第39話 ゼシリーアの聖女
裁判が終わり自室に戻ってきたリーシェはずっと気を張っていたからか、どっと疲れが出て立っていられずソファに座った。ルゼオンは正面のソファにゆったりと足を組んで座る。
「お疲れ様、ルゼ」
「お前もよく頑張ったな」
お互いを健闘し合い微笑み合うとリーシェはふうと一息ついた。そうしてまだひとつ心に引っ掛かっていたことを訊ねてみることにした。
「ねぇ、ルゼ。ローズの……、死んでしまったローズの指にガラスの指輪があったの、覚えてる?」
「ああ、もちろん」
「あれって結局ローズの持ち物だったの?」
公爵令嬢には不似合いだとベルナールも言っていた。あれがリーシェはずっと気になっていた。
「あのガラスの指輪はハロルドの母親が知っていた」
「庭師の人のお母さん?」
「ああ。あれはハロルドが子供の頃、村祭りの出店で母親が買い与えたものだそうだ」
「出店?」
ルゼオンはほんの少し悲しげな目をリーシェに向けて話し続ける。
「出店に並んでいたガラスの指輪を眺めていたハロルドを見て、初恋の相手にでもプレゼントすればいいと母親が買ってやったそうだ」
「……それをローズに?」
「公爵令嬢からしてみればおもちゃのようなものだが、彼女には意味があったのだろうな」
「誓いの指輪だったのかな……」
他の指には本物の宝石が嵌め込まれた指輪があった。けれどその中で左手の薬指にガラスの指輪は嵌められていた。
それはきっと愛を誓い合った証なのではないだろうか。
「悲しいね……」
「ああ……。生きていてほしかった……」
やりきれない気持ちで呟くと、ルゼオンも落としたような声を出す。その表情は悲しげで、本当に二人の死を悼んでいるのが分かった。
少しの間沈黙が落ちて、折角すべて終わったのに、しんみりした空気にしてしまったと、リーシェは慌てて明るい声を出した。
「これで全部終わったね」
「まだ終わってない」
「え? でも裁判も終わったし、ルゼも……王太子になるんでしょ?」
「お前の正体を聞いていない」
静かな声にリーシェはギクッとした。こちらをじっと見つめるルゼオンの視線が痛くて俯くと、いつの間にそばに来たのか、足元でガーと大福が鳴いた。
その間抜けな声にふっと笑ってしまったリーシェは、諦めたように息を吐いてルゼオンを見た。
「分かってたのね」
「ゼシリーアがお前のことを“リサ”と呼んでいただろう。それに……」
「それに?」
「初めて会った時から、お前は伯爵令嬢には程遠かった」
リーシェはルゼオンの言い方にクスクスと肩を揺らして笑う。今思えば塔で暮らしていた時の自分がどれだけ酷い言動と行動だったか分かる。あれで伯爵令嬢だと信じたとしたら相当の間抜けだろう。
「身体はたぶんリーシェ本人だよ。でも中身は違う。私は……宇佐美 里沙というの」
「ウサミ リサ……。ゼシリーアがお前を呼んだのか?」
「そうみたい……。私はずっと……ずーっと遠い場所から来たの。ここではない世界から……」
きっと詳細に言ったところで理解はできないだろうと、曖昧な言葉で言ってみる。案の定ルゼオンは眉間に皺を寄せて首を傾げる。
「ここではない、世界……。お前はこの世界の住人ではないのか……」
「驚いちゃうでしょ? 私も最初は驚いた。私の住んでた世界とは全然違う世界なんだもん……」
「……その割に塔の生活を満喫しているように見えたが」
さきほどの表情とは一変して楽しそうに笑って言ったルゼオンには、もうこちらを窺うような気配はない。
いつものルゼオンだ。
「この世界は……、ゼシア王国はとても素敵な国だと思う」
「気に入ったか?」
「まぁね」
肩を竦めてそう言うと、ルゼオンは笑って答える。その顔を見てリーシェは少し考えると口を開いた。
「私……、これからどうしようかしら……」
「俺のそばにいればいいだろ」
間髪入れずにそう言われ、リーシェは目を瞬かせるとルゼオンを見た。ルゼオンはなんでもないというような顔でリーシェを見つめている。
(それって……どういうこと……?)
意味が分からず考える。ルゼオンの表情からは意味を窺うことはできない。見つめ合ったままぐるぐると色々なことが頭を巡るが、答えが出るはずもない。
「なんて顔してるんだ、お前は」
肩を揺らして笑い出したルゼオンに、リーシェはハッとして両手で頬を押える。からかわれたんだと気付いて眉を歪めルゼオンを睨むが、ルゼオンは楽しげに笑うだけだ。
「どうせ行くとこなんてないもの。私の面倒、ちゃんと見てよね」
口を尖らせてそう言うと、ルゼオンは「分かった」と、小さく頷いた。
◇◇◇
数日後、謁見の大広間でルゼオンの復位の式典が行われた。多くの貴族が参列する中、リーシェも特別に参列を許され、華やかなドレスを着てルゼオンの晴れ姿を見守った。
王太子にのみ与えられる剣と頸飾り、そして今回の功績により与えられた勲章を恭しく受け取り、身に着けた姿は紛うことなき王子の風格があった。
遠目にルゼオンの姿を見つめながら、『そばにいればいい』なんて言われたけれど、もう声も掛けられないくらい、遠い存在になってしまったのかもしれないと感じずにはいられなかった。
そうして華やかな式典はどこか寂しい思いの中で終わりを向かえた。貴族たちが続々と大広間を後にしていく。この後、王族はバルコニーに出て、詰め掛けた国民に挨拶をするのだそうだ。
人波に飲まれてリーシェも大広間を出ようとした時、腕を引っ張られた。驚いて振り返ると、ルゼオンが焦った顔でこちらを見ている。
「どこへ行くつもりだ?」
「え? 終わったから部屋に戻ろうと思って……」
「バカ、お前はこっちだ」
「え? え?」
グイグイと腕を引っ張られて、人波から外に出される。そのまま歩く先に王族のみが使う扉があってリーシェは驚いた。
「ちょ、ちょっと待って! そこは王族の人の部屋でしょ!?」
「なんのために今日、お前がそんなに着飾っていると思っているんだ」
「え? これはだってクロエが着ろって……」
リーシェがごにょごにょと言う間にも、ルゼオンは躊躇なく扉を開ける。中には国王と王妃がいてリーシェを待っていたかのようにこちらに顔を向けた。
「申し訳ありません、父上。お待たせ致しました」
「ああ、良かった。主役がいないと始まらないからな」
国王がそう言うと、騎士がバルコニーに向かう大きな窓を開け放つ。窓が開くと、途端に大歓声が室内にまで届いた。
「ルゼ? どういうこと?」
「クロエのやつ、言い忘れたな」
「なにが?」
国王が王妃の手を取ってバルコニーに出ると、歓声が沸き上がる。
「今日はお前のお披露目でもあるんだ」
「お披露目?」
「国民にはもうゼシリーアが降臨したことが広まっている。その聖女であるお前を皆見に来ているんだ」
「ええ!?」
ルゼオンの思いもかけない言葉にリーシェは驚き声を上げた。戸惑うリーシェをよそにルゼオンは腰に腕を回すと歩きだしてしまう。
「ちょ、ちょっと待って!!」
リーシェの制止の声も聞かずルゼオンはバルコニーに出てしまうと、リーシェは割れんばかりの歓声に身を包まれた。
眩しさに目を細めながらバルコニーを進み、おずおずと国王の隣に並ぶ。そこから見えた景色は圧巻だった。城を囲む美しい装飾のフェンスの向こう側に、信じられないくらいの人垣ができている。
道という道に人が溢れ、遠く民家の屋根の上にも人が立って手を振っている。歓声の中に「ゼシリーアの聖女!」と呼び掛ける声が聞こえて、リーシェの胸がドキリと跳ねた。
「わ、私!?」
「ほらな」
ルゼオンは楽しげにそう言うと、「手を振ってやれ」と続ける。リーシェはここに立つのはおこがましい気がしてしょうがなかったが、ルゼオンに促されおずおずと手を上げると、歓声は一気に膨れ上がった。
「私……、聖女なんて柄じゃないのに……」
「いいじゃないか。王笏を取り戻したのは確かにお前なんだ。それで十分だろ」
ルゼオンは国民に向けて手を振りながら答える。その横顔は晴れやかで、もう迷いや憂いはどこにもない。
リーシェは一生懸命手を振る人々から視線をゆっくりと上げていく。緩やかな山裾に広がるオレンジの屋根。その先には深い森と、もっと先には高い山々が連なり、青い空はどこまでも遠く続いている。
その空は、自分のいた世界に繋がっているのかもしれない。
「俺がそばにいる」
ふいに耳元でルゼオンが囁いて顔を向けると、唇にキスされた。
突然のことにリーシェは目を見開き、顔を真っ赤にして固まる。そんなリーシェをルゼオンは楽しげに笑ってから手を取りギュッと握った。
その手の温かさに、さきほど感じた寂しさがあっという間に消えていく。
「……うん、そうだね」
不安に思うことはこれからもあるだろう。けれどきっとルゼオンはそばにいてくれる。そう信じることができて、リーシェは晴れやかに笑うとルゼオンの手を強く握り返した。
最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました!
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引き続き、「王太子妃選定編」をお楽しみ下さい。




