第60話 花畑
ダンスの試験の次の日、今日は馬術の試験があった。ちなみにどちらもリーシェは最下位だった。自分なりには随分良い線までいったと思ったけれど、現実はそう上手くはいかない。
昼食を食べ終わって少し頭を切り替えようと、食堂から廊下に出ると歩きだす。一人になるのは極力避けなくてはいけないのは分かっているので、とりあえず遠くに行くのはやめておき、廊下の窓から外を眺める。
空を見上げると曇天からは今にも雪が降り出しそうだ。
「上手くいかないなぁ……」
そんなに簡単に上手くいくとは思っていないけれど、努力が報われないということは辛いものだ。
窓にそっと手を触れてみると、ひんやりとした感触が伝わる。
「どうされました、リーシェ様」
背後から声を掛けられて振り返ると、フリント教授が笑顔を浮かべて近付いてくる。
「フリント教授」
「今日の馬術の試験は、惜しかったですね」
フリント教授が扱う試験はすでに終わっているが、どうやら選定の最後まで一緒に行動するらしい。
今日の馬術の試験も王妃の隣で見学していた。
「お恥ずかしい限りです」
「落ち込んでいるようですね」
リーシェが沈んだ声で言うと、フリント教授は穏やかな声でうんうんと答える。
「あまり落ち込まないようにと言いたいところですが、そう簡単に気持ちは浮上しませんよね」
慰めようとしているのか、フリント教授は少し考えるとポンと手を打った。
「そういえばこの離宮の近くに花畑があるんですが、知っていましたか?」
「いいえ」
「こんな季節なのに雪の中にぽっかりと開けたところがあり、花が咲き乱れているということです。どうです? 午後はお休みということですし、散歩にでも行ってみれば」
少しだけ興味を引かれたが、離宮の外に出る気はない。今度こそ自分の身は自分で守らなくては。
「いえ……、次の試験の準備をしなくちゃいけないですし……」
「少し休憩すれば、気分も変わりますよ」
「あら、フリント教授となんのお話をしているの?」
答えに困っていると、背後から食事を終えた3人がゆっくりと近付いてくる。
「離宮の近くに花畑があるんですって」
「まぁ、こんな雪の中に?」
驚く3人にフリント教授は少し焦ったような表情を見せる。けれどすぐに引き攣ったようないつもの笑みを浮かべ頷いた。
「そ、そうなのですよ。すごいでしょう? あー、リーシェ様に行ってみてはと勧めていたのです」
「あら、素敵じゃない! 午後はお休みでしょ? 皆で行ってみましょうよ」
ミレイアの提案にエセルが目を輝かせる。リーシェはなんとなく頷けずにいると、コーネリアが笑って頷いた。
「いいわね。息抜きに行ってみましょうか」
「コーネリア、離宮の外に出るなんてだめよ」
リーシェがそう言うと、コーネリアは「大丈夫よ」と続ける。
「騎士を護衛に付けるわ。離宮の外といってもそれほど遠くはないんですよね? フリント教授」
「え、ええ……。そ、そうですね。4人で行かれるなら、リーシェ様も安心なのでは?」
そう言われてリーシェは考える。折角3人が誘ってくれているのだし、ここで断れば楽しい雰囲気が台無しだ。
すぐそばだと言うし、騎士も一緒に行ってくれるなら、大丈夫かもしれない。
「そうね……。あまり長居しなければ大丈夫よね」
リーシェがそう言うと、3人は笑顔で頷き、それぞれ外出の準備をして外に出た。
毛皮の付いた暖かいコートを着込んだ4人は外に出て歩きだす。背後からは騎士が一人付いてきている。
出掛け際、クロエも一緒に行くと言ったが、「騎士が護衛に付くから」と言うと、安心して送り出してくれた。
「フリント教授はこの小径を5分ほど行けばあるって言っていたから、すぐよね」
「本当に花なんて咲いてるのかしら? こんなに雪が積もってるのに」
離宮の敷地を出て木立を歩き始めると、あっという間に地面は雪に覆われてしまう。ブーツを履いていても足先が冷えてくる。
リーシェは周囲を警戒しながら歩いていたが、他の3人はピクニックに行くような気分なのだろう。楽しげにおしゃべりをしながら歩いている。
そうしてフリント教授の言った通り5分ほど歩くと、木々がぽっかりと空いた場所に出た。
「うわぁ……」
「素敵」
その場で足を止めた4人は目を見開いて感動した。
雪に覆われた森の中、そこだけに春が来たように赤い花が咲き乱れている。一つ一つは小さな花だが、群生して咲いているからか、まるで赤い絨毯のようだ。
「すごいわね……。本当に花畑だわ」
コーネリアが呟くように言うと、花畑に入っていく。
「この辺りは特に地熱の温度が高いのかも。それにしてもこの花、見たことないわ」
「ミレイアが知らない花なんてあるのね」
エセルの言葉に、ミレイアは笑って「すべて暗記している訳ないでしょ」と答える。
皆それぞれ会話をしながら花を摘んだりし始めるのを見て、リーシェは肩から力を抜くと大きく息を吸い込んだ。
雪の冷たさをはらんだ冷えた空気の中に、甘い花の香りが混じっている。香水よりもずっと柔らかくて良い匂いだ。
「なんだか妙に甘い香りね」
花畑の中央辺りにいたミレイアが花に顔を寄せて言うと、エセルとコーネリアは摘んだ花の香りを嗅いだ。
「え、でも、花からはあんまり匂いしないわ」
「そうね。花自体からは香ってこないわ」
コーネリアがもう一度確かめるように花の香りを嗅ぐので、リーシェも一輪花を摘むと鼻に近付ける。
その時、ドサッと重い音がした。なんの音だろうと顔を上げたリーシェは驚いた。
花畑にミレイアが倒れている。
「ミレイア!?」
「あ……、なにかしら……、身体が……」
ミレイアに駆け寄ろうとすると、コーネリアとエセルもぐらりと花の中に倒れ込んだ。
突然3人が倒れて狼狽したリーシェは、自身の身体が突然重くなったように感じた。立っていられず、その場に崩れ落ちるように膝を突く。
「コーネリア……、エセル……」
上手く声も発せず、それでもどうにか弱い声で呼び掛けると、コーネリアがゆっくり顔を上げた。
「リーシェ……」
苦しそうな表情で名前を呼ぶが、それが精一杯なのか、それ以上言葉が続かない。
ミレイアとエセルは微かに動いてはいるが、声を発することもなく、荒い呼吸だけが聞こえる。
「騎士……様……」
リーシェは倒れそうになりながらも、どうにか両手を地面に着けて耐え、周囲に視線を送った。
付いてきているはずの騎士に助けを呼ぼうと、必死に探すがなぜかどこにも姿が見えない。
(どこ……、すぐ後ろにいたはずなのに……)
鉛のように重い首を巡らせて後ろを見ても、騎士は見つけられない。
「なんだ、4人もいるぞ。話が違うじゃねぇか」
突然、がさがさと草を掻き分けるような音と共に、低い男の声が聞こえた。
「どいつですかねぇ、お頭」
「分かんねぇな。金髪とか言ってたか?」
「いや、違いますよ。プラチナがどうとか言ってました」
「プラチナぁ? そりゃどんな色だ?」
「さぁ?」
顔を上げることさえできなくなったリーシェの耳に、複数の男の声が近付いてくる。
「こいつら全員貴族か……。よし、全員連れてくぞ」
「え!? 全員ですか? お頭」
「俺に良い考えがある。一人ずつ担いでいけ。急げよ」
「へい!」
ガサガサと花を踏みつける音が近付いたと思ったら、ぐいっと身体を持ち上げられた。
「や……めて……!」
必死に声を振り絞ると、手をどうにか持ち上げ男の腕を叩く。
「なんだこいつ。まだ意識があるのか」
「あんたたち……何者……」
「はっ。ちっとは根性あるな」
リーシェは力の入らない手で、それでもどうにかしようともう一度男の腕を叩いた。
(みんな……!)
霞む視界の中に、男たちに担がれ運ばれていくコーネリアたちが見える。
どうにか助けなければと、リーシェは唇を噛み締め、抵抗を続ける。
「おう、暴れるんじゃねぇ」
嘲笑うかのように楽しげな声で男がそう言うと、リーシェは腹部に強い衝撃を受けた。
「う……」
「おら、とっととずらかるぜ」
リーシェが聞いたのはそれが最後だった。急速に視界が暗くなり、あっという間に気を失った。