第5話 朝食を作る
驚くほどすっきりと目覚めたリーシェは、視界に入った雑然とした室内の光景にがっかりしながら起き上がった。
こんなところでは眠れないなどと寝る時は思っていたが、夜中一度も目覚めることもなくぐっすり眠ってしまった自分の図太さに呆れてしまう。
(私って結構順応力があるのかも……)
プラチナブロンドの髪を見下ろした後、白い腕を持ち上げ見つめる。未だリーシェのままだということに落胆したが、寝る前からなんとなく覚悟していたことなので、それほどショックはなかった。
立ち上がりくるまっていた布をソファに畳むと、部屋の隅に置かれた椅子に掛けて乾かしていた服を手に取る。
確認してみるとすっかり乾いている。着る物はこれしかないので仕方なくまたそれを着ると、後はこれだなと長い髪を手にした。
腰ほどまでの長いプラチナブロンド。緩くウェーブのある美しい髪だが、今まで肩より長く伸ばしたことのない自分が、美しく纏める技術など持っている訳がない。
「とりあえず縛るか」
このまま下ろしている状態では邪魔なだけだと部屋の中を適当に探すと、本を数冊纏めている紐を見つけた。これでいいかと紐を解くと髪を纏め首の後ろで括る。
鬱陶しかった髪が纏められると、少しすっきりした気持ちになった。
軽い足取りで階段を下りる。今朝はよく晴れているのか塔の中はそれほど暗くない。1階まで下りると気合いを入れて室内を見回した。もはや空腹は限界に近い。何か食べないと倒れてしまうだろう。
覚悟を決めたリーシェは、とにかく食べられそうな物を探し始めた。
明るい中でよく見てみると、テーブルの上やその下の木箱の中に食材らしき物があるのが分かった。
「卵とチーズか……」
塩漬けのベーコンの塊と、硬そうだがパンも見つかり、どうにか食べられそうだと安堵する。
テーブルの上の荷物を適当に避けて隙間を作ると、集めた食材を並べる。後はフライパンだけだとかまどらしい場所を漁ると、すぐに使い古されたフライパンを見つけた。
手に取ってよく確認するが汚れなどは見られない。念のためテーブルの上にあった布で表面を拭くと、これで料理ができるとかまどの前に立った。
「ん? これって火はどうするのかしら……」
目の前にはものすごい簡易のかまどがある。火を焚く場所の上に、フライパンや鍋を置くだろう鉄の五徳が置かれている。煙は外に抜ける造りになっているようで安心だが、肝心の火がない。
「マッチはこの世界にはないわよね」
時代は中世辺りの設定だったはずだ。ならばそんな便利な物はまだ存在しないだろう。これは困ったわと思いながら、かまどの周辺を探し回ると、乾いた薪と火打石を見つけた。
「こんなところでガールスカウトの技術が役立つなんて思わなかったわ」
幼い頃、何年か所属していたガールスカウトでキャンプは何度もやった。原始的な火起こしも体験したが、当時はただただ楽しいイベントという感覚だった。
「なんでもやっておくものね」
薪と火口を用意して石を打ち付ける。記憶を頼りに火種を火口に移すと、どうにか小さな火ができた。消えないように細い枝を入れ、少ししてから太い薪を入れると火は安定して燃え出した。
「はぁ、昔の人ってこんなこと毎日やってるのか……。大変だわ」
ぶつぶつ独り言を呟きながらも、フライパンを持ってきて火にかける。ここまでくれば後は調理するだけだと、鼻歌混じりに卵を割りベーコンを入れる。
ジュージューと美味しそうな音を立て始め、リーシェの顔に笑顔がこぼれた。
「お前、なにをしている」
ふいに背後から聞こえた声に振り返ると、ルゼが驚いた顔をして階段から顔を出している。
「なにって料理よ。あなたの分も作りましょうか? まぁ、単なるベーコンエッグだけど」
「作れるのか?」
「これくらいは普通にできるわよ。すぐできるから、ちょっと待ってて」
なにをそんなに驚いているんだと不思議に思いながら、追加で卵を割り入れる。
非現実的な世界にいながら、ものすごく現実的に料理をしている自分に笑ってしまう。
ちらりと振り返ると、ルゼは奇妙なものを見るような目つきでこちらを見ながらも、ゆっくりと椅子に座った。
「朝ご飯っていつもなにを食べてるの?」
「大抵パンとチーズだが」
「毎日?」
「毎日」
毎日それだと飽きないかしらと首を傾げながら、フライパンを火から下ろす。
「お皿がないわ。ルゼ、お皿はどこ?」
「皿? さあ?」
「さあって、あなたの家でしょ?」
「俺が知る訳ないだろ」
明らかに不機嫌な声で答えたルゼに、リーシェは呆れながらも仕方なくまたガタガタと辺りを探した。
テーブルの端に押しやっていた箱の中に、食器とフォークを見つけ引っ張り出す。もう大分感覚が麻痺したのか、汚れなど細かいことは気にならなくなっていて、布で一拭きするとよく焼けたベーコンエッグを乗せテーブルに並べた。
「さあ、食べよ食べよ。もうお腹ペコペコ」
パンを包丁で切り分け、ルゼに手渡す。チーズも何切れか切って皿に並べると、リーシェはパンッと手を合わせた。
「いただきます!」
食欲に任せて声を上げると、ルゼがビクリと肩を揺らした。
「なんだ、それは」
「なにって挨拶よ、挨拶」
さっきからいちいち驚くような素振りを見せるルゼに、大袈裟な人ねと思いながらパクリと一口ベーコンを食べてみる。だいぶ塩気が強いが、気になるほどじゃない。
硬めのパンも自分の知っているパンとそれほど変わらない。食べ始めるとどれほどお腹が減っていたか分かって、手と口を黙々と動かす。
「すごい食欲だな……」
呆れた声を出すルゼをじろりと睨み付ける。あなたが夕食を出してくれなかったからでしょと思ったが、文句はとりあえずチーズと一緒に飲み込んだ。
全部を綺麗に食べきりお腹がいっぱいになると、リーシェはふうと息を吐いてお腹をさする。
「あー、お腹いっぱい。ごちそう様でした」
すでに食べ終わっていたルゼが、手を合わせるリーシェを見つめる。
「なに?」
「いや……」
「なによ、もう。あ、お茶とかないの?」
「お茶? ワインなら俺の部屋にあるが」
「朝っぱらからワインなんて飲まないわよ。ここってキッチンでしょ? ここにないの?」
「俺は知らない」
「あなたホントにここで生活してるの?」
一人で住んでいるくせに、まったく何も把握していないなんてことがあるのだろうか。
見た目からして生活力はなさそうな感じはしたが、これはもうそんなレベルではない。よく生きていられるわねと妙に感心してしまう。
この人に色々塔の中のことを聞いても埒が明かないわねと仕方なく立ち上がる。
「おい、話があるから座れ」
「ちょっと待って。のど渇いちゃったから、お茶作らせて。探せばあると思うのよ、茶葉くらい」
「いいから、座れ」
そう言われてものどが渇いて仕方がない。ルゼを無視してまた室内をガタガタ探していると、突然ガチャリと重い音が鳴って扉が開いた。
「おはようございます、ルゼ様。珍しいですね、1階にいる、のは……」
扉を押し開けて姿を現した男性が語尾を途切らせる。リーシェと目が合うと、切れ長の目がスッと細められる。
「お前、誰だ!?」
「あなたこそ、誰よ」
すごまれて言い放たれた言葉に、思わずリーシェは言い返していた。