心配
久しぶりにエラのふりをした翌日、リリーはのんびりと歩いているうちにアリスとジュリアに詰め寄られていた。
「ああ良かった!返していただけたのですね!」
リリーの左手をしっかりと掴み、涙目になっているアリスは何度も「良かった」を繰り返す。ぱちくりと目を瞬かせるリリーの前で、今度はジュリアが怒りに満ちた様子で眉間に皺を寄せている。
「いくら王太子妃殿下と言えど、妹の宝物を奪い取るだなんて信じられないわ!」
「いつか王妃様になられるお方ですのに…城で一番身分の高い女性のされる事ではないわ」
二人揃って「エラは酷い」と怒っているが、何故怒っているのか漸く思い付いた。昨日エラのふりをしているのに、トーマスからの指輪を外さないままでいたのだ。
まるで、エラがリリーの指輪を奪い取り、人前で堂々と身に着けているかのように。
「あの…何のお話でしょう?」
「まさか…ご存知無いのですか?」
「昨日エラ殿下のお茶会にご招待いただいたのですが、殿下の指にこちらの指輪が嵌っていて…」
「え…?」
二人の言葉に、リリーは左手をぎゅっと握りしめ顔を青くさせる。嘘だと首を横に振ると、思い出したようにハッとした顔を作って口元を両手で覆った。
「私、昨日は少し体調が優れず一日部屋で休んでいて…眠る時指輪は外しているのですが、今朝目が覚めたら置いた筈の場所とは違うところに…」
嘘だ。トーマスに指輪を貰ってから、エラは風呂以外で指輪を外した事は無い。風呂に入る時でさえ、見える所に置いているのだ。
眠る時も嵌めたまま。時々浮腫んでしまって食い込む事もあるが、外したくなくていつでも身に着けているのだ。これがあれば、エラのふりをしていてもリリーである事を思い出せる。トーマスが傍にいてくれるような気がしたから。
「まさか…でも、見間違いでは?もしかたら、ルーカス殿下に贈っていただいたのでは」
「いいえ、確かにこの指輪でしたわ。見ましたもの」
真面目な顔でじっとリリーを見つめるアリスは、確かにお茶会の最後にリリーの手をじっと見つめていた。これは見ているなと思い、リリーもしっかり見えるようにわざわざ左手を持ち上げたりしてみせたのだ。
作戦は上手くいったようだ。
妹の宝物を奪い取る王太子妃。そんな噂が広まったらどうなるだろう。今こうしてアリスとジュリアが迫って来たという事は、きっと昨日お茶会に参加した令嬢たちが噂を広めてくれている事だろう。
エラはどんな顔をしているだろう。何があったのか全く知らないだろうし、取り繕おうにも上手い言い訳を考える事も出来ないだろう。
そう考えると面白くて仕方が無い。思わずこみあげてきてしまった笑いを誤魔化すように、リリーは両手で顔を覆って肩を震わせて笑う。
アリスとジュリアにはリリーが泣いているように見えたようで、可哀想にと呟きながら二人はリリーの肩を摩ってくれた。
「リリー!」
カツカツと靴音を響かせながら歩いて来た不機嫌丸出しの男に、アリスとジュリアは慌てて頭を下げる。
泣き真似をしているリリーが本当に泣いていると思ったのか、トーマスは慌ててリリーの体を抱きしめた。
「話は聞いた。詳しく教えてくれないか?」
流石にトーマスに何も言わなかったのはやりすぎだっただろうか。涙が一粒も出ていない顔を誤魔化そうと、リリーはトーマスの胸に顔を押し付けてどう説明しようかと考えた。
二人きりならば簡単に説明して終わりなのだが、流石にアリスとジュリアがいるこの場所ではそうもいかない。
「あの、トーマス殿下!私共、昨日エラ殿下のお茶会にご招待いただきましたの。その時、エラ殿下の指にリリー様の指輪が嵌っていたのです!」
アリスが怒り心頭といった顔でトーマスにそう訴える。ジュリアも一緒になって眠っている間に盗んだようだと訴え、恋人を抱きしめたままのトーマスは唇を噛みしめ、ぶるぶると肩を震わせた。
「お二人が怒ってくださって嬉しいです。心配してくださっているのですよね」
「当然ですわ!恋人からの贈り物を盗み出すだなんて!」
フンフンと鼻息荒く怒っているアリスは、どうにかしてやってくれとトーマスに詰め寄った。公爵家の令嬢は強いななんてぼんやりと考えているうちに、トーマスはどうにか落ち着きを取り戻したのだろう。ふうと溜息を吐くと、リリーの頭を撫でながらアリスとジュリアの二人に頭を下げた。
「教えてくれてありがとう。少し二人で話をしてきても良いだろうか」
「勿論です。リリー様、午後にでもゆっくりお茶をしましょう。ご気分が宜しければ是非お庭へいらしてくださいね」
「ありがとうございます」
目元を拭う仕草をしながら、リリーは力なく微笑みアリスとジュリアに頭を下げた。スンと鼻を鳴らしておけば、若い二人の令嬢は可哀想なリリー様という印象をしっかりと抱いてくれたらしい。
目尻にうっすらと涙を浮かべ、そそくさと去っていく。二人の姿が見えなくなった事を確認すると、リリーはけろりとした顔でトーマスの顔を見上げて言った。
「詳しくお話を」
「…涙は」
「嘘泣きです」
「演技派だな」
ふっと笑ったトーマスは、詳しく話をしようとリリーの部屋に向かって歩き出す。
きっと噂を耳にしてすぐさま探しに来てくれたのだろう。ちゃんとありますよと左手を見せてやれば、安心したように口元を緩めていた。
◆◆◆
トーマスに全てを説明すると、外に声が漏れないように気を付けてはいたが、腹を抱えて笑っていた。
折角の贈り物をエラへの嫌がらせに利用したと正直に言うのは憚られた為、外すのを忘れていたと嘘を言ったが、トーマスは「気を付けろ」とだけ言ってまた笑った。
「お騒がせしました」
「いや、無事なら良いんだ。俺が聞いた話では、また君が姉に殴られて指輪も奪われたと聞いたから…」
「ああ…軽く叩かれはしましたけれど」
代われと言いに来た時に殴られたなとぼんやり思い出していると、トーマスは眉間に深々と皺を刻む。
「頬を叩かれただけですし、何にもなっていませんからご心配なく」
「恋人が叩かれて怒らない男はいない」
「そういうものですか」
しれっと言うトーマスを前に、リリーの胸がドキドキと高鳴る。恋人という言葉が何だかむず痒い。
じっと真剣な顔を向けるトーマスに何と返せば良いのか分からず、もじもじと手を動かしてしまうのは仕方のない事だろう。
「守ってやれなくて、申し訳ない」
「いえ!いいえ…トーマス様のせいではありませんから…」
妹を叩くエラが全て悪いのだ。
トーマスのせいではないし、こうして怒ってくれるだけで充分だ。
「ご心配をおかけして申し訳ございませんでした。でも、私は大丈夫ですから」
「そうは言ってもな…」
何かを考えるような仕草をして、トーマスは小さく唸る。そんなトーマスの前で、リリーはぎゅっと両手を握りしめて黙り込むしかなかった。
「俺一人で君を守るのは難しそうだ。誰か侍女を就けよう。出来れば、君を良く思っている誰か…」
そこまで言って、トーマスは良い人材を思い付いたらしい。ふむと小さく声を漏らし、パンと両手を合わせて言った。
「先程の二人だ。確かコーマック公爵家とキャンベル伯爵家の令嬢だっただろう」
「流石、よく覚えていらっしゃいますね」
「あの二人なら身分も申し分ないし、婦人方もお許しくださるだろう。早速頼んでみる」
「ですが、アリス様とジュリア様がお引き受けくださるかどうか…」
「それは問題無いだろう。あの二人は君と仲良くなりたいそうだから」
どういう事だと首を傾げるリリーを放っておくつもりなのか、トーマスは早速行ってくると言って部屋を出ようと扉を開いた。
「ああそうだ…今日の夜、少し時間をくれないか?話がしたいんだ」
「勿論。お酒を用意してお待ちしております」
一緒に過ごそうとしてくれるのが嬉しい。もっと一緒に過ごす時間があったらもっと嬉しいのに。森に苺を探しに行けるのはいつになるだろう。早く時期になれば良いのにと心待ちにしてしまうのは、トーマスに心を奪われている証拠なのかもしれない。
「また夜に」
「はい。夜に」
にっこりと微笑んだトーマスを送り出しながら、リリーは自然と緩んだ頬をそっと抑える。
勘違いでも良い。もう少しの間だけ、初めての恋人に浮かれていたかった。