第19話 ローズとの再会
気まずい気持ちでそれでも前に進むしかなくローズの前まで来たリーシェは、気を利かせたらしいメイドが自分の背後に回ってしまうのを少し焦りながらローズに視線を合わせる。
「お久しぶりね、リーシェ」
「あの……、具合いはもういいの?」
さきほど大広間で倒れてから少し時間が経ってはいるが、身体の弱いローズが心配でそう言うと、ローズはキョトンとした顔を見せた後、ふふっと笑ってみせた。
「見た目も随分変わったけれど、性格も変わってしまったのかしら?」
「え? あー……、えっと……」
どう答えていいか分からずごにょごにょと口の中で言葉にならない声を出しながら、間近で見たローズの美しさに驚いた。
モデルのような小さな顔に大きな空色の瞳が輝き、見たこともないピンクブロンドの長い髪がツヤツヤと光に反射している。手足も長く真っ白で、まさにお人形のような可愛らしさだ。
主人公なので当たり前だが、これほど愛らしい女の子を間近で見てしまうと、同性の自分でさえもちょっと見惚れてしまう。
「まさか生きて戻ってくるなんて思いもよらなかったわ」
ウィルも似たようなことをルゼオンに言っていたのを思い出し、ちょっと苦笑してしまう。
お互い似たり寄ったりの立場だと、改めて思い知る。
「私も……そう思う」
「昔のあなたならそんな恰好絶対にしなかったのに……。大変な苦労をしたのね」
同情的な眼差しと言葉にリーシェは笑みを浮かべる。
(やっぱりローズは優しいなぁ……)
ローズは本当に優しい女の子で、ゲーム中のリーシェの意地悪にもいつも笑顔で耐えていた。健気で少しお人好しなところもある可愛いキャラなのだ。
大好きだったキャラにこうして会えたことはとても嬉しいけれど、ローズの立場になって考えるとあまり浮かれることはできそうにない。
なにせローズを殺そうとした張本人が、また目の前に現れてしまったのだから。
「あの、ごめんなさい、私……」
「謝ることはないわ、リーシェ。あの事件の時、毒を飲んで意識を失くしてしまって何も言えなかったけれど、私信じているのよ。あなたが犯人じゃないって」
「ローズ……」
「だから今回のこと、とても嬉しいの。王笏を見つけられて本当に良かったわ」
そっと両手を差し出しローズはリーシェの手を取る。
「ああ、こんなに荒れてしまって……。あなたの長いほっそりとした指が台無しだわ。後でクリームを届けさせるから塗ってね」
「ありがとう、ローズ」
「いいえ。でも……、ごめんなさい。もう王太子妃は……」
「あ、それはもう気にしないで」
「え?」
申し訳なさそうに切り出したローズに、リーシェはきっぱりとした声を出す。
驚くローズにリーシェは笑い掛ける。
「王太子妃とかそういうのはもう考えてないから」
「あら……、そう、なの?」
ゲーム内では王太子妃の座を巡ってローズと争っていたが、実際その立場になって、その座が欲しいなんて微塵も思わない。だからローズが不安にならないようにこれだけはちゃんと伝えておきたかった。
「今回は王笏のことがあってお城に戻ってきちゃったけど、王太子妃とかそういうことはまったく関係ないから」
「そう……。分かったわ。それじゃあ、また私たちお友達に戻れるわね?」
小首を傾げるように伺ってくるローズにリーシェは大きく頷く。
ゲーム中、ローズはどうにかリーシェと仲良くなろうと奮闘していたのを思い出す。結局最後までリーシェには冷たくあしらわれることになるのだが、きっとローズはずっとリーシェと仲良くなりたかったのだ。
「もちろん。ローズが嫌でなければ」
ローズの温かい手に自分の手を重ねる。ローズは柔らかく微笑むとそっと手を放した。
「大変な暮らしをしてきたでしょうから、部屋でゆっくりしてね。少ししたらまたおしゃべりしましょう」
そう言い残してローズは去って行った。穏やかな余韻に浸っていると、後ろにいたメイドがそばの扉を開けてこちらを見た。
「リーシェ様、こちらの部屋にどうぞお入り下さい」
「あ、はい!」
部屋の中は客室のようだった。大きなベッドとソファセット。美しい木製の調度類が揃っている。当たり前だがもちろん塵一つなく、シーツも皺一つない。
塔と比べるべくもないあまりの清潔感にリーシェは目を輝かせた。
(ここで寝られるの!? 嬉し過ぎる!!)
今までの生活に慣れてしまっていたとはいえ、やはり文化的な生活が目の前にあると嬉しくない訳がない。
リーシェが部屋の中をうろうろと見て回っていると、隣の続き間になっている扉からメイドが出てきた。
「リーシェ様。まずはお風呂にお入り下さい」
「お風呂!?」
メイドの言葉に駆け寄り隣の部屋を見れば、そこはタイル貼りになった浴室だった。中央には猫足のバスタブが置かれ、中にはたっぷりのお湯が湯気を上げている。
「お湯だー!!」
つい嬉しくて声を上げてしまうと、ビクリとそばのメイドが肩を震わせる。
驚かせたのを悪く思いながらも、嬉しさは収まらず顔はにやついて止まらない。
塔の生活で一番辛かったのはお風呂がなかったことだ。1階のキッチンの横に水場らしいレンガ敷のガランとした部屋はあったが、そこにバスタブやシャワーがあるはずもなく、リーシェはしょうがなくそこで水を浴びて過ごしていた。
本当にたまにお湯を沸かして布で身体を湿らせることもあったが、大量にお湯を沸かすのは一苦労なので、それほど頻繁にできなかった。
「あの……、よろしいですか?」
メイドに少し怯えたような目で見られてリーシェはコホンと咳払いすると、大人しくお風呂に入った。
「お湯はぬるくありませんか?」
「大丈夫、このくらいで丁度いいわ」
恐る恐るという風にメイドに聞かれ、少し引っ掛かりながらも笑顔で頷く。
メイドにあれこれされるのは少し気恥ずかしかったが、この世界の勝手が分からないのでされるがままに身体を洗われ、心の底からさっぱりすると浴室を出た。
元の部屋に戻ると、メイドはテキパキとクローゼットからドレスを出した。
「それを着るの?」
全体的に青い生地で白いレースと金糸の刺繍が美しいドレスに、リーシェはこんなに素敵なドレスを着ていいのかと訊ねたが、メイドはサッと顔を青褪めて慌てて膝を突いた。
「も、申し訳ありません! リーシェ様にご用意されたドレスはこのような物しかなく……。ご不満であれば上に掛け合ってみますが……」
「え!? ああ、違うのよ! 不満なんてないわ! 素敵なドレスね」
明らかに怯えた顔でメイドが謝り、リーシェはやっと理解した。
(この子……、私が怖いんだわ……)
当たり前のことだが、自分は恋敵を毒殺しようとした女だ。ゲーム中、とても冷たい口調でローズをいじめていたのをメイドが知らないはずがない。
リーシェは慌てて弁解すると、出来るだけ柔らかい笑顔を向けてメイドに言った。
「こんな綺麗なドレス、久しぶりだから嬉しいわ」
「ほ、本当ですか?」
「ええ。驚かせてごめんなさい」
リーシェがそう言うと、メイドはホッとした顔をしてゆっくりと立ち上がる。
「お着替えをお手伝いしても?」
「よろしく頼むわ」
メイドは小さく頷くと、またテキパキと動き出した。
肌触りの良い下着を着て、腰にコルセットを巻く。初めて見たコルセットに感心して見ていたリーシェだったが、後ろからメイドに締め上げられて思わず声が出た。
「ちょ! ちょっと待って!!」
悲鳴じみた声にメイドは手を緩めることなく「はい?」と返事を寄越す。
「もうちょっと緩く……」
「え、でももう少しきつくしませんとドレスが入りません」
「そ、そうなの?」
「はい」
それが当たり前なのだろう。メイドは不思議そうに頷くと、また紐を引っ張った。
(く、苦しい……)
テレビか何かで見たことのあるシーンだったが、まさか自分が実際に体験するとは思わなかった。
エイミーに貰ったドレスも簡易的なコルセットのようなものを付けてから着ていたが、自分で紐を縛っていたし、こんなにきつくしていなかった。
これまで自分がどれほど楽な格好をしていたかを思い知る。
どうにかコルセットの締め付けに耐え、ドレスを着ると、この世界に来て初めてヒールの靴を履いた。華奢な作りの青いヒールは美しくドレスに合って素敵だったが、穿き慣れない靴によろけてしまう。
(この格好でずっといるって無理じゃないかしら……)
着たばかりだが、すでに弱音が出始める。
豪華なドレスを着た自分を鏡で見ると、確かに綺麗で美しいと思えたが、嬉しいという気持ちがまったく湧いてこない。
「お髪ですが……」
「髪?」
「その……、あまりにも短いので、どのようにしていいものか……」
困ったようなメイドの言葉にリーシェは笑って首を振る。
「このままでいいわよ。リボンとか性に合わないし」
「ですが……、そのままではいくらなんでも……」
確かにエイミーもローズも、さきほど大広間にいた貴族の女性たちも、こんなに短い髪は誰一人いなかった。
たぶんこの世界の女性は長い髪が当たり前なのだろう。
「どうにもならないだろうし、このままでいいわ」
「そう、ですか……」
やっと納得するとメイドは仕事を終えて部屋を出て行った。
ポツンと一人部屋に残ったリーシェは、はぁと大きな溜め息を吐くとソファに突っ伏した。
「うう……、苦しい……」
呻き声を漏らしてお腹をさする。もう脱いじゃおうかしらと思い、でもそろそろ夕食だしと悩んでいると、窓辺のカーテンが揺れた。
風かしらと視線を戻そうとしたが、カーテンの裾になにやら白いものが見えてリーシェはガバッと起き上がる。
そのまま窓辺に寄りカーテンを捲ると、そこには湖でよく見かけたあの羽の先が青いアヒルがいた。
「嘘でしょ!? なんで君がここにいるの!?」
リーシェの大声にアヒルは驚いたように羽をばたつかせカーテンから走り出る。
アヒルを追い掛けて走ろうとするが、高いヒールに阻まれて上手く足が出ない。
「大福、大福よね? あなた付いて来ちゃったの?」
勝手に付けた名前で呼び掛けると、アヒルはガーガーと返事を寄越す。
リーシェはよろよろとアヒル――大福に寄ると、膝を突きそっと手を伸ばした。
思いの外ふわふわとした頭に手を乗せてみても逃げない様子に、リーシェは苦笑し話し掛けた。
「あなたのせいで、なんだか大変なことになってきちゃったわ。責任取ってよ」
そう言いながら大福を抱き上げる。嫌がりもしない大福に笑い掛けながら窓辺に寄ると外を眺めた。
窓からは夕日の下、扇状に広がる城下町が見えている。そのオレンジに染まる美しい景色に目を細める。
「これからどうなるのかしら……」
先行きのまったく分からない状況に、リーシェはただ溜め息を吐くしかなかった。




