麗しのお姫様
いつも通りのお約束、ふわっとお楽しみください
晴れ渡る空、鳴り響く鐘。美しい城の前に集められた民衆は、城のバルコニーから手を振る若き夫婦に歓声を上げる。
誰もが若き夫婦を祝福し、恥ずかしそうにはにかみながら手を振る姫君を心から歓迎した。
「エラ様!」
「王太子妃エラ様!」
エラと呼ばれている姫君は、ほんの少し前まで平民だった。裕福な商人の娘として生まれたが、数年前父親が事故で亡くなり苦労しながら生きて来た。幼い頃母親も亡くしており、結婚するまで世話をしてくれたのは父が再婚した継母だった。二人の義姉も付いて来たが、彼女らは父が亡くなってからエラを女中のように扱い、シンデレラと呼んで蔑んだのだ。
可哀想なシンデレラは、森の中でひっそりと泣いている時に王子と出会い、二人はたちまち恋に落ちた。王子は森の中で出会った姫君を探す為舞踏会を開き、再会した姫君との婚約をその場で宣言したのだ。
「リリー!」
「素敵よ、姉さん」
振り返るエラは、嬉しそうに微笑みながら後ろに控えていた女性に声を掛ける。全く同じ顔をした二人。誰が見ても彼女らが双子であると分かるだろう。
純白のドレスに身を包み、愛する夫と腕を組む姉、エラ。
質素なグリーンのドレスに身を包み、バルコニーから遠ざかり、そっと微笑むだけの妹、リリー。
同じ親から生まれ、同じ顔をしている二人の人生は、華やかな人生とそうでない人生にきっぱりと別れているのだ。
「リリーもいらっしゃいよ。とっても素敵な景色よ」
「いいえ、私はここで良いわ。今日の主役は姉さんだもの」
「そう?勿体ないわね」
どうせ姉は本気で呼んでいるわけではないのだ。夫の前で妹を気遣う優しい姉を演じたかっただけ。もし本当にバルコニーに出てしまえば、後でエラは「気の利かない子」と蔑むだろう。エラはそういう女なのだ。
誰であろうが自分に逆らう者は許さない。この世界での主役は私。
これが、エラがリリーによく聞かせる言葉だった。
民衆に広められた話、可哀想なシンデレラの話は真実ではない。あれはエラが作り上げた物語であり、実際の継母はとても優しい人だった。
父親が亡くなり、借金まみれになろうとも、継母は娘四人の誰一人手放さず、きちんと育て上げてくれた。継母は娘たち全員に淑女としての教育を施してくれたし、何処に行っても困らないようにと家事を仕込んでくれた。
エラは遊びや楽しい事にしか興味が無く、淑女教育も家事も嫌っていたのだ。怠け者のエラの将来を案じ、継母はエラに厳しく接した。
「遊んでばかりいては、素敵な結婚は出来ないわ」
義母はよくそう言っていたが、エラは毎回鼻で笑い、鏡を眺めながらこう言った。
「大丈夫よ、お義母様と違って私は若くて美しい。そのうち国一番の大金持ちと結婚して幸せに暮らすわ」
その言葉の通り、エラは本当に国一番の大金持ちであろう男と結婚する事になったのだ。
欲しい物は何をしてでも手に入れる。他国の姫君や有力貴族の娘と結婚する筈だった王子の心を手に入れ、母方の親戚がとある貴族に繋がっているという無理矢理すぎる理由で結婚まで漕ぎつけた。
「君もこちらに来ると良い。王太子妃の妹であると、皆に手を振ってやるんだ」
にっこりと微笑み手招きをする姉の夫、ルーカスの誘いを断る事は流石に出来なかった。
ルーカスの隣で僅かに眉間に皺を寄せたエラの顔を見ないようにしながら、リリーはそっとバルコニーに向かって歩く。
なるべくルーカスからは距離を取り、エラの隣に立つ。ざわめく民衆に向かって、静かに頭を下げると、エラはぎゅっとリリーの体に抱き付いた。
「ふふ、皆驚いてるわね」
「同じ顔なんだもの。驚くでしょうね」
双子の姫君を歓迎する民衆は、幸せにと祝福するように拍手を繰り返す。慣れたように手を振り、笑顔を振りまくルーカスに気付かれないよう、エラはそっとリリーの耳元に囁いた。
「勘違いしないでね。主役は私よ」
「…分かってるわ、姉さん」
抱き付いたまま、リリーの腕に深々と爪を突き立てるエラは、民衆に向かって笑顔を向け続ける。
可哀想なシンデレラなどこの世界のどこにもいない。いるのは、傲慢で怠け者のエラだけだ。
◆◆◆
華やかなドレスに身を包み、身支度を済ませたエラはいつだって鏡の前でくるくると回る。毎日飽きもせずよく回れるなと呆れるリリーは、楽しそうなエラを眺める。
「本当、素敵な毎日だわ。ボロボロのドレスを着る事もない、固いパンなんてもう食べない!」
「そうね、姉さん」
「リリーにももっと…華やかなドレスを用意してもらったと思うのだけれど?」
飾り気のない地味なドレスを着ている妹に、エラは眉間に皺を寄せる。
同じ顔なのだから見た目にもっと気を使えと小言を言われる事にはもう慣れた。エラと共に城に来てから毎日言われ続けているのだ。
「一度くらい着飾ってみなさいな。まだ若いんだから」
パンパンと手を鳴らすと、エラ付きの侍女たちがドレスとアクセサリーを持ってリリーを囲む。にんまりと笑ったエラの「お願いね」という言葉と共に、侍女たちはあっという間にリリーの服を脱がせ、新たなドレスを着せていく。
苦しいし重たいドレスなんて嫌いだ。動き難いし、何かしたいと思うと袖が邪魔だ。アクセサリーも重たいし、大粒の宝石が煌めくネックレスは肩が凝る。勘弁してくれとげんなりしているリリーは、エラと同じ髪型にされて漸く開放される事となった。
「あら、やっぱり似合うじゃない」
「そうかしら…」
「私たちが並んだら、どっちがどっちか分からないわよ。ねえ、そうでしょう?」
にこにこと微笑みながら、エラは侍女たちに問いかける。流石に着ているドレスが違うのだから、着替えさせた侍女たちにはどちらがどちらか分かるだろう。
エラもそれに気付いたのか、リリーの手を引いて扉を開く。
「殿下に見せてくるわ!貴方たちは付いてこないでね」
悪戯を思い付いたように笑うエラに、侍女たちは行ってらっしゃいませと頭を下げる。
扉が閉まる直前、リリーは侍女たちの溜息を聞いた。
「どうして平民の世話なんて…」
ごもっともな不満だと溜息を吐き、リリーは侍女たちの愚痴を聞かなかった事にした。彼女たちは由緒正しき貴族の生まれであり、王太子妃とはなったが元平民のエラを快く思っていないのだ。
平民の世話をしなければならない。それが貴族令嬢にとってどれほど屈辱的な事か。エラは侍女たちに優しく接しているつもりなのだろうが、リリーが見ていると侍女たちを小馬鹿にするような態度を取る事がある。自分よりも格下だと思っているからそういう事を言うのだろうと眺め、後から申し訳ありませんと頭を下げる事にも慣れたものだ。
「姉さん、何処へ行くの?殿下のお部屋はこっちじゃないわ」
「当たり前じゃない、殿下に見せるなんて嘘だもの」
廊下を歩き続けていたエラは、ふいに足を止めて振り返る。
微笑んでいた筈のエラは、リリーの手首を痛い程握りしめて額を近付けた。
「この後の私の予定、知ってる?」
「午前中は、キャンベル夫人とお勉強…ダンスのレッスンと、王妃様主催の晩さん会の支度のお手伝い…?」
「そうよ。面倒臭いったらないわ」
王子と結婚すれば遊んで暮らせると思っていたエラは、想像とは違い大忙しの毎日に辟易しているようで、今日の予定が心の底から嫌なのだと唸る。王妃と過ごす時間が何よりも苦痛なようで、忌々しいと言いたげな目でリリーを睨みつけた。
「それでね、私良い事を思い付いたのよ」
「何かしら…?」
「貴方の服を貸して」
何を言っているのだろうと、リリーはぱちくりと目を瞬かせる。すぐに返事をしなかった事でエラの機嫌を損ねたようで、握りしめられた手首に爪が突き立てられた。
「良いけれど…どうするの?」
「昔からよくやったじゃない。入れ替わるの」
にんまりと笑うエラの顔が恐ろしかった。
子供の頃から、エラとリリーはよく入れ替わって遊んでいた。両親が生きている頃は、どっちがどっち?と可愛らしくクイズを出していただけだったのだが、義母が来てからは悪用された。
エラに言いつけられた仕事をリリーがこなす。終わった頃にエラが「終わったわ」と義母に報告をする。二人分の仕事をしなければならないリリーは、毎日大忙しだったのだ。
「駄目よ…姉さんは王太子妃なのよ?お仕事をしないと」
「私が?どうして貴方を連れて来たと思っているの?」
スッと目を細め、エラは首を横に振るリリーの手首に更に深く爪を突き立てる。逆らうな、許さないと睨みつけられる事にも慣れている。幼い頃からそうなのだから。
「ねえ、私のフェアリーゴッドマザー?」
「はい、姉さん」
いつの頃からか言われるようになった「フェアリーゴッドマザー」という言葉が大嫌いだ。
嫌だと言いたいのに、姉の前では何も言えなくなる。
「ちょっとの間だけよ。夕方には戻るわ。簡単でしょう?私たちは同じ顔、同じ声。入れ替わっても誰にも分からない」
可愛らしく微笑んだエラは、早く行こうとリリーの部屋を目指して歩き出す。地味だと言っていたドレスに身を包み、エラは何処に行くと言うのだろう。
また、エラとして振舞わなければならなくなってしまった。以前はただ、姉のふりをしていればそれで良かったが、今は話が違う。王太子妃を演じなければならないのだ。
もしもバレたらどうしよう。きっと許してはもらえない。リリーだけでなく、エラも処罰されるかもしれない。恐ろしくてたまらないが、今は怒り狂う姉の方が恐ろしかった。
シンデレラを見ていたら思い付いた話です。シャルル・ペローにぶん殴られる気がします