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第53話 逢瀬

 次の日、古語の試験があったが、努力のかいなくやはり期待する点数は取れなかった。

 王妃にまた嫌味を言われ落ち込んだリーシェは、とにかくこれで筆記試験は終わったんだからと、無理やり自分を慰めた。

 午後の予定はなく、一度頭をリセットさせたくて、雪の降る中、大福の散歩に出かけた。


「リーシェ様、あまり長い時間は風邪をひかれますよ」

「分かってるわ、クロエ」


 静かに後ろを付いてくるクロエに返事はしたものの、あまり部屋に戻る気になれない。本当はこれから行われる刺繍やダンスの試験のために、練習しなければならない。

 けれど今はそのことを考えたくなかった。いくら頑張っても到底皆には敵わない。その事実に打ちのめされて、気持ちは地の底まで落ち込んでいる。

 この気持ちをどうにか浮上させなければ、全部を投げ出してしまいそうな自分がいる。


「クロエ、ルゼは忙しいのよね」

「そのようです。連絡はいれてありますが……」


 クロエは申し訳なさそうに返事をする。予想はしていたが、つい溜め息が漏れた。

 王太子として仕事が山のようにあると頭では分かっている。けれど頭の片隅で、他の女の子と会っている想像がちらつく。


(嫉妬したって仕方ないのに……)


 ルゼオンは王太子として妃候補と会っているだけだ。王妃からの指示ならば、逆らうことはできないはずだ。

 取り留めなく出口のないことばかりを頭に巡らせながら庭先に出る。胸に抱いていた大福が池を見たとたん暴れるので、手を離すと一目散に水に飛び込んだ。


「はぁ……、大福はいいなぁ、悩みがなさそうで」


 ゆっくりと池のそばまで歩くと足を止める。木立に囲まれた池は、まったく人気がない。城からは少し離れ、木々に視界を遮られている。

 ここならばばったり王妃に会ってしまうこともないだろうと、リーシェは肩から力を抜いた。

 ゆったりと泳ぐ大福を見つめ、それから空を見上げた。

 降りしきる雪をただただ見つめる。


「この寒い中、散歩か?」


 男性の声に顔を横に向けると、いつの間に来ていたのか、ベルナールが立っていた。


「ええ、そんなところ」

「寒くないのか?」

「寒いわよ」

「おかしなやつだ」


 ベルナールは大福を見たまま顔を動かさない。リーシェもまた大福に顔を向ける。


「成績が悪くて落ち込んでいるのか?」

「驚くほど直球ね」


 そこまではっきり言われると、なぜか腹が立たない。リーシェは自嘲しながら答える。


「努力した結果がこれだからね……。さすがに落ち込むわ」

「努力したからといって誰もが成果を上げられるものでもない。だが、努力をやめれば前には進まん。自分の実力を認め、それを越えようと高みを目指し、努力を続ければ見えてくるものがある」


 ベルナールの正論が胸に突き刺さる。分かってはいるが、それをそのまま実行できるほど自分は強くない。


「あなたはそうして強くなったのね」

「そうだ」


 ベルナールの馬鹿が付くほど真っ直ぐな意思ならば、それも可能だろう。


「俺は、お前には頑張ってもらいたい」

「なぜ?」


 ベルナールの言葉を意外に思った。誰よりも公正な目を持っている人だと思っていたし、自分を好意的に見てくれているとも感じていなかった。

 リーシェが問い返すと、ベルナールは少しだけ間を置いてから答えた。


「ルゼオン殿下を幼い頃からそばで見てきたが、女性に対してあれほど感情を出されたのはお前だけだ。たぶん初恋なのではないだろうか」

「は、初恋!?」


 まったく予想外の答えにリーシェが驚いて声を上げる。その様子をちらりと横目で見たベルナールは真顔のまま続ける。


「初恋ならばぜひ成就して頂きたい」

「あなたって案外ロマンチストなのね……」


 驚きの理由にリーシェが少し呆れて呟くが、ベルナールはまったく表情を変えない。

 それでも少なからず応援してくれているのが分かって嬉しく感じた。けれどやはり期待を持ってくれていると知ると、自分の不甲斐なさが嫌になってくる。


「頑張ろうとは思っているのよ……。でも私の資質では限界があると思うの……」

「あの3人より絶対に優れているところがお前には一つある」


 断言されてリーシェは色々と考えるが、あまりしっくりくるものは思い当たらない。あえて言うなら数術だろうが、コーネリアもミレイアも同じような得点だったので、3人より優れているとは言い難いだろう。

 今回の選定とはまったく関係ないところで言えば、自分の特技と言えなくもないことはただ一つだ。


「それって泳げることくらいじゃない?」

「いいや、度胸だ」

「度胸?」

「ああ。お前の度胸は騎士よりも上かもしれない」

「度胸じゃ国は治められないでしょ?」

「だが、度胸がなければその座に着くこともできない」


 いまいち共感できなかったが、これはベルナールなりに励まそうとしているのかもしれないとリーシェは思い至り、笑みを作った。


「ありがとね、ベルナール」

「なんだ、突然」

「励ましてくれて、少しだけだけど元気出たわ。忙しいのに、話に付き合ってくれてありがと」

「励ましたつもりはない。そして、これは時間稼ぎなので、感謝されるいわれもない」

「時間稼ぎ?」


 ばっさりとこちらの感謝を退けたベルナールの言葉に首を傾げた途端、後ろから突然抱き締められた。


「え!?」

「おかしな話をリーシェに吹き込むんじゃない、ベルナール」

「殿下が遅いので仕方なく。できるだけお早くお願いします」

「分かっている。あっちへ行っていろ」


 耳元で聞こえるのは確かにルゼオンの声で、リーシェは驚いたまま立ち竦む。

 ベルナールがそばから離れると、腕の力が緩んだ。そっと振り返ると、ルゼオンがすぐ近くにいてリーシェの目に涙が溢れる。


「リーシェ、久しぶりだな」

「ルゼ……、ルゼ……」


 泣いてはいけないと思うのに、涙は勝手に溢れた。会えた嬉しさと、情けない自分の思いで頭がぐちゃぐちゃになる。


「ごめん、ルゼ……。私、全然ダメで……」


 こんな成績しか出せない自分を、ルゼオンは呆れているのではないかと、それがとても心配だった。それに自分を推薦したルゼオンが、恥ずかしい思いをしているかもしれないと思うと心苦しくて辛かった。


「なにを言う。お前はよくやっている。こちらに来てそれほど経っていないのに、たくさん勉強させて無理をさせているのは俺の方だ。すまない」

「そんな……、ルゼのせいじゃ……」

「王妃のことも、庇ってやれなくてすまない。ウィルのこともあって当たりが強いのは分かっているのに、どうにもしてやれない……」


 リーシェの手をギュッと握り、悔しそうにそう言うルゼオンに、リーシェは激しく首を振る。

 ルゼオンに望まれて逃げられもせず始めたことだけど、今は少しずつ前向きな気持ちになりつつある。もしこの選定で王妃にも皆にも認められることができれば、自分はきっと自信をもって王太子妃になることを受け入れることができると思うのだ。


「今はお前に会うのも禁止されていて、勝手に会えばすぐに失格にすると……」

「そっか……。そうだったのね……」


 夜にも会いに来てくれなかったのは、もしかしたらもう見限られてしまったのかもとそんな考えも頭によぎった。

 けれどルゼオンはとても誠実に自分のことを考えていてくれた。今こうしてここにいるのも、きっと王妃の目を盗んでどうにか時間を作ってくれたのだろう。


「ルゼ、私のせいで、恥ずかしい思いしてない?」


 リーシェが微笑んでルゼオンに訊ねると、ルゼオンは小さく首を振る。


「そんな訳あるか。俺のことはどうでもいい。お前が苦しい思いをしている方が俺は辛い……」


 本当に苦しそうに眉を歪めるルゼオンの顔を見て、リーシェはそれまで心に鬱積していた重い気持ちが晴れ、心の底から笑える自分に気付いた。


「私は大丈夫。ちょっと落ち込んでたけど、ルゼが会いにきてくれたから、もう平気」

「本当か?」

「本当よ。私がしぶといの、知ってるでしょ?」


 心配そうなルゼオンの顔を見上げ笑ってみせても、ルゼオンは表情を変えない。リーシェは少し考えてから、そっとルゼオンに抱きついた。


「私頑張るから」

「リーシェ……」


 ルゼオンが腕を回し、ギュッと抱き締めてくれる。これまでは少し恥ずかしかったけれど、今は素直にこの腕の中にいられる。

 いられることがとても嬉しい。


「俺の気持ちは変わらない」

「うん……」


 それだけ聞くことができれば、十分だった。リーシェは満足して身体をそっと離すと、ルゼオンが名残惜しそうに腕を緩める。


「そろそろ行って。王妃様に見つかったら大変だわ」

「もう部屋に戻れ。風邪をひいたら大変だ」

「うん、そうする」


 少し顔が近付いて、一瞬身構えてしまうと、ルゼオンは微笑みながら額に唇を押し当てる。すぐに身体を離したルゼオンはやっと笑顔を見せてくれた。


「なにかあれば必ず連絡しろ」

「うん、分かった」


 ルゼオンはそう念押しすると、背中を見せて城の中に戻って行った。その背中を見送っている間に、クロエが近付いてくる。


「よろしゅうございましたね、リーシェ様」

「うん……。部屋に戻ろうか」

「そう致しましょう」


 どこか嬉しそうなクロエに笑みを向けて頷いたリーシェは、大福を呼び寄せると部屋に戻ることにした。

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