第55話 お出かけ
試験が始まってあっという間に1ヶ月が過ぎた。さすがに緊張が続き疲れてきていたが、リーシェは次のダンスの試験のため、猛特訓をしている。
選定中とはいえ王室の行事などもあるので、数日日が空くことがあるのだが、今日はそんな日だった。
朝食を食べてすぐに練習を始めたリーシェだったが、一時間ほどして王妃からの使いの者が部屋を訪れ足を止めた。
「王妃様の執務室にお越し下さい」
メイドの言葉にクロエと目を合わせる。
「なんの用かな」
「さぁ? こればかりは行ってみないことには……」
なんだか嫌な予感もするが、断ることはできない。仕方なくメイドに付いて執務室に行くと、デスクに向かって何かの書き物をしていた王妃が顔を上げた。
「なにかご用でしょうか、王妃様」
「ああ、来たわね、リーシェ。今からゼシリーア教会に行ってほしいの」
「ゼシリーア教会……、ですか?」
試験のことで何か言われると身構えていたリーシェだったが、拍子抜けして問い返す。王妃は別に機嫌の悪い様子もなく続ける。
「ええ。オーヴェル教皇からあなたに用事があるから来てほしいと連絡が来たのよ」
「分かりました」
「丁度良い息抜きでしょうし、許可を出すので行ってきなさい」
「ありがとう、ございます……」
リーシェは挨拶を終えると、執務室から出て廊下を歩きだす。
「王妃様はなんと?」
「なんかゼシリーア教会で用事があるとかで、行ってこいって」
「今からですか?」
「うん」
首を巡らせ後ろを向いたリーシェに視線を合わせたクロエは、不審に感じたようで首を傾げる。
「ゼシリーア教会で用事とは何なのでしょうか?」
「さぁ? 行ってみないと分からないわ」
「そうですわね。支度をしましょう」
自室に戻り外に出る支度をすると、クロエと共に城門に向かう。門を守る衛兵に名前を出すと、すんなり通る許可が出た。
「リーシェ様、少しお待ち下さい」
「ん?」
門を越えようとすると、クロエが呼び止める。
「私たちだけではなんですから、騎士を呼びましょう」
「え? いいよいいよ。教会まで行くだけだし、騎士なんて大袈裟だよ」
「いけません。なにかあったら大変です。騎士がお嫌なら、セドリックを呼びましょう」
「セドリックはダメよ。ルゼと一緒にいるんでしょ? 仕事の邪魔しちゃ悪いよ。サッと行って帰ってくれば大丈夫だよ」
クロエは何をそれほど心配しているのだろうかと思いながら門を抜ける。
「お気を付けて」と気さくに声を掛ける衛兵に、愛想良く笑みを向けたリーシェは、久しぶりに城を出た解放感に息を吐いた。
「あー、やっぱり城の外はいいなぁ」
人で賑わっている大通りを歩きながら、活気ある商店の様子を見てつくづく思う。
自分はやはりこちら側の人間なのだと。堅苦しい貴族のしきたりより、ずっと親しみが持てる。
「ずっと試験で緊張しておりましたし、気分転換には良いかもしれませんね」
「あ、それ、王妃様も言ってたわ。息抜きしてこいって」
「王妃様が……」
「今更だけど王妃様ってどういう方なのかしら。厳しい方だっていうのは分かるけど」
リーシェの質問にクロエは少し考えてから返答した。
「好き嫌いははっきりされている方ですわね。感情で動かれることもままあるので、そういう時は、国王陛下に諌められています」
「コーネリアも同じようなこと言ってたわ」
「ただ王妃様は情勢を見抜く力がとても優れていて、外交などでは必ず良い結果を出されるので、大目に見てもらっているところはあるようです」
「へえ……」
リーシェの知らない王妃の一面を聞かされ少し驚いた。まだ意地悪な面ばかりしか知らないリーシェにとっては、にわかには信じられない話だ。
「聖女様!」
クロエと話しながら歩いていたリーシェは、背後からふいに名前を呼ばれ振り向いた。
誰に呼ばれたのかと視線を動かすと、慌てた様子の男が走り寄る。
「聖女様! お願いです! お助け下さい!」
「え!? どうしたの!?」
突然目の前で膝を突いた男は、祈るように両手を胸の前で合わせる。
クロエが慌ててリーシェの前に庇うように立つ。
「なんですか、あなたは!?」
「聖女様! あちらで親父が突然倒れちまったんです! どうかお助け下さい!」
男が指差す先、細い路地の奥で、確かに倒れ込んでいる人の姿がある。
「本当だわ! どうしたの? 怪我!?」
「いけません! リーシェ様!!」
驚いて路地に入ろうとするリーシェを、クロエが引き留める。
「助けてあげなきゃかわいそうよ!」
「早くしねぇと親父が死んじまうよ!」
「リーシェ様!」
男がリーシェの腕を引っ張る。がりがりに痩せた細い体の割に強い力で引っ張られ、驚きながら路地に入ると、後ろからクロエも追い掛けてきた。
「大丈夫ですか!?」
倒れた男の前で膝を突いて声を掛ける。白髪が多く混じった男はピクリとも動かない。
慌ててリーシェが身体を揺すろうと手を伸ばした時、その手首を掴まれた。
「え?」
「こんな簡単に引っ掛かるとは、ちょろい仕事だぜ」
リーシェの手首を掴んでいるのは、倒れている男だった。驚いて振り払おうとしても、びくともしない。
「な、なに!? ちょっと!! クロエ!!」
怖くなって振り返ると、クロエはここへ案内した男に捕まっている。
「不用心ですぜ、聖女様」
倒れていた男が起き上がってしゃがれた声で言ってくる。老人かと思ったけれど顔はそれほど老けていない。ギラギラとした目がこちらを見て楽しげに細められる。
「離して!!」
いくら腕を動かしても男は手を離さない。
「リーシェ様!! 誰か!!」
「おっと、大声は出さねぇ方がいいぜ」
クロエが声を上げた途端、リーシェを捕まえている男がナイフを取り出す。ぞっとしたリーシェは動きを止めた。
誰かいないのかと視線を動かしても、細い路地の奥は薄暗く、人っ子一人いない。
「早く連れて行こうぜ」
「おぅ、そうだな」
男たちが短く会話を交わし、さらに奥へとリーシェたちを連れて行こうとした時、グワッグワッと聞き慣れた声が聞こえてきた。
「え? 大福?」
城に置いてきたはずの大福の鳴き声にリーシェが首を巡らせる。一緒に暮らしている内に、なんとなく他のアヒルと鳴き声を聞き分けられるようになっていたが、まさかここで聞こえる訳ないと眉を顰める。
だが泣き声は徐々に近付いてきて、もう間近だと思った瞬間、頭上からバサバサと激しい羽音が聞こえた。
「うわっ! なんだこの鳥!?」
リーシェを掴んでいる男が声を荒げる。
「よくやった! ダイフク!!」
大福がリーシェの視界を奪う中、またも見知った声が聞こえた。掴まれていた腕が離れたと思うと、二人の男は低い悲鳴を上げる。
体勢を崩して地面に座り込んだリーシェは、男を抑え込んでいるルゼオンとセドリックを見て、大きく息を吐いた。
「大丈夫か!? リーシェ」
「ルゼ……」
色々なことが起こり過ぎて言葉が出てこない。呆然として座り込んでいると、クロエがそばに来て膝をついた。
「お怪我はございませんか?」
「平気……。クロエは?」
「わたくしは大丈夫です」
肩をさするように腕を回したクロエに、少し身を寄せて答える。セドリックとルゼオンが男たちを縛り上げるのを見ていると、大福がトテトテと近付いてきた。
「まさかあなたがルゼを連れてきてくれたの?」
そんなことがあるだろうかと思いながら背中を撫でる。真っ赤な目を見つめて訊ねてみると、答えたのはルゼオンだった。
「そのまさかだ。城門から飛び出していくダイフクを見掛けてな。嫌な予感がして付いてきてみたが、当たっていて良かった」
ルゼオンに手を取られて立ち上がったリーシェは、その手の温かさに改めて安堵する。
「間に合って良かった……」
ゆっくりと抱き寄せられて、リーシェはすっぽりとその腕に収まった。ルゼオンの鼓動がまだ少し早い。
心配を掛けさせてしまって申し訳ないと思いつつ、ピンチに助けてくれた嬉しさにリーシェは笑みを浮かべる。
そうして、少しの間ルゼオンの腕の中にいると、兵士たちがやっと駆け付けた。
 




