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第9話 ルゼとセドリック

 ルゼが小さな窓から下を見ると、丁度リーシェが湖に入っていくのが見えた。遠目に見ても露出の酷い格好で水に入っていく。

 初めて見た時はあまりの姿に驚いたが、毎日見ているとさすがに慣れてくるものだ。

 見ている間にリーシェはあっという間に湖の中心へ向かって泳いでいく。その泳ぎは本当に達者で、これこそ驚くべきものだ。

 リーシェが極刑になると噂が流れてきた時は、まさかこんなことになるとは思わなかった。

 城で王太子妃の選定が行われていることは知っていた。女性が二人選ばれ競っていると。一人はリーシェ・エルナンド伯爵令嬢、もう一人はローズ・バレット公爵令嬢。リーシェは身分的にはローズに劣っていたが、才色兼備と噂に高く、また父親も国の要職に就いていることからかなりの有力候補だった。

 ローズは病弱で社交界にはまったく出ていなかったらしいが、やはり公爵の娘ともなれば王太子妃としてはうってつけということで選ばれた。親の威光はそれほどの差がなかったため、結局王太子の心を射止めた者が王太子妃になるだろうと噂されていた。

 けれど半年ほどを掛けて行われた選定で、リーシェはあらゆる妨害工作をローズに仕掛け、挙句の果てにはローズに毒を盛るという暴挙に至り極刑となった。

 その罪の重さから、50年は行われていなかった断罪の湖での処刑になったのだが、その娘がこんな娘だとは思わなかった。


(噂とは随分掛け離れているように見えるが……)


 リーシェがここに住むようになってから10日が過ぎているが、報告書とは似ても似つかない性格に首を捻るばかりだ。

 セドリックが持ってきた報告書には嫉妬深く高慢で、プライドも高くかなりの自信家だとあった。貴族の娘らしい性格といえばそうだが、その気の強さは相当だったという。

 だが今ここにいるリーシェは、完全に反対の性格をしているように感じる。気さくで少し図々しいが、優しく気配りもある。

 それにまるで下働きの娘のように洗濯や料理ができることに驚いた。貴族の娘がどうしてそんなことができるのか未だに謎だ。

 そうして、最も不可思議だったのが、泳ぎが達者だということだ。この国の誰もが水の中に入ることを禁じられている。川でも湖でも足が浸かる程度までを限度としており、年配の者や信心深い者などは浴槽に浸かることさえ嫌がる風潮なのだ。

 そんな中で、リーシェは驚くほど美しい泳ぎを見せた。水に落とされても冷静に浮かび上がり、岸まで泳ぎ着いた。

 すべての経緯を塔の上から見ていたが、ルゼは初めて泳ぐ人間を見た。しばらくは自分の目で見ている物が信じられなかったくらいだ。


「なんとも気持ち良さそうなものだ」


 何度も浮き沈みを繰り返しているリーシェの姿を見て、少しだけ羨ましく感じる。この暑い陽射しの中、冷たい水に浸かってしまえばどれほど気持ち良いことだろう。

 自分は信心深い方ではないが、幼い頃から刷り込まれた教えに反するのはさすがに抵抗感がある。ルゼは小さく溜め息を漏らすと、窓際から離れいつも座っているハイバックスチェアに座った。

 そばにあるテーブルの上に置かれた書類の束を手に取り、目を通し始める。そうして一時間もしない間に、セドリックが姿を現した。


「おはようございます、ルゼ様」

「ああ、おはよう」

「リーシェが泳いでいますね」

「ああ。元気に毎日泳いでいる」


 ルゼの言葉にセドリックは小さく笑みを見せる。その顔に引っ掛かって眉を歪めた。


「なんだ」

「いいえ、なんでもありません。今日の報告書です。どうぞ」

「ああ」


 手渡された紙の束をペラペラとめくり中身を確認する。あまり代わり映えしない内容に溜め息が漏れる。


「なにも変化なしか……」

「申し訳ありません」

「いや、お前のせいではないさ」


 セドリックは目の前に立ったまま、大きな身体を縮こまらせている。責めているつもりはないが、ついそんな口調になってしまう。

 ルゼはセドリックに座るように促すと、報告書をテーブルの上に置いた。


「ルゼ様、本当にリーシェをこのまま住まわせる気ですか?」

「なんだ、不満か?」

「不満というか……。ルゼ様は本当に王笏があるとお考えなのですか?」

「お前は信じていないのか?」


 そう訊ねるとセドリックは申し訳ない様子で頷く。ルゼはその素直な反応に笑いながら、床に積んでいた本に手を伸ばし一冊を取り出した。


「この湖に確かに王笏は沈んでいる。絵本などに書かれている話はだいぶ脚色されてはいるが、本質は変わらない。150年前の国王がこの湖に王笏を投げ捨てたのは事実なんだ」

「ですがそれが本当だとしても、リーシェが探し当てられるとは到底思えません」

「確かにな。だが泳ぎ手が見つかったのだ。探しておくに越したことはない」


 ルゼは広げた絵本を見下ろし、挿絵に書かれた国王が掲げる王笏を見つめる。


「私は王笏の件は、単なる時間稼ぎなのだと思っていました」

「時間稼ぎか。まぁ、確かに言われた時はそうだっただろうな。俺もそうだと思った」

「ならば、」

「だが、もし本当に王笏が見つかれば、国王は恩赦を出さざるを得なくなる。だからリーシェが現れた以上、探すことも選択肢の一つになった」

「恩赦を出すほどの価値がありますか?」

「ある。王笏は元々それを以てして国の王と定めたものだ。今は王政も確立し揺るぎない存在になったが、それでも王政を問題視する輩は、何かあるごとに王笏の不在を話題に出して非難をしている」

「ではもし王笏が戻れば……」

「王家、引いては国にとってはこの上ない慶事になる」


 ルゼの説明にセドリックはなるほどと頷く。ルゼは手にした本を置くと、立ち上がりもう一度窓辺に寄った。

 湖面を探せば、すぐに水から浮上し顔を出すリーシェが見つかる。


「セドリック。……リーシェのことも調べてみてくれないか?」

「リーシェのこと、ですか?」

「ああ。身辺調査もそうだが、王太子妃の選定でのことを詳しく調べてほしい」

「事件のことを?」


 セドリックに視線を移し小さく頷く。あまりにも不審なことが多すぎるリーシェを、このままにしておくことはできない。


「お前はリーシェをどう思う?」

「あんな貴族の娘を、私は見たことがありません」


 ルゼはそう答えたセドリックをじっと見つめる。誰もがそう答えるだろう。それほどにリーシェの違和感は強い。


「王太子妃選定か……。すでにローズ嬢は入城しているな……」


 結婚の式典は大掛かりになるため、準備だけで半年は掛かるだろう。その間、王太子はローズと共に幸せな婚約期間を過ごすことになる。


「3年も経てば気が緩むか……」

「ルゼ様?」

「もう一度、すべてを調べ直すには丁度良い機会かもしれん」


 ルゼの言葉にセドリックの目が鋭く輝く。その目を頼もしく見つめる。

 セドリックは立ち上がると、その場に膝を突く。それを見下ろし、ルゼは静かに告げた。


「王太子に関わるすべての者を探れ。いいな」

「はっ!!」


 リーシェの登場により、何かが動き出している。ルゼはそう感じずにはいられなかった。

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