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初恋の思い出

トーマス視点です

せっせと仕事をこなす事にはもう慣れた。本来は自分ではなく、兄であるルーカスの仕事なのだが、兄は相変わらず遊び歩いてばかりでまともに仕事をしない。


以前は仕事をしろ、役目を全うしろと兄を叱りつけた事もある。

だが兄は、弟からの忠告など聞き入れるような男ではなかった。少し息抜きをする事の何がいけないのか。同じ顔をしているのだから、それを上手く利用して何が悪い?


そう言って笑う兄の顔が気持ち悪いと思った。

息抜きを悪いとは思わない。羽目を外しすぎなければ、多少の息抜きは必要な事だと思っている。だが兄の息抜きはあまりにタチが悪い。


城の外で女を抱く。気に入れば何度か通うが、気に入らなければもう二度と顔を合わせることはない。そのうちトーマス殿下の子ですと言って、赤子を抱いた女が城に押しかけてくるなんて事が何度かあった。


記憶に無い女が、会いたかったと涙を浮かべて擦り寄ってくると、抱いてくれと差し出される赤子。

どくどくと心臓が騒いだ。違う、知らないと何度訴えても、誰も信じてくれなかった。今までルーカスの代わりをしている時は、トーマスは城の外に遊びに出ている事にしていたせいだった。


どうして本当に遊び回っている兄は、真面目に仕事をこなしている良き王太子であると皆から期待されているのだろう。

どうして本当は兄の代わりに働いている自分が、遊びに夢中で女癖も悪い出来損ないと蔑まれなければならないのだろう。


そこまで思い出して、握っていたペンがパキリと小さな音を立てた。

はっと意識を戻せば、サインをしていた書類にインクが滲んでいた。


やってしまったなと溜息を吐き、トーマスはペンを置いて天井を仰ぐ。ふうと溜息を吐いて目を閉じれば、数時間前に会ったばかりのリリーの顔が思い浮かぶ。


夜になれば会える。時間を貰えた。話をしようと誘ったはいいが、別に話したい事なんてない。ただ一緒に過ごしたかっただけだ。


—お酒を用意してお待ちしております


少し恥ずかしそうに微笑んでいたリリーは、とても愛らしかった。大嫌いな女と同じ顔をしているというのに、エラとは比べられない程柔らかく笑う人だと思っている。


初めて森の中で出会ったあの日から、トーマスの胸にはいつだってリリーがいた。恥ずかしそうに微笑むあの顔が、どれだけ時間が経っても忘れられなかった。舞踏会で再会した時、確かに胸が高鳴った。


あの日以来ですね、苺は沢山採れましたか?


そう話し掛けたかったのに、その役目はあっさりと兄に奪い取られた。絶望した。

目の前で兄と踊るあの日の初恋の女性。ダンスは苦手なんだろうなと微笑ましく眺めているうちに、少しの違和感を覚えた。


微笑む顔が違う。あの柔らかく、恥ずかしそうに微笑んでいた彼女ではない。同じ顔をしているのに、絶対に違う。


その違和感は、兄の結婚が決まりエラが妹を連れて城に来た日に間違っていなかったのだと確信に変わる。


ぼんやりと浮かない表情で姉の後ろを付いて来た妹。俯き、小さな声で「リリーです」とだけ名乗った。

彼女だ。苺を集めていた彼女、恥ずかしそうに微笑んでいた彼女がそこにいる。


兄に奪い取られたと思っていたが、兄と熱い抱擁を交わしている女性は偽物だった。


「トーマスだ。よろしく頼むよ、リリー嬢」

「お優しいお言葉、感謝いたします」


深々と頭を下げたリリーに笑ってほしかった。苺が好きなのならば、食べきれない程の苺を与えてやりたかった。


笑った顔が見たいと思ってはいるのに、同じ城にいるのだから仲良くなる機会は幾らでもある筈だったのに、そんな時間は無かった。


最近になって漸く一緒に過ごす時間を作れるようになった。昼間に仕事を詰め込み、無理矢理作った時間をリリーと過ごすのが好きだ。

部屋を訪ねると、にっこりと嬉しそうに微笑んでもらえるだけで、どれだけ疲れていても忘れる事が出来た。


それだけで良い。それだけで癒されるのだから、どんなに忙しくても耐えられる。この先も、いつまでも。


ドンドンと扉を殴りつける音で我に返った。いい加減仕事を片付けなければとペンを手に取ると、慌てた顔のエリオットが扉を開いて飛び込んできた。


兄の従者だというのに、弟と入れ替わっている事にも気が付かない間抜けな従者。

何事だと眉根を寄せると、エリオットはぱくぱくと口を開いてぎゅっと拳を握りしめた。


「ご報告いたします」

「どうしたんだい?」

「リリー嬢が…城を出ました」


がつんと後頭部を殴られたような気がした。

くらりと視界が歪む。エリオットの言葉の意味が分からない。

ガタンと音を立てて立ち上がったトーマスは、細く浅い呼吸を繰り返す。


「何故…?」

「詳しい事は調査中です。ですが、先程門番からリリー嬢が荷物を抱えて出て行ったと…」


今リリーを追っていると続けたエリオットは、ぶるぶると震える拳を隠す様に背中に回す。

何かまだ言葉を続けようとしているようだが、彼の視線はうろうろとさ迷って落ち着きが無い。


「エラはどうしているんだい?」

「キャンベル夫人とのレッスン中です。先程殿下の元へも報告がいった筈ですが…」

「そうか…詳しい事が分かり次第、すぐ報告しておくれ」


どくどくと騒ぐ心臓。今にも潰れてしまいそうだと思ったが、思っていたより心臓は頑丈らしい。

ただ、目の前に広がっている書類に何が書いてあるのか理解が出来なかった。


「トーマス殿下」

「は…?」


震えるエリオットの声。

彼は兄であるルーカスの従者の筈。いつだって兄のふりをしている弟だと気が付かず、ルーカス殿下と呼んでいた筈。

そんな男が、真直ぐにこちらを見つめながらトーマス殿下と声を漏らしたのだ。


「いつから」

「最初から。ルーカス殿下が真面目に書類仕事なんてする筈がありませんから」


困ったように笑うエリオットは、先程飛び込んできたばかりの扉をそっと開いた。

開かれた先には、申し訳なさそうな顔をしているエリスが立っていた。


「殿下、申し訳ございません」

「お前…」


エリスはトーマスの従者だ。双子の王子にそれぞれ使える従者たちが、揃って申し訳なさそうな顔をして並んで立つ。


「殿下…私共は、互いの主が入れ替わっている事に気付いておりました。最初は悪戯のつもりなのだろうと思っておりましたが…違うと気が付いてからは、トーマス殿下こそが国王に相応しいと思ってお仕えしておりました」


そう言いながら、真直ぐにトーマスを見つめるエリオットは、悔しそうに唇を噛みしめて黙り込む。


「私共の故郷は、貧困と飢えに苦しんでおりました。孤児が溢れ、生きる希望など持てない故郷を助けてくださったのは、他でもないトーマス殿下です」


エリオットとエリスが同郷である事は知っていた。二人が仲の良い友人同士である事も知っていた。彼らの故郷が酷い状況である事も知っていたし、少しでも助けになりたいと思って国のあちこちに食糧庫を作らせた。


各地で集めた食糧を分配し、必要に応じて民に配る。仕事が無いのなら作れば良いと、荒れた土地を開拓させ畑を作らせた。農具が無いのならば与えれば良いと、税を収めさせる事を条件に貸し与え、土地を耕す農民を増やした。


それだけではない。まだ完全とは言えないが、王都と港を繋ぐ大きな街道を作らせているのだ。作っている最中は農民以外にも仕事を与える事が出来る。完成すれば、街が出来て栄えてくれるだろう。

海の向こうの国との貿易が盛んになれば、国も栄えてくれるかもしれない。少しでも飢える民が減るかもしれない。


そういう事を考え、必死で仕事をした。

それを知っている二人の従者は、ゆっくりとトーマスの前で頭を下げた。


「我らの王になってください。ルーカス殿下ではなく、貴方様ご自身で」

「その前に、どうか妃をお迎えに。リリー様こそ、殿下の妃に相応しいお方です」

「…次に国に流す御伽噺はお前たちで考えろ」


優秀な従者たちは、すぐに出られるように支度を済ませておいてくれたらしい。

厩には既に馬具を付けた愛馬が待っている。少し日数が掛かっても良いように、水と食料が入った鞄を持たせてくれた。


「リリー様とご一緒でなければ門を開きませんからね!」


エリスがそう言って、廊下を走るトーマスを見送る。振り返る事無く、トーマスはただ真直ぐ前だけを見て走り続けるトーマスは、何処を探せば良いのかも分からない。


だが、大人しく城で待っている事など出来る筈が無かった。


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