第66話 リーシェの力
リーシェたちは黙々とひたすら山を下り続けた。先頭のミレイアは、時折足を止めて行き先を確認する。何をどう確認しているのかリーシェには皆目検討が付かなかったが、ミレイアはそれで方向を決めまた歩き出した。
最後尾はリーシェで、背の低いエセルが遅れがちだったので、サポートしつつ、後方を警戒しながら歩いた。
恐怖と焦りからだろう、歩くペースはどうしても早くなってしまう。それをコーネリアが上手くコントロールしてくれて、4人はパニックにならず進み続けることができた。
「川だわ!」
ミレイアが声を上げ、足を止める。
最後尾のリーシェが追い付くと、目の前には確かに細い川が横たわっていた。
「これがセネ川?」
「うん。川幅からいって間違いないわ。このまま川沿いを行きましょう。必ずヴェメール川に合流するわ」
確信を持った目でミレイアが答える。3人は肩で息をしながらも、目印になる川が出てきて笑みを見せた。
それから川を右手に川下に向かって歩き出す。
川の横は細い獣道のようになっており、ぬかるんではいるが、雪の上よりよっぽど歩きやすい。
リーシェはこのままもしかしたら、自力で離宮に辿り着けるのではないかと考えながら皆の後を追った。
けれどそう上手くはいかなかった。
3メートルほどだった川幅が5メートルほどになってきた辺りで、前方が切り立った崖になっていることに気付いた。
「ミレイア、どうしたの?」
立ち止まって考え込んでいるミレイアに、追い付いたリーシェが訊ねる。
「道がないわ」
「え!?」
崖を見上げそれから川に目を移す。川は崖沿いを進んでいる。対岸は歩けるスペースがあるように見えるが、こちら側は崖をよじ登るしかなさそうだ。
「うーん、じゃあ、崖を避けて少し左に逸れてみれば?」
「迂回してたら川を見失ってしまう確率が高いわ。もう街道から相当離れてしまっているから、川が分からなくなったらおしまいよ」
コーネリアはどうにか崖を登れないか確認しているようだったが、振り返ると弱く首を振る。
「だめね。登れそうにないわ」
「どうする? 引き返す?」
エセルが心配そうに言ってくる。その顔を見てからリーシェは川に視線を向けた。
川幅は5メートルほど。流れは緩やかだ。近くに寄って見てみると、川底が見えている。
「ねえ、反対側なら歩けそうなんだから、川を渡ってしまいましょうよ」
「え?」
「水は冷たいだろうけど、深さはそんなにないし、流れも早くないわ。きっと渡れると思う」
リーシェは名案だと思い発言したのだが、3人は押し黙ってしまう。
妙な空気にリーシェが困惑していると、コーネリアが眉を寄せてやっと口を開いた。
「川を渡るなんて無理よ」
「なぜ?」
「なぜって……、怖いわ」
「それに、ゼシリーアの怒りに触れてしまうかもしれないもの」
コーネリアに続けて、小さく言ったエセルの言葉に、リーシェは「あ、そっか……」と呟く。
(皆、水が怖いのよね……)
ゼシアの国民が全員泳げないのを、またすっかり忘れていた。こんな川などもちろん入ったことはないだろう。
そんな人たちに、浅いとはいえ、流れのある川に入れなんて、無理に決まっている。
それに心情的にも禁忌を冒すことはできないだろう。だがこのままずっと考えていても埒が明かない。
「よし。私が皆を運ぶ」
「え!?」
「私が皆を背負って川を渡る。それなら皆は少ししか濡れないで済むよ」
「ま、待って! 背負うって、そんなことできる訳ないじゃない!」
ミレイアが慌てて声を上げるが、リーシェは構わずその場にコートを脱ぎ捨てた。
「リーシェ!?」
「ここでぐずぐずしている暇はないわ。もう昼は絶対過ぎてると思う。野盗たちに追い付かれてしまうかもしれないし、日が暮れてしまったら元も子もないわ」
「でも!」
リーシェはスカートをたくしあげると、腰のリボンをほどき落ちないように縛る。
「リーシェ、無理よ」
「そうよ! 危ないわ!」
コーネリアとエセルが必死な顔で止めてくる。リーシェはそちらを見ずに、靴と靴下を脱ぐと、すぐに水に入った。
「リーシェ!!」
「冷た……」
痺れるような冷たさが、足先から脳天までを突き抜ける。3人が腕を引っ張ろうとするのを払って、リーシェはザブンと足を進めた。
見た目には膝ほどまでだろうと思った深さは、川の真ん中辺りで太ももの半分までに迫ってくる。けれどそこが最深部だったらしく対岸に近付くとまた水位は浅くなっていく。それを確認すると、振り返り3人の元に戻った。
「ほら、ね? 大丈夫でしょ? さ、ミレイア。背中に乗って?」
「え……、でも……」
及び腰で弱い声を出すミレイアに笑顔を向けるが、一向に近付いてくれない。
「ミレイア、早く」
「私が先でいい?」
リーシェの急かす声に、エセルの声が重なった。
驚くミレイアたちをよそに、エセルは前に出るとリーシェの前に立った。
「リーシェ、いい?」
「もちろんよ。さぁ、乗って」
リーシェは笑顔で頷くと、エセルに背中を向けて乗りやすいように屈む。すぐにエセルは肩に手を置き、ピョンと背中に飛び乗った。
「重くない?」
「全然。さ、歩くからしっかり掴まっててね」
あまりの冷たさにもう足の感覚は麻痺しだしている。歯の根が合わずガチガチと音が鳴るのを、どうにか歯を食いしばって耐える。
「リーシェはやっぱり聖女だね。こんなことできちゃうなんて信じられない」
「エセルの刺繍に比べたら、こんなのなんてことないよ」
エセルの感心した声にリーシェは笑いながらざぶざぶと水の中を進む。流れに足を取られないように慎重に進み、そして対岸に着くとエセルを下ろした。
「ありがとう、リーシェ」
「うん。ここで待ってて」
リーシェはすぐにまた川に入り元に戻ると、今度こそミレイアに手を差し出した。
「さ、次はミレイアよ」
ミレイアの腕を掴み少し引っ張ると、ミレイアは大きく息を吐いてから覚悟を決めた目をリーシェに向ける。
「分かったから、引っ張らないで」
「はい、どうぞ」
背中を向けて膝を折ると、ミレイアはリーシェの荷物を抱えておずおずと背中をに乗ってくる。
「暴れないでよ」
「暴れないわよ!」
少し茶化して言ってみると、ミレイアが声を上げる。リーシェは声を上げて笑いながら、エセルの隣にミレイアを下ろした。
「さて、後はコーネリアだけね」
「大丈夫?」
「うん」
心配そうに声を掛けるミレイアに笑顔で頷き返すと、リーシェはコーネリアの元に急いだ。
「はい。コーネリアも乗って」
そう言うと、コーネリアは素直に背中に乗ってくる。
「ごめんなさい、リーシェ」
コーネリアの謝罪に、リーシェは小さく首を振る。
「いいのよ。皆がゼシリーアを信じてるってことでしょ。それって面倒くさいけど、間違ってはいないと思う」
どんな意味がないようなものでも、それが信仰なら自分がとやかく言うことはない。それを壊したり、覆したりするために自分はここへ来たのではないと思うから。
「あなたが聖女だってこと、やっと理解したわ」
「それはどうも。でも聖女っていっても、こんなことくらいしかできないから、あんまり期待しないでね」
「十分過ぎるわ」
なんだか皆、背中にいる間、不思議に素直に話してくれているように感じる。背中から感じる体温にリーシェは心まで温められた気がして、笑みが自然にこぼれた。
やっとコーネリアを地面に降ろしたリーシェは、さすがに疲れと寒さからその場に座り込んだ。あまりの寒さに歯の根が合わない。すると、3人が慌てて自分たちのコートを脱ぎ、リーシェをくるんでくれた。
「みんな……」
「足が真っ赤……。水は大丈夫だって、寒さはどうにもならないでしょ」
ミレイアはそう言うと、自分のコートでリーシェの足を拭いてくれる。
「ミレイア! コートが汚れちゃうよ!」
「バカ! そんなこといいのよ」
エセルとコーネリアがコートの上から抱き締めてくれ、ミレイアが一生懸命コートで足をくるんでくれる。
3人の優しさがあんまり嬉しくて、リーシェは思わず涙ぐんでしまった。
「ちょっと、なに泣いてるの?」
「うぅ……、だって、みんな優しいんだもん……」
「もう……、リーシェったら」
「リーシェ、なんだか可愛い」
エセルの言葉にコーネリアとミレイアは目を合わせて肩を竦める。それから4人で顔を合わせて笑い合った。
「もう大丈夫。十分あったまったわ。ありがとう、みんな」
リーシェは3人にコートを返すと、身支度を整えて立ち上がる。
本当はそれほど回復していなかったが、ここでずっとこうしている訳にはいかない。
「さぁ、進みましょう」
リーシェがそう言うと3人は川下へ視線を送り、力強く頷いた。




