第49話 苦手
選定が始まり一週間が経った。毎日この部屋に来て4人でフリント教授から勉強を教わるのは、学生に戻ったようで、リーシェは少しだけ懐かしい気持ちになった。
コーネリアは学級委員長タイプ、ミレイアは気の強い優等生、エセルはちょっと控え目な後輩、そんな風にリーシェは分析している。
「皆さん、おはようございます」
扉が開きミリガン伯爵夫人が入ってくる。4人は立ち上がり挨拶すると、ミリガン伯爵夫人は教卓に着いた。
「今日の午前中は刺繍の練習です。課題は冬の花にしましょう。お昼までに仕上げること。よろしいですね?」
(あー……、刺繍かぁ……)
リーシェは内心で盛大にぼやきながら準備を始める。はっきりいって刺繍は苦手だ。刺繍など学生時代に授業でやったきりなのだ。それきり針仕事といえばシャツのボタン付けくらいで、それすらたまに失敗するほどだ。
ただただ気が重い。それでもどうにか顔には出さないようにして刺繍を始めた。
誰も無駄口を叩かず、静かに黙々と手を動かす。部屋は暖炉の火があってとても温かい。今日は朝からぐんと冷えていて、もうすっかり冬の空気になった。
リーシェはクロエに教わった通りに手を動かしながら、なんとなくルゼオンのことを頭に浮かべた。
あれきりまったく会っていない。城の中にいるのだから、以前のように時間を見つけて会いに来てくれるのかと思っていたが、そうはならなかった。
寂しくはあったがどうにもならない。自分から会いに行こうかとクロエに相談してみたこともあったが、「今は控えた方がよろしいかと思います」と止められた。
(どうしてるかなぁ……、ルゼ……)
また城下町で買い物とかしたいなぁとぼんやりと思いながら、手を止めて自分の刺した刺繍を見つめる。
(下手過ぎる……)
リーシェはがっくりと項垂れて落ち込んだ。基本は教えてもらった。その通りには縫えるようになったのだが、それ以上になれる気がしない。
(これってセンスなのよね、きっと……)
花の形は決まっているが、微妙な色合いや配置などは、その都度自分で決めて刺していかなくてはいけない。これがリーシェにはどうにもよく分からないことで、どうなったら正解なのかがまだ理解できていない。
「はぁ……」
思わず溜め息を漏らしてしまうと、ミリガン伯爵夫人が顔を向けた。
「どうしました?」
「あ、いえ! なんでもないです!」
極力目立たないようにしていたリーシェが慌てて返事をする。怪訝な顔をしてミリガン伯爵夫人が立ち上がろうとすると、部屋にノックの音がした。
「王妃様のお越しです」
扉を開けたメイドの声に全員がパッと手を止めると慌てて立ち上がる。リーシェもワタワタと席を立った。
「ごきげんよう、皆さん」
朗らかな声でそう言いながら王妃が部屋に入ってくる。ミリガン伯爵夫人が深く腰を落とすと、王妃はにこりと笑った。
「今日はホリーが刺繍を教えていると聞いて、様子を見にきたのよ」
「まぁ、それは光栄ですわ」
王妃は笑みを浮かべたままコーネリアに近付くと、机の上にあった刺繍を手に取った。
「まぁ、コーネリア、素敵な刺繍だわ。スノードロップをモチーフにしているのね。慎ましく控え目、けれど緑が鮮やかで目を惹くわ」
「ありがとうございます、王妃様」
コーネリアが嬉しそうに答える。王妃は満足げに頷くと、隣のミレイアの刺繍を見る。
「ミレイアは色々な花を刺繍したのね。冬にもたくさんの花が咲く。それをよく知っているミレイアならではね」
「はい、王妃様」
王妃の誉め言葉にミレイアも嬉しそうだ。そしてエセルの刺繍を見た王妃は「まぁ!」と声を上げた。
「エセル、素晴らしい刺繍だわ。なんて緻密で繊細なの。ホリー、見てちょうだい。この花の中の小鳥を。羽の一つ一つを違う色で刺していて、まるで本物のよう」
「本当ですわね、王妃様。素晴らしい刺繍です」
二人に褒められてエセルは照れた笑みを見せる。その横顔を見ながら、リーシェは冷や汗をかいた。
(うわーん! このまま帰ってくれー!!)
心の中で叫んでみたがそんなことになる訳もなく、王妃がこちらに身体を向けた。
「リーシェ、あなたはどこまでできたのかしら?」
「は、はい……」
おずおずと手にしていた刺繍を差し出すと、明らかに王妃の表情が険しくなった。
「これは……」
王妃の低い声にびくりと肩を竦ませる。
「どうしてこんな適当なものを……。あなた、手を抜いているの?」
「そ、そうじゃありません! 私は、」
「王太子が推薦しているから、真剣にやらなくても大丈夫だと思っているの?」
リーシェは王妃の厳しい声にぶんぶんと首を振る。
「違います!」
「違うというなら、なぜこんな刺繍をするの? 皆真剣にやっているというのに。こんな下手な刺繍では評価もできないわ」
王妃の言葉にリーシェは俯きスカートを握り締める。
「驕っている気持ちがあるから真剣になれないのです。わたくしはあなたを特別視するつもりはありませんよ」
王妃はぴしゃりとそう言うと、リーシェの刺繍を机に戻し背を向けた。
「皆さん、寒くなってきたので体調を崩さないようにね」
表情を戻し、朗らかにそう言った王妃は部屋を出て行った。
ミリガン伯爵夫人が少し安堵したような表情をすると、「さて」とこちらを向く。
「丁度良いので、休憩にしましょうか」
そう言って、控えていたメイドにお茶の用意をさせる。3人は明るい表情で椅子に座ると、お互いに笑みを交わした。
リーシェはなんだか部屋にいたくなくて、そのままゆっくりと歩くと窓辺に寄った。空を見上げると、灰色の雲が低く垂れこめている。
窓を開けてテラスに出ると、ひんやりとした空気が頬を撫でた。
「さむ……」
白い息を吐きだして呟く。もう一度空を見上げ、はぁと深く息を吐いた。
(落ち込んだってしょうがないじゃない……)
自分の実力は分かっている。それを理解した上で、やると決めたのだ。いちいち傷付いていたら身が持たない。
じっと空を見上げる。しばらくそうして何も考えないようにしていると、ふと視界の中に白いものが横切った。
「あ……、雪……?」
そう呟く内に、視界は白く染まっていく。
「わああ、初雪だ」
両手を前に出して、手のひらに落ちる雪に笑みを作る。
雪はみるみる世界を変えていく。白く染まっていく景色を見て、リーシェの落ち込んでいた気持ちが少しだけ浮上した。
欄干にうっすらと積もり始めた雪を手のひらで集めて丸めてみる。冷たさで指先がジンジンする。それでもなんだか楽しくなって2つ目の団子を作っていると、背後で窓が開く音がした。
「リーシェ、あなたなにやってるの?」
振り返ってみると、3人が不思議そうにこちらを見ている。ミレイアが呆れた声で聞いてくる。
「寒くないの?」
エセルの言葉に笑いながらリーシェは首を振る。
「お茶が冷めるわ。中に入ったら?」
コーネリアも不思議そうにリーシェを見ている。初めて3人にまともに話し掛けられた気がする。
なんだか今なら皆と自然に話せるのではないかと、室内に足を向きかけた時、テラスの外側から声を掛けられた。
「やあ! 久しぶりだね、リーシェ!」
明るい声に振り返ると、そこには蜂蜜色の髪に青い瞳の、アイドルみたいにキラキラした青年が立っていた。