第14話 王笏
ベルナールの来訪を不安に思っていたリーシェだったが、数日が何事もなく過ぎると、すっかりのどかな元の生活に戻っていた。
今日も朝から晴天の下、リーシェは湖に繰り出している。
何度も水に潜り湖底を探る。この湖は今は断罪に使われているが、昔は水竜ゼシリーアが現れたという伝説の湖なのだそうだ。まだこの国がゼシリーアを信仰していた時は、毎年宝物を湖に捧げていたのだという。
そんな伝説の湖という割には宝石の一つも見つけられていない。けれどリーシェはそれほど気にしてはいなかった。
ルゼには申し訳ないが、王笏を見つけられるとは端から思ってはいない。この広い湖の底をたった一人で捜索して、もし見つけられたとしても、それはきっと何十年も先のことだろう。
見込みがないことは承知の上で、それでも潜り続けているのは、ひとえにこの生活が気に入っているからだ。
なし崩しに始まった生活だが、ルゼとの共同生活は坦々とはしているがとても充実していて、会社で働いていた頃など比べるべくもないほど毎日が楽しい。
ルゼは少し小言がうるさいけれど、基本的には干渉することもないし、大抵のことは黙認してくれる。男性と同棲なんてしたことがなかったけれど、これほど気楽に過ごせるなんて思ってもみなかった。
不便だけれど穏やかな日々がこれからもずっと続く。それがリーシェのささやかな願いだった。
「今日も良い天気ねぇ……」
昼食を食べ終わり湖に戻ってきたリーシェは空を見上げてポツリと呟く。
この世界の季節がどうなっているのかよく知らないが、まだまだ夏は続きそうな気配だ。
「うーん、もうあの辺はいいかな」
午前中に潜っていた辺りを見渡し、それからその先を見る。男女の死体を見つけた辺りは見ないようにして首を巡らせていると、湖の中心にアヒルの群れを見つけた。
のどかな光景をしばらく眺め、さて仕事を始めるかと足元に目をやると、真っ白のアヒルがポテポテとそばを通り過ぎた。
「あら」
以前見たことのあるアヒルだ。羽の先が青いのが不思議で覚えていたのだが、そのアヒルがリーシェの声に反応したように足を止めた。
真っ白でふっくらとしたお腹のフォルムを見つめ、何かに似ているが何だろうと考える。
「ああ、そうだ。大福に似てるんだわ」
ポンと手を打ち口に出した声に驚いたのか、アヒルはバサバサと羽を羽ばたかせながら慌てて水に入っていく。
驚かせちゃったかしらと思いながらなんとなくその姿を目で追っていると、アヒルは群れとは違う方向にスイスイと進んでいく。
その方向は湖の中心から少し横に逸れた辺りで、一度潜ってみたことがあるが岩場が多く後回しにしていたところだ。
リーシェは水に入るとゆっくりとアヒルに近付いていく。なぜかアヒルはこちらを見たまま動かない。
(私を呼んでるみたい……)
そんな訳ないかと思いながらも、逃げないアヒルに近付く。
触れるほど近くまで行くと、アヒルはさっきまでの思わせぶりな素振りなどなかったかのように、黄色い嘴を水に付け餌を啄んでいる。
リーシェはそののどかな様子に苦笑し、水に潜った。
湖の中心近くはそれなりの水深があり、勢いよく潜らないと底までたどり着かない。足にフィンでも付ければもっと楽に潜れるのだろうが、さすがにそれを自作できるほど器用ではなかった。
どうにか底まで辿り着くと、岩を掴み身体を固定させてから周囲を見渡す。太陽の光に照らされて水の中はよく見えるが、変わったものが落ちている様子はない。
(うーん……、たまにはなにか出てくれるとテンション上がるんだけどなぁ……)
光るモノと言えば魚の姿くらいだ。またそろそろ釣りがしたいなぁと余計なことを考えながら一度水面に浮上する。
顔を出した拍子に出た激しい水音に、遠くにいたアヒルの群れが驚いたように羽をばたつかせるのが見えた。けれど、近くにいる青い羽先のアヒルは我関せずという風に水に浮かんでいる。
「あなた大物ね」
感心したようにアヒルに言ってみるが、アヒルはこちらのことを見ることもない。
リーシェは息を整えると、また水に潜った。場所を少しずつ移動し、できるだけくまなく湖底を探す。
一時間ほど探索を続け、最初に潜った位置からだいぶ横に移動した場所が、一段深くなっていることにリーシェは気付いた。
今まで探索した湖底のどこよりも深い水深で、底の方には光があまり届いていない。
(こんなとこあったのね……)
湖底に転がる岩は白い塊で、自然の岩とは違う。拾ってみると、なにか模様が彫り込まれている。
(人工物だわ!)
今までにない発見にリーシェは興奮し一度水面に顔を出す。荒い呼吸のまま手にした石を見てみると、よく研磨された白い石に蔦のような模様がある。
「大理石かしら……。建物かなにかの破片よね」
初めてそれらしい物を見つけたリーシェは、もっと何かがあるかもしれないと期待に胸が膨らむ。
一度水際まで泳ぎ持っていた石をその上に置くと、また元の場所に戻り潜った。
白い石は深くなればなるほど数を増していく。そして最も深い場所まで辿り着くと、そこに大きな円柱を何本も見つけた。
湖底には巨大な石が破壊されて積み上がっている。円柱もすべて折れており、形を残していないものもある。だがそれは明らかに何かの建物の残骸だった。
(すごい……。神殿みたい……)
歴史の教科書で見た、ローマの神殿のような印象だ。やっと伝説の湖らしいものが出てきて興奮してくる。
水底に沈む崩れた神殿に光が差し込み幻想的な雰囲気を醸し出している。
ここなら何かあるかもしれないと、リーシェは瓦礫の隙間を丹念に探索する。
重い瓦礫をどかすことはできないので、隙間を覗き込み手を差し込んでなにかないかと探し続ける。
息が続く限り探し、水面に上がるを繰り返すこと10回ほど。さすがに体力の限界が見えてきて、もうそろそろ今日は終わりにしようかと思ったその時、手に何かが触れた。
握ってみると棒のような感触に鼓動が跳ね上がる。
(こ、これは……)
崩れた円柱と円柱の隙間、腕一本程度の隙間に手を突っ込んでいたリーシェは、その棒をしっかりと掴むと慎重に引っ張る。
そうして隙間からどうにか取り出したものを見たリーシェは目を見開いた。
金でできたそれは、腕の長さより少し長い棒の先に大きな宝石が付いている。宝石の種類などそれほど知らないが、見たこともないほど大きな宝石にこれが特別なものだとはっきり分かる。
持ち手の部分には金の彫刻で竜が巻きついている。もはや疑う余地はないだろうとリーシェは急いで水面に上がった。そのままの勢いで岸辺まで泳ぎ水から上がると、手にした王笏を見た。
「やった……、これ絶対そうよね……。やった……、やったー!!」
思わず大声を上げて万歳をする。陽の光の下で見る王笏はとても美しかった。透明だと思った巨大な宝石は、よく見ると薄い水色をしていて、不思議なことに石の中に水のような揺らぎが見えた。
ふと見ると足元にあのアヒルがいて、リーシェは思わずアヒルに抱きついた。
「あなたのおかげよ!! 大福ちゃん!!」
バタバタと暴れるアヒルから手を放すと、興奮を抑えきれぬまま走りだす。そのままの勢いで塔の7階まで駆け上がる。
ノックもせずにバタンと音を立てて扉を開けると、驚いたルゼがこちらを見た。
「お前! その格好でうろうろ、」
「あった! あったよ! ルゼ!!」
「なに!?」
「王笏見つけたよ!!」
部屋に駆け込みルゼの前に王笏を差し出したリーシェを見て、ルゼの顔が驚きから笑顔に変わる。
「これでしょ!? ルゼの言ってた王笏って」
「ああ……、ああ、そうだ!」
大きく頷きルゼが王笏を受け取る。
「よくやった! リーシェ!!」
ルゼは笑顔でそう言うと、ギュッとリーシェを抱き締めた。




