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第21話 特訓

 40代ほどだろう背の高い女性は、黒いドレスとヘッドドレスをしていることからメイドだと思ったけれど、リーシェが見たことのある若いメイドたちとはどこか形が違うドレスを着ている。

 それに「初めまして」などと挨拶をしたメイドはこの女性が初めてで、少し面食らった。


「あの、なにか用、ですか?」


 恐る恐るという風に訊ねると、女性は部屋の中へ入ってきた。


「わたくし、クロエ・メディナと申します。以後お見知りおきを」

「あ、はい。私はリーシェ・エルナンドです。よろしくお願いします」


 優雅に腰を落として挨拶をする女性――クロエに見習って、ぎこちなくだが同じように腰を落としてみる。

 その様子をじっと見つめていたクロエは、小さく頷きにっこりと笑った。


「まったくなっておりません!」

「は?」

「クロエ! 先に行くなと言っただろうが!」


 クロエの放った厳しい言葉に間の抜けな声を出したリーシェだったが、その声に被せるようにルゼオンの声が聞こえた。


「ルゼ!」

「殿下、この方がリーシェ様ですのね」

「そうだ。俺も一緒に行くと言っただろう」

「わたくし一人で十分ですわ」


 ルゼオンの言葉にものともせず、クロエはぴしゃりとそう言うとまたリーシェに視線を合わせた。


「やりがいのありそうなお嬢様ですわ」

「ルゼ、あの、この人は?」

「クロエは俺の子供の頃からの侍女だ。お前のことを頼もうと思って連れて来た」

「私のこと?」


 どういうことだろうと首を傾げると、二人の間にクロエがスッと割って入った。


「お話は結構です。ではリーシェ様、そこをまっすぐ歩いてみて下さいませ」

「え? え? 歩く?」


 突然言われて戸惑いルゼオンに助けを求めるが、ルゼオンは顔を顰めたまま首を振るだけだ。

 仕方なく言われた通り、ソファの横を数歩歩いてみる。

 その様子を鋭い視線で見つめていたクロエは、パンッと手を叩いた。


「では次は、このソファに座ってみて下さいませ」

「座る……」


 何をさせられているんだろうと思いながらも、指示通りソファに座る。


「立って!」

「は、はい」

「挨拶を!」

「はい!!」


 言われるままに腰を落とす。

 そこでクロエは一拍置くと、神妙な面持ちで首を振った。


「まったく、なに一つできておりません!」

「だから、リーシェのことをよろしく頼むと言ったんだ」


 最大のダメ出しをもらい、リーシェはさすがに落ち込んだ。さきほどローズの取り巻きたちに笑われたことを思い出してしまう。


「急場で悪いが、リーシェにできるだけレディとしての振る舞いを教えてやってくれ」

「ルゼ……」


 城に来てからなんだかすごく優しいルゼオンに感動していると、クロエはしっかり頷きリーシェの前に立った。


「分かっております。どこからやればよいか見ただけでございます。わたくしにお任せ下さいませ」

「よろしく頼む」


 そう言うとルゼオンは部屋を出て行ってしまう。


「ちょ、ちょっと、ルゼ!!」

「リーシェ様!」

「はい!」


 リーシェは名前を呼ばれると、背筋を伸ばして返事をする。この人物には逆らわない方がいいと本能的に感じる。


「まずは基本の挨拶から学びましょう。カーテシーは女性の挨拶の基本です。まずはわたくしがやって見せますので、よくご覧下さい」


 クロエはそう言うと、両手でスカートを外側に摘み上げ、ゆっくりと腰を落としていく。

 それはさきほどローズがルゼオンにした挨拶とまったく同じで、これが“カーテシー”というものなのかと納得してすっきりした。


「この挨拶は色々とパターンがございます。浅く腰を落とすのは親しい方、または身分が同じ程度の方に対して。深く腰を落とすのは目上の方、身分の高い方に対してです。王族の方々には膝が突くほど腰を落とします」


 クロエの説明に「へえ」と感心する。


「では、やってみて下さい」

「はい。えっと、足を引いて……」

「片足を軽く引いて、腰を落とす。背筋はまっすぐ。曲げてはいけません。ゆっくりと、優雅に」


 クロエに指示を受けながらどうにかやってみるが、ヒールを穿いた状態で、背筋を伸ばしたまま膝を曲げて行くと腿やふくらはぎがプルプルしてくる。

 素早く腰を落とせばそう辛くもないのだが、いかんせん動きがゆっくり過ぎて筋肉が悲鳴を上げている。


「まだ早い。もっとゆっくり」


 何度も何度も屈伸をさせられて顔を顰めてしまうと、今度は「笑顔で!」と声が上がる。


(ひー! スパルタだー!!)


 こんな厳しい人がルゼオンの侍女だなんて、ちょっと可哀想と同情してしまう。

 そうして30分ほどカーテシーの練習をし、やっと「よろしい」という言葉がクロエから出ると、リーシェは嬉し過ぎて泣きそうになった。


「さて、次は座り方です」

「まだやるの!?」

「まだ? もちろん、まだ始まったばかりですわ。さぁ、続けますよ」


 ガックリと項垂れたリーシェとは反対に、どこか楽しげな声でそう言ったクロエは、パンパンと手を叩く。

 そうして椅子の座り方、立ち方、歩き方、扇の持ち方などなど、厳しい声を受けながら覚えていく。

 すでに始まってから二時間は経っており、すっかり夜になっていた。

 リーシェのお腹がグゥと鳴って、まずいとクロエの顔を見ると、にっこりと笑みを向けられる。


「丁度良い時間ですので、夕食に致しましょうか」

「やったー! あ、じゃなくて、えっと、嬉しいです」


 レディはおいそれと大きな声を出さないと言われたばかりなのを思い出して慌てて訂正する。クロエは満足げに頷くと、「少々お待ち下さい」と言って部屋を出て行った。

 そうして少しすると他のメイドを引き連れて戻ってくる。背後の若いメイドの手には大きなトレイがあってリーシェは目を輝かせる。


「さて、リーシェ様。食事の食べ方をお勉強致しましょうか」

「え……」


 にっこりと言われた言葉にリーシェはやっぱりなと思いながら、とぼとぼと席に着いた。

 それからみっちり一時間を掛けてナイフやフォークの使い方、さらには上品な食べ方を学んだ。食べることくらい好きにさせてよと思ったが、この世界ではそれは許されないのはもう十分分かっている。

 やっと食事が終わり、なんだかお腹いっぱいになったのかなっていないのか分からない状態で紅茶を飲んでいると、クロエはなぜか窓辺に置かれたドレッサーの鏡に掛かっているレースを取り払った。


「リーシェ様、こちらにお座り下さい」

「あ、はい」


 呼ばれるままに鏡の前に座ると、背後に立ったクロエが櫛を手に持った。


「こちらのメイドは髪を整えてはくれませんでしたの?」

「あー、なんだか短い髪は扱ったことがないとか言って……」


 自分としては着替えや食事の世話をしてもらうだけで十分なので、髪なんてそのままで良いと思っていたのだが、クロエは櫛を通しながら小さく溜め息を吐いた。


「このように髪を整えていない状態で部屋を出るのはいけません。とても失礼に当たります」

「はあ……」


 とりあえず櫛で梳かしてはいたんだけどなと思ったがそれは言わず、クロエの話を聞き続ける。


「事情があるとはいえ、これほど短い髪は神職の女性でもあまり見受けられません。できれば伸ばす方向でお考え下さいませ」

「はい……」

「リーシェ様の髪は華やかなプラチナブロンドで、柔らかく波のように自然に癖がありますので、伸ばせば美しい巻き毛が作れます」


 クロエは話しながら櫛を置くと、今度は器用に指先を動かし髪を纏めていく。


「リーシェ様、殿下をお救い下さり、ありがとうございます」

「あ、え……、いいえ、そんなこと……」

「もう二度と殿下とはお会いできないかと思っておりました」

「あの……、クロエさんは、ルゼの小さい頃からそばにいたんですよね」


 リーシェが訊ねると、クロエは初めて柔らかく笑みを見せた。


「小さいというか、ご誕生の折からお世話をさせて頂いております」

「じゃあ赤ちゃんの時から……」

「はい。長年お側にお仕えして参りましたが、まさか殿下からこのような頼み事をされるとは思ってもみませんでした」


 ルゼオンはクロエにどういう説明をしているのだろうか。本来は伯爵令嬢である自分が、こんなに何もできないなんて不審に思わないだろうか。


「あの、私……」

「さぁ、この花のボンネットを付ければ完璧ですわ」


 リーシェが話すよりも先にクロエが明るい声を出した。鏡に目を移すと、自分の髪は美しく纏まっていた。


「うわぁ、すごい……」


 顔を横に向けて見ると、両サイドはふわっと編み込みにされていて、それが首の後ろで纏められている。

 後頭部には細かい細工が美しい花の飾りが付けられていて、小さなレースが垂れているのが素敵なアクセントになっている。


「これならば髪が短いことはあまり目立ちませんし、城の中を歩いてもはしたないと思われることはありませんわ」

「ありがとう! クロエさん!」

「クロエで結構です」


 今までの人生で、こんなに綺麗な髪型にしてもらったことがなかったので、リーシェは何度も首を捻り鏡の中の自分を見つめる。

 クロエは使った櫛やピンを片付けながら、独り言のように言葉を漏らした。


「これなら殿下もお気に召すでしょうね」

「は? え? そ、そんなの、全然、関係ない……ですよ」


 変な勘繰りをされて動揺したリーシェは、しどろもどろで返答する。

 本当は少し心の中で、「ルゼは気に入ってくれるかな」と思っていたので、心を見透かされたような気がしてドギマギした。

 クロエは含みのあるような笑みを向けると、小さく頷く。


「今日はこれで終わりに致しましょう。わたくしはしばらくリーシェ様付きとなりますので、何かあればお呼び下さいませ」

「え、そうなんですか?」

「はい。空いている時間はお勉強を。身の回りのお世話もわたくしが致しますので、なんでもお申し付け下さいませ」


 この城の中知る人も少なく、ルゼオンしか頼る人がいない状況で、少し厳しいけれど優しく凛としたクロエが味方になってくれるなら、これ以上頼もしいことはないと思うリーシェなのだった。

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