第34話 真相
屋敷の奥にある部屋に通され室内に入ると、そこはそれなりに広い空間だった。壁際にはたくさんの本が並び、その前にはソファセットが二組置かれている。小さなテーブルと椅子もあり、リーシェには図書室のように見えた。
中で待つように言われ、そわそわとした気持ちで立っていると、5分もしない内にまた扉が開いた。
「お待たせしたかな」
穏やかな声でそう言って入ってきたバレット公爵は笑みを浮かべて近付いてくる。白髪混じりの灰色の髪、茶色の瞳はローズと似ているところはあまりないように感じる。眼光も鋭く、体格も良い姿は優しげな印象の国王とは違い、威圧感を感じた。
(何度かゲームにも出て来たな……)
確か国の要職に就いており、国王からの信頼も厚い人物だ。ローズを叱咤激励し、王太子妃になることを後押ししていた記憶がある。
「今日のパーティーの出席は、公爵が陛下にぜひにとお願いしたそうだが」
「ああ。ローズがどうしてもと言うのでね」
バレット公爵はどさりとソファに座ると、メイドのアリエスが持ってきたワインに口を付ける。アリエスはそのままこちらに近付いてくると、ルゼオンとリーシェにもワインを差し出した。
「どうぞ。そのワインは我が領地で作った極上のワインですよ」
バレット公爵ににこにこと勧められてどうしようかとルゼオンを見ると、小さく首を振ってワインをテーブルに置いた。
「リーシェ、飲むな」
「え、あ……、うん」
ルゼオンに言われ慌てて同じようにテーブルにワインを置く。それを見てバレット公爵はにやりと笑う。
「どうしました?」
「意趣返しのつもりか?」
「なんのことですかな」
余裕の笑みを浮かべるバレット公爵はワインを飲み干すと、ゆったりと足を組み葉巻に火を付ける。
「そういえば捜査はどうですか? 進んでいますか?」
「邪魔が入ったが、どうにかなりそうだ」
「ほう、それはそれは」
二人の会話に入れるはずもなく、ただ緊張した空気の中立ち尽くしていたリーシェは、扉からノックの音が聞こえそちらに視線を送った。
扉が開くと、ウィルとローズが室内に入ってくる。
「まだお話し中でしたか」
「まだ?」
ウィルの言葉にルゼオンが反応した。見たこともないほどきつい眼差しをウィルに向けている。
「さすがにそう簡単にはいかないな」
肩を竦めながらそう言うと、ウィルはバレット公爵の背後に立った。ローズは部屋の隅からこちらを睨み付けている。
(なに……、この状況……)
追い詰められているような気がしたリーシェは、少しずつ怖くなってきてルゼオンに近付く。ルゼオンはリーシェを守るように背中に隠すと、口を開いた。
「話とはなんだ」
「いやなに、ローズが王太子妃となる前に、ごたごたは片付けておくに越したことはないですからな」
「俺たちをどうするつもりだ」
「そうですな……。お二人には手に手を取って、国から逃げて頂きましょう」
「は?」
バレット公爵の言葉に思わずリーシェが間抜けな声を出すと、バレット公爵は笑って続ける。
「お二人はローズの誕生パーティーの後、失踪する。お二人の仲はパーティーに出席した者たちが証言してくれる。そして私も国王に進言する。お二人をそっとしておいてほしいと。どこかでお二人が静かに幸せに暮らしていけるのなら、それがお二人にも国にも良いことだとね」
「ど、どういうこと!? 私たちが国から逃げる!?」
「それを公爵が手引きするということか」
リーシェは本当に意味が分からず動揺した声を出した。なぜ自分たちが逃げなければならないのか。それも二人で駆け落ちのように。
「この先、王になり王妃になる者に汚点があってはならない」
「なるほど良い案だ。俺たちを探さないことで、あんたたちは寛大で慈悲の心を持った人物になる。国民は美談に酔い、事件は風化する、という訳か」
ルゼオンが吐き捨てるように言うと、ウィルが柔らかく笑みを浮かべて返答した。
「隣国に小さな家でも用意させましょう、兄上。あの塔でも暮らせたのだ。二人ならきっと慎ましくも幸せな日々が送れますよ」
「そのつもりもないくせに、よくも言えたものだな」
ルゼオンの言葉にリーシェは「え」と小さく声を漏らした。
(え? え? 私たちを逃がすんじゃないの?)
リーシェの頭は混乱するばかりだ。
「このワインに入っている毒を俺たちが飲んでしまったら、辻褄が合わないじゃないか」
「ど、毒!?」
リーシェは驚いてテーブルの上のワインを見つめ、それからバレット公爵の顔を慌てて見ると、にこりと笑みを向けられた。ウィルとローズは幾分顔を曇らせているように見えた。
「二人は俺たちが毒を飲んで死んだのを確認しに来たんじゃないか?」
「なにを……」
「違うか? 俺たちが生きていたら安心して眠れもしないだろう。いつ真相を暴露されるか分かったものじゃないからな」
「ハッ! 真相? なにが真相だ。なにも掴めてないくせに、大きな口を叩くのも大概にするんだな」
嘲るように言い放つウィルに、ルゼオンは返答はせずただ冷えた眼差しを向ける。
「ルゼオン殿下。どうやら我々がそうすると決めつけているようだが、根拠はあるのかな?」
バレット公爵だけはまったく動じていないようにリーシェには見えた。表情も声もなにも変わらない。その落ち着き払った態度がどこか不気味で恐怖を覚える。
「お前たちは自分たちの目的のために俺たちを呼び寄せたつもりだろうが、生憎ここには俺たちの意志で来た。ここに罠を仕掛けるためにな」
「罠、ですと?」
「俺たちが敵だと分かっている相手の屋敷にのこのこ出向くとでも思ったか?」
「ではなぜ来たのです」
「ここにすべての真相を解く鍵があるからだ」
「鍵?」
バレット公爵から笑みが消えていく。部屋の空気がピンと張りつめて行くのを感じ、リーシェは唾をゴクリと飲み込んだ。
「バレット公爵。お前は確かにすべてを隠滅できた。俺の事件ではワインに毒を入れた者も、関わったすべての者もお前の権力や財力によって口を閉じさせることに成功した。目的は、最高権力を手に入れることか? 国王陛下と俺が死ねばウィルが国王になり、娘を嫁がせればお前は簡単にこの国を手に入れることになるからな」
ルゼオンが話し出すと、明らかにウィルの表情が変化した。憎悪に満ちた眼差しがルゼオンに向けられる。だがルゼオンは構わず続けた。
「本当に簡単な事件だ。毒を入れたのは城勤めのフットマンだったサイラス・ターナー。今は田舎で豪遊している。俺の部屋に侵入し、袖に毒を垂らしたのもこの男だ。だが当時、サイラスに嫌疑が掛かることはなかった。それはお前が騎士たちに圧力を掛けてねじ伏せたからだ。裁判を行う貴族会議においても、お前は圧力をかけた。俺が真相を暴くことができなかったのは、ただ単にあんたほど権力を持っていなかっただけだからだ」
「そ、そんなものはでっち上げだ! 証拠もないくせに!!」
ウィルが動揺した声を上げる。だがそれを制してバレット公爵が静かに「どうぞ、続きを」とルゼオンを促す。
「事件の後、ポツポツと城を去った者たちがいた。だがすべて行方を追うことはできなかった。本当に驚くほど痕跡は消えていた。俺は塔に閉じ込められた後もどうにか事件の真相を突き止めようと頑張ったが、切れた糸を繋ぐことは結局できず諦めるしかなかった。それから3年、今度はリーシェの事件が起こった」
自分の名前が出てきてリーシェはハッとなった。ルゼオンの袖を掴んだまま、じっとその顔を見つめる。
「俺の時と同様、毒を使った事件だ。まったく同じように、毒を入れたのは飲み物を注いだ人物となった。リーシェはあっという間に断罪された。だがリーシェは死ななかった。神の導きか、リーシェがすべてを暴いてくれた」
「え……、私が?」
小さく声を出すと、顔を向けたルゼオンは優しく笑い頷く。
「リーシェは断罪の湖で、二つの遺体を見つけた。男女の遺体だ。一人はこの屋敷の庭師をしていたハロルド・ベッカー。そしてもう一つは、お前の娘、ローズ・バレットだ」
「ええ!?」
ルゼオンの言葉に思わずリーシェは声を上げた。意味が分からず部屋の隅にいるローズを見ると、唇を噛み眉を歪めるローズが睨み付けてくる。
「証拠はありますかな?」
「ある。ハロルドの遺体はすでに両親に確認を取った。そして、ローズは俺がしっかり顔を確認した」
「ルゼ……、あなたあの時……」
「ああ。俺は幼い頃、ローズに会っている。たった二度だったからずっと忘れていたが、あの髪の色と、右目の下の泣きぼくろを見て思い出したんだ」
「泣きぼくろ?」
ルゼオンの言葉にローズがハッとして右頬に手を当てる。そこにほくろはない。
ルゼオンはローズを見つめ、話し続ける。
「初めて会った時は挨拶程度だったが、二度目に会った時、俺は泣きぼくろがある子は泣き虫だとからかって泣かせてしまったんだ。身体の弱いローズはそれきり城に来ることもなく、社交界で会うことはなかった」
「そ、そんな……。ほくろなんて……そんなもの……私……」
ローズはぶるぶる震えて呟く。その横にいたアリエスは真っ青な顔をしたままスカートを握り締めている。
「じゃあ、あそこにいるのは、誰なの?」
リーシェがローズを見つめてそう言うと、ルゼオンが答えた。
「お前は、マーガレット・ヒューズだな」
「マーガレット?」
「断罪の湖のそばにある、ケイル村の村娘だ」
「ええ!? え? あ!! エイミーの友達の!?」
「ああ。家出をしたのは王太子妃選定が始まる少し前。お前はローズと入れ替わり、この屋敷に来た。違うか?」
「違うわ!!」
ルゼオンの問い掛けに、ローズは激しく否定すると、燃えるような激しい目をルゼオンに向ける。
「私はローズよ!! この屋敷で生まれて育った!! これからウィル様と結婚して王太子妃になるのよ!!」
「ここに、すべてを懺悔した手紙がある」
ルゼオンはそう言うと、上着の内ポケットから手紙を取り出す。
「これはハロルド・ベッカーが己の罪に耐え切れなくなり、母親に当てて書いた懺悔の手紙だ」
「なんだと!?」
ここで初めてバレット公爵が腰を浮かせた。険しい表情でルゼオンの持つ手紙を睨み付けている。
「ここにはバレット公爵の命令で毒の花を育て煎じたと書かれている。良心の呵責に耐え切れず、恋仲であったローズにすべてを告白したと。ローズは父親を告発することはできず、悩み抜いた末、二人は断罪の湖で罪を償うことを決めた」
「罪を償う……?」
「そうだ、バレット公爵。お前の娘はすべての罪を背負って、ハロルドと命を絶つ決心をしていたんだ」
バレット公爵の手から葉巻が滑り落ちる。
「自分の命と引き換えに父を許してほしいと、ローズの筆跡で書かれてあった」
「そんな馬鹿な……」
「お前はそんなこととは知らず、駆け落ちをしたと思い込み二人を追った。そして断罪の湖でその手に掛けたのではないか? そしてここからは俺の想像だが、その騒ぎを目撃したマーガレットは、お前にローズの代わりとなることを提案した」
「う、嘘よ……」
「マーガレットは確かにどことなくローズに似ている。身体が弱く知り合いも少ない。社交界にも出たことのないローズなら入れ替わったとしても、公の場で露見することはまずないだろう。問題は屋敷だ。生まれた頃からローズの世話をしていた者たちは、さすがにマーガレットとローズを間違うはずがない。だから知られる前に解雇した。上手い理由を付けて金を握らせ遠方へとやった」
ルゼオンはそこまでを一気に話してしまうと、手紙をじっと見つめた。
「この手紙は二人が屋敷を出る直前に実家に届けられた。あまりの内容にハロルドの母親は夫にも言えず、きっとなにかの間違いで、いつか息子が帰ってくるかもしれないと隠していたそうだ。だが息子の死を知り、泣きながらこの手紙をセドリックに渡したらしい」
手紙にはいくつもの丸いシミが落ちている。リーシェはそれが涙の跡だと分かると胸が締め付けられた。
ルゼオンがゆっくりと手紙を畳み懐にしまう。そうしてローズ――マーガレットを見つめ、その隣にいるアリエスへ視線を移した。
「紅茶に毒を入れたのはアリエス、君だね」
確かめるように優しくルゼオンが言った途端、アリエスはその場に座り込みわっと泣き出した。
「ローズに頼まれたのか?」
「そ、そうです!! わ、私……、ただ……あの時は……、紅茶に入れれば美味しくなるからと……ローズ様に言われて……」
「嘘よ!! 使用人の分際でなにを言っているの!?」
泣きじゃくりながら訴えるアリエスに、マーガレットが激しく声を上げる。
「ハロルドの手紙には、公爵に繋がる不審な者の行方も書かれていた。サイラスの行方も分かり、すでに身柄は確保してある。そしてこの屋敷の森の奥に隠されていた、小さな小屋で栽培されている毒の花も押収済みだ」
「まさか……、そんな……」
バレット公爵はよろりと身体を揺らすと、ソファにどさりと座り項垂れる。
「これだけの証拠があれば、お前を捕縛することは可能だ。お前が捕まれば口を閉ざしている者もすぐに話し始めるだろう」
「なんと……なんと……、なかなかやりますな。ルゼオン殿下」
リーシェはバレット公爵が震えているかと思った。けれど顔を上げたバレット公爵は笑っていた。
「あなたがどれほど真相に近付こうとさして問題はない。予定通り、お二人はここで死ぬのですから」
バレット公爵がそう言うと、音を立てて扉が開き、バラバラと剣を持った男たちが入ってきた。
リーシェは驚いてルゼオンの背中に張り付く。
「毒を飲むなどとは思っておりませんよ。これはそう、ちょっとした趣向です」
「ふん。面白くもないな」
「兄上、どうぞ安らかにお眠り下さい」
ウィルがひくひくと唇の端を上げ低く言ってくる。その前にベルナールが立ち塞がる。
「ベルナールか……」
「兄上がどれほど剣が使えようと、国で最も強いベルナールには勝てないでしょう」
その言葉と共にじりじりとベルナールがルゼオンに近付く。背後からも男たちが近付き、ルゼオンは壁際にリーシェを寄せ背後に庇いながら剣を引き抜いた。
「なるほど……。ウィル、最後だから教えてやるが、お前は一つ大きな間違いをしている」
「なんだと?」
「ベルナールを子飼いにしたつもりだろうが、こいつはお前に仕える気などさらさらないぞ」
「なにを馬鹿な!! ベルナールは俺に忠誠を誓っている。俺の命令には絶対に従う!!」
「それはどうかな?」
楽しげに笑ったルゼオンの目の前で、ベルナールは銀髪を翻して美しくターンした。そうしてバレット公爵とウィルに剣を向ける。
「な、な!? どうしてだ!! ベルナール!!」
驚くウィルにベルナールはふっと笑みを見せる。答えたのはルゼオンだった。
「ベルナールは人の味方にはならない。絶対にな」
「ではお前は誰の味方なのだ!?」
「私は正義の味方だ!!」
嬉々として答えたベルナールの言葉を皮切りに、戦闘が始まった。




