第15話 再来
ノックもなしに飛び込んできたリーシェに驚いたが、それよりもその手にある王笏の存在にルゼは目を見開いた。
文献に残された通りの姿をした王笏は、なんの破損もなく輝きを放っている。リーシェから受け取ったその重みをズシリと手に感じ、ルゼは口の端を上げた。
「これでどうにかなるか……」
「どうにかって?」
ルゼが呟くと、腕の中にいたリーシェが首を傾げる。慌てて手を放し距離を取ると、コホンと一つ咳払いをする。
「とりあえずお前は服を着てこい。話はその後だ」
「あ、そっか。分かった」
リーシェは自分の格好を見下ろし、気軽に頷くと部屋を出て行った。
あんな裸同然の格好のリーシェを抱き締めてしまい少し動揺したが、気を取り直して手にした王笏を見下ろす。
見つからないと本当は思っていた。それもいいかとどこか諦めにも似た気持ちがあった。ここの暮らしは質素だが穏やかで、案外性に合っていた。
だがリーシェが現れた。止まっていた時が動き出したように感じた。止まっていてはいけないと言われたような気がしたのだ。
「やはりここにいてはいけないということか……」
机の上にある本を広げ、そこに描かれた王笏の絵を見つめる。
実物を見て描かれたと言われるそのものを今自分は手にしている。
「本物だな……」
椅子にゆっくりと腰を下ろし、小さく息を吐く。
見つけた以上は動きださなくてはいけない。隠しておくことは選択肢にはない。
これからやるべきことを頭に巡らせていると、激しい足音が下から上がってくることに気付いた。
リーシェではないなと顔を上げたところで、扉が激しく開きベルナールが姿を現した。
「ルゼオン様」
「おや、もう3ヶ月経ったか? 少しばかり早い気がするが」
「今日はあなたへの査察ではありません」
剣呑な目つきでベルナールはそう言うと、部屋に入り目の前に立った。
ルゼは立ち上がることはせず、ベルナールを見上げ肩を竦める。
「査察ではないならなんだ。バカンスにでも来たか?」
「白々しいことを。以前ここにいた娘。あの娘は本当にエイミーという名なのですか?」
「なんのことだ」
内心で舌打ちをしつつ、顔色を変えず平然としたまま答える。
以前ベルナールにリーシェを見られてしまった時、ベルナールはまったく気付いていない様子だった。元々抜けたところもある男だからそれほど心配はしていなかったが、この様子ではどうやら入れ知恵をした奴がいるらしい。
「あの娘を調べさせて頂きます」
「それは、」
「隊長! おりました!!」
多少なりとも答えを引き延ばすかと思った矢先、下から男の声が聞こえ、同時にドタドタと複数の足元が上ってくる。
すぐに兵士に腕を掴まれたリーシェが、困惑した顔で現れた。
「ルゼ……」
図太い性格だと思っていたが、さすがにこの状況では強気ではいられないらしい。
弱い声で名を呼ぶリーシェに小さく頷いてやりながらゆっくりと立ち上がる。
リーシェはすでに着替えてはいるが、いつものように村娘のような恰好で、その姿にベルナールは疑わしい目を向ける。
「お前はエイミーではないな?」
「わ、私……」
答えられないリーシェに、ベルナールが手を伸ばす。
ビクリと肩を竦めるリーシェの頭に手を置いたベルナールは、髪を隠すように被っていた布を取り去った。
肩までの短いプラチナブロンドがふわりと現れ、リーシェは下を向く。けれどそれを許さず、ベルナールは顎に指を添えると顔を上向かせた。
「本当に……、リーシェ・エルナンド……なのか?」
間近で見てもまだ信じられないという風なベルナールの声に、リーシェは顔を歪め、ルゼは大きく息を吐いた。
こうなってしまえばもはや言い逃れはできないと、ルゼは頭を切り替える。まだ生き残る術は残っている。
「ごめんなさい……、私……」
「どうやって……、まさかルゼオン様が助けられたのですか?」
「そんな訳あるまい。俺がどうやって彼女を助けられるというのだ」
「それは……」
この湖に船は一艘しかない。それは断罪で使うために教会が用意した船だけで、それ以外は小さい舟もないのだ。どうやってもルゼに助けることはできない。
「まぁそれは道中で聞くとしよう。この者に縄を掛けろ」
「ちょっと待て。リーシェをどうするつもりだ」
「王都に連行します。本人であるならば、捕縛し連れて来るように命令が下っております」
ルゼが制止する声を聞くこともなく、兵士はリーシェの腕を縛ろうと腰にあった縄を取り出す。
リーシェは慌てて抵抗しようと身動ぎ暴れようとするが、もう一人の兵士に肩を掴まれてしまう。
「いや! 放して!!」
「大人しくせよ!!」
「よせ!!」
ベルナールの声に重なるようにルゼは怒鳴ると、兵士とリーシェの間に割って入った。
「ルゼ!!」
「ルゼオン様! 手を出されればあなたも罪になりますよ!」
「リーシェを手荒に扱うことは許さん」
「あなたにその権限はない」
「俺ではない。リーシェ本人に権限がある」
「どういうことです?」
ルゼの言葉に顔を顰めたベルナールの前に、ルゼは王笏を差し出した。
「彼女はゼシリーアの加護を受けている。水に沈んでも死なず、王笏を見つけた」
「王笏!? まさか!?」
ベルナールは飛び跳ねるほどに驚くと、ルゼの手にある王笏を見開いた目で見つめる。
兵士たちもさすがに手を止め王笏を食い入るように見ている。
「我が国の古い神ゼシリーアから頂いた王笏。本当なら俺が見つけるはずだったが、王笏はリーシェを選んだ。ゼシリーアの加護を受けている者を手荒に扱うことは許されない」
「そんな……そんなことが……」
信じられないとベルナールは首を弱く振る。けれど背後の兵士たちはその言葉に恐れを感じたのだろう。パッと縄を解いてリーシェを解放した。
「ルゼ!」
解放されてホッとしたのか、そばに駆け寄るリーシェをそっと抱きしめると、その手に王笏を持たせる。
「持っていろ。これはお前の物だ」
「え?」
小さな声でそう言うと、リーシェは首を傾げる。
この王笏がある限り、すぐにリーシェが処刑されることはないはずだ。大きな保険を得たことに安堵しつつも、これがそれほど長く続かないことも分かっている。
「ベルナール、王笏を手に入れたことで、俺の謹慎処分も解かれたことになる」
「で、では……」
「俺は王都に戻る。もちろん、リーシェを連れて」
ルゼの言葉にベルナールと二人の兵士は驚きの表情を浮かべ、リーシェはまったく意味が分かっていないのだろう、キョトンとした顔でこちらを見上げていた。




