第6話 セドリック
「セドリック」
ルゼに呼ばれた男――セドリックは、ハッとして姿勢を正すとルゼの前に立った。
「おはようございます、ルゼ様。この者は誰ですか?」
「ああ、おはよう。それは俺の助手だ」
「助手?」
二人の会話をなんとなく聞いていたリーシェは、『それ』と自分を指差され眉を跳ね上げた。
「それってなによ!? あなたが手伝えって言うからここに来たのに!」
「リーシェ・エルナンドだ」
「リーシェ・エルナンド!?」
リーシェの文句は完全に無視してルゼが名前を告げると、セドリックは驚きの声を上げた。
リーシェは会話に入れないことに腹を立てながらも、セドリックを遠巻きに観察する。
茶色の短髪に黒い切れ長の目が印象的な背の高い男性だ。着ている物は質素なシャツとズボンで、顔立ちは整っているように見えるが平凡と言えば平凡だ。
「ルゼ様、まさか断罪されたあのリーシェ・エルナンドですか?」
「そのまさかだ」
「なぜその者がここに? 助けられたのですか?」
「まさか」
「そんな訳ないでしょ! 自力で泳いで助かったのよ! ねぇ、二人で話してないで、自己紹介くらいしてくれてもいいんじゃないの?」
リーシェが腰に手を当ててそう言うと、ルゼは肩を竦める。
こっちに来いと手招きされてルゼのそば、セドリックの前に立つ。
「セドリックだ。近くの村の者なんだが、週に一度ここに来て、食事や足りない物を持ってきてくれている」
「ああ、なるほど。ルゼの世話をしてる人ね。この人まったく生活力がないからどうしてるのかと思ってたのよ」
朝からの謎が解けて納得顔のリーシェに、セドリックは怪訝そうに顔を顰める。
「ルゼって偉い人なの? ルゼ様なんて呼ばれて」
「それほどじゃないさ。ただ村の者からしたら、そこそこ上という程度だ」
「ふぅん……」
曖昧なルゼの返答になんとなく返事をする。セドリックはまだ表情を曇らせたままでリーシェを見つめている。
リーシェはその視線にハッとした。
「あ! ま、まさか私のこと、誰かに言うんじゃないでしょうね!?」
セドリックが村に帰って自分のことを誰かに話したりすれば、自分の身が危ないんじゃないかと声を上げるが、ルゼは軽く手を振って否定した。
「それはない。セドリックは誠実な男だ。ここで見たことは口外などしない。だろ?」
「それはもちろんそうですが、どういうことですか、ルゼ様。この者を助手にするなど」
「リーシェは、泳げる」
「本当ですか!? そうだとしても、この者は」
セドリックの言葉をルゼがスッと手を上げ止める。
「もう決めたことだ。リーシェに王笏の捜索を頼む」
「王笏?」
初めて探す物の名前が出てきてリーシェは首を傾げた。
「そうだ。お前には湖に沈んだ王笏を探してもらう」
「王笏ってなに?」
「お前、王笏も知らないのか?」
二人が呆れた顔をしたのでさすがに恥ずかしくなり顔を赤らめる。物知りな方ではないが、無知だということがこんなに恥ずかしいとは思わなかった。
「王笏というのは、そうだな、短い杖のような物だ。杖の先には宝石の飾りが付いている」
「短い杖……、へえ……」
リーシェの頭の中では老人の持つ杖が浮かんでいた。持ち手に宝石が付いている豪華な杖、そんな物を思い浮かべる。
「すぐに探し始めてもらう」
「ちょっと待って」
「なんだ。今さら拒否するのか」
「違うわよ。探すのはいいけど、まずはこの塔の中を掃除させてよ」
「掃除? なぜ?」
ルゼが心底不思議そうに訊ねてきて、リーシェは盛大な溜め息を漏らす。
「私の寝床だけでも確保させてよ。あと、このキッチンも片付けないとまともに料理もできないわ」
「そういうものか?」
「そういうものですが……、お前が料理をするのか?」
なぜかルゼと同じ質問をするセドリックに、そんなに私って料理しない顔をしているかしらと首を傾げる。
「するわよ。まさか私もルゼと同じように、パンとチーズだけで済ませろなんて言わないでよ」
「お前がするというなら、まぁいいが……」
困惑げな表情でセドリックはそう言うと、ルゼと目を合わせて無言で首を振った。
意味ありげな二人の様子にリーシェはなんだか腑に落ちない気持ちはあったが、これ以上この話題を引っ張るのは止めた。
「私、掃除始めるから、ルゼは自分の部屋に戻ってて」
リーシェの言葉に、ルゼはやれやれと立ち上がるとセドリックを促し階段を上がって行く。
誰もいなくなった部屋の中で、リーシェは腕を組んで考える。とりあえずやることは着る物の確保と掃除だ。「よしっ」と気合いを入れると、袖をたくし上げる。
3階で昨日見つけたドレスと使えそうな布をクローゼットから引っ張り出す。昨日よりもしっかりと中を探すと、下着らしい物も見つけた。未使用なことを祈りつつそれも外へ出し、それらを抱えて外へ出た。
外へ出ると眩しいほど太陽が輝いている。今の季節は夏なのだろう。朝から強い日差しが照り付けていて、これなら今から洗濯すれば全部乾きそうだ。
塔の外にあるガラクタの中から大きなたらいを見つけると、それを水際まで持ってきて洗濯を始めた。石鹸があればいいのだろうが、もうルゼに色々要求するのも面倒で、今日は水洗いで済ませようと決めた。
持ってきたドレスは分厚くて中々手ごたえのある服だったが、足で踏みつけどうにか全部を洗い、下着は丁寧に手洗いした。
「はあ、しんどいわ……」
洗濯でこれほど消耗するとは思わなかったリーシェは、ぼやきながら立ち上がる。
たらいに山積みになった服はとりあえずそのままにして、またガラクタの山に向かう。しばらくガタガタと探しているとロープを見つけた。
それから周囲を見渡して、丁度良い木にロープを括りつける。
(私なにしてるのかしら……)
料理して洗濯して。夢の中だとしたら、もっと楽をしたっていいじゃないか。
なんとなく落ち込みながらも、洗った服をロープに掛けていく。全部を干し終わると、ハタハタと風で揺れる洗濯物を見つめて腰に手を当てた。
「充実感だけは半端ないわ」
乾いた笑いを漏らしつつ塔の中に戻ると、今度は掃除を始めた。1階から順々にまずは荷物を片付け、使えないガラクタは外に出し、使えそうな物は綺麗にしてまとめておく。
その中で箒やブラシを見つけると掃除は捗り始め、6階まですべての床を水洗いし終わる頃には陽が傾き始めていた。
すっかり乾いた洗濯物を取り込み、綺麗になったキッチンで夕食を作っていると、階段を下りてくる足音がした。
「見違えたな」
ルゼの声に振り向くと、驚いた顔のルゼとセドリックが部屋を見渡している。
リーシェはその顔に満足して笑顔を作る。
「頑張ったでしょ。さ、二人とも座って。簡単な物で悪いけど、夕食作ったから」
「また作ったのか?」
「だから料理するって言ったじゃない。セドリックが今日持ってきてくれた野菜でスープ作ったから。いつもはセドリックが作ってるの?」
テーブルに皿を並べながら訊ねると、ルゼの正面に座ったセドリックは小さく頷く。
「私が作る時もあるが、大抵は村で作ってもらった大量のスープなどを持ってきている」
「ああ、なるほど。ルゼはそれで生き延びてるのね」
「なんだ、それは」
セドリックに返した言葉にルゼが口を挟んできた。眉間に皺が寄っている。
「料理ができない男はモテないわよ」
「お前の言っている意味がまったく分からん」
「はいはい、そうでしょうね。さ、冷める前に食べましょ。いただきます」
ルゼの言葉を流して手を合わせると、スプーンを手に持つ。セドリックの持ってきた野菜は、リーシェの知っている野菜とは少しずつ形や色が違ったが、食べてみると似た野菜を思い浮かべられた。
ベーコンも入れた具沢山の野菜スープは中々上手にできており、リーシェは恐る恐る口にするルゼを見つめた。
「どう?」
「……美味い」
渋々という感じだったが、美味しいと言ったルゼにリーシェは満面の笑みを浮かべた。
食事が終わり5階に上がると、部屋の片隅に置かれた小さなベッドに腰掛ける。5階を掃除している時に、部屋の端に寄せられガラクタの下敷きになっていたボロボロの古いベッドを見つけた。
ベッド周りを片付けるとどうにか住める空間を確保できた。ということでリーシェの部屋は5階の隅ということになったのだ。
「疲れた……」
小さなテーブルの上に置かれたランプの明かりを見つめて呟く。
ベッドに横になりながら、これで眠れば夢が覚めるだろうかとぼんやり考える。けれどそうはならないだろうとリーシェはもう分かっていた。