第41話 王太子として
ルゼオンが国王と王妃に呼び出されたのは、10日ほど前のことだ。王太子として忙しく動き回っている最中の呼び出しに、あまり深く考えずに執務室を訪れたルゼオンは、王妃から言われた言葉に眉を顰めた。
「王太子妃……ですか?」
デスクに座る国王の隣に立った王妃は、にっこりと笑みを作り頷く。
「やっと城内も落ち着いてきたことですし、そろそろ選んでもよい頃合いでしょう」
「いや……、しかし……」
まったく考えていなかったことを突然言われ、すぐに上手い切り返しが思い付かない。言い淀むルゼオンに王妃は続ける。
「王太子はもう24歳でしょう? 本来ならすでに子供がいてもおかしくない歳よ。事件があってうやむやになっていたけれど、のんびりしている暇はないわ」
「お待ち下さい。私はまだ……。父上もそうお考えで?」
助け舟を出してくれるかと国王に目を向けるが、国王は王妃と目を合わせて大きく頷いた。
「冤罪は晴れ、そなたは王太子となった。この3ヶ月は王太子として十分に働いている。王太子妃を迎え、王太子としての立場を盤石とすることは大切なことだ」
「父上……」
言われていることは理解できる。確かに年齢を考えれば遅いくらいだ。いつかは必ずそうしなければいけないことくらいは分かっている。
「もうすでに王太子妃の候補は選んでありますの。どなたも美しく聡明、身分も十分な令嬢たちです。王太子は安心してわたくしに任せておけばいいわ」
ルゼオンは王妃を見つめ奥歯を噛み締める。この国の王太子妃は、基本的に王妃が選定を行い決められる。王太子の心情が酌まれる場合もあるが、一番は国益を考えた娘が選ばれる。
国を繁栄させていくための合理的な考えだと、ルゼオンは今までそこに疑問を持ったことがなかった。だがいざそれが自分の身に降りかかった時、そのあまりの横暴さに反発心が芽生えた。
「私はまだ妃を娶る気はありません。どうかもう少しお待ち頂けませんか?」
「王太子の気持ちも分かるわ。王太子に復位してまだ日も浅く大変でしょう。心が休まらない日も多いのでは?」
「王妃様……」
王妃はずっと口元に笑みを浮かべ、ルゼオンの言葉に優しく頷き返す。だがその目は決して笑ってはいない。
「そういう時だからこそ妃が必要なのですよ、王太子。共にそばにいて慰め、癒してくれる妃がいればあなたも王太子として、益々良い働きができるというものです。ねぇ、陛下?」
「ああ、そうだな。国にとっても明るい話題は必要だ。王太子妃が決まれば国民も喜ぶだろう」
二人の意見は完全に一致している。これを覆すことはできないだろうと両手を握り締める。
(リーシェ……)
頭にはリーシェの顔が浮かんでいた。具体的に妃にしたいと考えたことはない。ただもうずっと前からそばにいて欲しいと願っていた。
「候補者は3人おりますの。一人は、」
「ならば、その中にリーシェも入れて下さい!」
王妃の言葉を遮りルゼオンは声を上げた。王妃は眉を顰めたが、国王は小さく頷いている。
「私の意見だけでは妃を選べないことは分かっています。ですが、私はリーシェと共に生きていきたい。リーシェを候補に入れてくれるなら、王太子妃選定を受け入れます!」
強い視線を王妃に向けそう言うと、王妃は目を細めた。
「……わたくしはリーシェ・エルナンドに王太子妃としての資質はないように感じます」
「リーシェは! リーシェは、聖女です。ゼシリーアに選ばれた聖女が王太子妃になるのを、国民も望んでいるのでは?」
引き下がらないルゼオンに王妃はますます表情を険しくする。
「リーシェは、ウィルの王太子妃候補でした。その娘がまた違う王子の妃候補になるのは風聞が悪いのでは? リーシェにとっても良くないように思いますが」
王妃の意見は最もすぎてルゼオンは反論する言葉が出てこない。昔から王妃に言葉で勝ったことは一度もない。つい苦手意識が出て言葉を詰まらせていると、国王が口を開いた。
「エルダよ、私はリーシェを候補に入れても良いと思う」
「陛下!」
驚く王妃を宥めるように国王は続ける。
「どうやらルゼオンはリーシェを気に入っているようだし、候補に入れるくらいして良いのではないか?」
「陛下、王太子妃選定は王妃の仕事です。王太子の気持ちなど、」
「なにもリーシェを妃にしろとルゼオンは言っている訳ではない。選定によって選ぶのはそなたではないか。リーシェが王太子妃に相応しいかどうか、もう一度、そなたの厳しい目で見極めればよい」
国王の言葉に王妃は口を閉じ、少しの間考え込んだ。ルゼオンが固唾を飲んでその答えを待っていると、王妃がゆっくりと口の端を上げた。
最初の頃の余裕の笑みを見せてルゼオンに視線を投げる。
「分かりました。陛下がそこまで言われるのならリーシェを候補に入れましょう。ただし、王太子は必ず公平に候補者を扱うこと。よろしくて?」
「はい……。承知致しました」
絞り出すようにルゼオンが返事をすると、王妃は満足げに笑った。
部屋から出たルゼオンは廊下を歩きだし、けれどピタリと足を止めると大きな溜め息を吐いた。
(リーシェ……)
どうしようもないことだが、またリーシェを巻き込んでしまった自分に嫌気がさす。そばにいてほしいのは本当だ。だがリーシェには自由でいてもらいたいという自分もいる。相反する気持ちが心でせめぎ合っている。
(塔でなら……二人とも自由でいられたのにな……)
今思い返せば、あの頃が一番自由で穏やかな時間だった気がする。リーシェは“ただのリーシェ”で、自分は“ただのルゼ”で。
そう考える自分に笑ってしまった。今更、戻れるはずもない。自分は王太子なのだ。
「ルゼ様」
廊下の向こうからセドリックが駆け寄ってくる。
ルゼオンは自分の揺らぐ気持ちを押し殺して顔を引き締めると、セドリックに向かって歩きだした。