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母の愛

目的地に辿り着くまで、予想していた通り村人たちと何度もすれ違った。それどころか声を掛けられ、その度にハリーが「道に迷ったらしい」と言って、これから教会に案内するんだと誤魔化してくれた。


「おじ様、本当にありがとうございます」

「良いってことよ。村長の家だったんだな」

「お義母様とよく来たんです。合っていると良いのだけれど」


コンコンコンと扉をノックすると、村長がにっこりと微笑みながら出迎えてくれた。ハリーも挨拶をしたが、後ろで待っているフードで顔を隠した客人に視線を移すと、「ああ」と小さく声を漏らした。


「お入り。ハリーは…すまんが入れてやれん」

「分かった。教会で待ってる」

「すまないね」


行っておいでと背中を押されたリリーは、村長の家に入るとそっとフードを脱いだ。

久しぶりに顔を見せた村の少女を見た村長は、嬉しそうにうんうんと小さく頷いて笑ってくれた。


「お久しぶりです、村長」

「ああ、リリー。元気そうだね」

「お義母様から言伝があると思うのですけれど…」

「若いのだからそう急ぐことは無い。私のように老いぼれ、死が間近に迫った時に焦ると良いよ」


のんびりとした口調でそう言うと、村長は椅子を勧めてくれた。古くて固い椅子だが、義母と来た時はいつも座っていた。


「いつもので良いかな?」

「お構いなく。…でも村長のクッキー美味しいから大好きなの」

「嬉しい事を言ってくれるね」


ニコニコと微笑みながら、村長は小さなクッキーを出してくれた。砂糖が入っていないせいか膨らんでいないが、森で集めた杏を干したものが混ぜ込んであり、固くても大好きな物だった。


「普通はお茶だと思うんだけれどね」

「姉さんならそう思うでしょうね」

「試して悪かったよ」

「お義母様から言われているのでしょう?一度試すように」


つい先程も同じような事があったばかりだ。固くてもそもそした食感のクッキーを頬張りながら、リリーは差し出されたお茶を美味しそうに飲んだ。城では味わえない故郷の味。向かいの席に座った村長は、美味しいと何度も繰り返すリリーを嬉しそうに見つめて言った。


「困っているんだね?」

「少し。城を追い出されてしまいました」

「全く…あの子は妹を大切にするという事を知らないね」

「そういう人ですから」


村長はリリーだけでなくエラの事も可愛がってくれていた。幼い頃は何度か父に連れられて双子揃って村長の家に遊びに来ていたのだが、歳を重ねるにつれエラは来なくなっていた。

来ても面白くないし、出されるクッキーは美味しくないと文句を言っていた事を思い出し、リリーは小さく溜息を吐いた。


「奥方から頼まれていてね、我が家には暫くの間居候がいるんだ」

「そうなのですか?お義姉様かしら」

「いいや、あの二人は無事奥方と共に国に帰ったよ。以前手紙が来たからね」


村長は村の中でも数少ない文字が読める人間の一人だ。念の為読んだらすぐに燃やしてしまったそうだが、無事国に着いたと義母から手紙が来たらしい。


「今買い物に行ってもらっていてね。もうすぐ戻ると思うんだが」

「あの…お義母様はここに来れば良い事があると手紙に残していました。何があるのか教えていただけませんか?」

「言っただろう、若いうちに焦るものではないと」


ふふふと小さく声を漏らして笑った村長は、城での暮らしはどうかと聞いた。

少し窮屈だが、不便もなく暮らしていたと教えてやれば、安心したように口元を緩ませる。

少し話をしているうちに、村長はリリーの指輪に気が付いたらしい。


「好い出会いがあったようだ」

「何故、そう思うのですか?」

「君は与えられた物だとしても城からあれこれ持ちだすような子じゃないだろう?それなのにその指輪は置いてこなかった。大切な物なんだろうね」


にこにこと微笑んでいる村長の言葉通り、リリーは宝石類には手を出さなかった。持ち出したのは、実家を出る時に持って来ていた両親の形見だけ。ドレスは着ていたものをそのまま着て来ただけで、その他は全て衣裳部屋に置いてきている。


「村長は私の事なら何でもお見通しなのね」

「孫みたいなものだからね。祖父なら孫を理解しているものさ」


ずずと音を立ててお茶を飲む村長は、既に老齢だ。足を悪くしている為歩くにも苦労している様子だが、居候とやらが手伝ってくれるおかげで助かっていると笑った。


「ただいま戻りました」

「やあ、おかえり。ありがとう」


若い男が扉を開いて入ってくる。見覚えのない男に警戒したリリーは、持っていた欠けているカップをそっとテーブルに戻して男を見つめた。


「ダニエル、待ち人が来たよ」


にっこりと微笑んだ村長の隣に立った男はダニエルというらしい。恭しく頭を下げると、青い瞳をリリーに向けて口を開いた。


「ダニエル・パーカーと申します」

「初めまして。リリー・アトウッドと申します」

「奥様より、此方を渡すよう仰せつかっております」


そう言うと、ダニエルは胸元から封筒を取り出す。また義母からの手紙だと思って開いたのだが、義母の文字ではない。


—ダイヤに勝るものは何?


それだけ書かれた手紙から顔を上げると、ダニエルは何を考えているのか分からない顔でじっとリリーを見つめている。

温度を感じぬ冷たい目が、何かを探っているように思えた。


「アンナお姉様の文字だわ。姉さんならきっとダイヤに勝る物は無いと言うでしょうね」

「では、貴方の答えは」

「家族」


ダニエルの目を見つめながらそう答えた。

昔、上の義姉であるアンナと話した事があったのだ。どうしても金が足りず食べる物に困った時、義母は自分のダイヤを売った。それを知ったエラはダイヤを売るなんて勿体ないと言っていたが、アンナはそれを咎めて言ったのだ。


ダイヤで腹は膨れない。家族がいればダイヤなどいらない。パンさえあれば生きられると。


手紙に書かれているのはアンナの文字だった。アンナが問うのなら、きっと答えは家族だと思った。


「では、こちらも」

「また手紙なのね」


無表情のまま差し出された手紙には、また短い文が書かれている。


—許さない


下の義姉、イザベラの文字だった。

本当にリリーに向けた手紙なのだろうか。どきりと跳ねてしまった胸を押さえ、リリーはどういう事だとダニエルの顔を見る。


「何か」

「これは、本当にイザベラお姉様から私に向けての手紙でしょうか」

「はい。何故疑問に思うのでしょう」

「イザベラお姉様から、許さないと言われる覚えがないからです」

「では、イザベラお嬢様は何故その手紙を私に託されたのでしょうか」


そう言われても分からない。きっと何か意味がある。眉間に皺を寄せ考えるうちに、文字の位置がおかしい事に気が付いた。


義母とアンナからの手紙は、便箋の中央に文字が来るように書かれていた。だが、イザベラの手紙だけが不自然に上に寄っている。


「少し…火をお借りします」


まさかとは思ったが、リリーは立ち上がってかまどの火に手紙を翳す。燃えてしまわぬよう慎重に当てているうちに、じわじわと文字が浮かび上がってくるのが見えた。


—正解


「…だそうです」

「ご名答」

「お姉様が家に来たばかりの頃教えてくれた遊びだわ。レモンの汁で文字を書いて火で炙ると文字が出るって」


懐かしいと微笑むと、ダニエルはまた手紙を差し出した。

今までの手紙とは違う、立派な封筒だった。表には「リリー」と書かれ、裏を見ればどこかの紋章が押された蝋で封をされている。


「奥様からの最後のお手紙です」


真直ぐ背中を伸ばしたダニエルは、にっこりと穏やかに微笑んでいる。座りなさいと促す村長は、ダニエルの為にお茶を用意しはじめ、リリーはまた座り直して手紙を開く。


—お疲れ様。ダニエルは我が家の人間だから、安心して頼りなさい。私は暫く王都にいるわ。貴方がこれを読んだと知らされたらすぐに戻るから、良い子で待っていてね。


一枚目は義母からの手紙だった。まだ何かあると思えば、二人の義姉からの手紙のようだ。


—リリー、元気にしている?こっちの国は豊かで良い所よ。また家族で一緒に暮らしましょう。可愛い妹、私の二人目の妹。

—昔の遊びを覚えていてくれて嬉しいわ。エラは本当に酷い子だわ。目と鼻にレモンを絞ってやりましょう。


イザベラの手紙に笑ってしまったが、大好きな家族が末の娘を案じてくれている。それが嬉しくて、思わず涙が零れた。

無事で良かったと小さく呟くと、ダニエルはハンカチを差し出して慰めてくれた。


「奥様をお迎えに行ってまいります。本日の夜には到着するでしょう。お嬢様方は此方にはいらっしゃいませんが、リリーお嬢様のお帰りを心から望んでおりますよ」


以前なら、また一緒に暮らせると喜んでいただろう。だが今は違う。

姉への恨みを晴らさないまま国を出るなんて事は出来ない。穏やかで幸せな暮らしが出来るとしても、トーマスと約束をしたのだ。


エラを王太子妃の椅子から引き摺り落とす。そして、トーマスと並んで王太子妃の椅子に座る。きっと義母はやめなさいと咎めるだろうが、どんなに叱られたとしてもやめるつもりは無い。義母の国に行く事も無い。


「私は、国を出る事はいたしません」

「それは追々。奥様はただ、娘に会いたいだけです」


そう言うと、ダニエルは一礼して家を出て行った。涙に濡れた顔のリリーは、渡されたハンカチで顔を拭う事しか出来ない。


「パンとワインを分けてあげよう。他には何があったかな…」


立ち上がった村長は、袋に沢山の食べ物を詰め込んでくれた。居候が持って来ていた金のおかげで生活に少し余裕があるからと笑い、パンパンに膨らんだ袋をリリーに押し付け、椅子に掛けていた外套をリリーの肩に掛けてくれた。


「助けが欲しいのなら、私たちも助けよう。大した事は出来ないだろうが…」

「そのお気持ちが嬉しいです。ありがとう村長」

「クッキーを持ってお行き。気を付けてお帰りよ」


さようならと手を振る村長に頭を下げ、リリーは来た時と同じように深くフードを被って外に出た。

教会で待っていると言っていたハリーが此方に向かって歩いてくるのが見えた。ダニエルが声を掛けてから出て行ったのだろう。


「お土産を沢山いただいてしまいました」

「良かったな。暗くなる前に戻ろう」


重たいだろうと気を遣い、ハリーは村長からのお土産を持ってくれた。大して長くない帰路を辿りながら、リリーは渡された手紙を大事に胸に抱える。


もし戻って来たのがエラだったらどうなっていたのだろう。義母はエラを助けようと思うだろうか。優しい人だから、きっとエラが相手でも助けようとしてくれるだろう。

カサカサと小さな音を立てる手紙をぼんやりと見つめながら、リリーはせっせと足を動かし続けた。


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