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入れ替わり

ドキドキと高鳴る胸を押さえ、緊張しながらリリーは細く息を吐く。今の自分はエラなのだ。堂々と胸を張り、姉ならばどう動き、どう話すかを考えて動かねばならない。


「王太子妃殿下、ご機嫌麗しゅう」

「御機嫌よう、キャンベル夫人」


にっこりと微笑み、ドレスの裾を持って頭を下げる。たったそれだけの動きだったというのに、キャンベル夫人はわざとらしい咳払いをして眉間に皺を寄せた。


「殿下、先日の宿題はお済でしょうか?」

「宿題?何だったかしら」


そんな話は聞いていないぞと焦りながら、リリーは必死でエラに見えるように笑みを浮かべ、可愛らしく小首を傾げる。

苛々とした様子で、キャンベル夫人は王侯貴族の名前を全て覚えたのかと言葉を柔らかくしながら聞いた。


「あー…ごめんなさい、忙しくて忘れていたわ」


まだそんな事をしていたのかと、リリーはエラの勉強嫌いを呪う。リリーは王太子妃の妹としていずれ良家の妻となれるよう教育してもらえた。王侯貴族の名前、関係等を覚えるのは基本中の基本の筈だが、エラは面倒がって覚えていないのだろう。


「覚えて頂かなくては困ります。この先御公務の際にも困りますし、王宮内のサロンでも…」

「あーあー、そうね、分かっているわ!もう一度初めから教えてくれない?今度はちゃんと覚えるから」

「そのお言葉も!殿下は王太子妃なのですよ!」


エラを演じるとどうにも怒られてしまう。バレないように演じ続けるべきなのか、それとも少しずつ王太子妃らしくしていくべきなのか、どうすれば良いのか分からなくなってきた。


「妹君のリリー様は既に淑女として恥ずかしくないお振舞いをされますわ。すぐに嫁いでも問題ございません」

「そうかしら?やめてちょうだいね、まだお城の生活になれていないの。妹と離れてしまったら、寂しくて死んでしまうわ」


本物のエラならばきっとこう言うだろう。城に来るときも、さようならと手を振るリリーに「一緒に決まっているじゃない」と言った程なのだから。

不安なのよと眉尻を下げてはいたものの、本心は便利な妹を手放したくなかっただけ。どうせこの先も、何かと理由をつけて傍に置こうとするのだろう。


「いつまでも未婚のままでいるわけにはまいりませんわ。リリー様には然るべき家柄の殿方との縁談を用意しなければ」

「ふうん…なるべく良い方にしてあげてね。上位の貴族家なら、きっとお城にも残れるでしょうから」


部屋持ちの貴族に嫁がせろと、エラならば言うだろう。正直リリーは結婚に興味はなく、出来れば田舎でひっそりと暮らしたい。だが、この世は女が一人で生きていくのが難しい。若いうちに良い家に嫁がなければ、そのうち食うに困って体を売らなければならない。


エラが城に行くときに覚悟したのだが、無理矢理引っ張って来られたことで、無事綺麗な体のまま生きる事が出来そうだ。


エラは便利な妹を手放したくない。

リリーは衣食住に困りたくない。

双子はそれぞれ、手を取り合って利用し合っているのだ。


「お喋りはこれくらいに…今回こそ覚えていただきますからね」


キッとエラを睨みつけたつもりのキャンベル夫人は、分厚い本を机に置いてフンと鼻を鳴らす。普段リリーとして接しているキャンベル夫人は、気難しくて神経質だがもう少し優しい女性だった筈。

それはリリーが素直に教えを請い、出された課題をきちんとこなし、キャンベル夫人に感謝をしているからだ。エラは面倒くさい、出来れば関わりたくないしかめっ面の年増と見下しているのがにじみ出ているのだろう。


随分嫌われたなと姉に呆れ、リリーは静かに本を開いた。


リリーは既にほぼ全ての人物の事柄を覚えているが、エラも覚えなければ困るだろう。本には似顔絵も描かれており、これはリリーの本には無かった。


誰が誰なのか早く覚えなければ、来月の晩さん会で恥をかく事になる。これはエラが戻ったらすぐにでも覚えさせようと、リリーは気合を入れてキャンベル夫人の説明をじっくりと聞いた。


「ベイリー伯爵夫人は林檎が体に合いません。この方を招待される際は、絶対に林檎を使ったお料理は出してはいけません」

「そうなのね、覚えておくわ」


この話も初耳だ。エラと違い、リリーはある程度の教育を施したら城から出すつもりなのだろう。嫁ぎ先でまた詳しく教われば良いのだが、覚えられる機会があるのだから今のうちに憶えられるのならば今のうちに憶えておきたい。


「合わないのは林檎だけ?梨は?火を通せば大丈夫かしら?」

「…ええ、ジャムにしてしまえば問題ないようです。梨も、桃も問題ありません」

「そう、それならデザートには困らないわね」


何かおかしいぞと目を瞬かせるキャンベル夫人は、こほんと小さく咳払いをして話を続ける。

エラがキャンベル夫人を嫌っているのなら、変わりに覚えて後から教えてやれば良い。正直妹から教わる事すら拒否しそうだが、二人とも覚えていないよりはマシだろう。


どうせこの先も、エラはリリーに入れ替わるように言いつけるのだ。今日初めて王太子妃を演じているが、エラはきっと味を占めている。せめて周りに迷惑を掛けないように、出来るだけ王太子妃らしくいられるようにしなければ。


入れ替わりがバレてしまえば、きっともうこの城にはいられない。そうならないように、リリーは必死で食らいつくしかないのだ。


◆◆◆


案外バレなかったなと安堵しながら、リリーはエラのふりをしたまま歩く。ほんの僅かな時間だが、休憩時間を貰えたのだ。

突然与えられた自由時間をどう過ごそうか考えているうちに、リリーは庭に出ていた。


沢山の花で飾られた庭は、城に集まる淑女たちの憩いの場である。今日も数人が塊になって散歩を楽しんでいる姿が見え、リリーはなるべく誰かに見つからぬ様、こそこそと花を眺めて楽しむ事にした。


キャンベル夫人にはバレなかったが、他の人にバレてしまうのが怖いのだ。

淑女としての立ち居振る舞いを教えてもらってはいるが、城に来てからの半年間では、幼い頃から貴族として生活し、教育されている淑女たちと比べればまだまだ未熟。


エラのふりをしている事がバレなかったとしても、立ち居振る舞いがなっていないと影で笑われるのは困る。今のリリーはエラなのだ。何か粗相をしてしまえば、それはエラのやらかした粗相となってしまう。そうなれば、きっとエラは怒るだろう。


エラに怒られるのは怖いのだ。服で隠れる場所を抓り、気が済むまで罵倒し、ねちねちと責め立てる。思い返してみれば、まだ生母が生きている時からそうだった。


悪戯をして叱られた時には、エラは全てリリーのせいにした。リリーは何もしていなかったのに、エラは真直ぐに母を見て「リリーよ」と言うのが常。初めの頃は反論していたが、後からいじめられるのが嫌になり、そのうち黙って受け入れるようになった。


その方が楽だったのだ。痛い思いをしなくて良いし、ねちねちと責める言葉を聞かなくて済む。両親からは「エラを見習いなさい」とよく言われるようになってしまったが、それでも良かった。


「おや、失礼」

「あ…ごきげんよう、トーマス殿下」


庭で座り込んでいたせいで、歩いて来た男性がリリーのドレスの裾を踏んだ。

すぐに詫びてくれたトーマスは、エラの夫であるルーカスの弟だ。


「よく分かるな」

「はい?」

「兄上と俺を見分けられる人は少ない」


立ち上がったリリーの顔をじろじろと観察しながら、トーマスは不思議そうな顔をした。

ルーカスとトーマスも双子で、二人揃って同じ顔をしてはいるが、トーマスの眉間にはいつも深く刻まれた皺がある。不機嫌そうな顔をしていれば、それはトーマスだ。


「夫と義弟の見分けくらい付きますわ」

「そうか。流石は運命の恋人たちだ」


小馬鹿にするように鼻を鳴らすと、トーマスはその場にしゃがみ、踏んでしまった裾をパンパンと払う。

王子がする事ではないと慌てて止めると、また不思議そうな顔をした。


「…この間は、やれと言ったじゃないか」

「はい?」


トーマス曰く、エラは馬を走らせていたトーマスのせいでドレスの裾が汚れたと怒り、砂を払えと言ったらしい。女性のドレスを砂埃で汚してしまったのは事実だからと、トーマスはそれを受け入れ詫びながら払ったそうだが、それを聞いたリリーは姉のあまりにも酷い言動に頭を抱えたくなった。


「あの時は…申し訳ございませんでした」

「詫びる必要は無い。貴方は兄上の妻、王太子妃なのだから」


俺はいずれ貴方方夫妻の臣下となるのだからと付け足し、トーマスは跪いたまま恭しく頭を下げた。

やめてくれと懇願したいが、きっとエラならば王子が自分に傅いているというこの状況を喜ぶだろう。どうしようと頭の中ではあれこれ考えられるのに、何が正解なのか分からずオロオロする事しか出来なかった。


「随分と…雰囲気が異なりますね」

「だって、貴方が…」

「普段のエラ嬢なら、次期王妃の手に親愛のキスを求める筈だ。そうだろう、リリー嬢」

「ひぇ」


違いますと首を横に振るが、跪いたまま睨みつけてくるトーマスはエラではなくリリーであると確信しているようで、真っ黒な瞳を向け続ける。

逃げられない、逃げなければ、言い訳を…と考えても、どう言えば良いのか分からなかった。


「そういう遊びか?付き合ってやるのも悪くないかと思ったが、あまり面白くない」

「あの…何故」

「見れば分かる」


立ち上がると、トーマスはそっとリリーの手を取り、その甲に唇を寄せてにこりと微笑む。

トーマスが笑った顔を初めて見た。


「エラ嬢に親愛のキスを贈るのは嫌だが、君にならいくらでも」


思わず引っ込めてしまった手をしっかりと握り、リリーはぱくぱくと口を動かす。普段のトーマスは不機嫌そうな仏頂面で、いつだってルーカスと共に行動している筈だ。


リリーと二人で会話をする事はあまりないし、会話をする時はエラも一緒にいる時ばかりだった。


「何故、分かったのですか?」

「教えてしまったら、君は次から同じ事をしないだろう?どんどん見破るのが難しくなったら困る」


何かエラらしくない事をしてしまったのなら、それが何なのか教えてほしい。トーマスの言う通り、次に同じ間違いをしたくないのだ。


どうせエラは、今後何度も入れ替わるよう要求してくるだろう。そうなった時、完璧にエラを演じられるように。


「見破ったご褒美は何か無いのか?そういう遊びだろう?」

「いえ…特にそういったものはございません」

「では、次までに考えてくれ。何度でも見破ってやろう」


にっこりと微笑むと、トーマスは気が済んだのか背中を向けて歩き出す。

その背中をぼうっと見つめるリリーを探しに来た侍女の声に振り返ると、侍女はリリーに向かって言った。


「エラ様、お時間です!」

「あらごめんなさい、遅れてしまったわ」

「お急ぎください」


侍女は自分をエラだと思っている。それなのに、何故トーマスは見破る事が出来たのだろう。彼は何度でも見破ると言ったが、その言葉は本当だろうか。


口づけされた手を握りしめながら、リリーは次の予定をこなすべく侍女と共に歩き出す。トクトクと小さく高鳴る胸音は、考えない事にした。


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