息子の存在をお認めになりたくないのですね」
ぽろぽろと涙を流すアイラは、憎しみを込めた視線をルーカスに向けて叫んだ。会場の誰にも聞こえるように、腹の底から声を張り上げた。
「私を王太子妃にすると仰ったではありませんか!結婚するから、私の愛を全てくれと仰ったのは貴方様です!」
「知らない!私じゃ…」
「いいえ!確かに貴方様でした!左胸に痣をお持ちの貴方様が!嘘だと仰るのなら今すぐ服をお脱ぎになれば宜しいわ!」
ふざけるなと後ろの女たちも口々に叫ぶ。足を床に叩きつけ、脱げと声を揃えて叫ぶ女たちがゆっくりとルーカスに距離を詰めた。衛兵たちが止めようと槍を突き付けるが、女たちは子供を庇う素振りは見せてもルーカスに迫る事を止めなかった。
「私が妾腹である事を理由に公表は待つよう言ったのに!説得してくると約束をしてもう四年経ちましたわ。いつまで待てば宜しいのです?未婚の母にしておいて、貴方はどうして知らぬ女を王太子妃の椅子に座らせたの!」
アイラの怒りは尤もだろう。まだ幼い息子を抱きしめ、夫を怒鳴りつける迫力は客人たちが口を開く事を許さなかった。
「私はどうだって良い!でもこの子は…この子は貴方の子!いずれこの国の王となるのではなかったの?!」
「黙りなさい!お前が妻?その子供が未来の国王?ふざけるのも大概になさい!衛兵!いつまでこの女たちに好き勝手叫ばせるつもり?摘み出しなさい!」
怒鳴るエラに、衛兵たちは慌てて女たちを捕まえようと動き出す。
しかし赤子を抱いている女もいるせいか、衛兵たちは女たちに手荒な真似は出来ないようだ。
「王子様は自分で着替えないんだっけ?脱がせてやろうじゃないか!」
女のうちの誰かがそう言った。数人の女たちが子供を仲間に預け、呆然としているルーカスに飛び掛かる。衛兵たちが止めようとするが遅かった。女に群がられたルーカスがやめろと叫んでいるが、解放されると服を剥かれた姿で床にへたり込んでいた。
「久しぶりに見たわ、その痣!」
ケタケタと笑う女たちは満足したのか、王妃に向かって順に頭を下げる。子供たちが皆トーマスの子として記録されており、王妃の名で全ての子供に養育費を支払ってくれているのだ。
「感謝いたします、王妃様。王妃様の御慈悲のおかげで、この子は飢えずに生きていられます」
「騒ぎを起こして申し訳ございませんでした。罰はなんなりとお受けいたしますが、子供たちに罪はありませんから…どうか、どうか子供たちには寛大なお心を」
「下がりなさい。後でゆっくりと考えます。誰か!皆をお送りしなさい。丁重にね」
王妃は子供たち全てに目を向け、ゆっくりと目を細める。どちらの息子の子供であっても、孫である事に変わりはないのだ。
王位を継ぐ事の無い庶子ではあるが、血の繋がった子供の存在を知っていて捨て置く事が出来なかった。
「アイラと言いましたね。貴方は別室へ。後程詳しくお話を聞かせていただきましょう。貴方の事も、その子の事も私は何も聞いていませんから」
アイラは息子をしっかりと抱え、王妃に向かって頭を下げた。衛兵の一人がそっと促すと、抵抗する事無く付いて歩く。
「さて…秘密結婚を理由に兄の廃嫡を望むのか?」
「神に嘘の誓いをするような男が国を背負うなど…許されますか?それに、兄上は成人の儀を行った日に誓った筈だ。王太子として残りの人生を費やすと」
「その誓いも違えていると?」
「ええ。兄上は以前から私に王太子としての役目を押し付けて遊び惚けておりました。その結果が先程の女性たちと子供たちです」
上半身裸のまま呆けているルーカスは、もうやめてくれと懇願するような視線を弟に向ける。
客人たちを巻き込むのは申し訳ないが、もう茶番は始まってしまったのだ。中途半端なところで終わらせる事は出来ない。
「そうだろう、エリオット」
「は…?」
会場の端にいた従者が一人、遠慮がちにトーマスの脇に進み出る。自分の従者だと理解したルーカスは、どうしてと小さく呟いた。
「発言を、お許しください」
国王を前に緊張しているのか、エリオットの声は震えていた。話せと手を動かして促され、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「幼い頃から、お二人は時折入れ替わって遊んでおられるようでした。成人してからは、トーマス殿下が王太子としての仕事をされるように…初めは気付きませんでしたが、私は幼い頃からルーカス殿下のお傍におりました。気が付かないと思われていた事が、悔しかったのです」
俯きながら、エリオットはしっかりと言葉を続ける。いつか自分は国王の従者になるのだと思っていた。ルーカスは素晴らしい王になってくれると、そう信じていた。それなのに、主であるルーカスは遊ぶ事に夢中になり、弟に面倒な事を全て押し付け、子供まで押し付けた。
そんな男に仕えるのが嫌になった。代わりに、国の事を考えているトーマスに仕えたいと考えるようになったのだ。
「無責任に種を蒔き、男としての責任からも逃れるような男が、どうして王になれましょう」
「エリオット…お前、私の従者だろう?」
顔を引き攣らせるルーカスが声を震わせるが、エリオットは既にルーカスを見限っているのだろう。冷めた視線を向けてトーマスの傍らに付いた。
「神へ偽りの誓いを立て、責務からも逃れるような男が王となればどうなるか…考えれば分かるでしょう」
「…お前の言いたい事は分かった。だが、この場で騒ぐ事か?客人を大勢招いた王妃の顔に泥を塗るとは考えなんだか」
「ああ…母上からは許可をいただきましたので。そうですよね、母上」
「ええ。これ以上養育費が嵩むと困りますからね。どうにかしてくれると言うので許可しました」
「はあ…」
しれっと言った王妃の隣で、国王は頭を抱える。もう騒ぎは終わりかと騒めき出した客人たちはそれぞれ顔を見合わせ、王家の動きを興味深く見ている。
「何やら楽しい催しがあったようですな」
客人の中から、一人の男が進み出る。髭を蓄えた細身の初老の男だ。
誰だか分かったのか、王妃は嬉しそうな顔をして立ち上がった。
「ルメジャン伯!久しぶりね!」
「麗しの従妹に会いに来ましたよ。妻も一緒にね」
にっこりと微笑んだ伯爵は、ぱちりとウィンクをして付いて来た女性を前に出す。
恭しく頭を下げた女性がゆっくりと頭を上げた途端、エラが目を見開き呟いた。
「お義母様…」
「久しぶりね、エラ」
まだ騒ぎが続くのかと頭を抱えた国王を前に、義母はにんまりと笑ってみせた。